メアリーの話
メアリーの前世は小さな村の子どもだった。
早くに亡くなってしまった両親の代わりに妹を育てた。二人で生きてきた。妹がいたから、彼女の見本になるべく、いつも正しくあろうとした。たくさん愛情を注いだ。だから妹は姉のことが、姉も妹が大好きだった。
大切な妹が血だらけの状態で倒れているのを見たのは、そんな二人が珍しく口喧嘩をした日だった。妹は正しいことばかりを言う姉に少し嫌気が差した。他愛もない、当たり前の喧嘩をした。きっと明日には仲直りができるだろう。そんな風に思っていた。
「…………っ」
だが、二人は仲直りをすることができなかった。妹が血だらけで家で横たわっていた。姉は慌てて駆け寄った。抱きかかえて名前を呼んだ。けれど、妹は口を開くことはなかった。
そんな姿を村人に見つかってしまった。二人が喧嘩をしていたことを知っていた村人は、姉がやったのでは、と疑った。否定しても、聞く耳を持たなかった。
人殺しは最もやってはいけないこと。神のもとへ行けなくなるといわれているからだ。村人は姉をまるで罪人のように責めた。今まで優しかった村人がみんな敵のように見えた。彼女は村人から逃げるように村を飛び出した。
けれど、彼女は妹の遺体がどうなったのか気になった。夜にそっと村に戻った。
そこで目の当たりにしたのは、血の海だった。
村人はみな、そこら中に横たわっていた。誰もが赤く染まっており、逃げ惑った跡が至る所にあった。その真ん中で唯一立っている者がいた。その人は村人を小さなガラス玉に変えると、ガリガリと口に頬張った。
人じゃない……。
彼女はその場を逃げ出した。幸い、その悪魔に見つからずに逃げることができた。だが、誰も助けられず逃げ出してしまったことに強い後悔を抱いた。
みんなを見殺しにした。これでは人殺しと同じだ。……自分にもっと、力があれば。彼女は喉元に刃を立てる。彼女はその罪を、自分の血で償った。
……生まれ変わって、あの村の事件は集団神隠しにあったということになっていることを知った。あの村には小さな礼拝堂が立ち、聖域とされているという。
こんなことがあって、良いものだろうか。いや、間違っている。
メアリーは正しくありたかった。そして、救いたかった。自分の手からもう何もこぼれないように。
「あなたはとても優しい子なのですね!」
そんなメアリーを肯定してくれたのは、十歳くらいの少女だった。
男爵家に生まれ変わったメアリーは、幼いころに象徴になる素質があると言われ、家庭教師の指導を受けていた。その家庭教師に連れられて、こっそり街に出たとき、迷子になったのだ。彼女が五歳のときだ。
迷子になった彼女を助けてくれたのは、リリアンと名乗った少女だった。
少し年上の彼女は、見ず知らずのメアリーを連れて街中を歩き回ってくれた。いろんな話をしてくれて、楽しそうに笑っていた。
「リリアンさんは悪いことをしてしまったとき、どうしますか?」
突然の質問に彼女は不思議そうな顔をした。だが、にこりと微笑むと当たり前のように言った。
「悪いことをしたなら、その分良いことをするといいですよ! 私もお母さんに叱られたとき、ずっと良い子になるようにしています」
「良いことですか?」
「そう! だって、悪いことをしてしまったことはなくならないですから。なら、自分が納得できるまで良いことをする。そうすると、自分も周りも嬉しくなります!」
彼女はそう言うと、思い出したようにメアリーの手を取った。
「いいことを思いつきました! ついてきてくれますか?」
リリアンはメアリーの手を引いて、家まで案内してくれる。
「ちょっと待っててください」
彼女は一度家に入ると、一輪の花を手に取って戻ってきた。
「これは私の宝物なのです。受け取ってくれますか?」
白百合だった。水に生けてあったようで、水滴が光を浴びて煌めいている。
「実は今朝、お母様に叱られたところなのです……だから、今日の良いことをさせてください!」
笑顔で手渡され、メアリーは白百合を受け取った。
「あなたの名前と同じ花ですね」
「えへへ。そうなんです」
その子は照れ臭そうに言うと、内緒話をするようにこっそりと教えてくれる。
「実はですね。その花は不思議な花で、一年は枯れないのですよ」
「そうなのですか? 素敵ですね」
メアリーの言葉に、リリアンはパァッと顔を輝かせた。
「そう言ってくれて嬉しいです! みんなは気持ち悪がるので……」
「どうして気持ち悪がるのでしょうか。こんなにも綺麗なのに」
リリアンは嬉しそうに顔を綻ばせて、メアリーの手を取る。
「あなたは優しい子なのですね!」
彼女はにこにこしながら、メアリーの手をブンブンと振る。だが、メアリーはその言葉を受け入れられず、思わず首を振った。
「そんなことないです。私は、悪いことをしてしまいました。それは許されることではありません」
リリアンは「んー」と腕を組むと、首をかしげた。
「でも、あなたは悪いことをしたことを後悔して、それに対して向き合って、いっぱい考えてる。それは大人にだって難しいってお母さんが言ってました。それができるのなら、あなたは優しい子だと思います」
悪いことをしてしまったとき、反省をするリリアンに彼女の親はそう言っているのだろうか。
「じゃないと、私も悪い子のままになってしまいます!」
リリアンが眉を下げて困ったように言う。それを聞いて、メアリーは目を瞬かせてからくすくすと笑った。
「あ!」
彼女が何かに気づいたように声をあげる。
「どうしたのですか?」
メアリーが尋ねると、彼女はこちらを指さした。
「綺麗! 笑ったあなたはとても可愛らしくて、その白百合みたいに綺麗です!」
そう言って花のように笑ったリリアンの顔が、メアリーは忘れられなかった。
リリアンに送り届けられ、メアリーは家に帰ることができた。家庭教師は探してくれていたようで、少し経ってから家に戻ってきた。
「どこにいたの、心配したのよ」
家庭教師はそう言いながら、メアリーの眺めていた花に目を向けた。
「あら、白百合。とても綺麗ですね」
「人にもらったのです。不思議な白百合のようで、一年枯れないのだとか……」
家庭教師はその言葉を聞いて、メアリーの横に立った。
「一年枯れないって言ったかしら? それをどこでもらったの?」
いつも穏やかに微笑んでいるはずのその人は、表情をなくしたようにこちらを見ていた。
「街の中で……リリアンという女の子にもらいました」
メアリーが素直に教えると、彼女はゆっくりと笑みを浮かべる。
「……そう、そうなの。見つけたのね」
彼女は目を細めて、メアリーと向き合う。
「その子は神に愛された子よ。とても特別な子なの」
「神に愛された子……? 象徴になるべき存在でしょうか」
「そうね。その子が象徴になってもいいかもしれない。……でも、ならない方がいいのかもしれないわ」
彼女が言っていることはよくわからなかった。だが、とても機嫌が良いことはわかる。
「教えてくれてありがとう」
メアリーはそのあと、彼女にリリアンの存在を伝えたことをひどく後悔することになった。
リリアンからもらった花は本当に一年間枯れなかった。
「はじめまして、メアリー様」
メアリーが象徴になって、リリアンと再会したとき、久しぶりに会った彼女は別人のようだった。
あの頃のように表情豊かで優しかった彼女の姿はどこにも見えない。
「何か悩みはありませんか?」
そう問いかけても、彼女は首を横に振る。
「……私の悩みなど、たいしたことではありませんから」
そう言って、決して胸の内を明かそうとはしなかった。
……支えたい。過去に支えてくれたリリアンを今度は自分が支えたい。
メアリーはそう決意した。リリアンが自分に心を開いてくれるまで、そばにいたいと考えた。
自分を助けてくれたように。
「――ここは」
メアリーは目が覚める。ベッドから起き上がろうとすると、ノックが聞こえた。
「良い夢は見られたかしら?」
穏やかに笑みを浮かべる初老の女性がそこにいた。
「どうしてそんなことを思うのかしら、マルヴィナ」
メアリーが敵対心を剥き出しているのを見て、マルヴィナは楽しそうに笑う。
「嫌ね。ちょっと前みたいにマルヴィナ先生って呼んでちょうだい」
「あなたが私の家庭教師だったのは私が象徴になる前のこと……もう何年も前よ」
「そうだったかしら? 歳をとると、時が過ぎるのは早いものね」
「白々しい」
態度を変えないメアリーに、マルヴィナは気にしない様子で話しかける。
「それで、これからどうしたいのかしら? あなたにお願いされた通り、教会で殺されそうになったのを助けてあげた。このまま私と一緒に暮らす?」
マルヴィナの提案に、メアリーは大きく目を見開く。
「どうして、そんな提案を飲むと思ったのかしら? あなたと一緒にいるくらいなら、捕まるのを覚悟で教会に戻るわ」
メアリーは前世に住んでいた村で村人たちが悪魔に食べられたことを思い出す。
あの村に悪魔を送り込み、村の人々を襲わせた。それを裏で手を引いていたのはマルヴィナだった。
メアリーがそのことを知ったのは、象徴になってすぐのことだった。
「あらあら。先生が生徒を大切に思う気持ちを察してほしいものですね」
「あなたは私との約束を果たすためだけに、私を助けただけよ。本当に私を大切に思っているのなら、私が助けを求める前に来たはず」
幼いころ、彼女を家庭教師として迎え、師として教えを請うていた。マルヴィナはメアリーが御使いであることに気づき、彼女と取引をする。メアリーが駒として教会の象徴となる代わりに、願いを叶えるというものだった。
メアリーの言葉にマルヴィナは仕方がなさそうに息を吐く。
「大切に思っていますよ。象徴とただの御使いとでは、得られる情報も違いますもの。あなたが私に情報を流してくれるから、私もあなたを助けた。とっても素敵な協力関係でしょう?」
「大切な駒、ってことね」
メアリーはマルヴィナを睨む。
「では、その駒が役割を果たせるように、教会へ安全に戻してほしいです」
メアリーの言葉にマルヴィナは目を閉じて首を横に振る。
「あなたの帰る場所はもうないわ」
「どういう意味?」
「……リリアンが象徴の立場につくことが決まったのよ」
メアリーは顔を真っ青にする。そんな彼女を見て、マルヴィナは不思議そうな表情を見せて首をかしげた。
「彼女が象徴になったら、困ることがあるのかしら?」
「困るのはあなたの方ではないの、マルヴィナ」
「あら、どういうことかしら?」
「あなたは、あの方を悪魔に食べさせようとしている」
マルヴィナは楽しそうに目を細めた。
「あら……誰から聞いたのかしら?」
そう言いながらも、どこからの情報かわかっているようだった。
「……助けてもらったことは感謝するわ。けれど、あなたが私のいた村の人たちを襲わせたことは、絶対に許さない」
「さあ。何のことかしら」
マルヴィナはとぼけたように答えた。
「メアリー。私の大切な生徒。そんなあなただから、教えてあげるの。……あの悪魔と手を組むのはやめなさい。あなたは自由になれる。義務に囚われる必要はないわ」
「義務じゃない。私の意志で決めたことだから」
メアリーはそう言うと、マルヴィナを睨んだ。
「あなたこそ、リリアン様をこだわるの? 彼女が何かしたの?」
マルヴィナは温度が下がったような表情をする。
「……あの子が花だからよ」
眉をしかめるメアリーを見て、マルヴィナはくすりと笑う。
「大丈夫。まだそのときではないから」
マルヴィナは教会のある方を見て小さく呟く。
「……あの子を、神のもとになんて、行かせないわ」
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