52話 愛の言葉
空間が歪み、そこから誰かが現れる。金色の髪がステンドグラスの光を浴びて、煌めいた。金色の優しい瞳がこちらを向く。
「リリー、呼んだ?」
彼はふわりと地上に降りてくる。地面に足をつけると、こちらに笑みを向けた。
「ウィリアム……」
彼はいつも通りに微笑んでいた。その姿につい目元が熱くなる。彼は周りを見てから、倒れているルシルを見た。
「……ああ、そういうことか」
彼は眉をしかめると、こちらに歩み寄ってくる。そしてリリアンの持っている剣を奪った。
「リリーに剣は似合わないよ。助っ人と言うには頼りないかもしれないけれど、助けに来たよ」
彼はそう言って、ルシルの前に立つ。そして、彼女に軽口を言った。
「お前、かっこつけすぎ」
その言葉にルシルは小さく笑う。
「ははっ、どっちが」
ウィリアムは剣を構える。男たちは何が起こったのかわからず、立ちすくんでいた。だが、彼が剣を構えたのを見て、慌てて剣を構える。
「一人子どもが増えたくらいで、変わりはしないんだよ!」
男たちは力任せで斬りかかってくる。ウィリアムは彼らと違い、剣を習っているため、二人相手でもなんとか対応できていた。
それを横目で見ながら、リリアンは息が荒いルシルを横たわらせる。スカートで止血をしてみても、血はいっこうに止まる様子がない。自分では何もできず、どうしたものかと思っていると、隣から声が聞こえた。
「本当に頼りないわね、あの男」
見れば、レジーナが椅子に座って様子を見ていた。彼女は頬杖をしながらこちらへ目を向けて、楽しそうに目を細める。
「ねえ。あの男、助けてほしい?」
紅い瞳は何か試しているように見えた。だが、彼女の申し出に断る理由が見つからなかった。
「良いのですか……?」
彼女は立ち上がって、こちらに歩み寄る。そして、無害そうに笑みを浮かべた。
「ええ、いいわよ。……ただし、私の言うことを聞くならね」
「彼を助けてくれるなら」
リリアンが即答するのを見て、彼女は満足そうに笑った。
「交渉成立よ」
そう言って、彼女はふわりと浮かびあがった。楽しそうに笑みを浮かべながら、指を鳴らす。三人の動きが止まった。レジーナは男二人の前へ飛んでいく。
「ごきげんよう。醜い姿の人間。体が動かない気持ちはどう?」
「何だ、お前は! くそ、体が動かねえ……! 何をした!」
二人の男の瞳に浮かぶのは怒りと動揺。レジーナを睨みつけているが、彼女は笑みを絶やさない。彼女が片手をあげる。ごとり、と何かが床に落ちた音がした。見れば、彼らが剣を握っていた手が落ちている。
「う、うああああぁっ」
状況がすぐに理解できなかった二人は、自分の足元を見て声を上げた。彼らの腕からどくり、どくりと血が流れている。レジーナはそれを楽しそうに見ていた。
「やっとわかったかしら? あなたたちはここで死ぬの。よかったわね。あなたたちの大好きな神に死を見守ってもらえるのよ」
ステンドグラスを背に、レジーナは猫のように目を細めた。口端をきゅっと上げて、片手を横に振る。それと同時に、男二人の首が飛ぶ。彼らの肉体は崩れていき、床に小さなガラス玉が二つ転がった。レジーナはそれを拾い、口に入れる。
「まあまあかしら?」
そう言いながら、鋭い歯でガラス玉を噛み砕いた。
「何が起こったんだ……?」
ウィリアムは茫然とした様子でその光景を見ていた。レジーナの術が解けたようで、動けるようになった体を確認すると、ハッとした表情を浮かべて、リリアンのもとに駆け付ける。
「大丈夫か、リリー」
「私は大丈夫です。……ルシルが」
そして、横たわるルシルを見た。彼女の鮮血が床一面に広がっている。止血したところで、もう間に合いそうにないだろう。
「……もう駄目そうだな」
諦めの言葉に、リリアンは涙をこぼしながらルシルを見た。ルシルはリリアンを見て仕方なさそうに笑う。
「本当に泣き虫だなぁ、リリーは。私は自分のためにあなたを守ったんだよ」
ルシルはこちらに手を伸ばす。リリアンは彼女の手を取った。……その手はとても冷たかった。
「リリー。私はあなたが大好きよ。とても特別なの。だから、あなたが守れて、私は幸せなのよ」
「そんな、私はルシルにそう思ってもらえるような人じゃ……」
「自分のことを否定しないで。私はあなただから、好きになったんだから」
ルシルの息が荒くなっている。この騒ぎに誰かが駆けつけてもおかしくないのに、礼拝堂には誰も現れない。
「リリー。初めてあなたに会ったとき、とても綺麗だと思った。自分に自信があって、たくさんの人に愛されて、たくさんの人を愛していて……あなたの特別になれたらって、みんなが思っていた」
「ルシル、これ以上話さないで。傷が……」
必死に止血をしてもあふれてくる血を見て、リリアンは声を上げる。
「いい。わかっていた。私が死ぬことくらい、ずっと前からわかっていたんだ」
「それはどういう……」
「リリーは自分のことが嫌いだと言うけれど、そんなこと言わないで。あなたはあなたらしくあってほしい。それが私の愛したリリーなんだから」
彼女は床から腕を必死に持ち上げる。リリアンは彼女の手を取った。冷たい両手を温めるように包み込む。けれど、その手に温度は戻ることがない。
「ねえ、笑って」
「ルシル……」
「リリー、お願い。……笑って」
そうねだられて、震える顔で必死に笑みを作った。上手く笑えたかもわからない。それでも、ルシルは嬉しそうに笑う。
「やっぱり。笑顔のあなたは美しい」
ルシルの手から力が抜けていく。それでもリリアンはその手を離さなかった。
「ねえ、リリー」
ルシルの目元に涙が溜まっていく。彼女は頬に涙を零しながら、優しく目を細めた。
「……ずっと、愛してるよ」
そう言って、ルシルは目を閉じた。
「ルシル、ルシル!!」
リリアンは彼女の肩を揺する。だが、彼女はいつもみたいに笑わない。
「ルシル、お願い。目を開けて! 私も……私もあなたのことを愛しているのに!」
声を荒げるリリアンの肩を、ウィリアムがそっと触れた。
「リリー」
ウィリアムは彼女の横に膝をつけると、彼女の胸元に手をかざす。光る球体が胸元から浮かび上がり、彼の手の上に収まった。彼がふっと息を吹きかければ、さらさらと砂のように散っていった。
「……あいつは自分の命が短いことは知っていたんだ。だから、リリーと一緒にいることを選んだんだよ」
ウィリアムは顔を上げないままそう言った。
「俺はあいつの御使いだったから。最初から知ってたんだ。……黙っていてごめんな」
彼の謝罪を受け入れることができなかった。文句を言いたい気持ちをぐっと堪えて息を吐く。
「……教えてくれて、ありがとうございます」
ルシルを家族の元へ連れて帰りたい。けれども、自分は教会に属する身。ここから出ることは叶わないだろう。
「クライヴ様。ルシルを連れていくことはできますか」
クライヴは首を横に振る。
「彼女は教会の人間だ。私がどうにかできることではない」
「では、どうしたら……」
彼女をここから出す方法を考えていると、レジーナがくすくすと笑った。
「お行儀の良い子ばかりだこと。そんな人間の作った規則など、破ってしまえばいいでしょう?」
「誰だ、お前は。教会の規則を破ることは……」
クライヴがレジーナを睨みつける。彼女は気にした様子もなく言葉を続ける。
「国だとか、王家だとか、教会だとか。そんなもの、人間が都合よく作ったおままごとにすぎないわ。わざわざ相手をしてあげる必要なんてないの。その女を連れて行きたいのなら連れて行けばいいし、あなたがここを出たいならそうすればいいのよ」
レジーナは小さな声で付け加える。
「……それに、聞いていた話と違うわ」
レジーナはウィリアムを見た。
「御使い。あなた、移動能力が使えるでしょう? その子たちを運びなさい」
そして、クライヴの方を見る。
「あなたはこの情報を誰にも渡さず、伏せておきなさい。象徴が襲われるだなんて、あってはならないこと。それくらいわかるでしょう? あなたの立場も危うくなるわ。痛い目を見たくないなら、黙っておくことね」
クライヴはレジーナを睨む。
「もう一度、問う。お前は何者だ」
「あら、私? 知らない方が身のためよ」
彼女はそう言うと、ウィリアムの方を見た。
「何をぐずぐずしているの。このままでいたら、教会の者が様子を見に来るわ」
ウィリアムはこちらに目を向ける。リリアンは彼の手を取った。
「お願い、ウィリアム。ルシルを安全なところへ連れて行って」
リリアンに頼まれて、ウィリアムは息を吐いた。
「……わかった」
「目的地は決まっているの。入口を繋げてくれるかしら?」
「どこへ行けばいい?」
ウィリアムがレジーナに尋ねる。彼女は不愉快そうに眉を寄せると、悪態を吐くように言った。
「……腹立たしいほどにいけ好かない悪魔の家よ」




