28話 花
手を差し出している男子生徒が誰かわからない。リリアンが少しためらっていると、その人はその手を取った。手を引かれ、慌てて音楽に合わせてリズムを取る。その人は踊り慣れているようで、リードするのも上手い。彼に合わせていると、自然と足が動く。まるで踊らされているように感じられた。
知らない人と踊るのは、少し緊張する。まるで品定めをするようにこちらに視線を向けていた。
その顔は誰かに似ているように思えた。
「君はよく、教会に行くのだろう?」
「え、はい」
「そこで新しい御使いに会わなかったかい?」
おそらく、テオドールのことを言っているのだろう。不思議に思いながらもうなずく。
「はい、お会いしました」
「どんな人だった?」
「……大人しい人、ですかね。メアリー様のお傍にいらっしゃって、彼女のことを気遣っているように見えました」
その言葉にその人は少し驚いたように目を開いた。
「そう……そうなのか」
この人は彼とどのような関係があるのだろうか。だが、仮面舞踏会で素性を聞くのはご法度だ。何も聞かず、口を閉じる。
不思議な人だった。踊りが上品なので、身分の高い人なのだろう。だが、オズワルド以外にそういった人と接点はない。どうして、自分と踊りたがったのだろうか。
曲が終わると、その人は手を離した。そして、一輪の花を差し出す。
「とても素敵な夜をありがとう」
その花を受け取ると、彼は柔らかい笑みを浮かべた。仮面の向こうで深緑の瞳が細められる。
……その表情を見て思い出した。
「それでは、また」
彼はそう言うと、その場を立ち去った。その背中を見て、ぽつりと呟く。
「……テオドール殿下に似ていたのですね」
リリアンは受け取った花を見つめる。
おそらく親しい人ではないのだろう。それなのにこの花を渡した。この花にはいったいどんな意味が込められているのだろうか。
花を使用人に預けて、会場に戻ろうとした。すると、会場からウィリアムがこちらへ歩いてきているのを見つけた。
彼はリリアンの姿を見つけると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「こんなところにいたんだね」
「休憩ですか?」
陰になっていてよく見えなかったが、彼の手には一輪の花があった。
「あら、どなたかにもらったのですか?」
目を輝かせて尋ねれば、彼は首を横に振った。
「これを、君に」
一輪の花に驚いたように目を瞬かせると、彼は柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
リリアンは花を受け取って使用人を呼んだ。そして、自分もウィリアムに花を手渡す。
「ふふっ、同じことを考えてましたね」
ウィリアムは息を飲むと、その花を受け取った。
「お前は、その……」
「大切な友達の印です」
少し照れ臭い気持ちで伝えると、ウィリアムは仕方なさそうに眉を下げた。
「……俺も同じだよ」
舞踏会が終わり、帰る時間となった。使用人が帰るために、今日使った荷物を馬車に積んでいる。
リリアンは仮面を外し、受け取った花を眺めていた。
もし、去年も仮面舞踏会に参加していたとしても、花をもらうだけでなく、誰かを踊ることすらしなかっただろう。環境がこんなにも変わると思っていなかった。
「リリアン様、準備ができました」
使用人に呼ばれ、リリアンは立ち上がる。歩き出そうとすると、後ろから声をかけられた。
「リリアン」
声をかけられて振り向くと、そこには仮面を外したオズワルドがいた。その手には花束がある。
「どうしたのですか?」
オズワルドはこちらに歩み寄ると、その花束を差し出した。
「これを君に」
リリアンは驚いて顔を上げた。
「舞踏会は終わってしまいましたよ?」
「舞踏会の間は、仮面をかぶっているだろう? その間は君であっても君じゃない。俺はリリアンに渡したかったんだ」
オズワルドはリリアンに花を渡す。両腕一杯の花束に動揺を隠せなかった。
「でも、これは……」
「試験お疲れ様」
その言葉で気づく。おそらく、試験勉強を頑張ったご褒美なのだろう。
リリアンは微笑んでその花束を受け取る。
「ありがとうございます」
彼はリリアンの笑みを受けて、嬉しそうに微笑んだ。
リリアンがたくさんの花を抱えて帰ってきたのを見て、ナタリアは嬉しそうな声をあげた。
「まあ! まあ! どなたからもらったのかしら?」
「本当に……どこの馬の骨から受け取ってきたんだ」
それに対してアレクシスは複雑そうな顔をしている。
「ふふふっ、秘密ですよ」
リリアンは使用人にたくさんお花を預けると、代わりに二輪の花を受け取った。
花を持って、二人の前に立つ。
「こちらを二人に。……いつもありがとう」
「まあ! 受け取っていいの?」
「もちろん」
花を渡すと、彼女は嬉しそうに受け取ってくれた。
「義兄様も、こちらを」
アレクシスは頬を染めて顔を綻ばせた。
「……ありがとう。私の愛するリリー」
そう言って、彼にそっと抱きしめられる。
「私もリリーのことを愛していますよ」
その後ろからナタリアも二人を抱きしめた。二人の温もりを感じて、リリアンは頬を緩める。
「……私も、二人のこと愛してますよ」
自室に帰るとレジーナが我が物顔で待っていた。リリアンの持っている花束を見て、鼻の上に皺を寄せる。
「どうして花なんて持っているの?」
「今日は仮面舞踏会だったのです。お互いに花を贈りあうのですよ」
「あっそう」
レジーナは興味なさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまう。
その様子が不思議で、花を花瓶に生けながら彼女に尋ねた。
「レジーナ様はどんな花が好きですか?」
レジーナはこちらを向くと、目を吊り上げて言った。
「嫌いよ。花なんて、大っ嫌い」
彼女はスカートをぐしゃりと握り締めて、花を睨む。まるで癇癪を起こした子どものようだった。
「どうして……」
「花は枯れるからよ」
レジーナは顔を歪めると、姿を消した。その表情は傷ついているようにも見えた。
「…………」
花瓶を白百合と並べて置き、ベッドに腰を下ろす。怒っているレジーナを何回も見た。だが、あんなにも感情を揺らす様子は初めて見た。
どうしてこんなに綺麗な花を嫌うのでしょうか。
花は月明かりに照らされて、綺麗に咲いていた。
次の日、リリアンは教会へ足を運んだ。行事が重なっていて、あまり足を運ぶことがなかなかできなかったからだ。
教会はいつもより人が多かった。いつもならば、数人が礼拝堂で祈りを捧げているはずだが、誰も祈りを捧げている様子はない。
「リリアン様、どうして……」
メアリーが驚いたようにこちらを見た。
「こんにちは、メアリー様」
挨拶をすると、彼女は困った表情をした。
「まさか、来ていただけるとは思っておりませんでした」
彼女は辺りを見渡す。教会の空気が良くない。こちらに向けられる視線は感じの良いものではなかった。
「もしかして、まだ……」
「しばらく、教会へ来ない方が良いと思います。本当は、来ていただきたいのですが……今は難しいのです」
教会で深刻なことが起きているのはわかった。だが、外部の人間であるリリアンができることはあまりない。
「わかりました。……でも、私に手伝えることがあったら」
「はい、あなたに頼らせていただきますね」
メアリーは微笑みながらうなずいた。その様子を見て、リリアンも笑みを浮かべる。
「呼ばれたら、すぐに来ます。だから、メアリー様。決して無理をなさらないようにしてくださいね」
「もちろんです。またリリアン様が来てくださるような教会に戻るよう、尽力いたしますね」
教室は少し浮ついた様子が残っていた。先日の舞踏会のことをみんな考えているようだった。だが、リリアンは教室に着いてすぐにウィリアムとルシルに教会のことを話した。
「昨日、教会へ行ったら、しばらく来ない方がいいって言われたのです。大丈夫でしょうか……」
「あら、そうなの? 私は教会にあまり行かないから、よくわからないのだけれど……心配ね」
ルシルの言葉に目を大きく開く。
「教会へあまり行かないのですか?」
「ええ。あの雰囲気が少し苦手なの」
たしかにルシルと教会へ行くのを見たことがない。だが、彼女が教会を苦手に思っていることを初めて知った。
「それにしても、何があったのかしら……。ウィリアムは知ってる?」
目を向けると、ウィリアムは浮かない顔をしていた。
「どうかしましたか?」
問えば、彼は少し躊躇うように口を開いた。
「実は少し噂になっているんだ。教会は今、王族とあまり上手くいっていないらしい」




