21話 偽物
二人は放課後残ってリリアンに勉強を教えてくれるようになった。
特待生で入ったルシルはもちろん、ウィリアムも平均より上の成績のため、リリアンレベルならば勉強を教えることができた。
図書館の自習室の隅を借りて、リリアンは二人に取り囲まれながら問題を解いた。
「そんなこともわからないのか……」
だが、リリアンは基礎的なことすら頭に入っていなかった。真っ白な答案用紙を見て、ウィリアムは頭を抱える。
「申し訳ないです……」
「リリーが気にすることはないわよ。むしろ、腕が鳴るわ。これから私たちの手でリリーの成績を上げられるのが楽しみよ」
ウィリアムとルシルは教科書を見ながら、どう進めるかを話し合いはじめた。手持無沙汰になったリリアンは一人で教科書を眺める。すると、後ろから誰かが覗き込んできた。
「おや、珍しいね。リリアンが勉強をしているなんて」
振り返って声の主の方を見ると、そこにいたのはオズワルドだった。
「ごきげんよう、オズワルド様」
目の前に座っているウィリアムは緊張した面持ちになっている。ルシルは敵意剥き出しでオズワルドを睨んでいた。オズワルドは前の二人に目もくれずにこちらを見ている。
「いつもは勉強をせずに試験に臨んでいるのに、今回はどうしたの?」
どうやらオズワルドはリリアンの成績が良くないことを知っているらしい。リリアンは苦笑しながらも、目の前の二人に目を向けた。
「試験に合格して、舞踏会に参加しようと思いまして……」
「そうなんだ……」
オズワルドはそう言って、前に座る二人をちらっと見た。
「それは君の意志かい?」
「な……っ」
ウィリアムは何か言いたそうにしながらも、口をすぐに閉じた。対して、ルシルはお嬢様のように柔らかく微笑んでオズワルドを見た。
「オズワルド様、リリーは試験合格を目指して一生懸命頑張っていますよ。応援してはいかがでしょうか」
「平民が気安く俺に話しかけるものじゃないよ」
「申し訳ございません。平民ですので、貴族の細やかなルールがわからないのです」
「それは大変だね。君はリリアンに勉強を教えるより、自分が勉強すべきだろう」
「まあ、教えていただきありがとうございます。誰かみたいに、会話の途中で相手を連れ出すような失礼なことをしないように気を付けますわ」
ウィリアムは悲痛な表情を浮かべて目を閉じている。リリアンは慌てて二人に声をかける。
「勉強が一番必要なのは私です! だから、たくさん、たーくさん! 頑張りますね!」
その言葉に、ルシルとオズワルドは表情を緩ませた。
「リリアン。誰かの教えが必要なら、俺を頼るといい。ちゃんとした教師を用意しよう」
オズワルドはほかの二人を一瞥してから去っていった。
ウィリアムは手を額に当ててうなだれる。
「……生きた心地がしない」
ルシルはオズワルドの背中を睨みつけたあと、こちらを向いた。
「リリー。私たちがちゃんと教えるから、一緒に勉強頑張りましょうね!」
次の日もウィリアムとルシルとの勉強をした。二人は頭を抱えながらも、教えれば理解する様子に少し安堵の色が見えていた。二人と別れて帰る準備をしていると、一人の女生徒に声をかけてきた。
「リリアンさん、今日お時間あるかしら?」
赤毛のまっすぐな髪を持つ少女はにっこりと笑みを浮かべている。つりあがった赤い瞳は彼女の勝気な性格を表しているようだった。
「生徒会会計のミランダよ。副会長からの依頼で来たの」
副会長とはオズワルドのことだ。彼はいつも自分の足で来る。誰かに依頼をするのは珍しい。彼女は鞄を漁ると、一冊のノートを差し出した。
「これ、副会長から。あなたに渡すように言われたの」
リリアンはそれを受け取ってペラペラと開く。それは試験対策用のノートだった。
「これって……」
「今回はリリアンさんが勉強頑張っていると聞いて、力になりたかったそうよ」
その言葉を聞いて、リリアンは眉を下げる。
オズワルドには助けられてばかりだった。それなのに、何も返すことができなくて申し訳ない気持ちになる。
リリアンはぎゅっとノートを握ると、ミランダの方を見た。
「ありがとうございますとお伝えください」
ミランダはリリアンを観察するようにじっと見ると、不思議そうに首をかしげる。
「リリアンさんと副会長はどういった関係なの?」
そう問われて、リリアンは回答に困る。
「先輩と、後輩でしょうか?」
「それは、そうでしょうけど……」
ミランダはリリアンの回答に納得がいっていないようだった。
「まあ、いいわ。副会長に今日はこのまま教会に連れて行くように言われているの。あなたのことだから、勉強ばかりして息抜きしていないだろうって」
その通りだった。二人に勉強を教えてもらっている手前、息抜きができていなかった。
「今日くらいは教会に行ってもいいんじゃないかしら? ほら、馬車に乗って」
ミランダに誘導されてリリアンは彼女と一緒に馬車に乗った。
教会に着くと、ミランダはリリアンを解放してくれた。一緒に教会へ入るのかと思いきや、彼女はリリアンを置いて手を振る。
「では、また。ごきげんよう」
あまりにあっさりとした別れで拍子抜けしたが、一人で教会に入ることができてホッと息を吐いてしまう。
珍しくメアリーの姿がなかった。休憩でも取っているのだろうか。しばらく一人でステンドグラスに祈りを捧げてから教会を出ようとした。
「少し、よろしいでしょうか」
聖職者の恰好をした女性がリリアンに声をかけてきた。背の高い若い女性だ。おそらく、教会の御使いだろう。耳についているピアスから、貴族でもあることがわかる。
「はい、何でしょう」
「あなたはよくメアリー様とお話をされていますね。ですが、ほかの御使いとお話をされないのはなぜでしょうか」
突然の問いに困惑してしまう。
自分の悩みを人に話すことをしないようにしていた。最近では、家族や友達との関わりも増えてきて、相談できる相手が増えた。メアリーもリリアンの言葉を待っていてくれている。それが心地よくて、話しやすい相手にしか話さなくなっていた。
教会に来る人たちは悩みがあるとき、神に祈りを捧げる。どの道を選べば良いのかを尋ねるためだ。そして、御使いに相談をする。御使いは人々の悩みを理解し、神の言葉を聞く。それを象徴に伝えて、メアリーの口から神の言葉で人々に導きを与えるのだ。だが、リリアンはメアリーに直接話してしまうため、その過程を踏んでいない。
「メアリー様は御使いでもあります。御使いでもあり、象徴でもあるので問題ないと思っていたのですが……」
「彼女はまだ幼く、御使いとしてまだまだ未熟です。ですので、私たちにお話をしてください。あなたに神の言葉を授けましょう」
その言葉に違和感を覚えた。首をかしげながら、疑問を口にする。
「神の言葉を御使いが直接伝えるのは、教会として許されるのですか?」
「おや、あなたは知らないのですね」
御使いは柔らかく微笑んで、まるで神の言葉を伝えるように話した。
「あの象徴は偽物なのですよ」
「……何をおっしゃっているのですか」
「あなたはまだ若いから知らないのですね。あの象徴は、今までの象徴と大きく違っています」
その言葉は否定できなかった。リリアンは前の象徴の記憶がない。人から聞いたことくらいしか知らなかった。
「前の象徴も、その前の象徴も……こんなに頻繁に人の前に現れることをしませんでした。常に御使いが人々の声を聴いて、神の言葉を受けてから、象徴はやっと人前に出るのです。それも、神言室で伝えるだけ。それが本来の姿なのです」
「それだと、対話ができないですよ」
「御使いが対話をするのですから、不要なのですよ。象徴は神の言葉だけを伝えればいいのです」
まるで人格など必要がないと言っているように聞こえた。ちゃんと話を聞き、悩める人に心を砕いてくれる。そんなメアリーだからこそ、気持ちを話すことができた。
リリアンは御使いの瞳を覗き込む。その目には自分が映っていないように思えた。
「……まるで、人形のようですね。私は、こちらの目を見てお話してくれるメアリー様の方が好きです」
「好き嫌いの話ではありません。これが本来の――」
「それでも、私はメアリー様が象徴だと思いますよ」
まっすぐ相手の目を見て、はっきりと伝えた。御使いは肩を震わせて、睨むようにこちらを見る。
「……神の言葉を信じないなんて。神に見放されますよ」
その言葉にリリアンは眉を下げる。
「私は神に見放されているようなものですから。……そんな私をメアリー様が見放さないでいてくださっているのです。お優しい方だと思います」
ぎゅっと目を閉じて、憐れむように首を横に振る。
「嘆かわしい……。あの偽物に洗脳されているのですね」
思わず眉をしかめる。だが、御使いはそれに気づかないまま、祈るように胸元で両手を組んだ。
「きっと、あなたも気づくでしょう。あの偽物がこの教会を支配しようとしていることを。……そのときは、私にお声がけください。きっと、あなたを正しい道へ導きましょう」
リリアンは不快な感情を悟られないように、にっこりと微笑んで頭を軽く下げた。
走りだした馬車から教会に目を向ける。
リリアンはあまり御使いと話すことをしなかった。だから、教会に来る人たちが相談するのを優しく聞いていることしか知らなかった。何より、教会へ通うようになってからは、メアリーが積極的に声をかけていてくれたから、話す必要もなかった。
……色々な人がいるのですね。
リリアンの中の教会のイメージはメアリーだった。人がたくさんいれば、それだけ意見が違うのは当然なのだろう。けれど、それに気づけていなかった。
御使いは聖職者だ。正しいことだけをしているのだと思っていた。
テオの言葉を思い出す。助けになってほしいというのはこのことなのだろう。幼いメアリーがあの場所にいるのは、大変なことだ。
「メアリー様の助けになれたら、いいのですけれど」
リリアンはそう思いながら、馬車に揺られていた。




