20話 象徴
「最初の象徴ですか?」
「はい。メアリー様はご存じですか?」
リリアンはメアリーと顔を合わせたとき、ふとそんなことを尋ねてみた。
レジーナに神について知るには、その周囲のことを知るように言われた。教会にいるメアリーなら様々なことを知っているだろう。
突然の質問にもかかわらず、メアリーは「そうですね」と考えるように視線をあげた。
「神に愛されている人の魂は何度も現世に生まれ変わっていると言われています。ですが、記憶は共有されていません。私も人から聞いたことしか存じておりません」
「そうなのですか?」
「ええ。私も神に会った記憶がありますが、それ以外は……。ですから、伝えられている初代象徴の話も遠い偉人のことのように思えてしまうのです」
メアリーは胸元に着けている首飾りにそっと触れる。いつも身につけている青色の石の首飾りだ。深い青をしたそれは、宝石のような輝きを持っている。
「最初の象徴は今から五百年前、この教会ができたときと同時に誕生しました。神に愛された人はそれよりもずっと前から存在していたでしょう。ですが、教会の象徴という名前を付けられたのはこのときですね」
その話は学園の授業でも聞いたことがあった。初代象徴は教会の設立にも携わっていたはずだ。
神に愛された象徴はだいたい百年に一人生まれてくる。そのため、一時的に空席になることもある。メアリーはリリアンより年下だ。空席だった時期をリリアンも経験しているはずだが、幼かったためよく覚えていない。
「象徴は、生まれてから一度、神の元へ行くことが許されています。最初は神隠しだと勘違いされますが、死ぬよりも早く神のそばにいることが許される神隠しと違い、象徴は現世に戻ってきます」
彼女はそう言うと、思い出したように「そういえば」と言った。
「初代象徴は神と同じで花を大切にしていたそうです。私が神と会ったのも花畑のある場所でした。教会の奥にある御使いたちの住居の近くには花が多く植えられているんです」
「まあ、そうなのですね」
「庭園もあって、私はよくお茶会をするんですよ。お花に囲まれてお茶を飲むのはとても心が安らぎます」
メアリーもやはり花を好んでいるようだ。他人のように思っているようだが、初代象徴のころの思い出が残っているのかもしれない。
「メアリー様の一番好きなお花は何ですか?」
「そうですね……」
メアリーはまっすぐリリアンを見る。そして、とても優しい笑みを浮かべた。
「白百合、ですかね」
「白百合ですか?」
「はい……とても思い出深く、大切な花です」
彼女の表情は好きな花の話だけをしているように思えなかった。どんな思い出なのかを聞こうとすると、彼女は表情を変えて「そういえば」と話題を変えた。
「象徴の部屋にも初代象徴が花を好んでいた面影があるのですよ」
「そうなんですね! 気になります」
壁に花の模様でも彫られているのだろうか。それとも、庭園に直接繋がっているのだろうか……。
神のことを思い、人々を導き続けた象徴がどのような場所で過ごしているのか、とても興味があった。
「リリアン様は象徴に興味がおありなんですね。残念ながら、象徴の部屋に招待することはできません。ですが、教会には歴代の象徴についての記録が残っているのです。私も一度、目にしたことがありますが、歴史書のようにそのとき起きた出来事と一緒に記録されています。お貸しすることはできませんが、私の立ち合いのもとでしたら、お見せすることができますよ」
その言葉にリリアンは目を輝かせた。
「本当ですか?」
「はい。持ち出し手続きが必要なので、すぐには難しいですが……またお見せしますね」
彼女はそう言ってステンドグラスを見上げる。その横顔は年齢相応の幼さを感じられた。
「……私はどのように書き記されるのでしょうね」
象徴に関する歴史書にどのようなことが書かれているかわからない。だが、象徴たちのしてきた素晴らしいことが記載されているのだろう。そのような人たちと比べられるのは怖いというのはリリアンにも理解できた。
「……メアリー様は人々の助けになっております。きっと、素敵な人として描かれると思いますよ」
メアリーは顔を明るくして、嬉しそうに笑った。
いつものように神に祈りを捧げて、教会を出る。馬車に乗ろうとした手前で、御使いに声をかけられた。
「……リリアン様」
そう呼びかけられて目を向ければ、テオがいた。
「テオ様。どうされたのですか?」
「いえ……少し、あなたとお話ができたらと思いまして」
テオは表情が乏しいのか、何を考えているのかわからなかった。
彼は一向に口を開かない。言いにくいことなのだろうか。彼が言葉を切り出すのを静かに待ってみることにする。
「……あなたは、メアリーの親戚か何かですか?」
テオが切り出した問いにリリアンは首をかしげた。
「いえ、違いますけれど……」
「では、一緒に育ったり、古くからの付き合いだったりしますか?」
「どうしてそのようなことを聞かれるのですか?」
テオは少し視線をずらすと、少し言いにくそうに口を開いた。
「……メアリーはあなたのことを特別に思っています」
その言葉に目を瞬かせる。
メアリーが自分のことを……?
身に覚えのないことに否定の言葉を口にした。
「そんなことはないと思います。彼女はいつだって誰にも優しく接していますから」
「もちろん、彼女は誰にでも優しい。……だが、表情が違います」
「表情ですか?」
テオはその言葉にうなずく。
「そうだ。あなたと話しているとき、メアリーはとても柔らかい表情をしている」
テオはそう言うと、メアリーのことを思い出すように言葉を続けた。
「あなたを見つけたとき、彼女はとても嬉しそうな顔をする。あなたが悲しそうなとき、彼女はとても心配そうな表情をする。……だから、あなたとメアリーが特別な関係なのかもしれないと思ったんです」
そんなことはないと思った。彼女は分け隔てなく、そして誰にでも平等に接してくれている。それに何より……リリアンを特別扱いする理由がない。
「気のせいではないでしょうか。私と彼女は個人的に会うことはありません。教会の象徴と教会の信者という関係ですよ」
「……そうか」
重ねて否定をすれば、テオはそれ以上言及しなかった。
彼はまた黙り込む。別れの言葉を言わないということは、まだ用事があるのだろう。
彼は口にしていいものか、少し悩んだ様子で話しはじめた。
「……メアリーは今、少し大変な状況にいます。もし、何かあったら……彼女を助けてほしい」
メアリーとは頻繁に話す機会があった。けれど、彼女はあまり自分のことを話そうとしない。
リリアンが知っているのは、十歳であること、五歳から御使いとしての自覚があること……そして、今日聞いた白百合が好きなことだけだ。
どのようなものを好んで、何が苦手で、今どのような生活を送っているかも知らない。
だが、リリアンにとってメアリーは大切な人だった。苦しいとき、寄り添ってくれたのは彼女だった。
「もちろん。メアリー様にはとてもお世話になっていますから。何かあったら、助けになりたいと思っています」
その言葉を聞いて、彼は頬を緩めた。そこでやっとテオの笑った顔を見た気がした。
リリアンは教室で本を読んでいると、ふと教会での出来事を思い出す。
メアリーが自分のことを特別に思っている……。それが事実かどうかはさておき、他者からそう見られているのは意外だった。
メアリーと初めて会ったときのことは何となく覚えている。子爵家の養女になって、ナタリアに連れられて教会に行ったときだった。幼くもしっかりと背筋を伸ばして、大人に混じりながら堂々としている様子に、リリアンは年下の彼女に憧れを抱いた。
「私がメアリー様を特別に思っているなら、まだ納得できるんですけど……」
ふと顔を上げると、ウィリアムは腰に手を当てて、本にかじりついているリリアンを見下ろすように見ていた。その表情には心配と呆れが混じっている。。
「おはようございます、ウィリアム。どうしたのですか?」
「勉強は大丈夫なの?」
ウィリアムの問いに、リリアンは笑顔で首をかしげる。彼はその様子を見て更に問いかけた。
「リリアン、試験勉強してるよな……?」
リリアンはにっこりと微笑む。うなずかない様子にウィリアムも笑顔で返す。
「……出せ。今までの成績、全部。綴ってあるだろう?」
「捨ててしまいましたけど……」
当たり前のように答えるリリアンに彼は頭を抱えた。
「何で捨ててるんだよぉ……学園から綴って残しておくように言われてるだろ……」
ウィリアムの嘆き声を聞きつけて、ルシルが横から顔を出した。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……リリアンの成績が心配で……」
ウィリアムの言葉にルシルは目を瞬かせると、こちらに視線を向けた。
「リリー。最近の試験結果覚えてる?」
「そうですね……よく覚えていませんが、下から数えた方が早かったような……?」
試験結果を吐かされても尚、にこにこしているリリアンにウィリアムはため息を吐く。
「試験に合格しなきゃ、そのあとの舞踏会にも参加できないの、わかってるよな?」
「舞踏会って何?」
質問をしたのはルシルだった。ウィリアムは頭をガリガリと掻きながらも、ちゃんと説明してくれる。
「毎年、この季節には試験のあとに舞踏会が行われているんだ。その日は学園の創立記念日であり、神が知識を授けてくださった日とされているんだよ」
学園で行われる舞踏会は神と神が愛した人との神話をもとにされている。
人の魂を導く神が、生きている人間に愛してしまった。神は愛した人間に自分が神であることを隠して花を贈るようになった。そのことから由来して、この舞踏会では仮面で素性を隠し、親愛の証として大切な人に花を贈る催しとなっている。
お世話になっている人、大切な友人、そして好きな人。将来自分の選んだ人と結婚することが叶わない学生たちがこっそり気持ちを伝える行事になっている。
「もう一度聞くけど、リリアンは舞踏会を知っているよな?」
「もちろんですよ。毎年補講に出ているので、参加していませんから」
その言葉にウィリアムは遠い目をした。二人の様子を見ていたルシルは不思議そうな顔をする。
「リリーは勉強苦手じゃなかったはずでしょう? それなのにどうして補講常連者になっているの?」
リリアンは視線を下げる。
「……だって、勉強をしても、仕方がないでしょう?」
その答えに、ウィリアムとルシルは首を横に振る。
「勉強は大事だぞ」
「私はリリーと一緒に舞踏会に出たいわ」
二人にそう言われてしまい、リリアンは困ったように笑う。
「でも、ずっと授業をまともに聞いていないですから……」
「授業中、何をしているのかしら?」
「本を読んでいます」
その答えを聞いて、ウィリアムとルシルは顔を見合わせた。そして、身を乗り出してリリアンに言う。
「勉強を教えるから、一緒に頑張ろう」
二人からの強い圧を感じて、リリアンは断り切れずにうなずいた。




