19話 捕食者
リリアンは慌てて、腰を落として礼の姿勢を取る。
「ごきげんよう、オーガスト大公」
頭を下げ、顔を上げることができない。目を合わせれば、捕食されてしまいそうな恐ろしさを感じた。
「顔を上げなさい。よく顔を見せておくれ」
オーガストにそう言われ、リリアンは恐る恐る顔を上げた。赤い瞳が細められる。まるで品定めをしているようだ。
彼の後ろには従者が一人控えていた。オーガストより少し若そうだが、白い髪が年齢を感じさせる。
「私にご用があるとお聞きしたのですが」
「ああ、そうだ。少し気になることがあってね。こうして足を運んだのだよ。ただ話をするつもりだったんだが……あの人の言いたかったことがわかった気がするよ」
彼はソファーに腰を下ろして、背もたれに背を預けて足を組む。そして、リリアンに微笑みかけた。
「……君の魂は甘そうだ」
オーガストがそう言うと、後ろに控えていた従者はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。彼がリリアンに対して手のひらを向けると、その手には黒い霧のようなものが集まっていき、黒い剣となる。彼は剣を握ると、リリアンの首元に剣先を向けた。
「……これは、悪魔の」
リリアンがそうこぼすと、オーガストは「ほお」と言った。
「君は悪魔に会ったことがあるのかい。でも、生きている……」
彼はそう言いながら、視線を部屋に巡らせる。そして、リリアンに目を向けて、白い眉を上げた。
「君のそばに悪魔がいるのかい?」
その言葉が合図になったのか、従者はリリアンの首に剣を突き刺そうとした。瞬間、強い風が吹いた。剣先は軌道を変え、リリアンの横をすり抜ける。
「私をおびき寄せるために、その子を襲うなんて愚かなこと。人に紛れて生きていても、所詮、悪魔は悪魔ね。」
黒いドレスを着た少女が上からふわりと降り立つ。レジーナは紅い目を吊り上げ、オーガストを睨んでいた。
「おや、見ない顔だね。君は誰だ」
オーガストは動じた様子もなく、レジーナを見た。彼女もまた、怯えることなく彼を見据えている。
「私はあなたのことを知っているわ、オーガスト」
彼女はそう言って腕を組む。
「何年も同じ場所にとどまっている変な悪魔。ずっと同じ姿で、周りの人間が不気味に思っていることを知っているかしら?」
「怯えてくれるのなら、威厳があっていいじゃないか」
オーガストの言葉にレジーナはあきれたように肩をすくめた。
「あなたのことはどうでもいいわ。私のものに手を出さないでくれるかしら?」
「君が所有している証拠はないだろう? なら、問題がないはずだ」
「証拠がなくても、私のものよ。この子をどうするつもり?」
彼は穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
「……君も悪魔ならわかるだろう? ただ食事を取るだけだ」
剣と鎌がぶつかり合う音が響く。オーガストの従者がレジーナに剣を向けたのだ。レジーナは黒い鎌で応戦する。
「愚かなこと。あなたが誰かの指示で動いているなんて」
レジーナは重力を感じさせずにふわりと従者の剣を避ける。そして、剣をはじいた。
「ねえ。あなた、手を抜いているの?」
彼女が従者の胸元を蹴り倒す。レジーナよりもずっと鍛えられているはずの従者が、彼女の蹴りで床に倒れた。それを見た彼女は不快そうな表情を浮かべる。
「そういうこと。……馬鹿らしい。試してただけなのね?」
従者は何でもないように立ち上がり、服をはたいている。彼女はオーガストを睨みつけるようにして見る。
「本気で、私やその子を殺そうとしていないでしょう?」
オーガストはにこりと微笑む。
「何のことだか」
レジーナは舌打ちをして、鎌を消す。
「あなたたちのお戯れに付き合っている暇はないわ」
そう言うと、ふわりと姿を消した。彼女がいなくなった瞬間、扉が音を立てて開いた。
「リリー!」
駆け込むように現れたのはルシルだった。
「ルシル、あなた……」
彼女はリリアンの前に立つと、手に持っていた短剣を従者に向ける。
「どこの誰だか知らないけれど、リリーに手出ししたら承知しないんだから……!」
「ルシル……! あんの馬鹿……っ」
彼女のあとに生徒会室に入ってきたのはウィリアムだった。彼はリリアンのそばに来て、その前に立つと、背で庇うようにしてくれる。
「二人とも、どうして……」
「ルシルにリリアンの様子がおかしかったことを伝えたら、先走ったんだよ」
彼は荒々しそうに言う。どうやらルシルの暴走に巻き込まれたらしい。
ルシルは手に持っていた短剣を握って、従者に向ける。それを見て、従者はゆっくりと剣を構えて口を開いた。
「あなたに何ができると言うのです?」
「……リリーを守ることができるわ」
ルシルの構え方は綺麗だった。彼女は剣を習っていた。だから、剣の扱いは上手いだろう。だが……大人の男性に勝てるかまではわからない。
従者は剣をルシルに向かって突き出した。彼女はその剣を払うと、間合いを詰める。
「甘い!」
彼女は剣を従者に向かって振るう。だが、彼は身を引いて避けた。剣同士がぶつかり合う音が鳴り響く。
リリアンは二人の様子を見ていることしかできなかった。
「ウィリアム、ルシルが……」
ウィリアムを見ると、彼は手を握り締めていた。
「ごめん、リリアン。俺は君を守ることしかできない」
彼の言うことは当然だった。公爵であるオーガストの従者に剣を向けることは許されない。ウィリアムの立場も危うくなるからだ。むしろ、当たり前のように剣を振るうルシルの方が異様だった。
「あいつは平民だから、身分差のことがわかっていないんだ。だから、平気でいられる」
わかっていないはずはないだろう。貴族と平民は大きく違う。平民が貴族に剣を向けることは大罪だ。だが、それに逆らい剣を振るっている。……リリアンを守るために。
「ルシル……」
ルシルは刃の短い剣で戦っている。体格の差もあるため、劣勢を強いられていた。
「あっ……」
鋭い金属音がして、ルシルの短剣が弾き飛ばされた。従者の剣がルシルに襲い掛かる。
「とどめだ」
……気づけば、体が動いていた。リリアンはウィリアムの横をすり抜けて、ルシルの前を立つ。
「――止まってください」
瞬間、従者は動きを止めた。剣先が目の前で止まる。体を動かさないまま、視線だけこちらに向けている。
リリアンは目の前にいる従者を睨んで、もう一度言う。
「その人は私の大切な人です。……手を出さないでください」
両手を広げて、ルシルを庇うようにして立つ。その姿を見て、椅子に座っていたオーガストが口を開いた。
「危ない子だな。そのように剣の前に出て来て……死んだかもしれないのだぞ」
彼に目を向け、真剣な表情で言った。
「……友達が死ぬよりずっといい」
その言葉に、オーガストは表情を崩した。穏やかでまるで優しいおじいさんのようだった。
「そうか。……君はそういう子なんだね」
彼はそう言って微笑んだ。その表情はとても満足そうな笑みだった。
「――これは何事だ」
生徒会室の入り口から声が聞こえた。目を向ければ、オズワルドが部屋を見渡していた。彼はオーガストを視界に捉えると、睨むようにして見た。
「オーガスト大公、何をしているのです」
「おや、オズワルド。君も来たのかい。彼女は人気者なんだね」
「はぐらかさないでください。どうして、あなたがここにいるのですか」
「エドワードに場所を借りたのさ」
その言葉を聞いて、オズワルドは舌打ちをする。
「あの方は……俺に隠れて悪戯するのが本当にお上手だ」
彼は悪態をつくと、オーガストを睨んだ。
「……大公。リリアンに手を出したら、許しませんよ」
オーガストは両手を上げて肩をすくめる。
「オズワルドを怒らせると、怖いからね。ここは退散しよう」
彼は立ち上がると従者を連れて、扉へ歩き出す。そして、思い出したように「そうだ」と言い、リリアンに目を向けた。
「リリアン」
彼は優しい老人の顔をして笑みを浮かべた。
「また話せる日を楽しみにしているよ」
そう言って、退室していく。オーガストがいなくなると、オズワルドがリリアンの方に駆けよった。
「リリアン、大丈夫かい? ケガは……」
「みなさんが助けてくれたから、大丈夫ですよ」
両手を広げてケガなないことを見せると、オズワルドはホッと息を吐いた。
「よかった、無事で。俺の従者に送らせよう。馬車を用意する。だから、君は……」
「ありがとうございます、オズワルド様。でも今回は……」
リリアンはそう言うと、ルシルたちに目を向けた。
「私の過去と向き合いたいのです」
決心をした横顔を見て、オズワルドは小さく笑みを浮かべた。
「……君がそう言うのなら」
彼はそう言うと、ルシルたちに声をかける。
「ここの片づけはこちらでする。だから、君たちは早く出ていきなさい」
先ほどまでの優しい表情を消して、オズワルドは自分の従者たちに片付けを指示しはじめた。
リリアンたちはその場を彼に預けて、生徒会室を出た。
生徒会室の扉が閉まると、リリアンは大きく息を吐く。すると、足の力が抜けてその場に座り込んでしまった。
「リリー!?」
驚きの声を上げるルシルにリリアンは眉を下げて笑う。
「その、腰が抜けてしまって……」
それを聞いて、ルシルは目を大きく開くと肩を震わせて笑った。
「ふふふっ。相変わらずね、リリー。……場所を変えましょうか?」
リリアンはルシルとウィリアムの三人で裏庭に来ていた。
一緒に歩くとルシルの方がリリアンより少し背が高いことがわかった。幼いころは彼女の方が少し小さいくらいだった。……あの頃とは違う。
ルシルはこちらを見ると、「もう」と声をあげた。
「リリー。あんなふうに出てきちゃだめよ。危ないわ」
彼女は不安げな表情でリリアンに声をかける。さきほどまで、貴族に対して強気に出ていた人とは思えない。その表情をさせているのは自分なんだと気づいた。
「ごめんなさい、ルシル。昨日は冷たい態度をとってしまって」
リリアンはルシルと向き合う。
「私、昔の自分が嫌いなのです。だから、昔のことを知っているルシルのことを避けてしまいました」
自分の見つめたくない過去とルシルは関係ない。彼女に冷たく当たっていいわけがない。
けれども、ルシルは首を横に振る。
「いいの。私も目が覚めたわ。平民の私が貴族のあなたと一緒にいてはいけない。……もう立場が違うってわかっていたのにね」
ルシルはリリアンと目の高さを合わせる。彼女は暗い紺色の瞳を細めた。
「でもね、リリー。私はあなたのことが大好きなの。昔も、今もずっと」
彼女はリリアンの頭に撫でようとした。だが、指先が触れただけで、その手は離れてしまう。遠慮をしたような態度は彼女らしくない。
「あなたが自分のことを好きじゃなくても、私がリリーのことを大好きなことは覚えておいて」
そう言って、ルシルは立ち去ろうとする。本当はこのまま離れてしまった方がいいのだろう。そうすれば、これ以上傷つけることもない。きっとそれが穏やかで平和な日常だ。
けれども、気づけば彼女の手を掴んでいだ。
「リリー?」
「本当は、ルシルのために離れたほうがいいと思います」
これまで、たくさんの後悔をしてきた。何もできない自分が悔しくて憎らしい。そんな自分がまた、他者を傷つけていいのだろうか。
……何よりも、自分は今どうしたいのか。
「でも……私はあなたと話したいです」
彼女の瞳に戸惑いの色が見える。リリアンは慌ててその手を放した。
「すみません、私……」
ルシルはリリアンの指を絡めとると優しく手を繋いだ。
「そう言ってくれて嬉しいわ。私ね、あなたに会いたくて、ここまで来たのよ。……いいえ。会うだけじゃ嫌だわ」
彼女は照れくさそうに頬を染めると笑顔を綻ばせた。
「……私もリリーと話したい」
素直な言葉に頬が熱くなる。涙をこらえて笑うと、ルシルは嬉しそうに微笑んだ。




