15話 愛妾の子
「兄さん、お仕事終わりましたか?」
幼い少女は店に顔を出す。日が傾きはじめた店の中では、店の人たちが慌ただしそうに片付けに追われている。兄はひと段落ついたようで、下がる準備をしていた。彼がこちらを向いたのを見ると、その腰に飛びついた。妹の行動はお見通しだったのか、彼は彼女を受け止める。
「リリー、終わったよ」
幼い少女……リリアンは兄に撫でられて、嬉しそうに笑みを浮かべた。
三つ年上の兄であるロイは細長く、幼いリリアンには随分背が高く見える。同じ髪色を持つ二人は、異母兄弟であるにもかかわらず、隣に並ぶと兄妹だとすぐにわかる。
「じゃあ、勉強できますか?」
リリアンはロイの腰を抱き締めるように頬をすり寄せる。
「そうだね。一緒に勉強しよう」
ロイは妹の問いに嬉しそうにうなずいた。
リリアンは商家で愛妾の子として生まれた。生みの母は早くに他界してしまったが、愛妾の娘であるはずなのに、正妻にも愛された。
「ロイ、リリー。夕食の時間には顔を出すんですよ」
母親に声をかけられ、二人は「はい」と返事をしてロイの部屋へ向かう。
いつものように席に着くと、兄は紙の束を手に取った。
「今日はどんな勉強をしようか」
ロイは家庭教師がついていないリリアンに勉強を教えてくれる。優秀だった彼は、物を教えるのがうまかった。
「兄さんは私が勉強をできるようになったら嬉しいですか?」
「もちろんだよ。僕は君が勉強できるように教えているんだからね。君がいるから頑張れるんだ」
そう言われて、頬がふにゃふにゃに緩んでしまう。
「じゃあ、頑張ります!」
妹の意気込みに彼は嬉しそうにうなずいた。
リリアンは兄に褒められるのが好きで、勉強に一生懸命取り組んだ。
家族は自分のことをとても愛してくれ、とても甘やかしてくれる。友達も多くおり、周りには人が絶えなかった。それがとても幸せだった。
だが、それが少しおかしくなっていったのは、リリアンが八歳の頃だった。
「どうして、こんなにもできないのかしら……」
ロイの部屋で、母親がそう漏らしているのを聞いてしまった。部屋にいるのは両親と兄だけだった。お呼びでないリリアンは口元を両手で覆い、声を出さないようにして部屋の中の話を盗み聞きしていた。
兄はこの商家の正当後継者だ。だからか、両親は優秀な息子にも関わらず満足しなかった。
「もう少し勉強をがんばりなさい」
両親はそう言って部屋から出てきそうだった。リリアンは彼らに見つからないように隣の自室に逃げ込んだ。両親の足音が遠ざかるのを聞いて、そっと部屋を出て兄の部屋を覗き込んだ。
兄は机の前で立ち尽くしていた。その視線の先には一枚の紙。おそらく、今日の試験用紙だろう。
「兄さん……」
声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。目が合うと優しく微笑む。
手招きされて、リリアンは兄のもとへ駆けていく。両腕を広げる彼の腕の中に納まると、彼はぎゅっと抱きしめた。
「兄さん……」
「なあに」
「……んーん。なんでもない」
話を聞いてあげたかった。だが、こんなに小さい体の自分では頼りにならないだろう。その代わりに強く兄を抱き寄せる。
「また、勉強教えてくださいね」
「もちろんだよ」
その腕はすがりつくように強く妹を抱き締めていた。
優秀な兄だが、両親の求めるレベルは上がっていく。それに対し、親は自分に愛情を注いでくれる。リリアンはそれをおかしいと思った。
自分は愛妾の子だ。正妻の子よりも大切にされているような気がして仕方がない。
そんなある日、珍しく貴族の婦人が店に訪れた。銀色の髪を持つ女性はお得意様だと店の人に聞いた。貴族と付き合いがあるが、こちらから足を運ぶことが多く、お貴族様がわざわざ店に顔を出すことは少ない。店の中はてんやわんやだった。
リリアンは隠れて話を聞いていた。両親が二人で対応している。兄もまだ対応させてもらえないらしく、ほかの客を相手にしていた。
婦人はカップを手に取りながら笑みを浮かべる。
「幼い子どもに贈る飾りを探しているのよ。良いものは何かあるかしら」
婦人の要望に父親がいくつかの商品を机に並べる。彼女はじっと見ると困ったように息を吐いた。
「実際に身に着けているのを見ないとわからないわね……」
その言葉を聞いて、リリアンは滑り出るように彼女の前に顔を出した。
驚いた顔をする両親を前に、うやうやしくスカートを広げる。
「リリアンと申します。よろしければ、私が着せ替え人形になりましょう」
婦人はリリアンを見ると「まあ」と嬉しそうな声をあげた。
「とても可愛らしい子ね。あなたの子かしら」
そう問われて、父親は頭を下げる。
「申し訳ございません。娘はまだ見習いの身。すぐに下がらせますので……」
「いいえ。私はこの子を見本に飾りを探したいわ。……リリアン。協力してくれる?」
「はい!」
両親が心配そうな目で見守る中、リリアンは粗相をせずに接客をすることができた。そして、婦人の気に入る耳飾りが見つかると、彼女はとても嬉しそうにしてくれた。
「ありがとう。あなたのおかげだわ」
そう言われて、リリアンは嬉しくなって尋ねた。
「お嬢様への贈り物ですか?」
婦人は笑みを浮かべるとうなずいた。
「ええ。喜んでくれるといいのだけれど……」
「きっと喜んでくれますよ」
婦人は従者に代金を支払わせると、店をあとにした。
褒められてニコニコしているリリアンに対し、店の人たちには疲れの色が見えた。少し叱られたが、婦人が喜んでくれたので酷くは怒られなかった。
「それにしても不思議だね。あのご婦人にお嬢さんはいらっしゃらないと聞いたんだが……」
父親がそんなことを呟く。だが、リリアンは家のために貢献できたと浮かれていて、その言葉を聞き流していた。
夕食のとき、父親がどこか不機嫌のように見えた。心配になって母親の服の裾を引っ張る。
「母さん、父さんはどうしたのですか?」
彼女はそっと教えてくれる。
「ロイが少し、お客さんに粗相をしてね……」
意気消沈した様子で食卓についている兄を見て、何か声をかけたかった。だが、母親に促されて、自身も椅子に座った。
「リリーは貴族のご婦人に褒められていた。それに対してお前は……」
ロイがどのようなことをしたのかはこの場で言及しなかった。
父親は大きなため息を吐くと、ぼやくように言い放った。
「……今の状態だと、お前よりリリアンの方が後継者にふさわしい」
瞬間、リリアンの頭に血がのぼった。
「そんなことないです!」
思わず立ち上がってそう口にしていた。
「リリー」
たしなめる母親を振り払い、父親を真正面から見る。
「兄さんは今までずっと頑張ってきました。私より優秀で、仕事も丁寧です。父さんたちは何を見てきたんですか!?」
滅多に怒らない娘の姿にたじろいているのは両親の方だった。
「リリー、私たちはロイのためを思って……」
「兄さんだって、そう思うでしょう?」
リリアンはロイの方へ目を向ける。
「……兄さん?」
兄は表情を失くしたままなにも言わなかった。




