蟻地獄
「蟻地獄」
いつからだろうか。自分が抜け出せない深い深い穴の中にいるように感じ出したのは…
いつからだろうか。もがけば、もがくほど深みにはまっていく感覚を味わい出したのは…
どうしようもない気持ちを抱え、生まれた街を歩く…
僕はエリートサッカー選手。十五でプロデビューし、十八で海外移籍、そんな夢、妄想、現実逃避、形容する言葉が無限にある、多くの日本人が通ってきた行為を十九にもなって浪人して、社会のレールを踏み外し、レールに戻るための競争をしなければいけない現実とは相反して日々繰り返す。気付けば講師の言葉は入ってこず、高い志と高い受講料をもって入った予備校で逃げ道にばかり入っている。無限に広がる現実から目を背け、有限の想像に身を置き、その日をしのぐ。明日こそはと思い、一人きりの部屋で横になる。三度目のアラームで身を起こし、そんな自分に嫌気がさし、けれども急ぎ支度をするでもなく、動画サイトを開き、夢中になる。ふと、時計を見て慌てふためきとびだし、鍵を閉め一日が始まる、同じことの繰り返し。そんな日々を続けていては志望の大学に入れるわけもなく第三かそれ以下の大学へと進学する。それならば、初めから浪人なぞしなければよかったのにと周囲に言われ、口角をわずかにあげ、まぁねとだけ呟きやり過ごす。高校の級友は一流大学へと進学しているにもかかわらず、自分は二流三流そんな現実ばかりが自分を襲い、かといって何をするというわけでもなく浪人期といやこれまでの人生と同じようにただ徒に時間を消費する。時間は宝だ。そんな啓発の言葉が無限に転がっている現代で宝を踏み躙る。また、気付けば大学生活も終わりへと近付き、変わろうと決意をし、就活に励む。準備をし、対策をし、新たな自分の始まりなのだと自分に期待をし、いつものように二流に行き着く。そこで気づいた、自分という人間はどこまでいっても二流は越えられないのだとそこ止まり、上を見上げて、嫉妬に身を焼かれる、それほど激しい感情が湧くというわけでもないが言いようもないような不満が押し寄せる。これはなんだろうか。答えは出ない。答えなど無いのかもしれない、そんな気持ちが自分の内側から顔を出してくる。
ふと、自分の過去を振り返る。節目節目で努力はしてきた、小学時代はサッカーに身を置き、周囲とのコミュニケーションも積極的にとり、過ごしていた。中学時代は、自分が周りより勉強に優れているのだと感じた。変わらず、サッカーに励んではいたが、小学生の時のように中心に自分はいなかった。思えばあれが初めての挫折だったのかもしれない、多感な時期に自分の全てとも思っていた分野で自分の学校の部活の中ですら主力になれない現実を知り、自分の限界を知った。特別優れている訳でも無いということを知った。それでも、県内有数の進学校へと進学を果たし、自尊心の傷つきはあれど、喪失したわけではなかった。高校に入って、勉強ができると思っていた自分も上に行けばそれ程でもないという現実をまたもや痛感させられた。もはや自分に自尊心などはなく見せかけだけの元気と笑顔で学生生活をすごした。そんな自分に自信のない人間が他人と上手く関われるわけもなく”私”という仮面を作り、被り歪な笑顔を浮かべ、他人に悟られぬように仮面を外さぬようにした。この頃から、自分への関心もうすれ、まして他人への関心などなくなり、交友を深めるといったこともなくなってきた。そして、今に至る。繰り返しだったのだと人生とは変化の連続ではなく同じことの繰り返しだったのだと、幼少から形成された人格がその日の思いつきの奮起で覆りはしないのだと。
そして今日も私は、スーツを着て革靴を履き、鍵を閉め、レールの上を渡り続ける。