39話 短期のアルバイトが終わった
「終わった……」
ようやく4日間の短期バイトが終わり、椅子に座って大きく背伸びをする。
ここまでバイトが辛いとは思わなかった……。家に引きこもって体力がなくなってしまっているし、暫くアルバイトは短期のバイトで慣れるしかなさそうだ。
「お疲れ様ー。4日間ありがとうなー。はいこれバイト代な」
「あ、ありがとうございます」
そう言いながら花瑠香は少し分厚くなった茶封筒を俺の前に置く。
手に取って封を開けて中を見ると相当な量の万札が入っているようだ。これで明日はどうにかなりそうだと安心する。
「ところで、中原はどこへ行ったんですか?」
「あー、奈津希ならお母さんを迎えに行ったよ」
「病院へですか?」
「いや、バスに乗って1人で帰ってくるーとか言い出したからさ、近くのバス停まで迎えに行ったんだよ」
「えぇ……」
病み上がりなのにめっちゃ元気なお母さんだなと内心驚きながらもらった茶封筒をカバンの中に片づける。
長居してるのも悪いし、そろそろ帰るかとカバンを持とうとすると「てかさー」と花瑠香は帰ろうとする俺を止めるように呼びかける。
「なんでお前、奈津希の事苗字なんだよ」
「別に名前で呼んでくれって言われてないからですけど」
俺は基本、同級生や年齢が近い人は名字で読んでいる。向こうから名前で呼んでと呼ばれない限りは名前で呼ぶことはない。
「私の事は名前で呼んでるのになー。よしわかった。私が奈津希って呼ぶことを許可する」
「なんで急に……?」
「良いから、良いから」
「いやですよ……」
名前で呼んで心底嫌そうな中原の顔が俺の頭の中に浮かんでいた。
絶対に気持ち悪いからやめてと言われるに決まっている。
「何だよ、遠慮するなってー」
「いやそんな、お酒すすめて来る人みたいに言わないでください」
本人のいないところで、中原の事を奈津希と呼べ、呼ばないと押し問答をしているとお店のドアが開く。
「ただいま」
「奈津希、お母さんおかえりなさーい」
入ってきたのは中原と一人の女性だった。どうやらこの人が中原姉妹の母らしい。母と言われなければ、2人のお姉さんと間違ってしまうくらい若々しい顔つきをしている。
さて中原姉妹の母も帰ってきた事だし今度こそ帰ろうとすると、中原姉妹の母がこちらに向かって近づいてきていた。
「貴方が久野原君ね、私がいない間にお店を手伝ってくれてありがとう」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」
お礼を言いながら頭を下げた後、中原姉妹の母はじっと俺の顔を見つめると、何か納得したように頷く。
「あの……何か?」
「奈津希がLINEで貴方の事ばっかり話してるから、どんな男の子かなって思って」
「え?」
驚いて中原の方を見ると、気まずそうな顔をして明後日の方向を向いていた。
「ほら見て」
すかさずスマホを取り出すと、LINEのトーク画面を俺に見せつける中原姉妹の母。書かれているのは、たくさんの俺に対する悪口と愚痴ばっかりだった。
こいつ俺の見てないところでこんな事ばっかり書いてやがったのか……。これ印刷して誹謗中傷で訴えられないかな?そんな事を考えていると「いやー!!」と顔を真っ赤にした中原が悲痛な悲鳴を上げながら、走って来て母の手からスマホを取り上げた。
「もうお母さんの馬鹿!馬鹿!何で見せるの?」
「だって見せないでって言われないしー」
「そんなの言われなくてもわかるでしょ?久野原君も何見てるの?今の絶対忘れて」
睨みを利かせてスマホを操作してトーク履歴を削除しようとしているが、もう俺に見られているし遅いと思うんだけど……。
てか、なんで俺はこいつ睨まれているんだ?睨みたいのはこっちの方なんだが。
「うふふ。思春期ねー。久野原君?奈津希は素直じゃないけど、すごく優しい娘だからこれからも仲良くしてあげてね……」
「え、あはい。わかりました」
中原姉妹の母のお願いとは言え、嫌だなぁ裏で悪口を言うような女の子とは……。
「ちなみにお父さんは、久野原君ならお嫁さんにあげ……」
「いやあああああ!」
笑顔で言う母の口を顔真っ赤にした中原がすかさず塞いだが、もう殆ど言いたいことが出ていて間に合っていなかった。
ダメだ。このまま俺が居たら、母の冷やかしで中原の毛細血管が切れてしまいそうだな。
「あはは……。では俺はこれで……」
「あら?晩御飯を食べて行かないの?今日は奈津希が作るのにー」
「そうなんですか?」
中原の料理か……。食べて行きたいけど、今のアイツは絶対に食べさせてくれないだろうな。
「奈津希ってば、久野原君がいるからってやる気出して買い込んじゃってー」
更なる追い打ちカミングアウトに中原は、顔を真っ赤にして涙目となり俺の腕を掴んで引っ張り始める。
「痛い!痛い!何するんだ!」
「もう本当にお母さんの馬鹿!!!あんたもいつまでいるの?クレアさんが家で待ってるんでしょ早く帰りなさいよ!!」
喫茶店から追い出されてしまった……。中原姉妹のお母さん、いや姉もだが全員性格が同じだったな。中原のあの人をからかうような性格は遺伝という事か。
このまま店の前に立っていてもしょうがないので、俺はそのまま帰路についたのだった。
家に帰ってきていた俺は、自分の部屋のベッドに寝転がっていた。今日、クレアはバイトでいないし少しくらいなら中原のご飯食べても良かったかもな。いやどうせ「あんたなんかに食べさせるものはないわ」とか言って用意してくれないのがオチだろうな。
大人しくクレアが帰ってくるまで寝ようと布団を被った時だった。突然家のインターホンが鳴り響く。誰だろうと思いながら、疲れた体を起こして玄関に向かい扉を開けるとそこに立っていたのは、私服姿の小さな手提げかばんを持った中原だった。
立っていた中原はいつもと様子が違うようだった。何というか心ここにあらずと言った感じだった。
「お前、良く俺の家がわかったな……何か用?」
「忘れ物してた」
手渡してきたのは、1枚の黒いハンカチだった。だが手渡されたハンカチをよく見ると自分が普段使っているものとは違うものだった。
「これ俺のじゃない」
「あ、そう……」
俺が返したハンカチを素早く片付けると、今度は手に持っていた手提げカバンから大きめのタッパーを取り出し俺に差し出してきた。
「なにこれ?」
「私が作ったおかず……。余ったからあんたにあげる」
「マジか、ありがとう助かる」
蓋を開けると色々な根菜類やこんにゃくが入った、筑前煮が入っていた。まだ出来て間もないのか少し温かった。
あれ?よくよく考えたら、もしかして最初からこれが目的だったのでは?あのハンカチを俺のじゃないとわかっていながら、ハンカチを口実に来たという事ですか?
ていうか中原こんな風におかずを分けてくれるような奴だっけ?優奈じゃあるまいし……。マジでどうした?お母さんに冷やかされて壊れた?
「タッパー返すの、次学校であった時でいいから」
「珍しいな、お前がこんな風におかずを届けてくれるなんて」
「別に……忘れ物届けに来たついでよ」
「本当か?」
半信半疑でそう問うと中原はムキになったのか、顔を真っ赤にして舌打ちをしてキレ始める。
「うるさいわね……。本当よ」
「まぁ、そう言う事にしておくよ」
「ッ……やっぱあんたの事大嫌い……」
そう吐き捨てて走って逃げるように、俺の家から去って行った。嫌いだったら自分が作った料理を俺の家までおすそ分けに来るはずがなかろうに……。
中原の姿が消えたのを確認すると、俺は家の中へ戻り、もらった筑前煮をレンジで温めて食べる。
「うまっ……。アイツめっちゃ料理うまいじゃん」
そう呟きながら、夢中で味わっていたのだった。




