1−6 目的
自分では、瞬きをしたつもりだった。だが、目を開けた次の瞬間には部屋の中が先程よりもずっと暗くなっている。疲れて眠ってしまったらしい。
まだ眠い体は引きずるようにして部屋を出る。廊下の壁に設置された蝋燭に火が灯されていた。暗いとよりいっそう不気味だが、美味しそうな匂いが漂っている。
空腹のリコは匂いに吸い寄せられるように階段を降り、開いたままのドアをくぐった。
部屋の中央には燭台ののった六人がけの大きなテーブルがあり、壁沿いには流し台や木製の食器棚が並んでいる。埃まみれで人が住んでいるようには見えない屋敷の中で唯一、そこだけは掃除が行き届いており、生活感があった。
ルーフスはこちらに背を向け、鍋と向き合っていた。お玉ですくい上げて具合を確認すると、ぐるりと鍋全体をかき混ぜる。
「もうじきできる。座って待っていろ」
こちらを見向きもしないで、彼は言った。
「あの、お手伝いできることはありますか?」
「座って待っていろ」
肩身が狭くて申し出たものの、ルーフスはやはりこちらを見ずに繰り返すだけだった。
迷いながらも一番近い椅子に腰を下ろす。しばらくそわそわと自分の両太ももをなでていたが、リコは覚悟を決めて話を切り出した。
「私、思い出したんですけど、ここに来る前、男の子の声を聞いたんです。私を探していたみたいで、やっと見つけたって言われたんです。きっと、私はその子に呼ばれてこの世界にきたんです! 不思議な力で! 召喚魔法みたいなもので! そう! 私はこの世界に選ばれて召喚されたんです!!!」
段々と前のめりになりながら語尾を強め、瞳を輝かせてリコは言った。
ルーフスが振り返る。表情に変化はないが、赤い瞳はこれまでになく冷たいものを含んでいる。
「それで、そいつは他に何か言っていたか?」
冷静な言葉に、リコの興奮は冷めてしまった。顎に手を添え、瞼を閉じて記憶をたぐりよせる。
「えっと、光に包まれたと思ったら声がして、そのあと……あっ」
思い出すと同時にリコは目を開けた。途端に頬は紅潮し、視線を合わせられずにうつむいてもごもごと口を動かす。
「……私のことを愛しいって言ってました」
返事の代わりに、短いため息が聞こえてリコはますます恥ずかしくなる。
「ほ、ほんとうなんですよ」
「別に嘘をついているとは思っていない」
興味がなさそうに言われ、リコは話題を変えようと質問する。
「ルーフスさんの他に、あの場所に出入りする人はいないんですか?」
「いない。あの場所を含め、このあたりの森は遺跡を守るために禁足地だからな」
断言したルーフスが壁に向かって手を伸ばすと、部屋の角から草が伸びてきた。ギザギザした葉をいくつかつみとり、ルーフスは鍋に放り込む。
「そういえば、魔法は誰でも使えるものではないんですよね? そこから、召喚者を探せないでしょうか? お知り合いに、そういう魔法を使える方いませんか?」
呪文も必要とせず、まるで呼吸するように植物を操るルーフスを見て、リコは興奮気味にたずねた。
「召喚者を探してどうするつもりだ?」
用意していた皿にスープをよそいながらルーフスは聞き返す。
「そ、それは私に用事があって探していたわけですし、話を聞きたいです。もしかしたら、困ったことがあって私を呼んだのかもしれないですよね? それに、このままルーフスさんにご迷惑をかけ続けるわけにもいきませんから」
リコが言葉をひねりだす間に、目の前にスプーンと湯気のたつスープが運ばれていた。トマトが煮込まれているのかスープは赤く、ごろごろと大きめに切られた野菜が入っている。
「ずいぶんとお人好しなんだな。顔も知らない相手に力を貸そうとは。下手をすれば、おまえはあの遺跡で野垂れ死んでいたかもしれないんだぞ」
ルーフスの言葉に、リコは考える。リコにとって、自分の知らない世界に来たことは救いだ。あの息苦しい部屋から逃れて目の前の青年に拾ってもらった今、これがチャンスとしか考えられず、召喚者を恨む気持ちなどまるでない。
リコは白髪の青年を見上げる。その瞳は落ち着き払っており、まっすぐなものだった。
「ルーフスさんは命の恩人です。感謝してもしきれません。……きっと、私は何かの手違いで誰もいないあの場所に召喚されてしまって、召喚者の子も私を探しているんだと思います」
対面の椅子に腰を落ち着けた青年から、二度目のため息が吐き出される。
「とりあえず、食え。でないとまた倒れるぞ」
ルーフスが先にスープを口に運ぶ。空腹で倒れたと思われているようだが、リコは訂正するのも面倒でやめておいた。
「いただきます」
手を合わせて小さくつぶやくように言い、スープを口にいれる。口に含むやいなや、リコは驚いて目を丸くした。口いっぱいに野菜の凝縮された旨味が広がり、飲み干せば内側から体が温まって全身が歓喜しているようだ。
貪るようにスープを口に運んでいると、正面からの視線に気がついて手をとめた。
「ご、ごめんなさい。がっついちゃって、みっともないですね」
「いいや。まだスープの余りはあるから、食べるといい。お前はもう少し、肉をつけた方がいいだろう」
落ち着いた声で言うと、ルーフスは食事を再開した。背筋は真っ直ぐに伸びて、高貴な気品が漂っている。
リコは黙々と口を動かしながら考える。自分が遺跡にいた理由を知るためにこの屋敷に連れてきたはずなのに、彼は召喚者の存在に対して関心が薄い。いや、話を変えてまで召喚者の話を避けているようだった。
リコが最後の口を頬張ると、タイミングを見計らったかのようにルーフスが追加のスープをよそった。
「ありがとうございます」
スープで再び満たされた皿が無言で目の前に置かれる。リコは無害な笑顔を青年に向けた。
「とりあえず、召喚者を探して話を聞こうと思います。案外、町で人にきけば見つかるかもしれないですし」
「帰る方法を探そう」
リコの言葉に覆いかぶせるように、ルーフスは提案した。あまりにも唐突な提案に、リコは目を点にする。
召喚者に会いもせずに、あの日常に戻れというのか。
リコは言い返そうと口をひらいたが、ルーフスのただならぬ雰囲気に口を一の字に結んだ。
熟れた果実のような赤い瞳が、じっとこちらを見ている。
「なにも心配はいらない。帰る方法がわかるまで、ここで暮らせば良い」
有難い話であるはずなのに、ぞわぞわと居心地の悪いものを感じた。
「お世話になります」
目をそらすことすら恐ろしく、リコは喉から声を絞り出した。
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