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1−5 新しい家

 体が一定のリズムで上下に揺れている。目をあけるとたくさんの木が並んでいた。木々は斜陽に照らされてオレンジ色に染まっている。ぼんやりとした思考の中で、歩いてもいないのに風景が流れるように動いているのに気がついた。


 リコははっとして目を大きく開き、瞬きを繰り返した。そして状況を理解しようと急いで体を起こした。が、大きく体のバランスが崩れて落ちそうになる。何が起こったのかわからないまま情けない声をあげ、リコは必死に手近なものにしがみついた。

 

「暴れるな」


 近くで聞こえた不機嫌な声に、少しだけ顔をあげる。すぐそこに白髪の後頭部が見えて、あの青年におんぶされている状態なのだとすぐに理解した。


「す、すみません! ごめんなさい! 下ろしてください!」


 恥ずかしさと申し訳なさで顔面がいっきに熱くなる。


 白髪の青年が立ち止まって腰をかがめたので、リコは素早く降りた。


 素足に土と草の感触が伝わる。周囲に遺跡らしきものはない。青年はいったいどのくらいの距離をおぶったまま歩いたのか、リコは考えるだけで申し訳なくて何度も頭を下げた。


「すみません、重かったですよね、すみません」


「たいしたことはない。自分の足で歩けるのか?」


 無表情のルーフスの視線は、リコの裸足の足に向けられていた。


 ここまでおぶってもらっておきながら、「ちょっと無理そうです」なんてことは言えるはずがない。


「大丈夫です! 歩きます!」


 力強く答えると、ルーフスはくるりと背を向けて歩き出した。その背中にバレないようにリコはため息を吐き出す。体力には自信がないし、足の裏の皮も心配だ。しかし、後戻りはできない。


 自分を鼓舞して歩き出したのも束の間、リコは視界に入った木に驚いて足を止めた。


 木の幹の凹凸が、若い男性が苦悶する表情に見えたのだ。驚いて周囲に視線を走らせれば、どの木の幹にも人間の顔に見える模様がある。子供からシワの深い老人の顔、男だけでなく女の顔もあるが、皆一様に苦痛の表情を浮かべている。


 人工的に掘られたようには見えない。偶然、人の顔に見えるような木がこれだけ集まったとも考えにくく気味が悪い。


「あの、これは……」


 恐る恐るルーフスに声をかけたが、彼はすでに声が届かないほど先を歩いていた。


 慌てて背中を追いかけるうちに顔のある木々は減り、木々もまばらになっていく。ふと前方の青年が一点を見つめたまま立ち止まった。


 追いついたリコも足を止め、青年の視線をたどる。彼の視線の先には、森の中に隠れるようにして西洋風の屋敷がぽつんと建っていた。


 執事やメイドが出迎えてくれそうなほど大きなお屋敷だが、外壁はほとんどツタで覆われ、かろうじて見えている箇所には亀裂が走っている。庭であろう場所は草木が自由奔放に羽を伸ばし、屋敷を取り囲む鉄製の門はお辞儀をするようにひん曲がって荒んでいる。


 廃墟に気を取られていると、ルーフスがリコを振り返った。


「今日からしばらく、ここがお前の家だ」


 表情を引きつらせながら、リコは失礼な言葉がこぼれないよう(ツバ)をごくんと飲み込んだ。


 年代物の扉は悲鳴のような音を立てて開き、暗い玄関ホールに光が広がる。


「お、お邪魔します」


 青年の後に続き、リコは遠慮がちに屋敷の中に足を踏み入れた。


 入ってすぐ、玄関扉を挟むように建つ柱に巻き付くようにして掘られている蛇と目があって、リコは体を硬直させた。


 静まり返った屋敷の中に人の気配はなく、どこも埃だらけで人が暮らしているようには思えない。


「ここに、ひとりで暮らしているんですか?」


 リコは外套を脱ぎ始めた青年に問いかけた。


「そうだ」


 リコは短い返事を聞き、不安げな表情で天井を見上げる。天井にまで細かい装飾がされているものの、あちらこちらに蜘蛛の巣がはっている。まるでお化け屋敷だ。


「自然が豊かな場所ですね。まるで別荘地みたいです。ひょっとして、このあたりはこういう別荘がたくさんあるんでしょうか?」


 言葉は選んだつもりだが、声色の緊張感は隠せなかった。だが、ルーフスがそれを気に留める様子はなかった。


「いや、一番近い町に出るにも歩いて数時間はかかる。森にはオオカミがうろるいているから、勝手に出歩かないことだな」


 脱いだ外套を腕に引っ掛けると彼は階段に向かって歩きだした。リコは無言でその後をついて歩いた。L字の階段を上り、廊下を進んでいく。リコは落ち着かない様子で、視線をせわしなく動かした。


「すごく、広いお家ですね?」


 一人暮らしにしてはあまりにも広すぎて、掃除も修繕も行き届いていない。


「そうだな」


 青年が他人事のように返事をし、ひとつのドアをあける。もう何十年も誰も住んでいないのだろう。家具には大きな布がかけられ、埃が積もっている。カーテンのない十字の格子窓からわずかに差し込んだ光を反射して埃がキラキラと光っている。


「この部屋を自由に使え」


 ルーフスが平坦な口調でつげた。感情が読み取れないので、何を言われても冷たく聞こえる。リコは時間をかけてルーフスの言葉を理解し、頭を下げた。


「ありがとうございます! あの、力不足だとは思いますが、これからお世話になるぶん、お掃除でも何でもしますのでよろしくお願いします」


「好きにしろ。だが屋敷の外には出るな」


 赤い瞳に睨まれ、その鋭さにリコは思わず奥歯を噛み締めた。


 この青年は愛想というものをどこかに置いてきたらしい。彼の行動はどれも親切なのに、表情と言葉がそれらを台無しにしてしまう。


「オオカミがいるんですよね、わかりました」


 リコの言葉に満足したように頷くと青年は部屋を出ていった。ドアが閉まるのを確認すると、緊張の糸が切れたかのように全身から力が抜けてリコは布がかけられたままのベッドに座り込んだ。


 積もった埃がふわりと舞う。その埃を見つめながら、リコは自分の口元が緩むのを感じた。


 体は疲れているし、与えられた部屋も掃除が必要だ。だが疲労感よりも解放感のほうがはるかに勝っている。


 ーーここは、おまえのいるべき場所ではない。


 青年の冷たい言葉を思い出しても、もう落ち込むことはなかった。自分は誰かに必要とされてこの世界にきたのだ。この場所こそが、自分のいるべき場所だと胸を張って言える。


 埃まみれの古びた部屋で、リコはこれから新しい人生が始まるのだと確信していた。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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