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1−31 出発点


 リコは寝返りを打とうとして、身動きがとれないほどに窮屈なことに気が付いた。


 目を開けると、目の前にすやすやと眠る白髪の青年の顔がある。


「うわっ」


 思わず声を上げるが、青年が起きる気配はない。リコは小さなため息を吐き出してそっとベッドから抜け出した。


 もう三度目だ。あれから青年はよく眠るようになり、このようにリコのベッドに潜り込んでくることがある。本人曰く、生存確認なのだそうだ。


 リコはルーフスに哀れみの目を向ける。邪神が力を分け与えた人間は、その力に耐えられずに死んだのだとナターシャが教えてくれた。そして、彼が魔王と結んだという契約のことも。


 長い間、罪悪感に苦しみ続けた結果、彼は精神的に追い込まれているのではないかとリコは考えた。自分という人間が目の前に現れたことも、彼が不安定になった原因のひとつだろう。


「私はあの御方を救いたいのです」


 ルーフスを引き止めて遺跡から屋敷に帰ってきた後、ナターシャはリコに告げた。


「ニグレオスを討伐し、あの御方を契約から解放するために、どうぞ、力をお貸しください」


 彼女は魔族でありながら邪神であるルーフスに陶酔し、全てを捧げているように見えた。彼を思っての発言なのだろうが、リコは懸念を口にする。


「ニグレオスの討伐には賛成ですが、契約がなくなればまた魔族と人間の争いが始まるのではないですか?」


「それは問題ありません。私は、そのために生まれてきたのですから」


 彼女にはすでに策があるらしく、自信に満ちた笑みを浮かべていた。


 リコはクローゼットから服を選んで着替えていく。青年がいつ目を覚ましてもおかしくない状況だが、少女が気にする様子はなかった。


「ルーフスさん、今日はナターシャさんが魔術をみてくれる日なので出かけてきますね」


「んー」


 寝ぼけた返事を確認し、リコは部屋を出た。


 今日はナターシャにリコの属性魔術についてみてもらう日だ。


 てっきり毎日付きっきりで教えてくれるものだと思っていたが、銀の魔術師として多忙らしく、彼女は週に二日ほど転移魔術でルーフスの住む禁忌の森に来てくれる。短時間で終わってしまうこともある彼女の指導だが、そこに容赦という文字はない。


 リコはふらつく体を足で踏ん張って耐えた。頭がくらくらする。そんなリコに、ナターシャは穏やかな笑みで告げる。


「では、もう一度」


 リコは声を出して返事をする気力もなく、ただ頷いた。両手を青空にかかげ、じっと空を見つめる。


 足に力が入らない。少しでもいいから横になって休みたい気持ちを我慢して、リコは空を睨み続ける。すると、空から小さな粒が降ってきた。


 リコは我慢と限界とばかりに思いっきり息を吸い込んで膝を地面につけた。頬に落ちてきた冷たい感触に、成功したのだと安心する。


 その傍らで、ナターシャは降ってくる雪を手のひらで受け止めながら真剣な表情で考え込む。


「確かに魔術式はみられませんでしたが、属性魔術にしては時間がかかりすぎていますね」


 リコはがっくりとその場に倒れた。服が汚れることなど気にとめる余裕がないほどに、属性魔術の連続使用で体が疲労していた。


「単純な魔力の……変換ではなく……もっと微細な……例えば空気……」


 倒れたリコの耳に、自分の考えを整理しようと一人でつぶやくナターシャの声が聞こえる。リコとは違い、細かい違いまで見ることができる彼女の魔眼を持ってしても、リコの属性魔術は正体不明のものらしい。


 リコは寝転んだまま空に手を突き出した。


氷短槍(アイスショートスピア)


 現れた氷の短槍が、重力でリコの手のひらにすとんと落ちてくる。


 属性魔術は呪文などの魔術式を必要とせず、もっと楽に使えるものらしい。しかしリコは、呪文なしで実行しようとすると普通よりも時間と集中力を必要とする。


 自分には魔術の素質がないのかもしれないと不安が沸き起こるが、すぐさま彼女はそれを断ち切るように体を起こした。


 あの日、ルーフスに対して怒濤の如く口をついて出てきた言葉にリコは自分でも驚いた。他人に対して吐き出す言葉は、いつも相手の顔色をうかがってばかりだったからだ。相手を思いやる気持ちなど一切ない、ありのままの剥き出しの感情は乱暴で力任せではあったけれど、自分への叱咤でもあった。


 もっと美人だったら、もっと面白い話ができる魅力的な人間だったら、もっと成績が良くて気配りができる人間だったら……。欲しいものを挙げたらキリがないし、ないものを嘆いても仕方がない。


 手を森の方に向けて、リコは風を起こそうと魔力とイメージを結びつける。


 不器用だろうが才能がなかろうが、ここがスタート地点だ。他人を妬んでも自分に絶望しても現状は変わらない。今、ここから始めるしかない。


 リコは自分を奮い立たせる。ナディアを泣かせないって決めたでしょ?


 その時、突風がリコとナターシャの間を駆け抜けた。


「こっちもダメかぁ」


 落胆してしゃがみ込む。風と氷、どちらも呪文なしでは時間がかかる。


「リコ様?」


 ナターシャにただならぬ雰囲気で呼びかけられ、リコは顔を上げた。


「今のは、属性魔術ですね?」


「……ですね」


「風と氷、二つを魔術式なしに使えるのですか?」


「そうですね。どちらも時間はかかりますけど」


 リコは顔を伏せて目を閉じる。魔力を使いすぎて疲れた。


 課題はあるかもしれないが、慣れれば少しは速くなるかもしれないし、そもそも呪文や魔術式を使えばできるのだから、大した欠点でもないとリコは自分を慰める。


 不意にナターシャが口をひらいた。


「雨は?」


「え?」


「雨を降らせることはできますか?」


 ナターシャの質問に、リコは目を(またた)かせる。


「やったことはないですが……」


 ナディアだって雨を降らせようとしたことはなかった。リコは再び立ち上がって両手をかがげる。


 頭を空っぽにして、雨のことを考える。太陽を遮る暗い雲、アスファルトを濡らす雨粒、傘にぶつかる雨音……。


 しばらくして魔力を全て出しきったリコは、その場にふらふらと座り込んだ。地面についた手に一滴の液体が落ちる。頭に、首筋に、ぽつぽつと雨粒が体を濡らす。


「でき……た……」


 リコが呟いた隣で、ナターシャは雨に打たれながらにんまりと笑った。


「素晴らしい」

 

「何かわかりましたか?」


 リコが弱々しい声で質問すると、ナターシャは両手を合わせてリコの顔を覗き込んだ。


「素晴らしいですわ! リコ様は二代目の魔王様と同じ天候を操る属性魔術をお持ちなのです!」


 ナターシャの嬉しそうな声に、リコは安心する。よくわからないが、良かったらしい。疲れ切った体を癒やそうと横になる。リコには理解するだけの気力が残っていなかったが、その後もナターシャは空気や温度、天候について意気揚々と詳説し続けた。


 雨はすぐに止んだ。流暢なナターシャの解説が唐突に途切れる。こちらに近づいてくる足音が聞こえる。その足音は次第にスピードを増しながら大きくなった。


「どうして倒れている! どうして濡れてるんだ!」


 様子を見に来たルーフスがリコを見て憤慨する。彼はリコが魔術を学ぶことを了承してくれたが、過保護なことに変わりない。


「大丈夫ですよ」


「そんな状態でよく言えるな。ったく。今日はもう帰るぞ」


「そうですね。今日は大きな収穫もありましたし、これで終わりにしましょう」



 ナターシャが寝転がったままのリコに手をかざすと、リコの体が一瞬だけ魔術式の光に包まれた。光がおさまるころには、リコの濡れた服は乾いていた。


 ナターシャは自分自身にも同様の魔術をかけ、リコに手を差し伸べた。リコは躊躇した。


 古代遺跡の魔石は貴重であることから、そこから魔力供給をするのは辞めることにした。その代わりに、魔力はナターシャやキースから分けてもらうのだが、どういうわけか、魔族から直接魔力をもらうと、断片だが彼らの記憶を盗み見てしまうので気が引けるのだ。


「どうぞ。補充しておかなければ、私の出す課題をこなせませんよ?」


 ナターシャに促され、リコは彼女の手を取った。


 真っ暗。何も見えない中で、自分の子供を探す女性の声がするかと思えば、それが叫びに変わる。


 驚いて一瞬だけ体が震えたが、次の瞬間には目の前にいつものように穏やかな笑みのナターシャの姿があった。戸惑いを隠すように、リコはナターシャの手を強く握ってから離した。


「ありがとうございます」


 体に満ちた魔力を感じながら、リコは手を握ったりひらいたりを繰り返す。


 自分が変われるのか、できるのか、自信はないけどやるしかない。


 不服そうな顔のルーフスの顔が視界に入り、リコは頷いてみせた。


「大丈夫ですよ。私、絶対に強くなりますから」


「いいから、帰るぞ」


 ルーフスは冷めた眼差しでリコを急かすが、リコはにっこりと笑顔を返した。


最後までお読み頂き、ありがとうございました。

異世界で目覚めたリコが自分の前世を知り、そこで戦うことを決意するまでを書き終えました。

その後、リコは魔術の勉強のために魔族として生きることになるのですが、着手していないのでさらにのろのろ更新になります。

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