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1−29 契約


 私が彼と初めて会ったのは、父が亡くなってから3日後の夜だった。寝室で寝付けずにいると、気配を感じて体を起こした。


 歳は十代後半、白髪に赤い瞳の青年が立っていた。整ってはいるが、感情というものが感じられない顔つきをしている。人間は、私を見てこう言った。


「魔王というのはまだ子供なのか」


 正直、彼の言葉に当時十六だった私はむっとするよりもただただ驚いた。私がいたのは戦いの最前線ではなく、人間から土地を奪い取って根城にしていた古城だったからだ。外も城の中も魔族だらけだというのに、青年は誰にも気づかれることなくここまで来たということになる。


 他にも不可解な点があった。青年は武器の類を持っていない。敵地に手ぶらで来るなどよほど愚か者なのか、それとも――。


「何のようだ?」


 私はすぐにでも敵を葬る構えをして問いかけた。


「交渉しきに来た」


 白髪の人間は敵地に一人で乗り込んでなお、怯える様子を一切見せずに堂々と言い放った。


「交渉?」


「ここよりはるか南に呪われた地がある。俺にはその大地を浄化する力がある。魔族が人間に手を出さないのであれば、俺のその大地を浄化し、お前たちに住む場所を与えよう。この争いを終わらせようじゃないか」


 馬鹿げた提案を私は嘲笑った。


「はっ。笑わせるな。人間にそんな力があるわけないだろう」


「俺は人間じゃない」


 そう言うと、青年の顔の一部が白い鱗に変わった。瞳孔も爬虫類のように縦長に伸びている。私は息を呑んだ。


「お前、邪神だな? どうして邪神が我々に手を貸す?」


「交渉に来たと言ったはずだ。タダで手を貸すわけじゃない。さあ、どうする?」


 それが、私とあの邪神との出会いだった。彼の案に賛成する者はいなかった。


「信じられません! きっと逃げ場のない海上で我々を一掃するつもりなのですよ」


 最前線にいた有能な魔術師たちは邪神の力を得た人間たちに殺され、城にいる者で満足に魔術が扱えるのは私を含めて四人しか残っていなかった。


「焦ってはいけません」と進言したのはクリフ=デランシーだった。「人間は確かに邪神の力を得ましたが、それは万能ではありません」


「どういうことだ?」


「肉体が、与えられた力に耐えられないようです」


「つまり、死ぬのか?」


 クリフは深く頷いた。


「雷の力を得た者は自身が雷に打たれ、火の力を得たものは燃えて灰になる。また植物の力を得たものは、体が樹木になるという報告があがっております。こちらの戦力が衰えたとはいえ、人間はいずれ滅びるでしょう」


「時間の問題と言うわけか」


 父は神に力を与えられた魔族こそがこの世界の主導者となるべきだと考え、それを望んでいた。魔族の平和な時代を誰よりも願っていたのだ。


「クリフ、ルオ、ブレント」私は残った魔術師たちに呼びかけた。「大至急、船を作らせろ。全員が乗れる船だ。お前たちも全力を注げ」


 驚きの声がもれる。無理もない。私は皆に告げた。


「もう十分に血は流れた。終わりにしよう」


 臣下の忠告を真っ向から無視して、私は中央大陸から離れることを決めた。もう誰かの血を見るのも、父を失ったあの城にいるのも嫌だった。


 混乱を防ぐため、彼の存在は私と三人の魔術師のみが知る秘密になった。


「お前のいう南の果てに大陸はないぞ。南は死海、死者の国と書かれているじゃないか」


 私は地図を広げて眉間にシワを寄せる。


「生きては帰れぬ死の大陸だ。多くの地図からその存在が消されている」


「その、不浄の魔物とは何なんだ? お前の仲間か?」


「いや、その名の通り魔物だ。人間が魔石から作り出した魔物が暴走でもしたんだろう。話からして、毒を使うんだろうな」


「人が作り出した魔物? だがお前の話だとその魔物はもう何百年も生きているということになるぞ」


「その通りだ。かつてあの地で栄えた魔石の技術はお前たちが知るものとは次元が違うんだ」


「やけに詳しいな。長いこと中央大陸(ここ)にいるんだろ?」


「それでも、俺たちを狩ろうとするやつらの情報は入ってくるものだ」


 人間というのは、とんでもない生き物だ。しかしかつて自分たちを狙ってきた種族相手に力を貸す邪神もどうかしている。


 邪神は姿を変える能力を持っていた。人間の姿のままで他の者に見つかれば問題になるので、彼には魔族のふりをしてもらうことにした。


 しかしこの姿を変える能力は万能というわけではなく、姿を変えられるのは邪神が間近で観察した者に限られ、また赤い瞳の色は変えられないのだという。


 そこで彼には一番近くにいた私の姿を写し取ってもらった。魔族は魔力が生命エネルギーであり虹彩は緑色だ。赤い瞳が見られないようフードを深く被って注意した。


 彼の見張りも兼ねて、私は彼と多くの時間を共にした。彼は口数が少なかったが、私は暇を持て余してよく話しかけた。


「名前はあるのか?」

 

「なかったが……勝手にルーフスとつけられた」


 自分と瓜二つの顔が目の前にあるというのは不思議な気分だ。だが彼の表情を見ても、感情がないように全く変化がない。


 彼に名前をつけたのがどんな人間だったのか、私は聞くことができなかった。


 姿を変えるのに観察する必要があるのなら、彼が姿を写し取った人間がいるはずだ。その人間が今はどうしているのか、想像に難くない。


 思えば、私は彼が現れたときから、彼に自分と似たような何かを感じていたのだろう。私は父を、彼は守りたかった人間を自分のせいで失ってしまったのだから。


 この地上で何よりも長く生き、不思議な力を持つ未知の生物。私は彼の考えが知りたかった。


「ルーフス。お前は自分に与えられたその力を何だと思う? 他のものより優れた大いなる力をなぜ持って生まれてきたのだと思う?」


「命が生まれて死んでいくのに理由はない。この力にもお前たちの力にも何の意味もない」


「意味がない? この争いにも、生きることにも全てが無意味だと言うのか」


 私は納得できなかった。父が切り開いた道も、抱いた理想の全てが無駄だと言われた気がしたからだ。


「俺はお前たちとは生きる時間が違うから感じ方も違うんだろう。何を持っていようが、生まれれば死ぬことは決まっている。どんな姿形をしていようが、どんな力をもっていようが、そこに意味はない。生きているから生きるだけだ」


 彼の言葉は私には理解できないものだった。


「お前の話はさっぱりわからんっ」


 顔をしかめる私に、彼は肩をすくめた。


 航海は最後まで順調とはいかなかった。私達の船は嵐に遭遇し、大波が船を宙に浮かせては、海上に叩きつけた。魔術で船体の強化はやっていたが、慣れない船旅で疲労した中、どれだけもつかわからなかった。


「何をするつもりだ? 今出ていったら海に投げ出されるぞ」


 外に出ていこうとする私の腕をルーフスが掴んで止める。


「離せ。そんなヘマはしない」


 荒れ狂う波のせいで甲板に立つことも難しかった。両膝をついてどうにかバランスを保ちながら、両手をかかげる。出てこなくていいのに、ルーフスは私の側で一緒に雨に打たれていた。


 神経を集中させる。どれくらい時間がかかったのか自分ではわからないが、雨が弱まっていくのを肌で感じた。波もおさまり、陽が降り注ぐ。


「いけません! 魔力の使いすぎです」


 気づけばブレントが私の肩を支えていた。もう力が入らない。


「どうしてそこまでする? 魔力を消費しすぎると、お前らは死ぬんだろう?」


 ベッドで横になった私に、ルーフスが質問した。


 誰かが私を庇って彼を黙らせようとしたが、私はそれを手で制した。


「皆を無事に楽園に連れて行き、魔族の安寧をはかる。それが私のすべきことだ。だからお前も、約束を果たせ」


「わかっている」


 それから二日経って、私達は目的地に到着した。彼は本当に約束を果たしてくれた。荒廃した大地は緑豊かな地となり、魔族に恵みを与えてくれた。


 私は赤い目を持つ魔術師のことを最も神に愛された魔術師として皆に紹介した。ルーフスは嫌がったが、彼の正体を隠すために重要なことだと説き伏せた。


 彼は格別な力を神から与えられた私達の救世主なのだ。だから瞳の色が違う。だから魔眼持ちでさえその能力を推し量ることはできない。


 こうして私達はようやく自分たちの楽園を手に入れた。


「本当に、私とは生きる時間が違うんだな」


 若かりし頃の自分の姿をしたルーフスに私は声を掛ける。


 私自身はもう起き上がることもできない。ベッドの上で横になったまま、かすれた声を出すのがやっとだった。


「俺はお前たちとは違う」


 時間の流れを早送りするようにルーフスの顔が急に歳をとった。嫌味かと私は笑った。


「私と君の契約は王と一部の魔族のみが引き継いでいく。私が死んだとしても、未来永劫、君がこの大地を守る限り、私達は人間に手を出さないと誓おう」


 私が出した手を彼は握ってくれた。最後の力を振り絞り、重なった手に〈契約〉の魔術式を描く。


「俺も誓う」


 彼の言葉で魔術式は火花のように散った。


「ルーフス」


 そう呼びかけた私の声は消え入りそうなものだった。彼は私の言葉を聞こうと口元に耳を寄せてくれる。


「君が私に会いに来る三日前、私はこの手で父を殺した」


 握られたままの手に力がこもる。


「愛していたのに。私はこの手で……」


 父は愛情深い人だった。魔族繁栄のために皆をまとめ上げ先導した。しかし、人間との争いが長引くにつれ、父は次第に変わっていった。疑心暗鬼に激昂しやすくなり、飢えた獣のように力に固執するようになったのだ。


 最後には側近と母のありもしない不貞を疑い、話も聞かずに側近を斬り殺した。その後、母にもその剣を向けた。だから私は咄嗟に父の魔力と剣を奪って、その胸に突き刺した。


 最後まで、ルーフスが私に言葉を掛けることはなかった。ただ手を握り返してくれるだけ。


 私は民に、この力が神から与えられたものだと教えた。私もそう言われて育った。


 だがこの力さえなければ、争いは起きなかったのかもしれないと考えてしまう。この力は恩恵ではなく、呪いだとすら思うのだ。


 ルーフスもまた、その力さえなければ大事な人を傷つけずに済んだのかも知れない。


 彼を一人にしてしまうことが申し訳無かった。彼は一人で、この先もずっと苦しみ続けることになるだろうから。

最後までお読み頂きありがとうございました!

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