1−24 選択肢
植物が枝葉を伸ばしてナターシャの姿を作ったのを見て、リコは先ほどの疑問の答えを得た。
彼女も彼らの仲間なのだ。
それならば、いろいろと腑に落ちる。
彼女から指輪をもらっていなければ、そもそも地下牢の脱出は不可能だった。それも、触れている間は魔力を感じさせない不思議な仕掛けがされた指輪だ。もしもその仕掛けがなければ、他の魔族に気づかれて没収されていたかもしれない。
それに、逃げ出すときにはタイミング良く門番が持ち場を離れ、寝室で見つかりそうになったときも来客が訪れて難を逃れた。
それらは幸運に恵まれていたわけではなく、最初からルーフスの仲間であるナターシャが助け舟を出していたのだ。そして彼女は人間の脱獄を助けるとともに、聞き出した情報を彼らと共有したに違いない。
「ルーフス様。ご機嫌麗しゅうございます」
まるでここには彼しかいないかのように、ナターシャはルーフスに向かって澄んだ美しい声を放った。
血の通わない姿ではあるが、ナターシャの枝で作られた顔をよく見れば、陶酔しているような幸福感で満たされた甘美な感情が見て取れる。
美女から熱い視線を向けられているというのに、ルーフスは不愉快そうに顔を歪めた。
「別にうるわしくなどない」
軽くあしらわれても、ナターシャは慣れた様子で微笑んでいる。森の精霊を彷彿とさせるナターシャの動きはスムーズで、彼女がこの場にいるようだった。
ふとナターシャの声がリコに向けられる。
「リコ様、ご無事で何よりです。私の肉体はまだ王都にありますが、取り急ぎお話したかったのでこのような形で失礼いたします」
リコは困惑する頭でテレビ通話と言う言葉にたどり着いて、ぎこちなく頷いた。盲目の魔術師は穏やかに話を続ける。
「城内にお戻りになったときには少々心配しましたが、リコ様に刻まれた魔術式は、ご自分の魔力を求めたのですね」
「自分の魔力ってどういうことスか?」
リコの緊張感を打ち砕く声で、キースが問いかける。彼は難解な数式を前にしたように眉間に皺を寄せ、並べた三つのティーカップに紅茶を注いでいる。
「リコ様の前世であるナディア=エレファウスト様から結晶化した魔石のことです。ヴァリアント様が腕輪に加工し、今はイーリス妃殿下が受け継いでいるのですよ。いえ、受け継いでいた、というべきでしょうね」
意味深な微笑みを向けられ、リコの心臓が飛び跳ねた。その腕輪は、今リコの腕にある。
ナターシャはそんなリコの罪悪感を無視し、「早速ですが」と明るい口調で呼びかけた。
「無事に逃げ出したことですし、私達に力を貸して頂けませんか?」
彼女と仲間であるはずのルーフスとキースでさえ意表をつかれたようで、その場にいた全員が愕然とした表情で動きを止めた。
「私の力?」
やや間をおいて、リコが怪訝な表情で聞き返すと、ナターシャは深く頷いた。
「ええ。不浄の魔物を討つために、あなたの力が必要なのです。魔物を討伐した暁には、魔物が使用した召喚魔術を私が解析しましょう。うまくいけば、リコ様はもとの場所へ帰れるかもしれません」
「魔物を倒して、帰る……?」
リコの口から確かめるように言葉がこぼれ落ちる。
「あくまで、可能性の話ですが」
リコの脳裏に、ナディアが感じた恐怖や絶望がふつふつとよみがえってくる。リコはそれらを追い出そうと頭を横にふった。
「そんなの、無理ですよ。あの化け物には、どんな攻撃だって効かないんです」
「ですが、策を練らねば、いつまた召喚されるかわかりませんよ」
恐ろしい言葉に思考が一時停止するが、リコは口元に苦笑いを浮かべて言葉を絞り出した。
「アレは、ナディアの核が欲しくて私を召喚したんです。でも私は人間で、魔力を生み出す核なんて持っていません。なのに、何のためにまた私を召喚するんですか?」
「目的のものがなかったのであれば、その場で処分すれば良かったはずです。それをわざわざ生かすのは、何か狙いがあるからでしょう」
反論したくとも言葉が浮かばず、リコは代わりに問いかけた。
「狙いってなんですか」
ナターシャは目隠しで覆われた視線を宙に投げた。
「そうですねぇ。もしも私が魔物の立場でしたら、ルーフス様の目の前でリコ様を召喚することで、人間を助けるために自分の封印が解かれないかと期待しちゃいますね」
会話の内容とは裏腹に弾むような声で話すナターシャに、リコは眉間にシワを寄せる。親しくもない人間のために、魔物の封印を解くなど危険を犯す理由はない。だが、ナターシャはルーフスがリコを助けることを確信しているようだ。
リコの脳が不安でぐらりと揺れる。彼女の言う通り、魔物が封印を解かせるために撒かれた餌なのかもしれない。だとすれば、必ずまたあの魔物に召喚されてしまう。
そこに、暗闇にさす一筋の光のようにナターシャの声が響く。
「ですから、私のもとで魔術を学び、ともに戦いませんか?」
リコの黒い瞳が、ナターシャの覆われた目を静かに見つめた。そして彼女は目を細め、皮肉げに口元を歪めた。
「そんなの、うまくいきっこないですよ。私はあの化け物を見ました。アレには、何の攻撃も効かない。私の力なんて、特別じゃないです。魔術が使えるなんて、魔族の貴族であれば、みんなできることだし、それに、あなたたちは自分で魔力が作れるけど、私にはそれができない。何にも、特別なんかじゃない。私には、やっぱり何にもない」
物語の主人公ならば、こんな情けない発言はしない。目の前の困っている人たちのために立ち上がり、悪を倒すに違いない。でも、それは彼らが特別な力を持っているからだ。選ばれた人間だからだ。
リコは心の中で言い訳を並べて自分を慰める。
脳裏に自分を狙って迫る黒く艶やかな鱗の胴体が蘇る。警告を発するように、鼓動が早まる。弱者をいたぶり、その反応に満悦した赤い瞳に映るのは、何もできず、ただ恐怖に震える自分の姿だ。
「リコ様のその能力は、とても優れたーー」
ナターシャの柔らかい声がリコの不安定な神経を逆なでし、少女は声を上げて遮った。
「思ってもないこと言わないで! 貴族の家に生まれて、才能にも恵まれて、安全なところで周囲からもてはやされて育ったあなたには、死の恐怖なんてわかるわけない」
彼女は恵まれている。上流貴族の家庭で大事に育てられ、ナディアとは比べ物にならない才能を持っている。そして彼女が身にまとっているのは、ナディアがずっと望んでいた国家魔術師の衣。リコには盲目の彼女がすべてを手に入れているように思えてならなかった。
恐怖から生まれた妬みや怒りが、リコの全身を埋め尽くした。
ところが、ナターシャは少し呆気にとられただけで、すぐにこみ上げる笑いをこらえるように肩を震わせ始めた。
「ふふっ。ふふふふふっっふふふ。ごめんなさい。ふふっ。でも、おかしくって。ふふふっふふふ」
理解し難いナターシャの反応に、リコは頭痛を覚えて顔をしかめる。隣で、ルーフスが痺れを切らして立ち上がった。
「もういい。リコの具合を確認させろと言うからこの場をもうけたというのに、くだらん話ばかりだ」
ナターシャから笑みが消え、珍しく真剣な表情で口をひらいた。
「屋敷にこもっても、なんの解決にもなりません。リコ様がニグレオスに再び召喚されたら、どうするおつもりですか? 人間ひとりのために大陸全土の人間を危険にさらす覚悟があるのですか? 私ならば、リコ様も大陸の人間も守ることができます」
リコにはナターシャの言葉の意味が半分もわからなかった。だが隣に立つ白髪の青年を激怒させるには十分だったらしく、彼の瞳に激昂の色が浮かび、身動き一つするのさえはばかられるような緊張が走る。
それでもナターシャは凛とした態度を崩さずに弁明した。
「リコ様の体調が心配なのは本当です。今、リコ様はナディア様の魔力を取り込み、魔術式が完璧に発動しておりますので……」
しかし、リコは頭を鈍器で殴られたような頭痛に襲われ、それ以上話を聞くことができなかった。
緊迫した空気の中、紅茶を出すタイミングを逃しておろおろと会話を見守ることしかできずにいたキースの視界の端で、リコの体が不安定に揺れた。
「リコちゃん!」
飛び出すように向かい側に腰掛けていたリコの肩を支えてやると、そのまま体重を預けてきた。顔色が悪く、表情も苦しそうに歪んでいる。何度か名前を呼ぶが、返事はなかった。
追い打ちのように、ナターシャの冷静な声が降り注ぐ。
「脳はすべてを取り戻した前世の記憶に耐えられず、支障をきたすでしょう」
「どうしたらいいんスか!?」
キースは素っ頓狂な声をあげてナターシャを振り返った。
「今は脳の処理が落ち着くまで、ゆっくり休ませるしかありません」
キースから奪うようにしてルーフスがリコを抱きかかえた。
「屋敷に連れていく」
「城内の騒ぎが落ち着き次第、私も様子をうかがいに参りましょう。直接会えば、魔力の乱れを落ち着かせるくらいなら、お手伝いできます」
淡々と話すナターシャをルーフスが睨むと、彼女を形作っていた枝葉が崩壊した。伸びていた枝は、時間が巻き戻っているかのように元の観葉植物に戻っていく。
「また、屋敷に閉じ込めるんスか?」
キースはリコを抱えて歩き出した背中に問いかけた。
枝を戻し終えた観葉植物は、今度は天井に届くほどに幹を伸ばした。やがて幹が大きく二つに分かれて入り口を作る。向こう側は光っているので目視できない。
ルーフスはその光に目を向けたまま答える。
「人間は弱く、ここで生きていくことなどできない。他に選択肢はない」
「オレも協力します!」
「誤った選択肢を与えることはできない」
ルーフスは静かに断言すると、光の中に足を踏み入れた。
「でもーー」
ルーフスは最後まで聞くことなく、光に吸い込まれるように消えてしまった。
「決めるのは、リコちゃんですよ」
誰もいなくなった部屋で、キースは力なく残りの言葉を吐き出した。
キースが寂しげに視線を落とした先には、無駄になってしまったティーカップの紅茶から、わずかに湯気がたっていた。
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