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1−21 希望


 腕輪(バングル)を手首に通した途端、待ちわびていたかのように体が魔力を取り込んだ。その衝撃に、リコは目を見開いて天を仰いだ。


 魔力と同時に、ナディアの記憶がなだれ込んでくる。しかし、それはこれまでとは違っていた。記憶の断片などではなく、彼女の一生分の記憶が感情を伴って脳内に押し寄せたのだ。


 大きく見開いた黒い瞳から、みるみるうちに涙が込み上げてきて、端からこぼれ落ちる。


 走馬灯のように通り過ぎていった記憶の末に、頼もしい笑顔を浮かべる夫の姿があった。


「俺がついていれば問題ない。時代はすでに変わったも同然だ!」


 懐かしさに胸が締め付けられるのに、口からもれたのは呆れたため息だった。


「さあ、まだ事務仕事が残っているのでしょう? 早く片付けて寝ましょう」


「すぐに終わらせるが、先に寝ていてくれ。明日は一日、ゆっくり過ごそう」


 夫の唇が優しく額に触れ、続いて抱きかかえている娘の額にもおやすみの挨拶をする。


「おやすみ、また明日」


 優しく微笑むセドラが愛おしく、腕で眠るレリアナが愛らしく、このまま時間(とき)が止まるように祈る。


 しかし、セドラは広い背中をこちらに向けて扉に向かって歩き出した。


「行かないで!」


 そう叫びたいのに、体はいうことをきいてくれない。


 なすすべもなくセドラを見送り、本当は手放したくはないのに、ぐっすり眠る愛娘を小さなベッドの上に優しく寝かせた。


 他人の記憶に、体と心が抵抗しようと必死に足掻いている。自分のものではない感情に、リコは混乱した。自分とナディアの感情が入り混じり、もはやどれが自分の感情なのかわからない。


 ナディアの足が部屋の外に向いたその時、足元にまばゆい光が現れた。


 円形に広がるその光が、魔術式だということはすぐにわかった。


 見たこともない魔術式からレリアナを守ろうと足を踏み出して、ナディアはそれが自分の後を追ってくることに気がついた。


 狙いが自分であることを理解し、ナディアは扉に体の向きを変える。


 助けを呼ぼうと息を吸い込んだ。しかし、必死で伸ばした手が扉に触れるよりも先に、視界は光で満たされた。


 光がおさまったときには寝室の扉は消えていた。目の前にあるのは石造りの広い空間だ。両側には円柱の柱が並び、円柱の下部が白く発光している。


 ナディアに緊張が走った。


 移動している。


 転移魔術というものがあることは知っていた。だが、対象者の意思を無視して移動させているこれは、それとは別物だ。そんな魔術は聞いたことがない。


「君の名前は?」


 背後から、ナディアの緊張を打ち砕くくらい呑気な声がした。それも、子供だ。


 聞き覚えのある声に、ナディアの中でリコは息を呑んだ。


 驚いて振り返ると、角のない男の子が微笑んでいた。


 身につけているのは裁縫された衣服ではなく、象牙色の大きな布を体に巻き付けているだけだった。柔らかい黒い髪に、特徴的な真っ赤な虹彩は、黒い瞳孔によって縦に切り裂かれている。


 言い伝えに残る人間の子供のようだが、その小さな体からは人間が持つはずのない魔力を、それも異なる五つの魔力を感じる。


 ナディアは混乱する思考を沈め、主導権を渡さぬように瞬時に傲慢で冷たい表情をまとった。


「相手に名前を尋ねるときは、まずは自分から名乗るのが紳士というものよ」


 すると、男の子は目をきょとんとさせる。年相応の可愛らしい表情なのに、背筋に悪寒が走るような恐ろしさを含んでいた。


「そうなの? まずは自分が名乗るものなの? それは失礼。僕の名前は、二グレオス。それで、君の名前は?」


 その名前に、ナディアは思わず焦りと困惑の表情を浮かべる。


 かつてこの地を滅ぼした魔物ニグレオスと同じ名前なのは、偶然だろうか。


 すぐに焦りを押し隠し、ナディアは微笑を浮かべる。


「私は、ナディアよ」


「ナディア! 素敵な名前だね。君にぴったりだ。まさに君は、僕の希望だもの。これから、よろしくねっ!」嬉しそうに話すニグレオスから急に無邪気な笑みが消えて、代わりに冷たい笑みが浮かぶ。「これから僕たちは、永久(とわ)のときを生きるのだから」


 化け物め、とナディアは心の中で罵りながら、話を長引かせようと冷静に質問を投げかける。


「それは、あなたから感じる五つの魔力と関係があるのかしら?」


 素早く視線を巡らせるが、窓や扉らしきものは近くにはない。


「ナディアにはわかるんだね。そうだよ、僕には今、五つの核がある。君は、六つ目の僕の核になるんだ。つまり、君は僕が完璧になるための希望なんだよ」


 二グレオスは、お菓子を前にした子供のように嬉しそうに目を輝かせて言った。


「完璧?」


「そう。今はなんと呼ばれているのかな? 父さんは、あれを神だと呼んでいたけど、呼び名は、時代と場所で色々だから。精霊、災い、使徒と呼ばれることもあったかな? 人間では到底太刀打ちできない強大な力を持つ生き物だよ」


 ナディアには思い当たる存在が一つだけあった。


「邪神のこと? かつて人間に力を与え、魔族を窮地に追い込んだ」


 二グレオスの赤い瞳がぎらりと光る。


「へえ。あれが人間に力を与えることがあるんだね」


「そうよ。人間が力を持ち、私の祖先は虐げられてこの地に逃げてきたの。それで、あなたは邪神になるために魔族の核を集めているというの?」


 不意に、ニグレオスから笑みが消えた。


「父さんが、それを望んだから。だから、僕は強くなるんだ。父さんの願いを叶えるために」


「どうして、私なの? なにか理由があるのでしょう?」


「僕が核にするのは、気に入ったものだけ。ずっとここに閉じ込められているけど、魔力だけは感じることができるんだ。その中でお気に入りを見つけて、ここに招待するんだよ。君みたいに」


 二グレオスはにっこりと爽やかな笑みを浮かべ、音を立てて両手をうった。


「お喋りはもうおしまいっ。取り込む前に、君の能力を見てみたいな」


 そういうと、子供の姿が粘土のようにぐにゃぐにゃと崩れていく。目の前の光景が信じられず、ナディアは後ずさった。


 柔らかそうな肌は、みるみるうちに黒い鱗に変化し、手足は完全になくなった。漆黒の大蛇の姿になったニグレオスは、ナディアを追い回し始めた。


 赤の魔術師さま。私を導き、お救いください。


 ナディアは懸命に足を動かしながら祈る。


 どんなに探しても、出口はどこにもない。壁を攻撃してみても、魔術で守られているようで傷すらつかない。


 ナディアは舞踏会場のように広い空間を疾走しながら確信した。この大蛇は閉じ込められていると言った。ならばこの大蛇こそが、救世主さまたちがやっとの思いで封印した不浄の魔物なのだ。


 ここから出られないのは、ニグレオスを閉じ込めておくための封印の魔術がかけられているせいに違いない。


 胃の辺りがキリキリと痛んだ。救世主さまが五人がかりでも倒せなかった魔物だ。どんなに考えても勝算はない。


 視界がぐらりと歪み、手足は痺れ始めている。


 早く、外へこの事実を伝えなければならない。万物の命を奪う毒の魔物は、魔族を召喚しては核を取り込んで力を蓄えている。いずれ魔族を追い込んだ邪神と変わらぬ力を得た時、この封印も溶けてしまうかもしれない。


 もしも封印が解かれれば、この国が滅びてしまう。先祖がやっとの思いで手に入れた私たちの安息の地が、すべて奪われてしまう。


 しかし、ナディアの攻撃では二グレオスの体に損傷を与えることはできなかった。爆破も、火も、氷も効かない。


 二グレオスの牙に、ナディアの腕が切り裂かれて宙を舞う。勝てない。勝てるはずがない。


「ナディア」


 死神が、自分の名を呼んだ。


 ーー君の魔術が好きだからさ。


 恐怖と執着と後悔で荒れ狂う胸に、一滴の水を落としたように言葉が広がった。


 真っ直ぐな笑顔。自分の身を差し出してまで、自分を守ってくれた友がいた。


 その声に、雑念が消える。静けさの中で、救え、救え、と本能のように何かが訴えかけてくる。その力で、皆を救え。神から与えられた力は、そのためにあるのだ。


 残された時間は少なく、自分に勝ち目はない。それでも、外にこの現状を伝えなくてはならない。


 この国を、幸せを守るために、この力は授けられたのだ。


 この化け物に、なにひとつくれてやるな。


 笑え。


 右手を前に突き出し、ナディアは力強く唱えた。


氷短槍(アイスショートスピア)


 心の中で、ナディアは謝る。これは、自分の我が儘であり、(ことわり)に対する歪みだ。


 魔術式は、一度見た。


 両端の尖った氷の短槍をつかみとり、大蛇を見据える。鼓動が熱い。


 それが本当に正しいのか、成功するのかはわからない。


 それでもナディアは願い、希望を託して、己の核を破壊した。



「助けて」

最後までお読み頂きありがとうございます。

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