1−19 地下牢
光がおさまると、リコはナターシャとともに木でできた扉の前に立っていた。魔族の王がいる城だときいていたが、そこには壮大で豪奢な雰囲気も活気もなく、人気のない裏口がぽつんとあるだけだった。
だがそれでも、リコは一瞬にして目の前に現れた巨大な建築物に目を見張った。見上げても、てっぺんは視界に入りきらないほど巨大だ。
そんなリコの横から、ナターシャはひょっこりと顔を出す。
「転移魔術は便利な魔術ではありますが、距離が長いとそれだけ消費する魔力も多くなってしまうので、馬車で移動させて頂きました。お疲れではありませんか?」
「いいえ! 私のためにありがとうございました。とても綺麗で、見惚れてしまいました!」
リコは頬を上気させ、素直に感想を述べた。
「まあ嬉しい」
ナターシャが微笑んだのと同時に、二人の前の扉が開いた。
出てきたのは、ここから案内を引き継ぐという無愛想な二人組の魔族の男だった。一人はナターシャと色違いの黒地に青の糸で刺繍された服に身を包み、もう一人は丈の長いジャケット姿ではあったが、同じ植物を模した刺繍が青い糸で施されており、腰に細い剣をたずさえていた。
ナターシャに別れを告げ、魔族に前後を挟まれる形で城内の静かな廊下を歩いていると、突然背後から拘束され、口元に布を押し付けられた。
抵抗して声を出そうとしたが、息を吸い込むのといっしょに嗅いだことのない薬品を思いっきり吸い込み、ものの数秒のうちに意識は暗闇の中に落ちていった。
最初に感じ取ったのは寒さだった。身震いとともにリコはゆっくりと目を開ける。体は硬い石の床に横たわっている。
ぼんやりとしていた思考が徐々に鮮明になり、慌てて身を起こすと手の動きが制限されていることに気がついた。視線を向ければ、両手が木製の手枷で拘束されている。驚いて顔を上げると、目の前には鉄格子がはまっていた。
周囲は薄暗く、鉄格子の正面には横たわるようにして通路が続き、向かい側は壁になっている。明かりといえば、壁面に等間隔でおかれた光る石だけだ。
心もとない明かりではあるが、壁面の上部に横長で腕がようやく一本通るくらいの通気口がある。そこからは地面の芝生と真っ暗な外の様子が伺えた。
叫んでみたが、自分の声が響くだけで誰かが来る気配はなかった。何度も叫んだ後、リコは諦めて冷たい牢屋の中で膝を抱えた。
これが、魔族のいう人間を〈保護〉するということなのだ。
リコの頭にナターシャの純粋無垢な笑顔が浮かぶ。魅力的な笑顔も、召喚者やルーフスについて調べるという申し出も、友人だと言ってくれたことも、すべては人間を大人しくここに連れて来るための演技だったのだと思い知る。
この世界は、物語と同じように魔族と人間の間に良好な関係など存在しない。
悔しさのあまり、リコは唇を噛み締めた。
魔力はもうほとんど残っていない。
リコが焦りを募らせていると、遠くで話し声と物音がした。そしてカツン、という金属音が響き渡り、反射的にリコの体が震え上がった。振り払おうとしても、地下室と床に書かれた魔術式、そして鎖の記憶が脳みそにこびりついている。
足音は着実にこちらに近づいてきていた。心拍数は上がり、無意味だと理解しながらできるだけ体を小さくする。
複数の足音と嫌な金属音は、リコのいる牢屋の前で止まった。
恐ろしくて、顔も上げられない。
「おおっ」
またカツンと音がして、男の感嘆の声が牢屋の中に響いた。そして次の瞬間、その声は軽蔑や憎悪を含んだ冷たい声に変わる。
「今ここで殺されたくなければ、顔をあげろ」
リコが震えながらゆっくりと顔をあげると、ギラギラと欲望にもえる目があった。
歳は初老ほどで、頬はこけて特徴的な鷲鼻をしている。ステッキに両手を預け、黒地に紫の糸で刺繍された衣に身を包んでいた。背後には、先程リコを案内した二人の魔族が無表情で控えている。
薄暗い中、初老の男の瞳が不気味に光って見えた。
「本当に人間の女だ。黒髪とは、また珍しい」
ステッキの魔族が誰にともなくつぶやくと、うしろに顔を向ける。
「これが、イーストンの森で見つかったのか?」
「はい。満身創痍の状態で、森をさまよっていたようです」
「あの忌まわしき地で……」
ステッキの男は満足そうに頷くと、来た道を戻り始めた。
「何か知っているかもしれん。さっそく明日から話を聞き出すとしよう。貴重な人間の女だ。おまえたち、間違ってもすぐに殺したりするでないぞ」
魔族たちの恐ろしい会話と足音が遠ざかっても、リコの体は恐怖に震えたままだった。
何を知りたいのかわからないが、知っていることを話した後も解放される気がしない。
ようやく恐ろしい大蛇から逃げ出したというのに、今度は人間を敵視する魔族にあっけなく捕まってしまった。おまけに、ここは四方を海に囲まれた魔族の国だ。逃げ場などどこにもない。
小刻みに震える両手を握りしめると、指輪の感触があった。友人の証だと渡された指輪を見て、リコの中に怒りが沸き起こる。
「こんなものっ!」
怒りに任せて指輪を抜き取り、床に叩きつけた。小さな音をたて、指輪が冷たい石の床を転がり、やがて止まった。
リコの運命を知りながら、ナターシャは優しい笑みを浮かべて味方のふりをしていた。内心、嘲り笑っていたのかもしれない。能天気に騙された自分にも腹が立ち、床に転がった指輪をにらみつける。
植物のツルを模した銀色のシンプルな指輪ーーのはずが、指にはめていたときにはなかった緑色の宝石がきらりと光り、リコは驚いて拾い上げた。今、確かに魔力を感じたはずなのに、手にすると石はなくなり魔力も感じられない。
「なに、これ……」
不思議に思ったが、すぐに考えることを放棄して魔力の吸収を試みる。見えずとも感じずともあふれ出た黒い靄に、リコは嬉しさのあまり涙ぐんだ。
最後までお読み頂きありがとうございます。
よろしければ、☆〜☆☆☆☆☆で評価頂けたら嬉しいです。




