挿話 変えられるもの(2)
夫の話に、ナディアは体を硬直させた。
夫婦の寝室には、二人で寝るには繊細な装飾がされた広々としたベッドと、柵がついた小さなベッドが並んで置かれている。そのすぐそばのソファに腰掛けたナディアは、湯上がりの夫を唖然とした表情で見上げた。
母が婚約を破棄された話も、彼女にまつわるよくない噂も、さわり程度だが聞いたことはある。セドラは、それらすべてが母の魔力を理由に元婚約者が仕組んだものだと説明した。
ナディアはざわめく心を落ち着かせようと呼吸を整える。
「それで、私に厳しく魔力を禁じたというの?」
セドラは静かに頷いた。
まるで母の行いが愛情だったといわんばかりの夫の態度に、ナディアは無意識に拳を握りしめる。
「それが事実だとして、私にどうしろと言うのですか? 母も辛い思いをしたのだから、これまでのことは仕方のないことだった、あれは私を思っての行動だったとでも言いたいの?」
「そんなことは言っていない」
「では、なんなのですか? 母にどんな理由があったとしても、今さらでしょう!?」
思いがけず出てしまった怒声に、ベッドで眠っていたレリアナが泣き声をあげる。ナディアは我に返って娘を抱き上げるが、胸のうちにはおさまりきれない怒りに満ちていた。
理由も話さずにあんな仕打ちをしておいて、今更あなたのためだったと言われても納得できるわけがない。
小さな背中を優しくなでてやると、レリアナはすぐに眠りに落ちて寝室に静寂が戻った。
セドラは途方にくれたように頭を掻いた。
「すまない。ナディア。確かに、過去は変えられない。ディーレもそう言って、許されることなんて望んでいなかった。だが俺は、それでも知っておいたほうがいいと思ったんだ。彼女は自分の利益のために娘の魔力を奪ったわけじゃない。ただ娘を守りたかったんだ。結果的に傷つけることになってしまったが、今でも彼女はおまえの幸せを願っている。彼女のその気持ちを、知っていたほうがいいと思ったんだ」
セドラは娘を抱き上げたナディアごと抱きしめると、自分の額を妻にそっと預けた。
「ナディアが望んだ愛情ではないかもしれない。だがそれでも、彼女はおまえのことを愛しているんだよ」
ナディアにとって、その言葉は衝撃的だった。記憶に残る母は、いつも不快感や嫌悪に顔を歪めていた。そこに、子を思う気持ちがあったというのか。
心の奥底で蓋をしていた感情が溢れ出し、一筋の涙がナディアの頬を伝った。
母が大好きだった。しかし、ありのままの自分を拒否され、彼女を否定することでしか、自分を慰めることができなかった。
だからこそ、ナディアは納得できない。悔しくてたまらない。もっと早くに母の気持ちを知れたなら、自分は傷つかずにすんだ。もとい、大好きな母を否定する必要もなく、素直に母を愛せたかもしれないのだから。
セドラの大きな手が、ナディアの髪を愛おしそうに撫でる。
「幼い頃は想像もできなかったが、親というのは未熟なものだ。俺は泣いているレリアナをあやすこともろくにできないし、厳しくすべきなのか見守るべきなのか迷うことだってたくさんある。和解しろだの親睦を深めろだのというつもりはない。おまえを見ていれば、どれだけ辛かったか、俺にだってわかる。ただ、自分が親になった今、ディーレが不器用ながらナディアを思う気持ちを確かめずにはいられなかったんだ」
心地よいぬくもりと落ち着く声に、ナディアは目を閉じた。消して色褪せることのなかった孤独や恐怖の記憶が、溶けてなくなっていくような不思議な感覚がする。
不意に、セドラは抱きしめていたナディアを離し、大きなため息を吐き出した。
「俺は男親だから、レリアナが離れていくのが早いんだろうな。年頃の娘は、父親と目も合わせないと聞くが本当か?」
頼りなく目尻を下げる夫に、ナディアは小さく吹き出した。
「まだ早いですよ」
ナディアの言葉は何の慰めにもならず、セドラは真面目な表情で続ける。
「俺に教えられるのは魔術や剣くらいしか教えられないから、そもそも関わる時間が少ないんだ。誰か、成長をゆるやかにする魔術でも開発してくれないだろうか」
愛おしそうにレリアナの頬をなでるセドラを見ながら、ナディアは微笑んだ。
「剣や魔術をたっぷりと教えてあげたらいいじゃないですか」
セドラは少し驚いたように顔を上げた。その理由をナディアはよく理解していた。今はよき理解者であるセドラであっても、ナディアが改めて魔術を見せたときには顔が青ざめていた。それが、現実だ。
いくら本人が望んだとしても、今のままでは恵まれた魔力は娘の将来の妨げになる。
ナディアはセドラの頬にかかるまだ湿った髪を優しくかきあげた。
「この子が学びたいと願うなら、思う存分教えてあげてください。そして私にも、あなたの力を貸してください。女性が、魔力を誇りに思える時代をつくるために」
セドラの顔に、いつもの勇ましい笑みが広がる。
「俺がついていれば間違いない。時代はすでに変わったも同然だ!」
ナディアは呆れて小さなため息を吐き出した。
「さぁ、まだ事務仕事が残っているのでしょう? 早く片付けて寝ましょう」
「すぐに終わらせるが、先に寝ていてくれ。明日は、一日ゆっくり過ごそう」
セドラはナディアの額に唇を落とし、眠っているレリアナの額にもおやすみの挨拶をした。
「おやすみ、また明日」
寝室を後にする夫の背中を見送ると、ナディアはレリアナをベッドの上に寝かせた。
数年後の我が子の成長を考えると、胸が温かくなる。魔術を使いこなし、剣を振り回すようなお転婆な子になるかもしれない。
いつかの自分のように、気に食わない相手には正面から突っかかっていくのではないかと少々心配でもある。
娘が成長し、魔力を自覚するそのとき、心から祝福することができたらどんなに素晴らしいだろうか。
そのために、優秀な魔術師に性別など関係ないことを世界に示すことをナディアは改めて決意する。くだらない不文律を捨て、神から与えられたこの力を有効活用するべきだ。
ナディアは希望に胸を膨らませながら、苦手な書類整理に奮闘するセドラにお茶を用意しようと歩き出した。
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