1−18 証
初めて乗る馬車はガタガタと音を立てて揺れるので、乗り心地が良いとは言えなかった。
馬車をひいているのは馬だ。リコが知る馬よりも大きいが、この世界には魔物以外の動物がいるようだ。
御者は、ナターシャの後ろに控えていた無表情の従者が務めている。
人が乗る部分は箱型で、完全に個室だ。そこに、リコはナターシャと向かい合う形で座っていた。
リコが全身を硬直させて緊張しているのに対し、聖女は長い脚を斜めにそろえ、優雅さと気品を漂わせている。
「リコ様は、魔族を見るのは初めてですか?」
「はい」
穏やかに問いかけられ、リコは頷いて彼女の角を見上げた。額から伸びる二本の角を見ると、自分が本当に違う世界に来たのだと思い知らされる。
「私も、人間の女の子を見るのは初めてです。見るっていうのも変ですね。私は生まれつき目が見えないので」
悲観する様子は微塵もなく、美女は頬に手をあててふふふと楽しげに笑う。
ーーでも、見えてますよね?
そう尋ねようと口をあけたが、おかしな質問だと気づいてそのまま閉じる。しかし、ナターシャはリコの心を見透かしたように答えた。
「ええ。見えています。見え方が同じなのかは確かめようがないですが、私には周囲の状況がわかります」
目元が隠れていてもあふれる美貌。上品でありながら大人の妖艶さも持ち合わせているが、口をひらけば無邪気な少女を思わせる不思議な雰囲気があった。
聖女は両手のひらをリコに差し出した。それぞれの薬指と人差し指にはシンプルな指輪がはまっている。興味津々といった様子で、ナターシャは身を乗り出した。
「顔に触れてもかまいませんか? 触ることでより正確に感じたいのです」
「ど、どうぞ」
ナターシャが触りやすいように、リコは緊張で強張った顔を顔を突き出した。
盲目の聖女の手は迷いなく、リコの頬に触れる。そして両手でリコの顔を包み、指で鼻や目を優しくなぞった。最後に額の生え際を執拗に触って確かめる。
「当然ですが、角はないのですね。……ですが、不思議ですね」
ナターシャはリコの顔からそっと手を離した。彼女の明るく気さくな雰囲気が、蝋燭の火を吹き消したように消えていた。感情を読み取ることができない隠された目が、じっとリコに向けられている。
麗しき魔術師は少女のように小首を傾げ、熟れた果実のような色の唇を動かした。
「どうして人間であるはずのあなたが、体内に魔力を持っているのでしょう」
どくんと、リコの心臓がひときわ大きな鼓動を打った。
まるで、人間は魔力を持たないかのような発言に、焦りを覚える。何か忘れている気がするのに、思い出せない。
困惑するリコに、ナターシャは更に問いかける。
「魔力は神から魔族だけが授かった神秘の力です。なのになぜ、人間のあなたからその力を感じるのでしょう」
彼女の言葉の意味を時間をかけて理解したときには、殴られたような衝撃がリコを襲った。
神から授かった神秘の力。しかしそれは、人間に与えられたものではなく、魔族だけに与えられたもの。
ナディアの擦り切れた映画のフィルムのような映像が、脳内でチカチカと点滅する。靄で隠されていた頭部が、少しずつ形を変えて鮮明になっていった。輪郭、表情、髪型、そして額から伸びる二本の角。
ナディアは人間ではない。
彼女は、魔族だ。
自分の前世は、魔族なのだ。
リコは頭を抱えた。まだ何か忘れている。大事なことなのに、わからない。焦りだけが、胸に渦を巻いた。
そんなリコに、ナターシャはやさしく語りかける。
「私は目で見ることができませんが、代わりに他の者が見えないものを感じとることができます。私の知識が正しければ、人間は魔石を組み込んだ道具は使えても、魔力そのものを扱うことはできないはずです。もしや、なにかご事情があるのですか?」
彼女は心配そうにリコの顔を覗き込み、包むようにそっと手に触れた。
柔らかく温かい手は不安定な心に希望と安らぎを感じさせ、リコは救いを求めるように彼女にすがった。
「信じてもらえるか、わからないのですが……」
リコはそう切り出して、自分が誰かに呼ばれて森の中の遺跡で目覚め、ルーフスという青年に拾われて暮らしていたことを打ち明けた。
さらに自分がナディアという魔族の生まれ変わりであること、触れるだけで魔力を体に取り込み、その度に記憶を取り戻して魔術を使うことができるようになったこと、そして拾ってくれた青年の正体が白い大蛇だったということも。
最後まで話を聞いたナターシャは、リコの不安を吹き飛ばすような笑みを浮かべた。
「それでは、召喚者とそのルーフスという青年のことも含め、私が責任をもってお調べいたしましょう」
「私の話を信じてくれるんですか?」
「もちろんです。最初に報告を受けた時、四方を海に囲まれたこの国の森に、どうやって人間が現れたのか不思議でしたが、話を聞いて納得いたしました。リコ様は魔術によって呼び寄せられたのですね。理由も方法もわかりませんが、リコ様の持つ前世の記憶に関係がありそうですね」
穏やかに説明し終えると、ナターシャは祈りを捧げるように胸の前で両手を組み、真面目な顔で「しかし」と続けた。
「あの森に怪物がうろついている話が広まれば、混乱は避けられないでしょう。どうか、調査が済むまでこの話は他言無用でお願いします」
「わかりました」
リコが承諾しても、ナターシャは浮かない顔でうつむいていた。そして言葉を吟味するように、ゆっくりと口をひらく。
「あまり怖がらせたくないので申し上げにくいのですが、私たち魔族は、かつて人間と争っていた過去があります。ですので、国で人間を保護するようになった今でも、魔族にはまだ人間に対して快く思わない者がおります。人間であるリコ様が、魔族の、それも魔力を扱える貴族の生まれ変わりだという話を聞けば、神への冒涜だと騒ぐ者が現れるでしょう。あなたの身に危険が及ばないよう、伏せておいた方が良いでしょう」
リコは心強い味方を得た安心感に頬をゆるめた。
「誰にも言いません」
人間と魔族の争い。それはナディアの記憶にもある。魔力に嫉妬した悪しき者たちが、邪神の力を呼び覚まし、力を得たことによって始まった魔族への略奪。
自分の知る物語とは善悪が真逆だが、こうした話は立場が変われば表現も変わってしまうものだとリコは教科書で学んだ歴史を振り返りながら考えた。そしてそうした歴史におけるしこりは、争いが終わったからといっても簡単になくなるわけではない。
「ところで、城に到着する前に、ポケットのものを見せて頂けますか?」
不意に問いかけられ、リコは無意識にポケットを上から触った。不自然に凹凸をつくったそこには、ルーフスの屋敷から盗み出したナイフが入っている。
盲目の魔術師の力に感嘆しながら、リコは静かにポケットからナイフを取り出した。
「これから、我が主のいる城へ入城します。ですので、これはこちらでお預かりしなくてはなりません」
申し訳なさそうに言った後で、ナターシャは「そうだわ」と何かひらめいたように自分の指にはめていた指輪をひとつ抜き取ると、ナイフの代わりにその指輪をリコの手のひらにおいた。
「これと、交換しましょう」
植物の葉を模した銀色の指輪だ。シンプルなものだが、ナターシャの身分からして高価なものだということは容易に察しがつく。
「いいえ、いただけません」
リコは指輪を返そうと彼女の手に突き出した。ナイフは盗品であり、魔力もすでに取り込んでしまって用済みの品なのだ。
「ですが、刃物を城に持ち込むわけにはいきません。それに、せっかく出会えた友情の証に、持っていてもらえると私も嬉しいです」
ナターシャにそう言われては、リコも折れるしかなかった。
お礼を言って指輪をはめてみる。ぴったりと指におさまった友情の証に、リコの胸がじんわりと熱を帯びた。
もう一度お礼を言おうと顔をあげて、リコははっとした。どうしてこれまで気が付かなかったのか、彼女の他者とは違う雰囲気や後光のように感じたものの正体が魔力だということにはたと気がついた。
目的は不明だが、もらった指輪には魔力を隠すような仕掛けがあるのかもしれない。
もちろん、魔術師なのだから魔力をもっていて当然なのだが、彼女の魔力は魔石とは異なっていた。水面に反射する太陽の輝きのように、彼女の魔力は眩しく、その力を推し量ることができない。
美しい魔力に見とれていると、明るい笑顔で軽食を勧められた。小腹を満たして他愛もないおしゃべりに夢中になっていると、馬車の小窓から見える空がいつの間にか藍色へと変化していた。
馬車が止まり、ナターシャに続いてリコも馬車から降りる。周辺は木々がまばらにあるだけで、道の前後には建物ひとつ見当たらない。
「では、王都へ参りましょう!」
場違いなほど元気の良いナターシャの言葉に対して、リコは思わず眉を引き寄せて怪訝な表情を浮かべた。
見えていないはずのリコの表情を読み取ったかのように、ナターシャは得意気な笑みをこぼす。
「これでも私、有能な魔術師なのですよ」
ふわっと風が舞うようにナターシャの魔力が大量に解放されて、リコは身構える。
「大丈夫。何も心配することはありません」
ナターシャはリコの手をとって微笑みかけた。
魔力は2人の足元で光に変わり、その光をよく見ると文字になっている。文字は円形に広がり、まるで光の花が咲いているようで美しい。
「私たちは、体内で作った魔力を操る力を授けられています。足元にあるこれは、魔術式と呼ばれ、詠唱と同じく魔力操作を安定させ、より緻密で繊細な操作を可能にするものです。これから一瞬のうちに目的地に移動しますので、安心して身を委ねてくださいね」
ナターシャの説明に耳を傾けながら、リコは足元に広がる魔術式に心を奪われた。記憶は曖昧だが、自分がこちらの世界に来たときに包まれた光に似ているような気がした。
ナターシャは御者を務めていた無表情な従者に顔を向ける。
「では、馬車は頼みましたよ」
「お任せください」
二人のやり取りからこれが別れだと察したリコは従者に向かって急いで頭を下げた。
「お世話になりました」
従者が隙のない礼をとる姿を最後に、リコの視界は光に包まれた。
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