挿話 齟齬
寝ぼけていたのか編集途中のものを投稿していたので再投稿です(_ _)
アンティークローズの制服の上に卒業生用のガウンを羽織り、ナディアは事務棟の前に立っていた。
正門に並んだ木々が枝がしなるほどに桃色の花を咲かせ、風が花びらを舞い上げている。
あの日、リディはリンセントによって保護され、ナディアを救出したのだという。理由はわからないが、明らかに2人は共謀して虚偽の証言をしている。
理由を知りたくても、周囲の目が恐ろしくてリンセントには近づけず、リディはアカデミーに戻って来なかった。ナディアはつきまとう罪の意識に苦悶しながら、ただ静かにアカデミー生活を送ることしかできなかった。
ため息を吐き出し、ナディアは卒業会場に足を向けた。
アカデミー最後の日だというのに、自分をかばってアカデミーを去った青年の身を案じて、顔は陰鬱に沈み込んでいる。
胸が張り裂けそうなほど辛いのに、結局は怖くて事実を話せないでいる。自分が偽善者で嫌になる。
本館に入って、うつむいていた顔をあげると、渡り廊下に黒い靄を放つ人影が見えた。ナディアは大きく息を吸い込んで、慌てて駆け出した。
靄をまとったその人は、ナディアと同じ卒業生用のガウンを羽織り、渡り廊下からアカデミーを眺めていた。向かってくる足音に気がついたのか、こちらを振り向くと驚いた表情を浮かべる。
紺青色の髪を後ろになでつけた姿はずいぶんと大人びていて、以前のリディとは雰囲気が変わっていた。
彼の変化は外見のみならず、溢れる魔力は一段と力を増し、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さがあった。それは、ナディアがこれまで感じたことのない感覚だった。
ナディアは初めての魔力の感覚に息を呑む。自分には才能があるのだと思っていたが、彼を前にすると自分がありふれた貴族の一人なのだと気付かされる。
ナディアが呆気にとられていると、リディは申し訳無さそうに目尻を下げた。
「ナディア、あの時は本当にもうしわけーー」
「本当はあなたではないでしょう!? どうして嘘をついたの!?」
再び嘘の謝罪をしようとするリディに、我に返ったナディアが荒々しく遮った。
婚約者がいる身であるために、異性と二人っきりで話す機会などそうない。誰かに見られる前に、時間を有効に使わなければならない。
リディは少し驚いた顔をした後、観念したように微笑んだ。
「君の魔術が好きだからさ」
彼に魔術を見せた覚えはなく、ナディアは眉をひそめる。考え込むナディアに、リディは続けた。
「気づいていたんだね。不安にさせてごめんね。全て僕が望んでやったことで、リンセント先生を巻き込んでしまったから、今後も黙っていてもらえると助かるな」
「わからないわ。魔力を暴走させればあなたの名誉に傷がつくし、処罰だってあるのよ!」
「そうならないことはわかってた。魔力なしの一族の恥が、魔力暴走を起こせしたとなれば、責めるどころか喜ばれるはずだからね。処罰に関しても重いものにならないとは思っていたんだけど、僕に魔眼の能力があるからって魔術と魔眼の課題を出されただけで済んだよ」
ラッキーだった、と笑う彼とは対照的に、ナディアは戸惑いながら口を動かす。
「私の魔力が、見えていたのね。でもどうして? 昔、女のことをバカにしていたでしょう?」
「そんなことしてないよ!?」
リディは驚いた様子で否定した。ナディアは記憶を懸命に手繰り寄せながら説明する。
「だって昔、荷物持たされて意地悪されてたのに、私が声をかけたら邪魔するなって言ったでしょう? 鍛えてるだなんて見え透いた嘘までついて、追い返したじゃない。だから、あなたも女をバカにしてるんだとばかり……」
リディは手で額を支えると大きなため息を吐き出した。
「あれは、君が無茶をするからだよ。火に油を注ぐようなことばかりを言って相手を怒らせるから、僕は君を遠ざけようと気が気じゃなかったんだよ」
ナディアは目を丸くした。
「そ、そうだったの?」
リディはにっこり笑って頷く。
「リンセント先生からナディアが魔術師を目指してるって聞いたよ。トーナメント戦は終わってしまったけど、またチャンスは来るよ。僕が、全力で応援する」
「どうしてあなたがそこまでするの?」
戸惑うナディアに、リディはにっこりと笑う。
「君の魔術が好きだからって言ったでしょう? ナディアは魔術師になるべきだよ」
他者と比較できないほどの魔力を持つ彼が、自分に何を期待しているのかわからなかった。そもそも、魔眼の能力まで持ちながらどうして魔力を隠していたのか、ナディアの疑問は尽きない。
思考が追いつかないナディアの前で、リディは早口で自分の言葉を訂正していた。
「な、なるべきって言っても、ただの僕の考えで、魔術師になってくれたら嬉しいっていう僕の願いだから。あの、いや、願いっていうか、理想っていうか……」
うつむいて口の中でもごもごと続けるリディに、ナディアは疑問をぶつけようと口をひらいた。
しかし声を発するよりも先に、リディの背後からざわざわと人が近づいてくる気配に、そのまま唇を閉じて目を伏せた。
彼もナディアの気持ちを汲んだように目を細めて寂しげな表情を浮かべると視線をそらし、ゆっくりとナディアに向かって歩き出した。
引き止めたい気持ちと、どんな噂をたてられるかわからない恐怖心のはざまで、ナディアは身を固くする。
手を伸ばせば届く距離に、彼が並ぶ。
「婚約、おめでとう」
小さくつぶやく声が聞こえて、ナディアは顔を歪める。
彼の足音は次第に小さくなり、前方から現れた友人たちと楽しそうに談笑する集団がナディアの隣を通り過ぎる。
ナディアはそんな集団から顔を背けて奥歯を噛みしめた。頭の中で、リディの言葉を否定する。
自分を守るために他人を犠牲にするような卑怯な人間が、他人を守ることなどできはしない。
すでに、魔術師になる資格など自分にはないのだと。
◇ ◇ ◇
新しい奥様は、奥ゆかしく欲のない人だ。
淡々と刺繍針を動かす主人を眺めながら、ハンナは思った。
もしも自分だったら、毎月のように外商を招いてドレスやジュエリーを買い漁り、話題のスイーツを堪能して贅沢の限りを尽くすだろう。
たとえ愛のない結婚であっても、夫が冷血漢であっても、自分の立場を充分に満喫する。
しかしながら、自分より2つ年下の若い女主人は、結婚して半年がたつというのに屋敷に引きこもり、多くの時間を刺繍や読書に費やしてつつましい生活を送っている。
人付き合いが苦手かと思いきや、来客対応は悠然とこなす姿には舌を巻いた。さすがはアカデミーを卒業したお方だ。
控えめでありながら、気品があり優雅。深緑の瞳は誰もが惹きつけられ、波打つ艶やかな黒髪と白い肌は互いに引き立てあって、凛とした透明感がある。
女主人が優秀であればあるほど、ハンナは彼女のことを気の毒に思った。
いくら優秀であろうと、目を引くような美しさを持っていようとも、お金に不自由ない暮らしをしていても、彼女は自由にできない籠の鳥、操り人形にすぎない。
そのせいなのか、主人の瞳はいつも陰っていて覇気がなく、本当の人形のようだった。
その原因が旦那様にあるとハンナは心の中で考える。
自らの妻を敵視するような冷たい目で睨みつけ、面と向かって「愛するつもりはない」と言い放つような夫だ。主人の心は傷ついたに違いない。
ふと、刺繍針の動きが止まった。読書をしているときでも、時々そうなる。何かを思い出したように手をとめ、無表情な顔に切ないものが浮かぶ。
年頃なのだから、きっと叶わなかった想い人のことを考えているに違いないとハンナも自らの胸を焦がし、気分転換に庭の散歩を提案した。
気分がのらないときは断られることもあるが、たいていの場合は頷いてくれる。庭園の花や遊びに来た野生の鳥や小動物を目にしたとき、硬い表情が少しだけ和むのをハンナは知っていた。
肌寒い風から主人を守るためにショールを用意し、隣に寄り添って落ち葉の上を歩いた。
木々は美しく紅葉し、大きな池には真っ白な野鳥が水面を撫でるように泳いでいる。向こう岸にある二階建ての小屋からは、子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
主人が確認するように目を細めたので、ハンナも視線を投げる。老朽化した小屋と、数人の子供の陰があった。
「あれは?」
古びた小屋に視線を向けた主人が静かにたずねた。
「以前は庭仕事の道具を収納していた倉庫でした。倉庫は建て替えて今は別の場所にあり、今は使用人の子供たちの遊び場になっています。とはいっても、夏場は暑いので気候の良い時期限定ですが」
「そう。でも、古くて心配ね」
平淡な口調で表情も乏しいが、ハンナは彼女が心優しい人物であることを理解していた。子供たちの心配をする主人に、ハンナは自然と笑みを浮かべる。
「はい。来月には解体する予定です」
もともと会話の少ない散歩なのだが、珍しく、ハンナは沈黙を破った。
「奥様、差し出がましいようですが、たまには街に出向かれてはどうですか? 賑やかで可愛らしい小物のお店もたくさんありますよ」
「欲しいものがないから、いいわ」
無関心なこたえに、いつまでも古い恋を引きずっていても仕方がないのにとハンナは妄想を膨らませてじれったく思った。
「奥様はおきれいなのにもったいないですよ! セドラ様だってあんなことをおっしゃっていましたが、奥様が少し微笑めばすぐに虜になります!」
明るい声で説得するも、主人の顔は散歩にでる前よりも暗く沈んでしまった。ハンナは慌てて付け加えようとしたが、侍女の言葉など聞こえなかったかのように、主人は屋敷に向けて踵を返した。
「今日は冷えるわね。もう戻りましょう。悪いけど、お茶の用意をお願い」
「承知いたしました」
一番近くにいて主人のことを理解している自負はあるが、聡明で美しく、慎ましい主人は、固く心を閉ざしたまま開こうとはしない。
幸せになることを放棄して拒絶するような態度に、ハンナは寂しさを覚えた。
夕方、届いた郵便の整理をしていたハンナの手が、主人宛の手紙を見つけて動きを止めた。
引きこもりがちな主人個人に手紙が来るのは珍しい。宛名には主人と同郷である今をときめく有名人の名が記されており、ハンナの顔がぱっと明るくなった。
アカデミー卒業と同時に魔力の覚醒と魔術師として活動することを公表されてから、毎日のように彼の名前が新聞に載っている。
魔術師や騎士は、魔力量や魔術の技能、騎士の場合はさらに武器を扱う能力も加味されて階級ごとに色分けされる。
赤は我らの偉大なる父である赤の魔術師様を示し、金は王家を示している。よって続く銀は魔術師や騎士にとって最高位であることを意味している。
学生時代は魔力が覚醒せずに落ちこぼれと言われていた彼が、今では銀の魔術師様なのだから、世間の注目度も高い。
噂では救世主の血筋でありながら威圧感のない優しい人柄だそうで、姿絵からもその穏やかな雰囲気が伝わってくる。
ハンナの頭にひらめきが舞い降りる。彼が、主人の想い人ではないだろうか。
学生時代は魔力が覚醒していないがために、互いの思いを知りながらも引き裂かれてしまった二人。悲恋の物語が一瞬で出来上がり、ハンナの胸を締め付ける。
手紙を大事そうに抱えたハンナが主人のもとへ向かう途中、背後から迫る大きな足音に振り返ると、いつもより早い時間に帰宅した不機嫌なセドラ=エレファウストの姿があった。
とっさに道を避け、頭を下げる。
「おかえりなさいませ、旦那さま」
頭を下げた視界には床しかないが、冷たく刺すような視線を感じる。
「来週、デランシー家の夜会に呼ばれているが、あいつは新しいドレスは用意しているのか?」
不機嫌な声で話しかけられたので顔をあげると、顔がほんのり赤いセドラが睨んでいた。アルコールの匂いも漂わせている。
ハンナは慌てて答える。
「い、いいえ。奥様は寡欲な方ですので……」
「同じドレスばかり着ていては、私の外聞が悪くなるのがわからないのか! すぐに新しいものを手配しろ」
機嫌が悪いらしく、ハンナの言葉を最後まで聞かずにセドラは大声で怒鳴りつけ、ハンナは萎縮して頭を下げる。
「承知いたしました」
「おい。その手紙はなんだ?」
質問しながら、大きな手が手紙に迫る。
「これは、奥様宛の手紙でございます」
「ならば、俺から渡しておいてやる」
ハンナは守るように手紙を握りしめたが、酔った主人に奪い取られ、無力な自分に唇を噛むことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
ノックもせずに妻の私室の扉をあけたが、驚いた顔も見せずに油断のないお辞儀を返された。
「おかえりなさいませ」
精巧にできた人形のように、怒りも喜びもしないつまらない女。そんな彼女がどんな顔を見せるだろうかと想像しながら、セドラは手紙を突き付けた。
「お前宛に、恋文が届いているぞ」
思わず、意地の悪い笑みがもれる。だが結局、妻は表情を変えずに静かに手紙に視線を落とすだけだった。
ふつふつと怒りが込み上げ、相手を挑発するように言葉が溢れ出す。
「まさか相手が、今話題の銀の国家魔術師、リディ=ヴァリアントだとはな。お前たちは同郷でアカデミーでも一緒で、ずいぶんと長い付き合いじゃないか。そういえば、おまえはあいつの引き起こした魔力暴走に巻き込まれたんだったな。人のいない建物で何をしていたんだ? 母親に俺と無理やり婚約させられて、さぞ落ち込んだだろうな。あいつがもっと早くに能力に目覚めていたら、一緒になれた可能性だってあっただろうに! 魔力なしの落ちこぼれが、今では銀の国家魔術師様だ! 出世したものだよな!」
顔を合わせる度胸もなくねちねちと鬱憤を吐き出したが、相変わらず何の反論もないのでぎろりと妻を睨みつけた。
いつもの何の感情も感じられない空虚な瞳をしているのだろうと思ったが、違った。見たことのない強い怒りの感情を露わにした瞳と目が合い、取り繕う暇もなくごくりとセドラの喉がなる。
セドラの知る母や姉のように感情的に甲高くわめく声ではなく、ナディアは冷静でありながら、その静かな声に怒りを込めて話し始めた。
「いったい、何をおっしゃりたいのか、私にはわかりません。おかしな噂でも流れているのですか? もしそうだとしても、それは根拠のないデタラメです。私はあなたとの約束を守り、妻としての責任を果たしております。それとも、他に何か、望むことでもあるのですか?」
冷水をかけられたように、急にセドラの頭の中が冷静になる。
これまで何を言っても、ここまで彼女が感情を露わにすることはなかった。
しかし、セドラに素直に謝るという選択肢はなく、攻撃しようと問い詰める。
「おまえは、金や権力など欲しくはなかったのだろう? 屋敷に閉じこもり、なんにも興味を示さないのは、本当に欲しかったものが手に入らなかったからだ! おまえは……」
ーーあの男と結ばれたかったのだろう?
セドラは最後まで言葉を続けることなく、苛立ったように頭を掻いた。
誰もがエレファウスト家の長男である自分との結婚を望み、媚びを売るものも多くいた。
ナディアも他の女性同様、名家の名と財産を目当てで婚約を結び、結婚したと思っていた。媚びを売らず、笑顔を振りまくこともせずに物静かな人柄は珍しかったが、それも奥ゆかしい女性を演じて気を引いているのだと思った。結婚すれば、化けの皮が剥がれるに決まっている。
だが結婚後も、彼女は変わらなかった。何も望まず、屋敷に引きこもって淡々と妻としての仕事をこなし、どんな言葉を投げかけようと動じず、ただおとなしく従うだけ。次第に彼女は無欲でも物静かな性格でもなく、何かをあきらめて喪失感に苛まれているのだと感じ始めた。
そして彼女に届いた手紙の送り主が天才魔術師だと知って、これこそがすべての答えだと合点がいった。
努力もせずに突然、才能に目覚めた運がいいだけの男が、セドラは気に食わなかった。
魔力量が桁外れで偉大な救世主たちに並ぶ能力の持ち主だと称えられ、救助の現場ではセドラたち騎士団の活躍を陰においやり、注目を集めて市民からは英雄呼ばわりされている。
妻の中で、そんな相手と自分がどのように比べられ、どれほど彼女が嘆いているのか想像は容易であった。周囲からの期待に応えるべく努力を重ねてきた自分に絶望しているのだと思ったら、侮辱されてたようで怒りがこみ上げた。
しかし、その嫉妬や歯がゆさを政略結婚した妻にぶつけてどうしようというのだろう。彼女は、家同士の利益のためにここにいるのだ。彼女の感情まで支配することはできない。
セドラは自分を情けなく思い、大きなため息を吐き出した。酔いはすっかり覚めてしまった。
「悪酔いしたようだ。すまない。ただ、夜会のドレスはその都度、新調してくれ。俺がケチな男だと思われかねない」
セドラが力なく言うと、自分の過失に気づいたナディアは頭をさげて謝罪した。
「配慮が行き届かず、申し訳有りません。エレファウスト家に恥じぬよう善処いたします」
セドラは妻から初めてみせた怒りの感情が消えて感情を手放した人形に戻る気配を感じ、これが自分たち夫婦の在り方なのだと自分を納得させるしかなかった。
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