挿話 銷魂
ナディアが目を覚ますと、ベッドの上に横になっていた。すりガラス越しに、明るい日差しが部屋いっぱいに降り注いでいる。
記憶がすっぽりと抜け落ちて、何が起きたのかさっぱりわからなかった。そこは自分の部屋ではなく、ベッドは簡易的で真っ白なカーテンで間仕切りされている。嗅ぎ慣れない薬品の臭いが鼻をくすぐった。
「んんっ……」
体を起こそうと動かすが、思うように力が入らない。体内の魔力量もつきかけていた。こんなことは初めてだ。
ナディアが目覚めたことに気づいたのか、仕切られていたカーテンが開いて白と黒の修道服に身を包んだ養護教員が現れた。
「まだ眠っていたほうがいいわ」
栗色の髪のおっとりした雰囲気の女性だった。
「あの、何があったのですか?」
くらくらする頭を片手で支えてナディアはたずねる。
「昨日、事務棟で魔力暴走がおきたの。あなたはそれに巻き込まれて、防衛のために魔力を大量消費してショック状態になったのよ」
思いがけない言葉に、ナディアは慌てふためいた。
「魔力暴走? どういうことですか?」
「記憶がないのも、魔力を大量消費したときの症状のひとつだから、不安にならなくていいわ。幸い、ケガはないから休めば回復するはずよ。だからまずは栄養補給! それから話しましょう。食事をとってくるわね」
カーテンの奥に消える養護教員を見送りながら、ナディアは必死に記憶をたどった。
午前中は部屋でレポートの仕上げをして、遅めのランチを食堂でとった。それから、アナウンスで呼び出されて事務棟に行って、そこでーー。
外ががやがやと騒がしくなり、気になって窓に目を向けたが、すりガラスでは外の様子を知ることはできなかった。耳をそばだてていると、養護教員が食事のトレイを手に戻ってきた。ナディアは待てずに気になる疑問を投げかけた。
「いったい誰が魔力暴走を起こしたのですか?」
穏やかな表情を曇らせ、栗色の髪の女性は食事をベッド脇のテーブルにそっと置いた。
「リディ=ヴァリアントよ。校内で体調が悪くなって、助けを求めるために事務棟に駆け込んだらしいのだけど、そこで魔力暴走が起きたんですって。事務棟にいた職員は丁度あなたのお母様のお見送りをしていて不在。それで、残っていたあなただけが巻き込まれてしまったの」
ナディアが次の質問をする前にノックの音が響き、彼女は「食べてね」と言い残して来客のもとへ急いだ。
ナディアは目の前のトレイに視線を落とすが、とても食事をする気分にはなれなかった。説明に納得できずに茫然としていたナディアの耳に、口論する声が飛び込んできた。
「ですから! 目覚めたばかりなので、お引取りください!」
彼女を無視したのか、ずかずかと足音が迫ってくる。
その足音が大きくなるにつれて、ナディアはぞわぞわとした居心地の悪さを感じた。子供が暗闇を怖がるような、正体のわからない恐怖。
「失礼する」という有無を言わさぬ言葉の後に、カーテンが開けられる。
ナディアは目の前に現れた紳士に驚愕すると同時に背筋が凍りついた。
驚いた理由はわかる。その紳士を知らない貴族はいないほどに有名人であり、この国の重要人物だからだ。ヴァリアント家当主、アンドレア=ヴァリアント。リディの実の父親である。
しかし、恐怖の理由はわからない。
彼の猛禽類を思わせる鋭い目つきのせいか。権力者である威厳と冷たい表情のせいかもしれない。
紳士がその場で片膝をついたので、ナディアは制止しようと体を動かしてよろめいた。
この国が誕生するより以前から王家に忠誠を誓い、ともに民を導いた救世主の末裔。そんな彼が、十七歳の少女に頭を下げるなんてことをさせてはならない。
「この度は、息子の失態により、あなたを命の危険にさらしてしまい、誠に申し訳なかった」
「あ、頭をあげてください! 私はなんともありませんので」
言うことを聞かない体に鞭を打ち、ナディアは姿勢を保つ。
アンドレアの後ろに、リディと不機嫌な表情の養護教員も姿を見せた。
リディは父親と同じように片膝をついて頭を下げる。
いつものように靄をまとった彼は、謝罪の言葉を口にする。
「あなたの命を危険にさらしたことに違いはありません。本当に、申し訳ありませんでした」
「どうして……」
ナディアの口から思わずこぼれた言葉の意味をはき違えたアンドレアが答える。
「はっきりしたことはまだわからないが、リディは何らかの原因で魔力が覚醒しないまま体内に停滞し続け、その魔力が暴走したのではないかと考えられている。君には、本当に申し訳ないことをしてしまった。しっかりと責任をとり、最後まで対応させていただきたい」
「私は、なんともありません……大丈夫です」
ナディアはうつむき、力なくつぶやいた。
「では、もうよろしいですね。今の彼女に必要なのは休養です。ナディアの一刻も早い回復のためにも、申し訳ないですが、また後日ということでお願い致します」
背後で見守っていた養護教員が強制的に話を終わらせ、追い出すようにしてヴァリアント親子を見送る。外では渦中の人物の登場でまた騒がしくなった。
ナディアはベッドの上で身を固くした。脳が理解を拒むように思考が整理できない。戻ってきた養護教員はナディアを不憫に思い、彼女の優しく頭をなでた。
「彼、魔眼持ちの魔術師がアカデミーに来たときは、高熱で休んでいたそうなの。その時にみてもらっていたら、今回の事故は防げたかもしれないのにね」
不運な生徒を落ち着かせるため、彼女は「お茶を用意するわ」と告げて部屋を出た。
一人残されたナディアは、頭を抱えた。教員も、リディの父親でさえも、彼が魔力暴走を起こした犯人だと思っている。
停滞した魔力による魔力暴走? ナディアは頭を左右に振った。それがありえないことを、誰よりも理解している。
リディの魔力はいつだって安定していたし、今日だってそうだった。それに暴走後とは思えないほど、彼から魔力を感じた。
その一方で、自分の魔力は底を尽きかけている。体の倦怠感も、記憶がないのも、魔力暴走後の特徴に一致している。
「違う。リディじゃない」
ナディアの口から、小さく震える声がこぼれ落ちた。恐ろしい事実に気が付き、顔から血の気が引いている。
「わたしだ……わたしが暴走したんだ」
なぜリディが魔力暴走を引き起こしたことになっているのか、理由はわからない。
ナディアはいても立ってもいられず、ネグリジェのまま建物の外に飛び出した。
魔力暴走を起こした者は、神から与えられた力を制御できないとして愚か者の烙印が押され、何らかの処罰が待っている。
外には暴走を起こした張本人を見ようと人だかりができていて、野次馬の背中が邪魔で、ナディアには二人の姿が見えなかった。
「この度は、お騒がせして大変申し訳ない。また後日、謝罪と説明の場を設けさせて頂きたい」
人混みの向こう側から、皆に語りかけるアンドレア=ヴァリアントの凛々しい声が聞こえてきた。
ナディアは口をひらいて大きく息を吸い込んだ。あとは、言葉を紡ぐだけでいい。魔力暴走を起こしたのは誰か、真実を皆に伝えるだけでいいのに、できなかった。
自分が声をあげなければ、無実の彼が罰せられることになる。なのに、声が出てこなかった。
「いいじゃない」頭の中で、開き直った自分の声がした。「彼が犯人だっていうなら、それが事実なのよ。あなたがわざわざ名乗り出る必要はないわ。彼も自分で言ってたでしょう? 今は記憶が混乱しているだけなのよ」
「でも……」
「女のあなたが魔力暴走を起こしたと発覚したら、どうなるか考えなさい。女には扱えない力なのだと言われて、一生魔力を吸い取られるだけの存在になってもいいの?」
不意に背後から震える肩を抱きとめられる。
「ダメじゃない。寝てないと」
振り返ると、心配して探しに来た教員の姿があった。ナディアの頬に、そっと温かく柔らかな手が添えられる。
「顔色が悪いわよ」
いっそのこと、目を覚まさなければ良かった。
ナディアは乾いた唇を一の字に結んでうつむいた。
◇ ◇ ◇
学生服の上にポンチョ型のコートを羽織り、ナディアは近い将来夫となるセドラ=エレファウストの大きな影を踏まないように、彼の後ろを歩いていた。
ナディアの深緑の瞳は人形のように空虚で、感情が感じられない。
吐き出すたびに、白い息はすぐに消える。エレファウスト家にある庭園の小道は雪かきがされていたが、葉を落とした木々や庭に点在する石像たちは雪をかぶっていた。池と呼ぶには大きすぎる小さな湖は寒々としていて、向こう岸に見える古びた小屋には物寂しい雰囲気が漂っている。
二人の若者は、本日正式に婚約したとは思えないほど無表情で、足音だけがあたりに響いていた。
ナディアに興味を示さず、ほとんど視線も合わせなかった大柄な男が、不意に振り返って彼女を見下ろした。
鍛え上げた体に国家騎士団長の衣装をまとい、威風堂々とした姿は実に頼もしい。しかし騎士団長の仕事柄か、切れ長な目は相手を凍てつかせるような冷酷な冷たさを放っていた。
ナディアは冷たい彼の瞳の奥に、怒りにも似た感情を感じた。だが、彼女は怯えることも無作法な男をにらみ返すこともなく、うつろな瞳で見つめ返した。
クマのような男は、すごむように言った。
「いいか? この婚姻は所詮、政略結婚だ。愛など存在しないし、おまえも期待などするな。お互いの責務を果たし、派手でなければ外に恋人を作ることだって構わない。自覚をもって行動してくれたら、それでいい」
ナディアは無表情のまま、そっと淑女の礼をとる。
「承知いたしました。ご配慮、感謝いたします」
感情のない無機質な言葉に、セドラは不機嫌そうにふんっと鼻を鳴らしてまた歩き始めた。
リディは療養室で会ったのを最後に、王城によばれたままアカデミーに戻っていない。彼の身に何が起きたのか調査し、魔力をコントロールするための鍛錬を受けているとだけ説明された。
あれだけ時間をかけていた魔術の勉強もやめ、ナディアはアカデミーの卒業トーナメントもどうでもよくなっていた。
自分に、そんな資格があるはずがない。
リンセントは噂のことを知らないのか何度も話しかけてきたが、一方的に拒絶の意を示し、話していない。
あの日を境に、全てが崩れてしまった。
セドラが歩き始めてから少し遅れてナディアの足音が重なり、冬の庭に二人分の寂しい足音が再び響きはじめた。
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