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挿話 桎梏

 街で催し物でもあるのか、その休日のアカデミーの食堂は閑散としていた。


 出入り口の看板に箇条書きされた本日のランチに目を通していると、隣にやってきた人物が看板に影を落とし、(もや)が視界に入った。


 途端に、ナディアは顔をしかめる。学園内で常に魔力の(もや)をまとっている者は、一人しかいない。


「さっき、今日のパスタは絶品だったっておすすめされたよ」


 明るい声で話しかけられたので、ナディアは顔に微笑みを貼り付けて視線を向ける。すると案の定、前が見えているのか疑わしいほど長い前髪の男子生徒が立っていた。


「ありがとう」


 いつの間にか身長を追い越されてしまったリディ=ヴァリアントを見上げてナディアはお礼を告げると、顔を無表情に戻して積み重ねられたトレイから一つを手に取り、食堂スタッフに声をかける。


「日替わりのサンドイッチと、いちごミルクをお願いします」


 アカデミーでは、社会経験のひとつとして町の食堂と大差ないシステムが導入されている。また貴族階級が学業の妨げにならぬよう、生徒はもとい教師にいたるまでここでは階級制度に縛られることはない。


 すぐに出てきたいちごミルクをトレイにのせ、受け取り口でサンドイッチを待っていると、注文を終えたリディが再びナディアの隣に立った。


「一人で食べるの? よかったら、みんなで食べない?」


 同郷だからと言って、アカデミーで親しくなったわけでもないのに、ナディアが一人でいるとリディはよく声をかけてくる。


 ナディアには彼の考えがわからなかった。かつて、彼の受ける理不尽が不愉快で声を上げた自分に対して、邪険にしたことを忘れてしまったのだろうか。


 ナディアは申し訳無さそうな顔でリディを見上げる。


「お誘いありがとう。でも、このあと用事があって時間もないので、一人で食事するわ」


 断ったタイミングで、ちょうどサンドイッチが出来上がった。日替わりのサンドイッチはチキンと卵だ。


 ランチを受け取るナディアの隣で、リディが頭をかいた。


「そっか。忙しいのに、誘ってごめんね。無理しないで、何か困ったことがあったら声をかけて、ね?」


 こちらを気遣って微笑む青年に、ナディアはトレイをもったまま、膝を折って軽くお辞儀をする。


「いつもお心遣いに感謝いたします。では、ごきげんよう」


「うん、ごきげんよう」


 背を向けて、落ち着ける席を探そうと歩き出す。


 見知らぬ生徒たちとすれ違いざまに、小声で話す彼らの声が耳に入った。


「ねぇ、見て。魔力なしよ」


 彼らの言葉に、ナディアは思わずリディを振り返った。ナディアの瞳には、はっきりとリディの魔力である靄が映る。


 魔術式を描くわけでもなく、ただ彼のまわりに漂っているだけの奇妙な魔力に、ナディアは目を細める。


 リディは十七を過ぎてもまだ魔力を覚醒していない、と周囲を騙し続けている。


 それも、彼の魔力は年を重ねるごとに力を増し、もはや彼以上に魔力を持つ者をナディアはアカデミーの教師を含めても見たことがないほどだった。

 

 適当な席に腰を下ろしたナディアの口から、無意識にため息がもれた。

 

 自分が珍しい魔眼を持っていても、女の魔眼持ちなど記録に残っていない。それはこれまでいなかったということではなく、いたとしても存在を認められなかったのではないかと嫌な考えが頭から離れない。


 だからナディアはこれまで誰にも――信頼している教師のウィントスにでさえ――魔眼持ちだという話をしなかった。


 この国はそういう国だ。魔力は神から与えられた力だと言いながら、女の魔力は認められない。


 理解できない風習への歯がゆさは、ナディアの使命感をより一層強くした。


 ナディアは一人黙々とサンドイッチを口へ運び、いちごミルクで流し込んでランチを終える。


 是が非でもアカデミーのトーナメントで優勝し、自分の実力を誇示しなければならない。


 後で隠滅などできないほど、多くの者に知ってもらう必要がある。


 それなのに、ナディアはまだ属性魔術の欠点を克服していなかった。手応えもなにもないまま、ただ時間だけが過ぎていく。


 だからこそ、リディ=ヴァリアントの存在はナディアに不安を与えた。彼がトーナメント戦に出場して初戦で対戦することにでもなれば、何の魔術も見せられないまま終わってしまうかも知れない。


 寮の一人部屋に戻ると、ナディアはベッドに身を投げ出した。


 空いた時間をすべて魔術の勉強と鍛錬にあてているせいで、ナディアに友人をつくる暇などない。他人に知られたくない秘密があるのだから、これが合理的なのだと割り切ってはいるが、それでも時折、孤独や虚しさは訪れる。


 自分のやっていることは、間違っているのではないか、無駄に終わってしまうのではないかと不安に蝕まれる。


 ナディアは深呼吸して雑念を追い払うと、先日新たに出された課題である〈感覚(センス)強化(エンハンスメント)〉の練習を始めた。魔術の発動は可能なものの、その後多くの感覚をうまく調節できないと感覚が痛みとなって襲ってくる。


感覚(センス)強化(エンハンスメント)


 目を閉じて集中し、痛みを感じない程度に感度をあげていく。少しずつ慣らしていき、隣人の鉛筆がたてる音を問題なく聞き取れるようになって安堵していた時、突如として流れた校内放送に、ナディアの耳は悲鳴をあげた。


 瞬時に魔術が効力を失い、アナウンスの声が正常通りの音量になる。


「……までお越しください。繰り返します。2年生のナディア=グラチェスさん、面会者がお待ちです。至急、事務棟、談話室までお越しください」


 アナウンスの意味を理解し、ナディアは驚きながらも軽く身支度を整えて急いで部屋を出た。


 心臓は強く脈打ち、不安に押しつぶされる思いで足早に正門近くにある事務棟へと向かう。


 面会の予定などない。


 事務棟の窓口で息を整えながらたずねると、母親が来ていると聞かされて頭が混乱した。


 なんとか表情を作り、談話室をノックする。返事に答えてドアを開けると、上質なレザーソファに母が座っていた。


 豪華なドレスに身を包み、扇で口元を隠してこちらを睨んでいるーーように見える。背後の壁には、いつもの護衛が無表情のまま視線を落として控えていた。


「ごきげんうるわしゅーー」


 挨拶の礼を取ろうとして、歩み寄ってきた母にいきなり頬をぶたれた。理由を求めて母を見上げると、あの日と同じ、怒り狂った顔がそこにあった。


「なんてことなのナディア。こんなことのために、おまえを王都へ行かせたわけではありません。母の気持ちが、わからないのですか」


 母の声は怒りに震えていた。痛む頬を抑えながらナディアは絶句する。いったいどこから魔術を学んでいることがばれてしまったのかわからない。それでも焦りを隠し、素知らぬ顔で母に訴えた。


「な、なんのことをおっしゃっているのか、私にはわかりません」


 憤っていた母が、真意を見定めるように目を細める。


「ナディア、アカデミーでずいぶんと仲の良いお友達ができたようね。私のところにまで、噂が届いておりますよ」


 先程の言葉とは打って変わって、気味が悪いくらい穏やかな声だ。


 空き時間のほとんどを魔術に費やすナディアに、特定の親しい友人などいない。思い浮かんだのは、教師であるユエル=ウィントスだった。はっとしたナディアの表情を肯定ととったのか、再び頬をぶたれた。


「なんってことなの! 汚らわしいっ」


 ナディアは母親が勘違いをしていることを瞬時に理解した。しかし、早く誤解を解きたくても、うまい言い訳が思いつかない。そんな噂があるなんて思いもしなかった。会うのはたいてい図書室で、密室で会ったのは魔術を見せるためにほんの数回だ。それも、充分に注意していた。


 友人のいないナディアには、ウィントスが女子生徒に人気のある教師であり、そんな教師に唯一興味を持たれている自分が妬まれて噂されているなんてことは知る由もなかった。


「あなたは、エレファウスト家の長男と婚約がまとまりそうなの。年内に正式に婚約の儀をすませて、卒業後はすぐに結婚してもらうわ。これ以上、おかしな噂をたてないでちょうだい」


 思考が追いつかず、頭がガンガンする。


 護衛の男性が、哀れみの目でナディアを見ていた。母親は気が済むまでナディアを罵倒すると、護衛を連れて談話室から出ていった。


 怒り、屈辱、悲しみ、それぞれの感情が混ざりあい、ナディアの腹の奥で膨れ上がった。


「汚らわしい……?」


 父が第一夫人である母のもとを訪れなくなってずいぶんと経つ。


 父は跡継ぎの男児を2人産んだ第二夫人のことばかり気にかけていた。父が母のいる屋敷から遠ざかり、代わりにあの護衛が母のそばに入り浸っていることをナディアは知っていた。


「どっちがよ」


 母親を愛し、求めていた自分にひどい仕打ちをしておいて、それでもなお自分への忠誠を求め、自由を奪おうとする彼女がナディアは憎くて悲しくて仕方なかった。


 心の中で母親を罵った後で、彼女を襲ったのは絶望だった。


 エレファウストは王家との繋がりもある家柄だ。無断でトーナメントに参戦すれば、今後どんな不都合がふりかかるかわからない。


 これまでの努力が音をたてて崩れ始める。


 ナディアの頬をつたった涙が、ぽたぽたとしたたり落ちて、豪奢なカーペットの上にシミをつくっていく。


 鎖で繋がれた幼いあの日のように、自分には何もできない。何も変えられない。


 自分は、母親の道具でしかない。


 冷たい空気が、彼女を中心に静かに広がりだした。床が、壁が、窓が凍りはじめる。だが、ナディアは気づかなかった。自分の魔力が洪水のようにあふれ、コントロールを失っていることに気づきもせず、ただ悲しみと絶望にくれていた。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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