挿話 軋轢
ナディアが帰り支度を終えて学び舎から外へ出ると、前方に見覚えのある男子生徒数人の姿があった。
一人はリディ=ヴァリアントだ。彼は体の線が細く、長い前髪で目を隠していて陰気臭い。いつも彼が周囲にただよわせている靄のせいで、ナディアは遠目でもすぐに彼だとわかった。
気弱な性格と十歳を過ぎてもまだ魔力に覚醒していないことから、彼は魔力なしだと馬鹿にされていた。貴族の中でも強い権力を持つ家柄でありながら、家族からも疎まれているのか彼の待遇が改善されることはない。今も、3人分の荷物を持たされてよろめている。
ナディアは右手で右目を覆う。すると、リディの周囲の靄が消えた。手を右目からどけると、また靄が見える。
幼い頃、自分の体から出た黒い靄に驚いて、使用人に尋ねたことがあった。しかし、自分以外にその靄は見えないらしく、怪訝そうな顔を向けられて医者を呼ばれそうになったので、それ以来、ナディアは怖くて誰にも相談しなかった。
しかし今日、自分に見えるそれが、〈魔眼〉によるものだと知って自分を誇りに思った。
〈魔眼〉は、自分や他者の魔力を視覚的に認識し、その性質を見極めることができる稀な体質だ。本当はすぐにでも先生に魔眼を持っていることを伝え、魔眼持ちが受けるという特別な授業を受けたかったが、母に知られれば、今度は目玉をえぐり出されるのではないかと心配で言えなかった。
ナディアは探るような視線でじっとリディを見つめる。
黒い靄は魔力だ。魔力なしと馬鹿にされる彼の周囲には、昔から靄があるのに、彼は魔力を使えない。だとすると、魔力を自覚する感覚が弱いのか、操作が苦手なのか。
ナディアが考え込んでいると、リディが足を引っかけられて転んだ。周囲が冷笑する様子に、ナディアは固くしぼりあげた雑巾のように顔をしかめる。
魔力に恵まれているのは素晴らしいことだ。しかし、魔力によって優劣をつける考え方は、神から力を授かった者たちの恥ずべき行為だとナディアは嫌悪する。この力は感謝こそすれ、他人と比べ辱めるものではない。
彼女は早足で男子生徒たちに近づいた。
「自分の荷物くらい、自分で持ちなさいよ」
その場にいる全員を見下ろすような威圧感でナディアは言い放った。鋭い視線を一人ひとりに向けていると、ひときわ体格のいい男子が、にたにたと薄笑いを浮かべて前に出てくる。
「魔力もたいしてない女が、でしゃばるなよ」
聞き飽きた台詞に、ナディアの凛とした深緑の瞳に怒りの色が宿る。拳を握りしめ、魔力で投げ飛ばしたい気持ちを抑える。
「力があるなら、自分で持ちなさいよ。その体は、見た目だけなの?」
ひるむことなく嘲笑の笑みを浮かべる。殴りかかられても、ナディアには魔術で対抗できる自信があった。そうしたら、あとでどんなに怒られたとしてもきっと気分がいいに違いない。
黒く凶暴な感情がナディアの胸の奥底に溢れ出す。女が魔力で男に劣っているなどという馬鹿げた常識も、粉々に砕いてやりたい。
「なんだと? おまえ、生意気だぞ」
男子生徒の顔から薄笑いが消え、怒りで顔を赤らめてナディアにすごんだ。今にも飛びかかってきそうな勢いだ。周りにいた取り巻きたちも、横から口を出してきた女子に敵意のこもった視線を送っている。
張り詰めた空気を壊したのは、からかわれていたリディの大声だった。
「いいんだ! 僕が運ぶって言ったんだよ。弱いから鍛えているんだ。邪魔しないでっ!」
長い前髪の隙間から覗く瞳は、ナディアに向けられていた。いつもならすぐに視線をそらしてしまう気弱な若草色の瞳が、真っ直ぐ射抜くようにナディアに向けられている。
自分を虐げる男子生徒には何も言い返さなかった臆病な彼の豹変ぶりに、ナディアは腹を立ててにらみ返した。
「なによそれ」
リディの周囲をただよう魔力が密度を増し、ぞわりとナディアの肌に鳥肌が立ったが、負けじとにらみ続ける。他人に軽んじられる気持ちを知るはずの彼までもが、女の自分を蔑んでいるように思えた。
大柄な男子は、驚いた表情からにやりと愉快そうに口の端を曲げ、勝ち誇ったような表情をナディアに向ける。
「ほら、本人がいいって言っているだろ。部外者はさっさと帰れよ」
ナディアはより一層リディを鋭くにらむと、自分の馬車に向かって踵を返した。
最後までお読み頂きありがとうございます。
よろしければ、☆〜☆☆☆☆☆で評価頂けたら嬉しいです。