1−11 疑念と仮説(2)
床の上に横になっていたはずの体が、薄暗い階段を降りていた。
この現象に慣れてしまったリコは、すぐにナディアの記憶の中だと悟った。
前方に見える宙に浮いた光が、暗闇を照らしている。おかげで、自分の前に同じように階段を降りる大きな背中が見えた。すぐ後ろにも、同じように階段を降りる複数の気配がある。
前を歩く男性から、革靴の足音とともにカツンという硬い金属音が響いた瞬間、リコは雷に打たれたような衝撃を受けた。自分がうなされていた悪夢にあまりにも似ている。
やがて部屋に通される。部屋の中は明るく、自分の前を歩いていたのがステッキを手にした紳士だとわかった。身振りは堂々としていて身なりもいいが、顔が黒塗りで年齢まではわからない。そして自分の目線が異様に低いことからまた子供の記憶なのだと推測する。
他にも紳士の従者であろう黒の正装姿の男性が三人、そしてリコの背後に見張るように立つ地味なドレスに身を包んだ女性がいる。彼らも同じように頭部が黒塗りだ。
身長からして、リコは子供の姿なのだと推測する。情報を集めようと集中していると、床の中央に描かれた円形の模様と、それに向かって四方から伸びる鎖に目が吸い寄せられた。
模様は黒く変色しており、気味が悪い。
ナディアの体が、驚いた様子で背後に立つ女性を見上げた。
「お母様、私はきちんと言いつけを守っております。どうか、お考え直しください」
震える声に緊張しているのがわかる。お母様と呼ばれた女性は慣れた手付きで扇を広げ、口元を覆って冷たい声を響かせる。
「大丈夫よ、ナディア。これもあなたのためよ」
ナディアの視線が、母親からステッキを持つ男性へと注がれる。男性はナディアに目線を合わせるように膝をついた。
「大丈夫だよ。すぐに終わるからね」
男性はしわがれているが威厳ある声で説得すると、直立した男性に目配せをしたようだった。それを合図に丁寧ではあるが肩を押され、鎖へとエスコートされる。
はじめは踏みとどまろうと抵抗していたナディアの足も、誰も助けてくれないとわかると諦めたように円形の模様まで歩いた。鎖に繋がれながら、母親に向けた視界が涙で歪む。
「お母様。私は、本当に魔力を使っていません。これからも守ります。どうか、信じてください」
「聞き分けが悪いわよ。すぐ終わるのだから、静かにしていなさい」
「お母さま……」
突き放すような言葉に、涙がナディアの頬をつたう。
手足を鎖で繋がれると、両手をステッキに添えた男性の静かな言葉に黒い模様が光りだした。
「神より授かりし寵愛の証よ、我が力の元に集結せよ。結晶化」
何かが体にまとわりつく感覚に、ナディアは自分の体を見下ろした。体の周りを黒い靄がおおっている。その靄に呼応するように自分の魔力が反応を示し、体の表面へと押し出ようとする不快感に顔を歪めて耐える。
奪われる。そう自覚した時には、ナディアの膝はがくんと床に折れ、それにともなってつながれた鎖の金属音が響いた。頭が真っ白になり、脱力感に襲われる。体をとりまく靄は消え、力を振り絞るようにして視線をあげると、ステッキを持つ男性が手のひらで何かを転がすように確認していたが、それもすぐに終わり、2回目が行われる。
また、体に黒い靄がまとわりついた。そして、自分の魔力が体内から外に引っ張られていく。
『嫌だ』頭にナディアの叫びが響く。『嫌だ!』
彼女が拳を握りしめると、体の外へ出ようとする魔力が表面ぎりぎりで踏みとどまり、熱を発生させる。まるで身を焼かれるような痛みに、ナディアはうつむき、奥歯を噛み締めて耐えた。終わると同時に止めていた息をいっきに吐き出す。さらに3回目が行われ、全身に力を入れて再び耐え忍んだ。
「心配はいらないでしょう」
終わったのか、ナディアの鎖が外されているなか、ステッキを持つ紳士が母に話しかけている声が聞こえてきた。会話はまだ続いているが、理解するよりも先にナディアの意識は闇に飲まれてしまった。
◇ ◇ ◇
床の上で、リコの指先がわずかに動く。意識が次第に自分の体に戻ってくる。
どうしてーー。
リコは両手で顔を覆った。ナディアの記憶と自分がみた悪夢。あまりにも似すぎている。彼女と自分の間には、この世界に来る前から何かつながりがーー。
めまいに思考を邪魔され、リコはその場にうずくまる。乗り物酔いをしたときのように気持ちが悪い。
気分の悪さに耐えながら、リコは以前にも同じことがあったのを思い出した。この世界で目覚めた日に、一度目はルーフスの赤い瞳と目があったとき、二度目は遺跡の広間に足を踏み入れたとき。
両方ともナディアの死に関連していることに気が付き、リコは一つの仮説を思いつく。
自分は、ナディアの生まれ変わりではないのか。
生まれ変わりだから、自分を死に追いやった赤い瞳やあの場所に恐怖を感じた。
違う世界に召喚されたにも関わらず言葉が理解できることも、魔力を扱えることも、前世がナディアだからだと考えると全部が腑に落ちる。脳か、肉体か魂なのか、どこかに彼女の記憶があるのかもしれない。それが、魔力に反応して記憶を取り戻しているのではないかと考えた。
前世の記憶を持つ人の話や、記憶喪失でもピアノの演奏だけは忘れなかった天才ピアニストの話をテレビで見たことがある。きっと、それらと同じ類のものだ。
「ナディア……」
リコは彼女の名を呼んだ。まだ、足りない。まだ、知りたい。しかし体は休息を求め、力が入らない。
「君の名前は?」
朦朧とする意識の中で、この世界に来る直前に聞いた男の子の声がした。純粋無垢で好奇心旺盛な声だ。
「そうなの? まずは自分が名乗るものなの? それは失礼。僕の名前は、二グレオス。それで、君の名前は?」
誰に注意されたのか、一瞬だけ声が沈むがすぐに元の調子を取り戻して彼は名前を尋ねた。
「ナディア! 素敵な名前だね。君にぴったりだ。まさに君は、僕の希望だもの。これから、よろしくね!」
鈴のように弾む声で、二グレオスは無邪気な子供のように話す。姿が見えずとも、満面の笑みを浮かべているのが手に取るようにわかる。
「これから僕たちはーーーーーーー」
「あぁぁっ!」
全身に鳥肌がたち、自分の口から声が漏れる。リコは倉庫に横になったまま、腕を天井に伸ばしていた。
「あれ……?」
召喚者である男の子の声を聞いた気がするのに、思い出せない。彼が自分を呼んでいるような気がしてリコは立ち上がった。
◇ ◇ ◇
神妙な面持ちで、リコは1階からL字の階段を見上げる。階段の壁にはめ込まれた3つの窓が、外側に生い茂る植物の間から昼下がりの日差しを取り込んでいる。
立ち上がることさえ困難だっためまいは消えていた。しかし、体内に吸収する量に限度があるのか、新たに魔力を吸収しようとしてもできなかった。
最初に魔力を使ったとき、考えるよりも先に言葉がついて出た。二回目は、ナディアの記憶から得た。そして今回は、森を抜けて町へ行く方法を考えていたら頭に言葉が浮かんだ。
「身体強化」
わずかに魔力に包まれるような感覚はあったものの、特段変わったところはない。
リコは半信半疑のまま、階段めがけて床を蹴った。いつもより体が軽く、空中に浮いている時間が長い。慣れない感覚に呆気にとられているとワンピースの裾がめくれあがり、太ももを露わにしながらつま先が踊り場へと着地した。信じられないまま、今度は踊り場から二階を目指して飛び、難なくてっぺんまで到達できた。
乱れたワンピースの裾を適当に直し、リコは二階から一階を覗き込んで魔力の効果に目を見張った。これだけ運動能力があがれば、町まで遠くても辿り着けそうだ。
リコは軽やかに階段を駆け下り、下に置いていた雑巾を手にとった。手すりを磨いていると無意識に口元が緩んでしまう。もう何の取り柄もないありふれた人間ではない。前世の記憶を持ち、特別な力を操ることができる存在なのだと思うと、これまで枯渇していた自信が洪水のように溢れた。
頭の中で、人形劇の幕があがる。主人公は、家族から疎まれて自分の居場所をなくしてしまった少女。優秀な姉がいるために、何の取り柄もない妹はいらないとばかりにひどい扱いを受ける。だが、そんな可哀想な少女はある日、異世界で目が覚める。
実は彼女は前世の記憶と特別な力をもっており、前世の世界を救うために異世界へと導かれたのである。苦しむ多くの者たちが、彼女が世界を救うのを待っている!
リコの黒い瞳には、ギラギラとした強い光が宿っていた。
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