1−11 疑念と仮説(1)
空は昨夜の雷雨が嘘のように澄み渡っていた。おかげで玄関扉のガラスに日がさして、床に四角い日だまりをつくっている。リコはその上を弱々しく箒で掃いた。
あの青年は敵なのかもしれない。いや、そうとしか考えられない。召喚者を探そうともせず、この屋敷に閉じ込めようとするのは彼が召喚者と敵対しているからだ。
召喚を邪魔して召喚者から引き離し、助けたふりをしてこの屋敷に住まわせているに違いない。
一刻も早く、この屋敷から逃げ出さなくてはならない。ただ、その前にーー。
背後から階段を降りてくる足音に、リコは我に返った。自分の気持ちを悟られてはいけない。顔にぎこちない笑みを浮かべて振り向くと、外套を片腕にひっかけた家主の姿があった。
リコは体を端に寄せて道をあける。
「おはようございます」
「朝から熱心なことだな」
褒める雰囲気は一切なく言い放ち、ルーフスは外套を羽織る。
「これくらいしかできなくて……」
「時間はたくさんあるのだから、好きに過ごせばいい」
白髪の青年は興味なさげに言うと玄関の扉に手をかけた。リコは慌てて身を乗り出した。
「今日はどちらにお出かけですか?」
「遺跡だ」
「いつごろ戻りますか? お昼には帰ってきますか?」
ルーフスの赤い瞳が何かを察したように細められたので、箒を握る手に思わず力が入る。暑くもないのに手がじっとりと湿り気を帯びた。
「昼食ならテーブルの上だぞ」
帰宅する時間を確認しようとしたのだが、どうやら昼食の心配をしていると思われたらしい。ほっとしたことがバレないようにリコは顔を引き締める。
「ありがとうございます。どうぞ、行ってらっしゃい」
箒を握りしめたままメイドのように頭をさげる。ドアの開閉音と遠のいていく足音を聞き届けると、リコは勢いよく体を起こした。慌ただしく集めた埃をちりとりにのせてゴミ箱に突っ込む。騒がしい足音をたてながら、地下室のドアに向かった。
「灯火」
息を整えてから唱えると、言葉に応えるように空中にあかりが灯る。リコは誇らしげに灯りに目を向け、地下室の階段を降りた。
昨日とは違い、ブーツが硬い足音をたてている。有り難いことに、灯りは命じてもいないのにリコの歩みに合わせて行く先を照らしてくれた。
早く、この屋敷から逃げた方がいい。しかし、手ぶらでこの屋敷を出ていくのも危険に思えた。魔力がみせるナディアの記憶は召喚者を探す手がかりになるだろうし、いざとなれば不思議な力をもつルーフスに抗う手段にもなるはずだ。
ぎぃぃとドアの軋む音の後、こもった倉庫の匂いが鼻をくすぐる。リコはすぐ手前にあった箱から真っ先に目に入った首飾りを取り出した。首にぴったりと沿うように短いもので、緑の宝石がいくつも使われている。両手のひらにのせると、靄が広がりそのまま手のひらに染み込んでいった。
肉を叩くような音と頬に振動が走ったのは同時だった。反射的に目を閉じると、女性の怒鳴り声が降ってきた。
「なんてことをしてくれたの!」
想定していた通り、肉体の主導権を失った状態だった。まさか叱責されている最中の記憶とは思わず驚くものの、リコはすぐさま情報を得ようと神経を尖らせる。
窓からの日差しを遮るようにして、自分よりも背の高い人物が目の前にいる。窓を背に立っているので、顔は逆光でよく見えない。そもそも、込み上げてくる悲しさに口元が歪み、涙でろくに見えなかった。影は光を背負い怒りに震えていた。
「あなたのためなのよ、ナディア。女の子が魔力を使っては幸せにはなれないの。前から言っているでしょう? なのにどうしてわかってくれないの。私は、あなたに幸せになってほしいのよ」
何度も叩いた後、その人は豹変したように悲痛な声で慰める。ナディアと呼ばれ、やはり今回も彼女の記憶をみているのだと理解した。
目線は低く、泣きじゃくる声からしても幼いのだろうと察する。ナディアの口が震えながら動いた。
「ごめんなさい。バルリエさまや赤の魔術師さまみたいになりたかったの。ごめんなさい。もうしないから、おっ、怒らないで。ごめんなさい」
涙で頬を濡らしながら、小さな口から謝罪の言葉がこぼれる。
日差しを遮っていたものが急になくなり眩しい光にさらされたかと思うと、柔らかく温かいものに包まれて抱きしめられているのだとわかった。
すると突如、走馬灯のように映像が頭を駆け抜けた。花を模した美しい噴水に賑やかな子どもたちの声、庭園に並ぶ複数の大きなパラソル、肌をさすような焼ける太陽、空から降ってくる雪。もう少しで思い出せそうなのに、めまいに襲われて映像がかき消えた。
耳元で女性が悲しげな声で囁き、耳に息がかかる。
「女の子は、英雄なんてなれないのよ」
リコが目を開けると、宙に浮いた炎が揺れていた。
部屋全体が回転するようなめまいがする。ふらつく足でどうにか目の前の箱に手を突っ込み、指先に触れた短剣をつかみとった。
足の力が抜けて膝を床についても、めまいに耐えきれずにそのまま体を横たえても、手放すまいと短剣を胸元で握りしめる。
頭上から炎の灯りが消えるかすかな音が聞こえた。
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