挿話 夏に舞う雪
その日、グラチェス家は賑やかな子供たちの笑い声に溢れていた。
肌を刺すような太陽の日差しを避けるため、中庭には大きなパラソルが並べられ、高貴な身なりの女性たちがその下で涼んでいる。中庭の主役である花びら型の三段噴水が虹を作り、花は模樣を描くように植えられ、円錐形に整えられた針葉樹が碧々として凛とした美しさを放っている。
子供たちは額に汗を浮かべ、噴水の周りを駆け回ってはしゃいでいる。
一人の少女が翡翠の瞳で空を見上げ、両手をかがげた。桃色に色づいた唇から、澄んだ声がもれる。
「星雪」
少女が密かに練習していた魔術を披露しようと思ったのは、異母弟が生まれてから怖い顔ばかりしている母を喜ばせたいと考えたからだ。
母は常々女の子は魔力を使ってはいけないと言うが、理由はまだ難しいからと言って教えてくれない。
しかし、神父様は魔力のことを神から授けられた民を守るための力であり、神が自分たちを特別に愛した証なのだと教えてくれた。英雄であるバルリエ様や赤の魔術師様、救世主様たちと同じ力なのだと。
どうしてそんな名誉ある力を内緒にしなくてはいけないのか、少女は不満だった。だから内緒で練習し、ついにある大技を会得した。夏にぴったりのこの魔術を皆の前で披露すれば、驚いて褒められるに違いない。母も喜んで、笑顔で抱きしめてくれる。少女はにんまりと笑みをこぼした。
じりじりと太陽に焼かれるような暑さから一変、ひんやりと冷えた空気が辺りを包み込む。
変化を感じ取った誰もが口をつぐみ、不思議そうにあたりを見回し、なかには警戒するものもいた。
キラキラと光る小さな粒が舞い降りてひとり、またひとりと空を見上げる。その粒は露出した肌に落ちると、ほんの少しの熱を奪ってすぐに溶けて消えてしまう。静寂の後、子供たちは夏に舞う雪に驚きと歓喜の声を上げた。
庭木の陰で存在感を消していた男の子もまた、瞬く星のような結晶を見上げていた。いつもは陰湿で暗い瞳が輝いている。
男の子が庭木の陰から顔を出すと、降り注ぐ粒の向こうにナディア・エレファウストの姿がみえた。腰までかかる黒髪はウェーブを描き、翡翠の瞳は自信に満ちて得意気な表情を浮かべている。
魔力の誇りと使命感に燃える純粋無垢な彼女に、小柄で弱気な男の子は胸を打たれた。
「ナディアッ!」
地響きのような女性の怒声により、その場は水を打ったように静まり返る。
文字通り、額から天に向かって2本の角を生やした女性が足早にナディアの前にやってきて、女性のつくる影が、ナディアをおおうようにかぶさった。
美しく整った顔を般若のように歪めた女性を見上げて、ナディアは小さく「お母様」と呼んだ。先程まで得意気だったナディアの顔が、恐怖でひきつっている。
日除けの下でお茶を楽しんでいた大人たちは、憐れむような視線で事の顛末を見守った。隠れていた男の子も含め、周囲の子供たちは何が起きたのかわからず、恐怖に固まっている。
ナディアは母に腕を乱暴に掴まれ、半ば引きずられるようにして屋敷の中に連れて行かれた。
誰もいない部屋に押し込められるようにして入った途端、肉を叩く鈍い音とともにナディアの頬に痛みが走る。
幼い彼女には、自分の何がそんなに母親を怒らせたのかわからなかった。ただ痛みと悲しみに、目から涙が溢れる。
何度も強くぶった後、ナディアの母は悲しそうに顔を歪めた。
「あなたのためなのよ、ナディア。女の子が魔力を使っては幸せにはなれないの。前から言っているでしょう? なのにどうしてわかってくれないの。私は、あなたに幸せになってほしいのよ」
「ごめんなさい。喜んでもらえると思ったの。救世主様たちと同じ力だから、私も英雄になりたくて。ごめんなさい。もうしないから。おっ、怒らないで。ごめんなさい」
痛みと悲しみに涙を流しながら、ナディアはすがるように謝った。大好きな母に許して欲しい一心だった。
そっと母の大きな腕に抱きしめられ、ナディアは安堵する。お説教は終わりらしい。温もりをもっと感じたくて、ナディアは母に抱きついた。耳元で、母の苦しそうな声がもれる。
「女の子は、英雄になんてなれないのよ」
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