6 【レオン】どうしてこうなった?1
※やや残酷な描写、暴力的なシーンが含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
◇◇◇
俺はレオン。ルトルヴェールにあるポムエット公爵家で雇われている、ただのレオン。最近付けられた名前に、最近得た居場所だ。
ーーそれまでの俺は、獣人商人に檻に閉じ込められいろんな領地を転々としていた。
頭は常に朦朧としていて、いつからそこにいたのかわからなかった。
広い荷台に檻が積まれ、俺は同じ背丈程の獣人の子供と4人で一つの檻に閉じ込められていた。
無駄話をすると檻を鉄の棒でガンガン叩かれ、煩くてたまったものではない。
話すことなんてほとんどなかったし、話したとしても小声だった。
ある日、商人達が“王都”の“貴族”の屋敷に向かうと話しているのが耳に入った。
「……貴族……」
ボソッと呟くと、隣の檻の自分より少し大きい獣人の少女がビクッとして、小さな声で話しかけてきた。
「貴族? 貴族がどうしたの? 黒髪のきみ」
綺麗な獣人だった。少し薄汚れているが元々灰色なんだとわかるふわふわの耳と髪。尻尾の毛も綿毛のようにふわふわとしていて、声量を抑えていても凛とした声は、ボロを見に纏いこんなところにいることが不思議だと感じた。
ーーあれ、綿毛って何だったか。
「ちょっと! 大事なことなの、意識をしっかり保って!」
「あ……悪い。さっき話してるのが聞こえたんだ。次は王都の貴族の屋敷へ向かうんだとさ」
サァーーっと視界に映る獣人の顔色が変わった。
「そう……そうなのね。きみは怖くないの?」
「貴族の屋敷って……怖いものなのか?」
頭がぼーっとして、何を言っているのかわからない。
「前に寄った屋敷で、きみの檻から買われて行った子のこと……覚えていないの?」
そう言われて見回すと、4人いたと思っていた檻の中は少し広くなっていた。
「きみ、少しとりすぎてるわね。これからあいつらが出すパンは、あまり食べない方がいいわよ。どしても、どうしてもお腹が空いたら、動けない時だけ食べるのよ。パンがパサパサになっていれば安全な可能性が高いから食べても大丈夫よ」
「食事の時間は、喋れないから。ねぇ、わかった!?」
こくりと頷くと、彼女は自分の檻の獣人達と何やら話し始めた。
“王都”へ向かうのは何日もかかった。話した日から、一度目のパンは食べなかった。二度目のパンも食べなかった。そうして与えられる食事を取らずにいると、お腹は鳴るが少しずつ頭がはっきりしてくる気がして、何度目かのパンを拒否する頃には、食べ物に細工されていることを理解できた。
無言で彼女を見つめると、向こうもこちらを見て頷いた。俺と同じ檻にいる奴らを見ると、どこを見ているのかわからないような、虚な表情をしていた。俺もこの状態だったのだろうか。
“王都”が近くなると商人達は俺たちを荷台からおろし、鎖付きの首輪をつけてきて、川で身体を洗うように命じた。噛みついてやろうと思ったら何故か手出しできず、それが仮隷属主だと後で灰色の獣人が教えてくれた。
“王都”の“貴族”の屋敷では、一緒の檻にいた子供の獣人が買われていった。俺は長く伸びた髪で顔を覆い、なるべく目につかないようにやり過ごした。前髪の隙間から覗き見た焦点の合わない目をした獣人は、何もわかっていないように見えた。灰色の獣人達は川でよく洗わなかったようで、薄汚れたまま見向きもされなかった。そうやってこれまで回避してきたのか。
商人達が屋敷の外で荷造りをしていると、屋敷から悲鳴が聞こえた。
悲痛なその声に恐怖が込み上げてくる。
「なっ! 何だっ?」
「おい! 煩いぞ獣人! お貴族様のお屋敷前だ、口をきくな!」
見るからに青ざめた商人が棒を振り上げ、叩くそぶりをしながらそう言って足早に貴族の屋敷を後にした。
荷台で揺られながら、聴覚を研ぎ澄ませていると、
『さっきのお屋敷はすごかったな』
『あぁ……流石、獣人商人をお探しだと声をかけてきただけのことはある』
『買ってすぐなぶったのか何なのか……お貴族様は余程……。俺も獣人を売っちゃいるが、あんな声を聞くと恐ろしくなるな』
お貴族様には逆らわないこった、と話し声が聞こえた。
ぶるぶると身体が震え出した。俺のいる檻は、俺ともうあと一人しかいない……。
次は自分の番かもしれない、そう考えるとどうしようもない焦りが込み上げてきた。
「聞こえたでしょ、この前貴族に売られた子も、私たちの目の前で鞭に打たれたの。今できることは、私達で遊びたい貴族に売れないようにすることだけよ……」
灰色の獣人が小声で話しかけてきた。その晩、商人達は宿に泊まった。俺たちはなす術もなく、荷台に積まれたまま夜を過ごした。頭がはっきりすると、現実というものが辛すぎる。どうしてこうなったのか。俺はいつからこうしていたのか。檻の中、膝を抱えて目を閉じた。
次の日、商人の一人が体調を崩して宿に残るらしく、馬車は一旦近隣の、貴族の子供が多く集まるという場所へ向かうようだった。上手くすれば売れるだろう、なんて奴らの笑い声が聞こえた。俺を仮隷属させている商人の声は聞こえないことから、具合を悪くしているのはそいつだろうと察した。
花の匂いが濃くなってきた頃、馬車が止まり荷馬車が開かれた。
執事らしき男と、貴族の子どもらしい煌びやかな格好をした少女が、たまたま獣人を見せるよう言ったらしい。
俺よりも背が高いその少女は、ハンカチで口元を覆いながら、俺とは違う檻を扇子でスイッと指し……灰色獣人が檻から出された。不安に揺れる瞳でチラリと俺のいる方の檻を見ると、その視線を追い執事らしい男の目が向けられる。
「……それから、獣人の少年も一人貰いましょう。なるべく幼く従順な者にしてください。幼い内から仕込み、力仕事を任せましょうかね」
俺のいる檻が開かれ“この二人が一番小さいです。どちらにいたしやしょう”
そう、商人が目を逸らした隙に檻から飛び出したーー
伸びた手を振り払い、急に明るくなった視界に、上も下もわからなくなるがただ必死に足を動かした。
走って走って、目の前に広がった背の高い草むらに飛び込み、四つん這いになってまた走る。背後からは“まてーー”とか“どこ行きやがった” と、追っ手がかかっているとわかる声が聞こえた。
苦しい体勢にはっはっと息があがり、全身が心臓になったかのように脈をうつ音がドクドクと煩い。
少しでも遠くへーーそう思った時、突如、目の前に人の気配がして俺は飛び上がった。
飛び出た瞬間、今までいた所が背の高い花畑だったことを知る。空は青々としていて、素早く動いているはずが、ひどくゆっくり感じる。
目の前にいたのは小さな子供で、後ろへ着地すると簡単に捕まえることができた。
「来るな!!!」
出せる限りの声で叫ぶと、目の前の頭が小さく揺れる。
「テレシア様!!」
「やめろっ!!この薄汚い獣人め!!!」
駆けつけた騎士と、花畑を踏み荒らし怒鳴りながら商人たちが駆け寄ってきた。
“テレシア“……? 小さな頭を見下ろすと、肩ほどまであるウェーブした金髪はとても柔らかく、煌びやかなワンピースを着た女の子供が腕の中にいた。
ふいに少女が振り返る。空のように澄んだ青い瞳が、俺を捉えた。
「“ねこしゃん”っ!!!!!」
しゃん……しゃん………聞いたことがない程大きな声に、当たりが一瞬沈黙する。鼓膜が、破れるかと思った。
「…………え?お嬢様、この獣人が“ねこしゃん”ですか?」
剣を構えた騎士の一人が、間の抜けた声を出す。ハッとし緩みかけた腕に力をこめ虚勢をはる。
「こっちにくるな!この“お嬢様”がどうなっても知らないぞ!」
……実際には、これ以上どうすることもできない。何日も食事をとっていない腕にはこれ以上力が入らず、全力疾走してきたせいもあり、気を抜けば倒れそうだ。
「くっ!獣人如きが……!脱走した挙句面倒をおこしやがって……!」
そう言った商人が、騎士の剣を見てギョッとした。
「あ……その紋章は……!まさかポムエット家の……!」
「そうだ!そこの獣人、そちらのお方はポムエット公爵家ただ一人の公女、テレシア様だ!早々に解放した方が身のためだぞ!!!」
ーー公爵家? 貴族のことはよくわからないが、明らかに狼狽えた商人の雰囲気から、とても不味いことだとわかり思わず怯む。
「このぉ……!」
商人と騎士が手を伸ばし剣を振り上げる。ーーああ、ここまでかーー。そう思った瞬間、
「だめぇ!!!!!“ねこしゃん”いじめないで!!!」
緩んだ腕から抜け出た少女が、勢いよく商人達を弾き飛ばした。そのまま商人達は2〜3m吹っ飛んで花畑で伸びてしまった。
「「「えっ?」」」
俺から発せられたのか、周りの声なのか、複数の声が重なった。
体中の力が抜けその場にしゃがみ込む。商人が倒れているのを見て、気力がもたなかった。そのまま騎士が向かってきて、小さな少女に何か言われてペコペコしている。そして何かを呟くと、地面から塵が集り俺の手足には茶色い枷が嵌められていた。
“テレシア様”と呼ばれた少女は「ねこしゃん、連れて帰るの!!」と騎士とメイドに偉そうな態度をとっていて、一緒の馬車に俺を乗せた。
目の前には怖い……のかはわからないが貴族とメイド、隣に騎士が座っているのに、ふかふかの座面に座ると耐え難い眠気に襲われる。
警戒しなきゃならないのにーー。メイドが何やら話しながら、少女の真っ直ぐな瞳がこちらを見ている。
「ねこしゃん、不安がらなくても大丈夫! 私、お父しゃまとお母しゃまにねこしゃんの身の安全をほしょーしてもらうから」
さしすせその発音が難しいのかーー。そんなことをぼんやり考えながら、柔らかい馬車と窓からの暖かい日差しに、泥沼に沈むように意識を手放した。
「ーーきろ。ーー起きろ、獣人」
カシャッとなる金属の音と、低い声にハッと意識が浮上した。
騎士に脇の下から持ち上げられ、馬車から降ろされる。
小さな少女は、馬車から降りたメイドの腕の中でスヤスヤと眠っていた。
「これから、お前がお嬢様の探していた“ねこしゃん”だと公爵様にお伝えする。お嬢様のご友人である以上、無下な扱いを受けることはない」
「お前が逃げるとお嬢様が悲しまれる。逃げないと誓えるなら、枷を解いてやるがどうだ?」
「ーーーー逃げない」
言葉を発すると喉がひりつき、からからの声がでた。
“ねこしゃん”とは俺のことなのだろうか。だが、この少女を見た記憶はなかった。