5 どうしてこうなった?
私は猫を撫でていた。膝の上には、少しハリがありつつ、もふもふした幸せな感触。左手を猫の背に添え、右手で首の下をこしょこしょすると首をだんだん伸ばしながらゴロゴロと鳴る喉。
ーームフフーーあぁ、幸せぇ……。
その猫が不意にこちらを振り向く。黒い体に金色の瞳、こんな猫飼っていたっけ?
私を見つめると瞳には見慣れない子供が写る……。猫の口が少し開くとーー
『おいっど、どこ触ってんだ! 』
『いい加減にーーっ! 起きろテレシア』
ガバッと勢いよく体を起こし膝の上を見ると猫はおらず、ピンク色に白いフリルの布団をかぶっているだけだった。
「め、目覚めたか?」
「あ、レオン…………おはようございましゅ」
声のするベッドサイドを見ると、パチパチと瞬きをしたレオンが深く長いため息をついて、
「大丈夫そうですね」
背後にいるラーダに話しかけた。
「ありがとうございました」
「おはようございますお嬢様。申し訳ございませんでした。お嬢様が謎の言葉を呟いていらっしゃいまして……あんなことがありました後ですので、レオンに起床の手助けをしていただきました」
自分の手のひらをじっと見つめる。夢、かな。久々に幸せな感覚っだったーー。
「ーーやっぱりねこしゃんは格別……」
「何か仰いましたか?」
ううん、と夢の感触の残る手を握り締め、ベッドから抜け出す。
レオンに退室してもらい身支度を整えると、朝食の席でお父様とお母様から昨日の話があった。
「経緯は聞いたよ。それであんなに泣いてたんだね」
テレシアは獣人が好きになったんだね、とお父様が続ける。
昨日のことを思い出すと、また泣きそうになるが……感情をグッと方向転換して、聞かなければならないことを聞くことにした。
「お父しゃま、お母しゃま、昨日何があったのでしゅか? みんな倒れたり、お部屋がめちゃくちゃでしたが……」
二人は顔を見合わせお父様が頷くと、お母様から切り出した。
「テレシアちゃん、ありのままを話すけれど、これを聞いても決して自分を責めないで。落ち着いて話を聞いてほしいの。お約束、できる?」
「はい、お母しゃま。お約しょくしましゅ」
「叫び声を聞いて、わたくしも急いで子供部屋へ向かったの。子供部屋ではラーダと、護衛を任せていた騎士が倒れていて、一瞬何が起きたのか理解できなくて……。ただ、泣いているあなたを見て“抱きしめたい”っと近づこうとしたのよ。でも、見えない壁のようなものに弾き飛ばされてしまったの」
「……」
「咄嗟に、風魔法で受け身を取り、後から来たお父様は止める間もなく駆け寄っていき盛大に弾き飛ばされ、肩を負傷した……というのがわたくしが見た出来事よ」
「テレシアは悪くないから、気にすることはない」
お母様が言い終わるや否や、お父様が間髪入れずに話した。
家族に怪我を負わせてしまった事実に、感情の波がふよふよと水分を呼び起こすが、お母様と約束した通りなるべく違うことへ意識を向けグッと堪える。
「ラーデャや、騎士の皆しゃまもしょれで倒れていたんでしゅか?」
「昨日聞いた限りでは、そういうことだ」
「……わたしは一体ーー、どうしてしまったんでしゅか?」
不安になって、両手を膝の上で重ねてギュッと握る。すると隣からお母様が手を伸ばしそっと重ねてきて、その温もりに少し勇気づけられる。
「ーーこれは憶測だが、魔力がなんらかの形で暴走……あるいは何かしらの魔法が発動したものだと思う……」
そういえば、ここは魔法がある世界だったことを思い出す。私も、魔法っこなのか!
「魔力、魔法、でしゅか」
なんだ、魔法で起きる摩訶不思議現象か! と思うと一気に気持ちが楽になった。
魔法のことはまだ習ったことがない。おそらく見たのも、最近が初めてである。
もっとも、2歳を迎えるまで、飲んで寝てトイレして……食べて寝て言葉を必死に覚えて眠気に襲われて……毎日があっという間で考えがまとまる時間が無かったため、見逃していたのかもしれないが……。この世界知識も、魔法の知識も皆無に等しい。
「……テレシアにはまだ難しいかもしれないな。魔法は一般生活で使われることはほとんどない。見たこともなかっただろう。強大な魔力を持って産まれると、幼少期に魔力の暴走が起きることはよくあることだ」
「ーーただ、魔法はそうはいかない。呪文を唱えて、的確にイメージしないと発動できないもののはずだ」
ふむふむ。
「テレシア、昨日どうやって泣き止んだか覚えているかい?」
「えっと……あ! レオンが! 頭をポンポンしてくれました!」
「そうだね。私も見ていた。レオンは、泣きじゃくるお前のそばにずっといたんだ」
「ずっとでしゅか?」
美少年に頭をポンポンしてもらって破壊力ぅ、なんて思っていたら、ずっと泣き顔を見られていたなんて! 恥ずかしすぎる!!
……鼻水は垂らしていなかっただろうか? レディーとして失敗した、と真顔になって遠くを見た。
「理解したか……テレシアは天才かもしれないな」
「そう、皆が弾き飛ばされる中、レオンだけは側にいることが出来たんだ。ーー故に、ただの魔力暴走ではないのかもしれない」
恐らく真顔を見て勘違いしたお父様がそう言うが、美少年の前で鼻垂らさなかったか心配していました! なんて訂正はしない。
「レオンが何かの魔法を使ったのではないでしゅか?」
「いや、獣人は身体能力は高いが、魔法は使えないんだ。テレシアが何らかの魔法を使ったのかと思ったのだが……」
「違ったようですわね。2歳で魔法を使うなんて、聞いたことがありませんもの」
「……」
自分でも何が起きていたのかわからなかったが、とりあえずギャン泣きした挙句、心配して駆け寄ってくれたみんなを吹っ飛ばしてしまったらしいことはよく理解した。
早急にこの世界について、魔法についても、学ぶ必要があるーー。
「お父しゃま、お母しゃま、お願いが2つありましゅ」
「言ってみなさい」
「1つ、わたしはまだ、朝一人で起きれましぇん。起こしゅのは、レオンにお願いしたいのでしゅ……また、ラーデャを弾き飛ばしゅといけないので。レオンも、危ないかもしれないでしゅが、獣人は力が強かったり身体能力にしゅぐれているんでしょう? 」
猫のことを考えると、ちょっと飛ばされても上手に着地できそうだと考えた。
「いいだろう」
「ありがとうございましゅ。2つ、わたし、世の中のことをもっといっぱい知りたいでしゅ」
「本を読んだり、しぇんしぇいが欲しいでしゅ」
「何とーー! 2歳にして自ら学びたいとは」
「テレシアちゃん、まだ今は、いっぱい食べて、寝て、遊ぶのがあなたのやるべきことよ。それは体の成長にもつながるのよ」
「でもーー! 一日の、ちょっとの時間でもいんでしゅ。お願いしましゅ、お母しゃま」
いくら中身が高校生でも、確かに体は2歳。口も上手く回らないし、疲れやすくすぐ眠くなる。おまけに感情のコントロールが効かずに、こうやって勝手に目が潤み出す。
「テ、テレシアちゃんのためを思って言ってるのよ。あなたーー、何とか仰ってくださいませ」
慌てたお母様がお父様の顔を見てそう言うと
「わかった。ではテレシア、こうしたらどうだろう」
「まずは、レオンと一緒に文字を読めるようになりなさい。文字が読めれば、自分で好きな本を読めるだろう? それに、レオンも勉強する機会を得られる。文字は、ラーダでも大丈夫だろう」
それもそうだ。レオンは“何も覚えてない”と言っていた。文字の読み書きだってできないかもしれないし、獣人を売り買いする世界に彼らの教育機関があるとも思えない。
「その間に私たちが、お前たちにぴったりの先生を探してあげよう。ーーレオンだってまだ幼い。急な勉強は2人にとって負担となるだろう。先生には、テレシアが3歳を迎えたら少しずつ来てもらうのはどうだろうか」
レオンは推定5歳、前世の私はその頃文字の読み書きができただろうか。うーんと考えた後
「わかりました。それでお願いしましゅ」
元気よくそう、返事をした。