その欠乏感を最も知るのが俺なのではないか?
何とか鉢伏鉱山に戻ったものの脚の負傷が思ったより大きかったので、新首都である灰色鉄鉱山のブラギの邸宅に間借りする事になった。
邸宅と言っても魔界から格安で輸入したゲルなので然程落ち着く訳ではなかったが、それでも同胞に囲まれている安心感は良いものであった。
『親方の出禁って解けたんですか?』
「ブラギやオマエのオマケになる事で有耶無耶になったらしい。
バルンガ先輩もあちこちに声を掛けてくれたそうだ。
…本来は感謝するべき場面なんだけどな。」
『気を遣われると逆に窮屈ですよね。』
ガルドは声を殺して愉快そうに笑う。
「オマエとは気が合う訳だよ。」
『実は俺も首都で厚遇されるよりも、親方と悪さをしている時が一番楽しいです。』
2人でクスクスと笑う。
「なあヒロヒコ。」
『はい。』
「オマエが落ち着いたら、また2人でのんびり騎馬旅行でもしようや。
今度は戦争なしでさ。」
『ですね。
楽しみにしてます!』
分かっている。
この脚で騎乗は一生無理だろう。
右のふくらはぎがごっそり削られているのだ。
医官曰く、折れてはいけない骨が折れ、失ってはならない腱を失ったとのこと。
地球で言えば障碍者手帳何級だろうか?
杖なしで歩ける日は来るのだろうか?
それくらい重篤だ。
まあ、あの日みんながエクスポーションを使ってくれなきゃ普通に死んでたからな。
生きている事に感謝しなければならない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、半月経ってようやく傷が塞がり障碍に慣れる。
無論、歩けるようになった訳ではない。
ニヴルが俺の脚に見慣れてくれただけの話だ。
皆、何事も無かったように新たなる日常に適応している。
俺は寝転がってニュースを聞くだけ。
・王国で軍制改革があった。
・魔界が鉱山調査の入札受付を開始。
・合衆国軍で大規模な人事異動。
前の俺なら現地まで飛んでニュースソースの確認くらいは出来たのだけどな。
「ヒロヒコ。
分かってると思うけど…
今までの様に行方を誤魔化すのは難しいわよ。」
『うん、言い訳の幅が狭まった事は理解しているよ。』
エヴァの忠告の意味は重々承知である。
今までは、行商に出ているだの、坑道に潜っているだの、郊外に遠乗りしているだの。
そんな理由でワープを誤魔化して貰っていた。
だが、それももう不可能だ。
この足で坑道に潜れる訳がないのだから…
「安心して。
私と一緒に馬車で移動すればいいのよ。
そうすれば、ヒロヒコの行きたい場所に行ける。」
『いや、それは…。』
エヴァの提案は嬉しい。
だが、飲む事が難しいのだ。
何故なら、俺がワープすると言う事は地球の女の面倒を見る事を意味するからだ。
沼袋に遠藤、ついでにチャコちゃん。
地球に戻れば結局、彼女達に少なくないリソースを注がざるを得ない。
それってエヴァへの裏切りだろ…
「正直に言うね。
これは女の打算。
そして賭け。」
『?』
「男の人はどうせどこかに行ってしまう生き物だから。」
だから敢えて自由を与える事で束縛する算段とのことである。
改めて文章に起こすと非合理極まりない発想だが、現に俺は彼女の同胞の為に命を懸けている。
なら、そこには一定の理があるのだろう。
エヴァは一分の理に賭けた。
『…分かった。
ちょくちょく向こうへ顔を出す。
但し、本宅はここに定めるよ。』
今まで俺の自宅と言えば府中のマイホームを指した。
だが、宣言してしまった事により、以後はこの荷馬車が俺の本宅となる。
「ねえ、ヒロヒコ。
一つだけお願いがあるの。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
府中。
心苦しいが年長者を呼び付ける。
『すみません。
俺から村上さんの家に挨拶に伺うべきだったんですけど。』
「いや、それはいいんだ。
飛田…
脚、見せてみろ。」
『…こんな感じです。』
「…オマエ、ライオンとでも戦ったのか?」
『いや狼ですね。』
「あっそ。
病院は行った?」
『国内ではまだです。』
「障碍者手帳の申請、手伝おうか?」
『…それも考えたんですけど。
俺が障碍者にカテゴライズされたら…
生まれた子供が差別されたりしないですかね。』
「…無いとは言えない。
いや、昔に比べてかなり社会は理解的になっているんだぞ。
昭和が酷すぎたと言えばそれまでだが。」
『分かってるんです。
手帳を取ろうが取るまいが人様の目線なんて変わりませんよ。
ただ、生まれてくる子供に背負わせる不利は少しでも少ない方がいいかな、と。』
沼袋や遠藤の子は何重ものハンデを背負って生まれて来る。
母親が風俗嬢な上に、父親が俺。
その時点で本人にとっては悪夢のような出生だろう。
なら、せめて俺に出来る範囲で被害を軽減してやりたい。
きっと父親が障碍者手帳を持っていないに越した事はない。
「分かった。
それも考え方の1つだろう。
俺は尊重する。」
『すみません。』
「それは謝らなきゃいけない判断なのか?」
『いえ、違います。』
「なら堂々としていろ。
オマエは良くやっている。」
村上翁と善後策を練る。
何せ今まで通りのムーブは出来なくなったからな。
立ち回りを真面目に考えなくてはならない。
「これからどうする?」
『孕ませた女の家に顔を出します。
俺がこんな風になったという報告義務があると思うので。』
「…そうだな。
確かに女達には配偶者の健康状態を把握する権利がある。」
『村上さん、1つ助けて貰っていいですか。』
「いいよ。」
『もし俺が死んだら…』
「やっぱ駄目。」
『駄目ですか。』
「オマエの言いたいことは分かるよ?
でもさあ、人間って歳の順に死ぬべきじゃね?
俺の死後30年経ったら、死ぬこと許可してやる。」
『そんな悠長なことを言われましても。』
「せめてお父さんの享年より長生きしてやれ。」
『そりゃあ、俺もなるべく生きたいですけど。』
日本と違って異世界には狂暴なモンスターが多数生息している。
俺の所属するニヴル族は周囲の人間種からよく思われていない。
そもそも俺が頑健なタイプではない。
次のワープが最後になっても少しも不思議ではないのだ。
『沼袋と遠藤、生まれて来る子供。
勿論、俺もベストを尽くしますが…』
「分かった。
ただ俺自身がオマエなんかより遥かにジジーだからな。
一応幹康にも頼んでおくが…
長期戦には期待すんなよ。」
『ありがとうございます。』
貯めていたドル札を渡そうとするも拒絶される。
なら、と言う事で何か仕事を請けれないか尋ねてみる。
「怪我人に仕事頼むのもなあ。」
『リハビリってことで納得して下さいよ。』
「滅茶苦茶だなオマエ。
まあいいや。
相変わらず特技は仕入れ全般?」
『はい。
銅ならいっぱい手に入るんですが。』
「銅なぁ。
国内に銅線を盗みまくってるグループがいてさ…
今流行の闇バイトって奴?
だから買い手は銅に困ってない。
金は?」
『前より少なくなります。
宝石かな、後は。』
「宝石なあ。
御徒町のジェインさんだったか。
その人の方が俺なんかより遥かにルート持ってそうだしなあ。」
『他に価値のあるものってないですか?』
「うーーーん。
今時は老いも若きも仮想通貨一択だからな。」
『ああ、確かに。』
「チャコちゃんなんかフェラーリ買ったくらいだぞ。」
『お、おう。
あの人凄いですね。』
「ちなみにあの子の法人登記住所は巣鴨の家な。」
『え?
そうなんですか?
あの人の性格なら自分でオフィス持ちたがりそうなのに。』
「チャコちゃんの読みでは、最終的に飛田が巣鴨に引っ越して来るらしい。」
『え?
いや、引っ越しはしないと思いますけど。
何で?』
「分からん。
でも、あの子はそう見立てている。」
『じゃあ当面巣鴨には近寄らないようにします。』
「うん。
男なら普通はそう反応するよな。」
『チャコちゃん的にはOKなんですかね?』
「さあ、俺も女の考えることまでは分からん。
米大統領選の票読みとかは結構当たるんだけどな。」
『え?
次の大統領誰になるんすか?』
「ドナルド・トランプ。」
『鉄板過ぎて面白味のない予想ですねえ。』
「政治ってそんなモンじゃね?」
『日本はどうなるんですか?』
「河野太郎以外の誰か。」
『それって予想ですか?』
「国民性なんだよ、消去法が。」
『ああ、なるほど。』
「飛田も結構そういう一面あるからな。」
『あるんすかね。』
「オマエなんか消去法人間の際たるモンだよ。」
『まあ、否定はしませんが。』
村上翁の買って来たポテチを食べながら、そんな話をウダウダとする。
最後に作っておいた合鍵を渡しておく。
「女に渡してやれよ。」
『いや、誰かに渡しちゃったら公平性が保てないですし。』
「じゃあ孕ませた女を全員住ませたら?」
『うーーーん。
本人達が嫌がるでしょ。
それに来れない子を仲間外れにしてるみたいで申し訳ないかな。
俺の中ではその人が正妻なんで。』
「ああ、正妻さんを除外するのは駄目だな。
後で必ずしこりが残る。」
『はい。
あまり正妻・側妻を峻別するべきではないと思うのですが…
定めないのも却って争いの元になってしまうかな、と。』
…そうだな。
本妻を定めねばならない。
だが、選ばれなかった女の子供はどんな想いを抱いて成長する?
その欠乏感を最も知るのが俺なのではないか?
「うん。
それは賛成。
俺も同年代の葬式には結構出席してきたけど…
そこらを曖昧にして女遊びしていた連中は、残った者全員を泣かせていたな。」
『と言う訳で、今から熊本に行って来ます。』
「その脚でか?」
『まあ、脚以外にも色々ありますし。』
「羽田までなら送るぞ?」
『…。』
「嘘でも《別便で行きます》くらいは言え。」
『ですね。
いつも気を遣わせて申し訳ありません。』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
熊本。
ワープするだけなら一瞬。
問題は杖を持った事で、異常に目立ってしまう事。
今までの俺はモブだった。
都会の中で人目を引くルックスではない。
だからこそ匿名性の恩恵を蒙れていた。
だが、杖をついているという一事で周囲全員がチラ見するのだ。
俺が老人なら誰も気に留めなかっただろう。
だが、幸か不幸か俺は若い。
10代の杖はやはりビジュアル的な違和感があるのだろう。
一旦、府中に帰り遠藤にLINE。
【熊本に来ているのですが、今日は御在宅ですか?】
返信があるまで、他の者にSNSを返していく。
気になったのは香港の趙からのメッセージ。
どうやら中国本土で大量の偽金塊が摘発され大問題になっているらしい。
【趙@中国大陆的人们才是所有麻烦的根源。】
どうやら漢人圏ではパニックになっているらしい。
要はタングステンを金コーティングしたものなのだが、プロでも見極めに苦労しているらしい。
不安に駆られた漢人達は欧米大手の正規ディーラーの金を買いに殺到しているとのこと。
ひとしきり雑談して、近いうちの訪問を約束する。
他にはドバイの橋本コージ。
相変わらず泣き言しか言わない。
重度のホームシックに陥っている。
かなり精神的に不安定なので、帰国するべきだとは思うのだが…
爆サイに書き込まれているマジトーンの殺害予告を見る限り、後30年位ほとぼりを覚ますべきだろう。
かつて橋本が行った仮想通貨の買い煽りの被害者…
どうもヤクザの身内が何人か居たらしい。
仮に帰国したとしても、名古屋にだけは絶対立ち入るべきではない。
【遠藤@お風呂に入ってました。】
遠藤から返信があったので時間を調整してから、彼女のマンションの踊り場に飛ぶ。
カメラの死角をジワジワとワープしながら扉の前に立ちチャイムを押す。
『やあ。』
「…。」
遠藤は全くの無表情で俺の脚を凝視している。
まぁ、そりゃあそうだよな。
『こんな感じ。』
「名誉の御負傷ですか?」
『何人かそう言ってくれる人も居たけど…
俺は誇りも恥も両方感じてない。』
「せめて何の傷か教えて下されば良いのに。」
『狼に噛まれたんだよ。
しばらく身動き取れなくてさ。
今日外出許可が出たから、顔を見せに来た。』
「…。」
『いや、違うかな。
多分、この脚を見せに来たんだ。』
「なでなでして宜しいですか?」
『強くは撫でないで欲しいかな。』
何が楽しいのか遠藤は俺の脚を祈るように撫で回している。
俺は今後の生活の事をポツポツ話した。
産むとしても、入院する病院を決めなくてはならない。
出産後にどこに住むかもだ。
「熊本はイヤです。」
頑なに地元を忌避する遠藤。
理由を聞くまでもない。
彼女は県民性を父親と紐付けて嫌っているのだ。
『東京に住みたいの?』
「(コクン)」
もう全員都内に集めてしまおうか…
実際問題、女をバラけさせるのはかなりの負担だ。
古今の王ですら後宮を建造したくらいだからな。
やはり集中管理しかないか…
だが、どこに住ませる?
都内の地価は高い。
女毎に家を与えていたら、カネが幾らあっても足りないぞ。
府中を片付ければ…
いや、駄目だな。
あの家は俺のチカラの源泉だ。
ギリギリまで温存したい。
『犬童社長に相談してもいい?』
「…。」
そりゃあそうだろう。
辞めた風俗嬢が元の勤務先と関係を続けたいとは思うまい。
でも、遠藤がい住んでるこのマンションはパープルシャトーの名義なんだよなぁ。
『店は関係ないんだ。
あの人、表の商売も色々経営しているし。
今は一緒に建材に絡んでいる。』
俺がそう言った瞬間。
突然、遠藤が饒舌になる。
「わ、私もそのお仕事を手伝う事は出来ませんか?
自分で言うことではありませんが、学校の成績はかなり良い方でしたし、基礎程度の簿記なら理解出来ます。
きっと何かのお役に立てると思うんです!
教えて頂けたら必死に覚えます!
ご迷惑は掛けな(以下略)」
遠藤の気持ちはよく分かる。
このままではラストキャリアがソープ嬢になってしまうのだ。
出産予定が見えて来た今、ロンダリングをしておきたいのだろう。
このままじゃ、子供に言えないしな。
『分かったよ。
梢さんの意に添えないか探ってみる。
ただ、もう動き回れる段階じゃない事だけは自覚して。』
そう言って宥めたものの、遠藤に昼職は無理だ。
表情の作り方や身体の動作が完全に水商売用にチューンされてしまっている。
若造の俺でも察するのだから、周囲の大人が気付かない筈がない。
《犬童はビジネスの場に愛人を連れて来た。
所詮はソープ屋だな。》
遠藤をビジネスの場に連れて行くと、こんな誹謗を犬童が必ず被る。
だから仕事の手伝いなど無理。
しかも昼職に就いた事がない遠藤の労働価値は精々バイトレベルしかない。
(仮に能力があったとしても実務経験のないものに仕事はまわって来ない。)
そして賃金はどうするか?
本人はタダ働きでもいいと言うが、対価を受け取らないということは責任を負わない事と同義である。
チームの一員には加えられない。
となると、やはりアルバイト賃金程度の扱いしか出来ない。
じゃあこれまで人気ソープ嬢として大金を稼いでいた遠藤がそういう単価の扱いに我慢出来るのか?
遠藤に限らず無理だろう。
厳しい言い方になってしまうが、淫売には淫事以外に売り物がない。
夜職女は消去法的にトロフィーワイフを目指さざるを得ないのだ。
(ソープ嬢がトロフィーたり得るかは別として。)
『悪いようにはしない。
住む場所も含めて。』
「(コクン)」
納得していないであろう遠藤がおとなしいのは、なんだかんだで俺が熊本に顔を出し続け、更には後事を犬童や村上翁に頼んでいるから。
後、犬童夫妻が俺を大袈裟に持ち上げている所為もあるかも知れない。
最後にエヴァからの伝言を伝えて扉を閉める。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ワープ!』
いつもの様に自宅に帰ろうとした。
だが、その景色は府中の書斎ではなく…
「おかえり、ヒロヒコ。」
『ただいま、エヴァさん。』
…そうか。
もう俺にとっての自宅はこの荷馬車なのだ。
この後、香港やらドバイやら沼袋やらに飛ぶ予定だったが、その気も失せた。
この日、エヴァに炉の使い方を教わる。
金貨の刻印を溶かすくらいなら俺でも出来そうだ、と2人で笑いあった。
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