アポとか事前交渉とかそういうのあるよね?
やはり不動産というのは素晴らしいな。
府中の自宅の事である。
自分が占有している拠点があるという安心感はあまりに大きい。
俺と親父は汚いアパートで毎月家賃の支払いに怯えていた。
あんな不安定な状態では人間は萎縮して駄目になる。
俺は寝転んでクッキーをポリポリ齧りながら、幸福を噛み締める。
先日、村上翁が遊びに来てくれた時に新居祝いとして貰った物だ。
恐らく高級店のそれなのだろう、アーモンドとザラメの配分が見事である。
物質!
それこそが幸福である。
物質的充足こそが人間の充足なのだ。
カネ、食料、女。
戦利品を手にしたという事実が、男の自尊心を満たす。
そう。
俺は今、成功者への階段を昇りつつあるのだ。
親父、沢口、桧山社長。
アンタ達の分まで、俺は勝つよ。
『ワープ!』
休憩を終えた俺はドバイに飛ぶ。
行き先は無論ゴールドスークである。
ここ最近の話ではあるが、毎日顔を出している事で幾つかの店の常連になった。
観光客価格でしか金を売らない店の存在も知ったし、悪い噂(金を削っている等。)が立っている店も知った。
最初、全然相手にしてくれなかった店も俺が100ドル札束を新札で用意していることを知ると、翻訳アプリ越しに深い話をしてくれる様になった。
香港の写メを見せてやると、大体相手は本腰になる。
そりゃあそうだ。
幾らドバイの人気店を経営していても、彼らにとって香港はあまりに遠い。
無論、東洋の経済都市の存在は知っているし、強い興味はある。
彼らの店舗には無数の金持ち香港人が金を買いに日々来店するからだ。
そんな彼らが香港に行き慣れてそうな俺との縁を望むのは自然だろう?
香港で買った土産菓子を贈るのも怠ってないしな。
アフガニスタン人のバシール親子の店では不味いコーラもどきを毎回飲む様になった。
(ナツメヤシのコーラ風飲料?)
バシールは相変わらず表通りのパキスタン人のペイグ氏を批判している。
どうやらライバル視しているらしい。
無論、ペイグ氏からは眼中にも入れて貰えてない。
どうやらは彼は本国でもそこそこ知られた存在で、英雄的な商人として国営TVにも頻繁に取材されているらしかった。
そりゃあ汚い絨毯に座ってる小汚いオッサンなんかを認識する方が困難だろう。
『ワープ。』
そして香港に飛ぶ。
ドバイほど親密にはなれてないが、懇意の店も増えて来た。
少なくとも『ニーハオ』と声を掛けると、「こんにちわ」と笑いながら返してくれる者が何人か居る
今のところ、言い掛かりや偽札の被害はなく、快く取引させて貰っている。
アフガンジュース以外の土産菓子が好評なので、それも功を奏しているのかも知れない。
このドバイ↔香港のトレードを毎日複数回行っている。
どちらの街でも、俺は大富豪の使いっ走りと思われていた。
まあ、この顔の腫れだからな。
鈍臭くて主人に折檻されてる丁稚みたいに見えるのだろう。
そんなペースでノーコスト・トレードに勤しんだので、俺はかなりの金持ちになった。
(但し、資産比率はドル札現ナマが中心だ。)
どれくらい金持ちになったかって?
ソープ嬢を当面食わせるくらいには余裕が出来たよ。
正直に言えば、客の俺が商売女の為に異郷を奔走するのもおかしな話なのだが、生まれてくる子に罪はないしな。
親父もあんな安月給で、俺を高校まで行かせてくれたかからな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺が驚いたのは、女の本名が【遠藤】だったとことだ。
最初、聞き間違えと思った。
犬童もやや苦しそうな顔つきをしている。
『え?
普通、こういう店って源氏名で勤務するんじゃないですか?』
「はい。
一般的には、そういう慣例になっているのですが…」
『?』
「本人の強い希望で、【遠藤】と。」
『あ、いや。
御社のやり方に口を挟むつもりは無いのですが…
それってマズくないですか?』
「…ええ、同感です。」
そして犬童は横目で遠藤に合図を送り、会話のバトンタッチ。
「母が…」
『あ、はい。』
「妊娠しにくい体質で、かなりの晩産だったのです。」
『あ、ええ、はい。』
「なので。
父は母を長年強く責め、外でも平気で愛人を作っておりました。」
『な、なるほど。』
「故に遠藤の苗字を使ってます。」
『???
あ、はい。』
遠藤家は熊本ではそこそこ名家であり、大正時代には国会議員も輩出している。
その遠藤姓で風俗勤めをしているのも、母を苛められた意趣返しらしい。
『なるほど。』
地雷臭が凄いので、俺からは掘り下げない。
「九州の中でも熊本は特に封建的なんです。
遠藤家は市外なので特に顕著でシングルマザーなんて論外です。」
『あ、じゃあ認知とか。』
「私がシングルで産んだら、父は困るでしょうか?
来年の県議選に出たがっているので。」
『え?
いや、そんな保守的な土地柄なら…
選挙にとっては逆風なのでは?』
遠藤は顔を伏せ一瞬だけ含み笑いを漏らす。
「…。」
『…。』
「飛田さんは父とは対照的です。
自由人とでも申しましょうか。
狭い世界の人目に怯えず堂々と世を渡っておられます。」
『あ、恐縮です。』
「素敵だと思っておりました。」
『あ、どうも。』
「素敵だと思っておりました。」
『…えっと、今日は認知とかそういう話をする為に東京までお越し頂いたのですが。』
「はい。」
『犬童社長からも伺っていると思いますが、子供については認知するつもりですし、養育費も支払いたいと考えてます。』
「まあ、認知はあくまでDNA鑑定後ということで。」
『まずは遠藤さんの御体調なのですが…』
「梢とお呼び下さい。」
『え?』
「花嫁修業は済ませております。」
『え?え?え?』
「旦那様に末永くお仕えする覚悟で上京して参りました!」
熊本と違って東京にはそういう風習がないので一旦帰って貰った。
(いや、アポとか事前交渉とかそういうのあるよね?)
後は犬童に対して養育費の具体的な支払方法を相談。
経費計上可能ならしいので、柴田税理士とLINEグループを作って母子の不利益にならない支払いスケジュール案を練った。