俺も意識をアップデートして行かなければな。
胡桃亭。
ベッドの上で目を開いて俺は考える。
ワープを金にする方法を。
勿論、既にカネになっている。
それは事実。
強盗や窃盗をコツコツやれば、1日に数百万円得ることも難しくない。
だが、俺の言う【カネ】とはそういう次元のものではない。
毎回毎回逮捕や報復のリスクを負うような稼ぎ方は、断じてビジネスなどではなく博打に他ならない。
本能がこう叫んでいるのだ。
【博打は打たされている時点で負けである】
或いは、あの世の親父が俺を導いてくれているのかも知れなかった。
唯一の息抜きである競馬で負けては、俺に苦笑しながらそのような趣旨の警句を授けてくれたからだ。
『おはようございます、キーン社長。』
なるべく偶然を装って挨拶したつもりだが、見え透いていたのだろう。
ドナルド・キーンは好意的な微笑で俺に向き直った。
「おはようございます、トビタ君。
キーンでいいよ。」
胡桃亭の食堂。
奥ではヒルダ女将がオニオンリゾットを作ってくれている。
『あの…
前からキーンさんに尋ねてみたいことがありまして。』
「うん。
私で答えられる範囲であれば。」
『俺…
金持ちになりたいんです。
どうすれば、なれるんでしょうか?
すみません、卑しい質問をしてしまって。』
「謝る事はないさ。
若者が向上心を持つのは素晴らしいことだ。」
言いながらキーンは茶瓶を手に取り、俺のグラスに注いでくれる。
そして無言で俺を見据える気配。
『…ッ!?』
そうか、日常の所作や気遣いの1つ1つから既に始まっているということなのか!
俺が思わず顔を上げると満足そうに笑い掛けて来る。
ふうむ。
これが持つ者と持たざる者の意識の差なのか。
謙虚に学ばなければな。
少なくとも、このやり取りだけで俺はキーンに好感を持ってしまった。
なので、彼を盗みのターゲットにする事は無いだろうし、何か有益な情報があれば真っ先にこの男に知らせるだろう。
『…。』
考えれば考えるほど唸らさられる。
俺はまだそのステージに立つ資格すらないと痛感させられる。
「では、私なりにひねり出した答えを述べるね。」
『は、はい!』
「自分の維持費を正確に算出すること。」
『い、維持費ですか?』
「これが第1ステップ。
年間当たりの維持費を割り出せたら、配当だけで生活する為の元本を逆算する。」
『が、元本!?』
キーンは静かに微笑み、俺にメモとペンを貸してくれる。
なるほど、この場で計算してみろということか。
「君の維持費は幾らくらい?」
『300万円… ウェンです!』
「ああ、母国の通貨単位で思考してくれて構わないよ。
君の人生設計だからね。
じゃあ、300万の根拠を教えてくれるかい?」
『そ、その。
俺の父親なんですけど…
恥ずかしい話ですけど貧乏労働者で…
年収300万稼ぐのでやっとだと、いつも愚痴ってました。
母国ではワープアと呼ばれて…
本人は真面目に働いていたのですが…
その、馬鹿にされる存在というか。』
「勤労を笑うものこそ己を恥じるべきさ。」
『…ありがとうございます。』
「話の腰を折ってしまって済まなかった。
じゃあ、300万を当面の維持費と仮定しよう。」
『はい!』
「では、ここからは算数だ。
つまり、君の場合は…
年に300万を得れるなら働かずに暮らせる。
そうだね?」
『あ、はい!
そうなります。
そりゃあ、300万も毎年貰えるなら。
夢みたいです。』
「では、考えてみよう。
年利1%が300万支払われる債券を買うには、幾ら必要だい?」
『…3億です。』
答えてから、頭の中で色々イメージする。
3億かあ…
途方もない大金だな。
イメージが出来ない。
「じゃあ、その債権発行者が配当を年利10%に引き上げたら?
300万の配当を得る為には、幾ら注ぎ込めばいい?」
『3000万です!』
「ふふふ、元気がいいね。
少し現実的になってきたかな?」
『はい、勿論そんな大金は持ってないのですけど。
でも、イメージは湧きます。』
「では、発行者が年利を30%まで引き上げたら?」
『1000万の元本で行けます!』
うん、そうだよ。
1000万なら上手くやれば今夜中に集めることだって出来る!
「ははは、そうだね。
勿論。そんな債券は絶対に買っちゃ駄目だよ?
年利3割を約束しないと売れないって事は、その債券は既に市場から見放されてる事を意味するからね。
利率とリスクは比例する。
その法則だけは絶対に忘れないように。」
『リスクですか。』
「そう。
金融商品を買う時は常に債務不履行の可能性を考えなければならない。
私は臆病者だから、年利3%以上の金融商品には怖くて手が出せない。
社長仲間には2%を目安にしている者も少なくない。」
2%か…
1億預けても200万しか貰えない。
あんまり旨味はなさそうだが…
「彼は総資産1000億ウェンとも言われる大富豪家の嫡男だから。」
な、なるほど。
ウェンと円が等価と仮定すると地球で長者番付に入れるレベルの超リッチだな。
1000億の2%なら毎年20億貰える。
これは左団扇だ。
「これが第一歩。」
突然、キーンが真顔に戻った。
「今、トビタ君は自分に置き換えて、色々計算していたと思う。
その自己把握こそが労働者から資本家に上昇するコツ。
一般的には初代が労働者から成り上がり、2代目や3代目の代で資本家に移行するのが理想形とされている。」
な、なるほど。
金持ちに言われるとリアリティあるな。
「1番の近道は富裕層向け金融商品のセールスマンになること。
高い給料を貰いながら、富裕層の思考や手法を学ぶ事が可能だ。
ああ、《私の不動産を売れ》という意図ではないから安心して。
実践するか否かは兎も角、そういうキャリアパスの存在を知っておいて欲しいんだ。
知ってて使わないのと、知らないから使えないのとでは天と地の差だから。」
もはや言葉もない。
どうしてこういう大事な事を学校で教えないのだろう、と憤りすら湧く。
「金持ち階級が教員なんかになってくれる訳ないだろ?」
補足されると、それにも納得してしまう。
『…俺は、取り敢えず毎年300万欲しいです。』
「うん。
金貨にすると何枚?」
『え!?
あ、すみません!』
ヤバいヤバい。
日本円でしか考えてなかった。
異世界人から物を教わっているのに、それは駄目だろう。
「仕方ないよ。
王都内では金貨や銀貨での取引が中心だから。
ほら、騎士給与には代用貨は使わないだろ?
帝国も似たようなものだから気にしなくていいよ。」
そ、そうなのか。
異世界人は金貨や銀貨しか使わないと思っていたのだが、一部の話だったのか。
あちゃー、勉強不足だったな。
最初から異世界を馬鹿にしてたから、真面目に調べようともしなかった。
「どこの国にも愛国債なる債券が存在する。
目的は軍事費の確保。
年利はどこの国でも1%。
デフォルトも多い。」
…たったの1%なのにデフォルト?
「得だと思う?
損だと思う?」
『そ、そりゃあ損ですよ。
キーンさんは安全に3%してるんでしょ?』
「でも金持ちは皆買ってる。
私も王国の愛国債を5セット購入した。
ちなみに1セットは王国金貨100枚ね。」
『え!!
な、なんで!?』
「投資会社の配当3%よりも、王家の1%の方が得だからさ。」
『???』
「王宮とのコネを買う方法なんて中々ないんだよ。」
『あ!
そういう!!』
「愛国債を10セット以上購入した者は、宮廷晩餐会に招待されたりする。
無論、王族のテーブルには近づけないが貴族階級や宗教勢力とは比較的容易に会話出来る。」
『…おお。』
「そういう場面で築いたコネは案外長続きするし、晩餐会を切っ掛けに公共事業に食い込む業者も珍しくない。」
『…。』
「大人は汚いと思うかい?」
『はい、いえ… はい。』
「勿論、こういう構造を嫌う商人もいっぱい居るよ。
皮肉を込めて清流派って呼ばれている連中だ。」
『…。』
「癒着せよとは言わない。
逆に清流派たれとも言わない。
だが、こういう社会の仕組みは知っておかなければならない。
無知は罪だ。
どんな形でその罰が下るか…
君には説明する必要はなさそうだね。」
『世の中の仕組みを知れ、と。』
「全ての若者にはそうあって欲しいのだけれどもね。
私自身が未熟なこともあり、大した事を伝えられていない歯痒さがあるね。」
返礼という意味でも無かったが、キーンに茶を注いでみる。
静かに微笑み、グラス同士をコツンと鳴らしてくれた。
今の動作が厭味に見えないようになるまで、どれくらいの研鑽を重ねて来たのだろう。
「抽象的な話になってしまって済まなかったね。」
『あ、いえ。
これまで、ちゃんとしたお金の話を誰も教えてくれなかったので。』
「これだけは覚えておきなさい。
【社会や金持ちは君の敵じゃない】
それらを攻撃することは、未来の君に危害を加える行為に他ならない。
まあ、私自身が結構なボンボンだから、自己弁護みたいになっちゃうんだけどね。」
キーンは最後にそう自嘲して話を締めくくった。
去り際に、割のいい買取依頼や討伐報酬を多めに貰う為の申請書式も教えてくれる。
今の俺にとってはかなり重要な情報だったが、敢えて立ち話で済ませる事で、思考の優先順位を教えてくれたのだろう。
『ありがとうございました!!』
キーンの背中に一礼して、その教えを整理する。
要は【公的な領域に近づけ】という趣旨なのだ。
その為には犯罪者のままじゃ駄目だ、とも。
多分あの人、俺が真っ当でない手段で稼いでいるって察してるんだろうな。
…よし、異世界でもう少しあぶく銭が溜まったら、愛国債でも買ってみよう。
これまで意識すらした事が無かったが、公的な世界〈要は権力だ〉に如何に接近するかこそが境遇脱出の秘訣なのだろう。
俺も意識をアップデートして行かなければな。
よし!
強盗に行こう!!
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