半分は被害妄想だ。
地球は生活費が高いので今週はずっと異世界に引き籠っている。
見ようによってはFIREに成功したとも言えるが、勿論違う。
俺がこの生活を楽しいとは感じないからだ。
所詮、中世か近世の生活水準だからな。
現代日本人の俺にとっては多くの場面で苦痛があるのだ。
そんな俺が異世界に滞在している理由は1つだけ。
胡桃亭の契約と食券が半月分残っているからに他ならない。
命を懸けて勝ち取った食券なのだ、全て使い切らなくては気が済まない。
「おはようございまーす。
部屋のお掃除はどうしますかー?」
『あ、じゃあお願いしようかな。
一時間ほど外をブラブラしてくるよ。』
「はーい♪」
声を掛けて来たのは、女将の娘のコレット嬢。
見た感じ、小学生か中学生くらいの年齢だろうか。
表向きは明朗な少女だが、どうも言動をチェックされている気がする。
たまに視線を感じるのだ。
被害妄想かも知れないが、念には念を入れた方が良いだろう。
次の宿も探し始めておこう。
『ワープ!』
念入りに周囲に人が居ない事を確認してから地球に戻る。
ワープ先は郊外の巨大イオン。
色々試したが、ここのトイレが穴場なのだ。
たかがイオンと侮ることなかれ。
最近オープンしたばかりなので、水回り設備が最新。
ウォシュレットや洗面台も見た事もない型式なのだ。
最高ランクの設備を庶民がタダで使える。
素晴らしいじゃないか。
これが美しき国ニッポンの底堅さなのだ。
ああ、ウォシュレット。
技術立国日本の集大成よ。
ここでウンコをする度に湧き上がる愛国心に涙を禁じ得ない。
『ふー。
すっきりしたぜ。
ありがとうTOTO。』
念入りに水流を堪能した後にフードコート横のソファーで背筋を伸ばす。
正面には薄汚い小僧。
何だコイツはドレスコードって言葉を知らねーのか?
モールにはモールの作法ってモンが…
『…あ、違うわ。』
良く見るとそれは鏡だった。
やっべ。
今の俺、滅茶苦茶薄汚いぞ。
異世界に居たからか?
いや、元からこうだったか?
わからん。
だが、理想の俺から大きく乖離しているのは事実だ。
俺は単にカネを欲している訳ではない。
皆から尊敬される金持ち身分になりたいんだよ。
『むぅ。』
鏡の前に近づき己を顧みる。
『…。』
認めたくはないが、【ザ・貧民】とでも言わんばかりの風体である。
服装、髪型、肌艶、ファッションコーディネート。
全体的にみすぼらしい。
仕方ないさ。
生まれが貧しかったからな。
そういう部分に気を回す余裕が無かったのだ。
親父も年中同じ服を着ていたよな…
普通は【ワープ】を【ワープア】なんて誤認されない。
それでもクラスメートから誤認されたのは…
俺がそういう先入観を与えるようなキャラクターだったのだろう。
悔しいが認めなければならない。
俺は周囲から笑いものにされるような貧民なのだ。
『…ワープ。』
ふと思い立って六本木に飛ぶ。
深い理由も無ければ、強盗の下見でもなかった。
目標が欲しかったのだ。
豪華な車やビル。
いつか必ず我が手に収めてやると決意する為に飛んで来た。
『くっだらねえ街だぜ。』
来た瞬間に後悔する。
道行く人々はみな華やかで、まるで自分が笑われているような錯覚に陥る。
着飾った女を連れているオッサンが多い。
もう夕方だ。
金持ち共はきっと今から遊び呆けるのだろう。
当てもなく六本木を歩いているとブランドショップが固まっている通りに出る。
へえ、時計かぁ。
ショーケースからキラキラと光が漏れて来る。
入り口から出て行ったのは髪形からして中国人夫婦だろうか?
ドアマンが微笑を浮かべて一礼していた。
後ろ姿を見ればそれぞれ1つずつ紙袋を持っていた。
へー、夫婦で一個ずつ買ったのだろうか?
カネはある所にはあるんだなあ。
「いらっしゃいませ。」
そう思っていると、ドアマンが静かにそう言った。
『客じゃ…』
俺は客じゃない、と言い掛けて絶句する。
ドアマンは恭しく頭を下げながらも、何気なく大きな身体で入り口を塞いでいるのだ。
『え?』
思わず聞き返した俺に対して彼は爽やかに言う。
「丁度、昨日から新作フェアが始まったんですよ。」
そこから先は覚えてない。
コソコソと逃げるように、通りの反対側に走った。
言語化出来ない屈辱と羞恥に必死で抗いながら走り回った。
ワープを使う事すら忘れていたのだから、余程ショックを受けていたのだろう。
『…。』
半分は被害妄想だ。
俺が卑しい人間だから、他人のちょっとした言葉を勘ぐって傷付くのだ。
…半分は。
『はァ。』
何気なく吐いたつもりの溜息。
思ったより大きかったらしく、通行人たちが一瞬振り返り、俺の薄汚い姿を見て慌てて目を逸らす。
『…。』
視線に耐え兼ね、思わず大きな建物の屋上にワープ。
少し後から知った事だが、そこは国立新美術館だった。
屋上の死角に座り込んで感情を整理する。
悪いのは俺か?六本木か?
さあ、どっちだ。
『あー、あー、あー。』
心のリハビリも兼ねて声を出してみる。
流石に落ち込んでるな、俺。
経済コンプ持ちがリッチタウンなんかに来るもんじゃないな。
思わず苦笑。
正面にはリッツ・カールトン。
言わずと知れた最高級ホテルだ。
チェックインの時間帯なのか黒塗りの高級車が次から次へと流れて来る。
遠目にも大金持ちだと分かる。
『はァ…
目標か…』
別に胡桃亭が悪いとは言わないが…
同じ宿でもエラい違いだ。
いずれは俺もこういう所に泊まれる日は来るんだろうか。
『ワープをもっと上手く使えれば…』
そう呟いた瞬間。
俺は部屋の中に居た。
『え!?』
一瞬パニックになりかけて慌てて声を押し殺す。
ふかふかの絨毯、広い空間、清潔な匂い。
そうか…
そりゃそうだ。
異世界と地球を往復出来るのだ。
窓ガラス越しの部屋に侵入するくらいなんでもないだろう。
間違いない!!
俺はリッツ・カールトンの中に飛んだッ!!!