エンドレススマイル
雨の滴が、階段を上っていく。
そんな音が、聞こえそうな静けさの中、
天城志乃は、
CDを見つめていた。
パーフェクト・ボイス。
ジュリア・アートウッドの死は、歌手としての運命を、暗示させた。
使われて、消費されるだけの歌手になるのか。
それとも、
ただ歌を歌い、言葉や想いを伝えていく歌手になるのか…
流行とか、人気を気にしない歌手。
ネット配信など、絶対されない歌手。
それとも、
そんなすべてを…突き抜けた存在に、ならなければならないのか。
だけど、
そこまでたどり着いた歌手は、みんな…
すぐに亡くなっている。
まるで、永く生きることを許されないみたいに。
日本は…本当に歌える場所が少ない。
各ライブハウスも、マニアックであり、
音楽をただ、純粋に楽しむ場所ではない。
金額も高いし、
そこに来た者にしか、
音楽を聴かせられない。
あたしから、近づくすべはないの。
音楽か溢れているけど、
本当の音楽がかからない国。
自分たちの音を持たない国。
志乃はため息をつくと、
ジュリアのアルバムを、そっと…倒した。
「パーフェクト・ボイスって…結局、何だったんだろ…」
香里奈は、カウンターにうずくまりながら、
里美の出してくれたオレンジジュースのストローを、くわえていた。
まだ営業前、
隣には、和恵が座っている。
里美は、グラスを洗う手を止め、音楽をかけた。
ジュリアの歌。
しばらく聴いてから…。
里美は、タバコに火をつけた。
「これは…夢の歌よ」
「夢の歌?」
里美は頷き、
「音楽に詳しくない人は、わからないと思うけど…各歌、それぞれが…有名な歌手の癖やフレーズでできている」
香里奈にもわからなかった。
首を傾げる香里奈に、
「あんたも、音楽やるんだったら…もっと勉強しなさい」
「はあ〜い」
香里奈の返事に、呆れながらも、
里美は言葉を続けた。
「ビリーやエラなど…有名な歌手の歌い方を、科学的に分析して…彼女たちの得意な曲に似た曲を、現代のビートに乗せて…再構築してる」
「それは…いけないことなの?」
「パクリや、盗作ではないけど…オリジナルではないわ」
里美は、タバコを灰皿にねじ込み、
「多分…二作目は作れなかったと、思うわ」
「ありがとうございました」
和也は頭を下げると、病院を後にした。
退院日に来ると、律子は主張したが、
店を開けてくれと、
和也は断った。
大した荷物もなく、病院から、駅まで歩く途中、
和也の耳に、ジュリアの歌が流れてきた。
和也は足を止め、音楽に耳を傾けた。
ヒットしてるとか、いい曲だから、
心に残るのではなく、
その曲を聴いた時、
誰かといた…
誰かを思い出すから、
思い出に残るのだろう。
和也の目の前に、
学生服姿の里緒菜がいた。
里緒菜は微笑み、
「退院。おめでとう」
「ありがとう」
和也は、はにかみながら、里緒菜を見つめた。
少し意外だったが、
来てくれる予感はしていた。
和也は歩き出した。
里緒菜のそばまで。
いつものように、営業は始まり、
営業は終わる。
とっくの昔に、香里奈と和恵は二階で、寝ている。
後片付けを終え、
カウンターで、ぼおっとしている里美のそばで、
電話が鳴った。
それは、
店の電話ではなく、里美の携帯だった。
今は、めったにかかってこない電話。
驚きながら、
里美は出た。
「はい」
それは、初めてかけてくる人物だった。
「志乃ちゃん」
「お久しぶりです。有沢先生」
志乃は、レコーディング・スタジオの廊下で、電話をしていた。
「先生に、折り入ってお話がありまして…」
志乃の切り出した話に、里美は驚いた。
「悪い話だとは、思いませんが…。速水先生が戻って来られますし…それに…」
志乃の電話を切った後、里美は、ステージを見つめた。
明日香や香里奈だけでなく、
あたしも、あのステージで、
初めてドラムを叩いた。
あたしもダブルケイの子供だ。
里美は、ステージに向かって、歩き出した。
そして、
久々にスティックを握った。