戻らない世界の憂鬱
「なかなかどうして…。あのKKがな…」
カフェテラスで、朝食がてらに、コーヒーを飲んでいたジャックは、
新聞を広げていた。
突然、サイレンが鳴り響き、
パトカーが、店の前に何台か止まった。
「うん?何か、事件か?」
新聞から、顔を上げたジャックの周りを、
いつのまにか、警官が取り囲んでいる。
拡声器から、
「ジャック・ウィルソンだな?」
ジャックは驚き、
新聞をテーブルに置いた。
「クスリティーナ・ジョーンズ殺害、及び…ネットにおける、大量の麻薬販売、及び!大量殺人を示唆した容疑で、逮捕する」
「バカな…」
ジャックは思わず、立ち上がろとした。
バンッ!
その瞬間、
銃声が轟いた。
警官の1人が、発砲したのだ。
弾は、ジャックの額を撃ち抜いた。
「だ、誰だ!撃ったのは!」
拡声器が怒鳴った。
1人の警官が前に出て、
敬礼した。
「犯人が、妙な動きをしましたので…市民に、危険が及ぶ前に、発砲しました」
ジャックは即死だった。
撃った警官に、上官が詰め寄っている隙に、
一番遠くにいた警官が、
携帯に電話をかけた。
「万事うまくいきました…神よ」
「サックスが吹けなくなった!?」
明日香は、サミーの言葉に驚いた。
あの日…啓介を連れて帰ってから、
何日かたった。
気を取り直して、スタジオに入った啓介は…
アルトサックスをいつものように、吹こうとした。
しかし、
どんなに吹いても、
音が鳴らない。
「あいつは、今まで…音で負けたことがないからな…」
サミーは、頭を抱えた。
「あいつは、天才だからな。だが…パーフェクト・ボイスと出会って…初めて、自分以上の音に出会った…」
明日香は、啓介がいなくなったスタジオ内を、
録音ブースから見ていた。
「そんなに…パーフェクト・ボイスって、凄いの?」
「さあな…。生で聴いたことがないからな…。ただ…」
サミーも、スタジオ内を見る。
「ただ?」
「CDを聴いた感想では…あれは確かに、パーフェクトだ」
「そうかしら…」
明日香は、サミーの顔を見た。
「あたしには、そう思えない…」
「明日香…」
「この世に、完璧なものなんて…ないわ」
明日香の強い眼差しに、
サミーは息を飲む。
「あたしたちは…人間よ。人間であるかぎり…完璧は、ない。だからこそ…人は、暖かいものよ。あの歌には、人の暖かさが…感じられない」
「お招きいただき…ありがとうございます」
プライベートとして、食事に誘われたジュリアは、
世界一安全で、世界一世間から…プライベートを守れる場所にいた。
ホワイトハウス。
長いテーブルの向こうに、
現アメリカ大統領、エドワードがいた。
「あまり堅くならずに、リラックスとして…」
並ばれた数多くのお皿と、
格闘している無邪気な少年のような男が…
大統領とは…。
思わず、ジュリアは微笑んだ。
「今日…あなたを呼んだのは…」
「プレジデント…」
ジュリアは、ナイフとフォークを置き、
エドワードを見た。
エドワードは言葉を止め、
「何だい?何でも聴いてくれ。国家機密以外は、こたえよう」
エドワードも、フォークを置いた。
ジュリアは、1つ1つ頭で考え、
ゆっくりと、言葉を選びながら…話していく。
「プレジデントは…この国以外のことを、どう考えとらっしゃいますか?」
「ちょっといいかな?」
エドワードは、会話を止めた。
「プレジデントは、やめてくれ。折角の2人っきりだ!エドワードと呼んでくれ」
エドワードはウィンクした。
ジュリアは少し苦笑すると、
すぐに真剣な表情になり、
「エドワード。この国は豊かです。しかし、他の国々は…貧しさが、溢れています」
少し驚いた後、
「それは…わかっている」
エドワードも真剣な顔で、こたえた。
そして、ジュリアを見つめ、
「しかし…」
「しかし?」
エドワードは、ワインを手に取った。
一口飲むと、
「それは、今日…君を呼んだ理由でもある」
「私を呼んだ…理由ですか?」
「そうだ」
エドワードは、深く頷いた。
別の部屋に案内され、
1人で待つティアは、
ほくそ笑んでいた。
今、ティアいる場所。
何年か前なら、入ることなど、夢のまた夢だった。
しかし、
今ここにいるのだ。
(やれる)
ティアは、確信した。
(あたしは今、やっとたどり着いた)
数日後。
ジュリアは、エドワードの依頼により、
ある教会に来ていた。
教会に来る人々の為に、歌うのだ。
ゴスペルを。
ここは、ゲットーといわれる
アメリカの貧しい地域。
ある意味、真実の地域だった。
ティアは、ゴスペルを嫌っていた。
黒人が、神に救いを求める音楽。
お前たちは、生まれながらにして、罪人…。
だから、神に救いを求めないといけない。
生まれながらの罪人。
ふざけるな。
これこそ…差別だ。
なぜ罪人なんだ。
ブルースが、悪魔の音楽といわれるのは、
黒人が本音を歌うから。
本当なら、
聴きたくもない音楽だけど、
エドワードの依頼だから、
仕方なく受けていた。
ジュリアは、教会の祭壇の前で、ゴスペルを歌う。
ただやさしく、丁寧に。
数曲、歌い終わると、
ジュリアの周りを、子供たちが囲んだ。
「お姉ちゃん!歌、上手だね」
そう言った子供は、楽しそうに微笑んだ。
その子供たちが、
ジュリアには、
かつて、一緒に過ごしたけど、
顔はわからなかった…あの施設にいた子供たちを、
思わせた。
「お姉様…」
2人っきりで食事をする
ティアとジュリア…。
「何?」
ホテルの一室。
有名になる程、
自由がなくなっていくジュリア。
「あたしは…このままでいいのかしら…」
ジュリアの言葉に、
ティアは、ナイフとフォークを置き、
「何が言いたいの?」
ジュリアはさっきから…食事が、進んでなかった。
「あたしたちが、やろうとしていることは…」
「心配しなくていいわ…。あなたは、歌姫として…これからも、歌うだけでいいの。ジュリア・アートウッドとして」
ティアは席を立ち、
ジュリアのそばに行く。
「あたしは…あなたのマネージャー…ただの」
ティアは、ジュリアを後ろから抱きしめ、
「あなたと、あたしの関係を知る者はいない…。みんな…殺されたわ…」
「お姉様…」
「計画は…あたしが、やるから…」
ティアは強く、ジュリアを抱きしめ続けた。
ジュリアはただ…
ティアの温もりだけ…
この世に残った唯一の…
家族の温もりであった。
「さあ…ジュリア行きましょう。観客が、待っているわ」
ドアがノックされた。
「はい」
ティアはジュリアから離れると、服装を整えた。
「今から、いきますので」
ティアは、マネージャーであるマリア・ライスとして、ただ振る舞っていた。
最後の混乱をおこす為に。
ジュリアは、このきらびやかな世界で、
一生暮らせばいい。
マルコの妹…ジュリア・アートウッドとして。
ステージの袖から、光り輝く世界で歌う
ジュリアの姿をただ
眩しく、
そして、
嬉しく、
見つめ続けていた。
パーフェクト・ボイス。
奇跡の歌姫として、ジュリアの人気は、鰻登りだった。
批判するところがない。
それが、批判する材料になるぐらいだった。
ジュリアは、何万人もいる会場に、
歌声と微笑みを向ける。
凄まじい歓声と、熱気。
しかし、
ジュリアは…。
目が見えるになって、広がった世界…。
ジュリアは目をつぶった。
ゲットーの子供たちの笑顔が浮かぶ。
今、目の前に広がる何万の歓声の…顔が見えない。
目が見えてるのに、
ジュリアには…見えない。