三、狐の章⑥
あちらも九十九に気づいたようだ。視線が合わさると、驚いたように目が見開かれた。
同じ顔と目を合わせる。鏡で見るのとは違い、少し違和感がある。それは、目の前にいる少年が、九十九の姿をした別人だからだろうか。
ドッペルゲンガーに会った気分だ。狐面の下で、九十九は軽く唇を噛む。
「くはっ、くはははははッ」
鵺が、それはもう楽しそうな哄笑をとどろかせた。猿の顔面がわかりやすく笑みを刻んでいる。
鵺と少年、両方共から警戒を解くことなく、九十九は背後のつららに声をかけた。
「瀬田さん。きみを攫ったのは、あそこにいるオレの姿をした【ヤツ】であってる?」
「う、うん。名前は、教えてくれなかったけど」
「そう」
鵺はいまも笑い続けている。この調子だと、襲い掛かってくることはなさそうだ。
まず初めに鵺を倒すか。そう考えた九十九だったが、心臓の鼓動がいまだに早く脈打っていて、とてもじゃないけれど平常心になれそうもなかった。柄を持つ手に上手く力がはいらない。狐面の下で、九十九は舌打ちをした。
(最悪だ)
つららを攫った相手が狐だったら心構えはできていた。鵺とも戦える気がする。
けれど、【少年】の存在は想定していなかった。まだ動揺が収まる気配がない。
自分と同じ顔が、目の前で、悔しそうに歪む。こちらを睨みつけてくる。
九十九は軽く深呼吸をすると、その少年に声をかけた。
「おまえは……誰、だ」
「オレ、は……」
答えにくそうに、けれど断言するかのように、少年は言った。
「妖怪だ」
その答えを聞いた瞬間、鵺が声を上げる。
「妖怪だとッ! 半端モノの分際で、よく言うなァ!」
「黙れ!」
「おお、こわいこわい。弱者がいきり立つと、身の毛もよだつなァ。自分でもわかっておるくせに、キサマは、妖怪にも、ヒトにもなれぬ半端モノだと。そこの半端モノと違い、キサマの姿は、あまりにも醜いからのぉ」
「黙れと言っているッ!」
歯を見せて唸る少年の牙が、人間のそれより長くなった。それまで九十九に偽っていた姿が、徐々に揺らぎを見せはじめる。
口元が少し出っ張り、紅坂高校の制服がふさっとした毛がのびたことにより膨張する。背丈も少し小柄になり、足の先まで狐色の体毛で覆われていた。目つきも顔つきも変わり、その姿は、四足歩行をしていたら、遠目に狐に見えなくはないだろう。だが、いささか骨格が違う。
いままで九十九の姿をしていた少年は、すっかり元の姿に戻ったようだった。
(これはっ)
九十九は、目の前に現れた生き物に釘付けになる。あまりの悍ましさに身震いをした。
九十九よりもいささか身長の低い、人間のような姿をした狐が、そこにいる。
体つきは人間のそれなのに、頭から爪先まで、狐の体毛に覆われている。牙も爪も長く、頭には人間の耳の代わりに狐のそれがあった。
こんな妖怪はいまだかつて見たことがない。人間の姿をした妖怪も多々いるものの、あれらはもっと妖怪だと思われる外見をしている。
悍ましくて、見ていられずに、九十九は抱いた吐き気を飲み込んだ。
「九十九くん」
「ごめん。いまは黙ってて」
背後から呼びかけてきたつららの言葉を九十九はさえぎる。
先ほどから動揺が酷く、心臓の音で頭がガンガンしてきた。
九十九は深呼吸をする。
(落ち着け……落ち着け……)
鵺はとっくに九十九に背を向けて、狐のような生き物を挑発している。
いまがチャンスだ。九十九は太刀に力を入れた。心臓の鼓動は落ち着かないが、少しでも攻撃威力を上げるために、青白い炎を刀身にまとわせる。それから地面を蹴ると、鵺に肉薄した。
湾曲した太刀の先端が届く前に、鵺の姿が揺らぐ。
刃を振り下ろしてその姿を確認すると、鵺は九十九から少し離れたところで、こちらを興味深そうに見据えていた。九十九は再び太刀を構える。
「ほう。躊躇いなく、斬りかかるか。だがまだまだ青いのぅ。殺気が隠しきれていない。刃に乱れも生じている。そんな及び腰じゃ、ワシには勝てぬわい」
「……ちっ」
巨体のくせに、動きが素早い。九十九は舌打ちをした。
そんな九十九に、狐の姿をした少年が声をかけてくる。
「邪魔をするな!」
「そっちこそ」
言葉を返してから、九十九は思い出した。元の姿に戻った少年は、もう九十九の声をしていなかった。その声は甘く耳に残る、幼い声音。ほんの二週間前、「裏側の世界」から帰る直前に、聞いた声にそっくりだった。
鵺が低く、愉快愉快、と嗤っている。
耳障りなその笑い声を断ち切るべく、九十九は再び鵺に刃を振るった。
いとも容易く刃を避けた鵺は、笑顔から一転、冷めたような眼を九十九に向ける。
「強情なやつじゃのう。もっと楽しめると思ったが、まだまだ軟弱な小僧だァ。臆病者の狐の方がまだ闘いがいがあるというものよ」
「……黙れッ」
「ふぅ。終いかのぅ。このふたりにちょっかいをかければ、狐……いや、九尾が姿を現すかと思ったが、その気配もない。いよいよつまらなくなってきたなァ」
鵺の尻尾がしなる。さっきまでの楽しそうな笑みはどこにいったのか、その顔はやはり冷たく、九十九は思わず手にしている太刀に力を込めた。
「まだやるか、小僧。敵わぬと知っておるのに、つまらんやつだのぅ。いまのキサマでは、ワシには勝てん。もっと強くなって、出直して来たら相手をしてやってもよいぞ」
「……ッ」
その鵺の言葉に、九十九は言い返せなかった。
実力差は明白だ。たとえ九十九が全力を出したところで、鵺には勝てない。ひとりでは、絶対に無理だ。
くははっ、と笑い、鵺が九十九に背を向けた。
九十九はそんな鵺に再び斬りかかる。
だが、その刃はやはり届かなかった。
「さらばだ、小僧。もっと強くなって、九尾ほどの力を手に入れたら、ワシのもとにこい」
「鵺ッ!」
少年が叫んだ。彼は飛んで建物を超えていく鵺を追いかけようとする。だが一歩遅く、鵺はその巨体を俊敏に動かして、建物合間を縫うように離脱してしまった。
少年は走り追いかけようとして、けれど思い出したように九十九にチラリと視線をやった。悔しげに唇を噛むと、九十九に背を向けて駆けて行く。
九十九はその少年を追いかけようか迷い、つららが背後にいることを思い出す。仮面の下で唇を噛んだ。
(タイミングが悪い)
このままつららを「裏側の世界」にひとりにはしておけない。まずは彼女を「表側の世界」に送り届けてから、また再び「裏側の世界」を探し回るしかないのだろう。
そう決めて踵を返した九十九だったが、先ほどまで太刀を握っていた手を、何者かに掴まれていた。
「九十九くん、追いかけようよ!」
「瀬田、さん……?」
つららの眼は、真剣だった。普段と変わることの輝きが、真っ直ぐ九十九を見つめている。
「追いかけなきゃだめだよ! 役に立たないけど、私も一緒に行くから!」
「いいの?」
「もっちろん!」
「……ありがとう、瀬田さん」
頷くと、九十九はつららの手を引いた。「ごめん」と断りを入れてから、九十九はつららの腰に手をまわす。彼女の手を引いて走るより、こっちのほうが早いだろう。
つららをお姫様抱っこすると、九十九は少年が逃げて行った道に向かい、走り出した。
◇◆◇
(……これは、ほんとうに血がつながっていると考えても、おかしくないかもね)
目を閉じると、九十九は周囲の妖力を探る。目的の人物の妖力はすぐに見つかった。おそらく、自分と妖力が似ているからだろう。手に取るように、【彼】の居場所がわかる。
なんだか複雑な気分だ。九十九は、つららを抱えなおすと、再び走り出した。
それからしばらく走り続けると、その目的の人物の姿がやっと見えてきた。
あっちは九十九以上に「裏側の世界」を熟知しているのだろう。見つけるだけでも結構時間がかかってしまった。表では、いまどれだけの時間が過ぎているのだろうか。
少年が一度、こちらを肩越しに振り向くが、すぐに駆けていく。その背中に向かって、お姫様抱っこをされているつららが声をかけた。
「待って! ちょっと、九十九くんと話そうよ!」
少年は振り返らなかった。頑なに前だけ向き、彼は九十九から遠ざかっていこうとする。
九十九は足に力を込めると、無理やり少しスピードを上げた。
ここまで追いかけっこをしていて思ったのだが、彼と九十九の脚力にはそんなに差はない。ふたりとも、同じ血を分け合った、半妖だからだろうか。体力はどうだか分からないが、この調子で力の限り走り続ければ、【彼】に追いつけるかもしれない。
だが、考えることは、あちらも同じだった。
少年の走るスピードが上がる。九十九は舌打ちをした。
「待ってよ!」
腕の中で、つららが声を上げる。
九十九は唇を噛み、彼女を落とさないように、またギリギリの範囲で走るスピードを上げようとした――その時だった。
十メートルほど前を走っている少年が、何かに躓いて、そのまま顔面から地面に倒れこんだ。
そのおかげもあり、九十九は少年までの距離を一気に詰める。
立ち上がろうとした少年だったが、ふと彼は視線を横に向けた。九十九もその視線を辿り、そして気がつく。
「がしゃどくろ」
そこにいたのは、「裏側の世界」には飽きるほどいる、死者の魂のなれの果ての、人骨でできた妖怪。それも二体。
幸運なことにそのがしゃどくろは、恨み辛みが少ないからか、九十九たちよりも二回りほど小ぶりな体形だった。だが、体制を崩している少年は、骨の攻撃を避けるのに精いっぱいのようだ。
九十九は同時に思う。
(やっぱり彼は、オレと同じ、半妖、なんだね)
知性のない妖怪が、他の妖怪を襲うことはほとんどない。けれど、知性のない妖怪の場合は特に、人間を容赦なく襲う。ヒトを嫌う妖怪は、ヒトの気配に敏感だ。
九十九は腕の中のつららに声をかける。
「瀬田さん。少しだけ、ここで待っててくれる?」
「うん、わかったっ」
「ごめんね」
周囲に他の妖怪がいないことを確認すると、つららを建物の壁にもたれかからせてから、九十九は少年のもとに向かった。
走りながら太刀を鞘から抜き、一体のがしゃどくろに斬りかかった。
骨に刃が食い込んだことを確認すると、青白く輝く狐火を熾す。
青い炎が燃え上がり、がしゃどくろは塵も残さずに燃え散った。
「危ない!」
つららの叫びに顔を上げると、もう一体のがしゃどくろが、九十九に向かって襲い掛かろうとしていた。
そのがしゃどくろが動きを止めたかと思ったら、足先から燃え上がっていく。それは、九十九もよく使う狐の力――狐火だった。
二体目のがしゃどくろが燃え尽きるのを確認してから、九十九は炎の主に目を向けた。
視線が合う。
「よけいなことしやがって」
少年の吐き捨てた言葉に、九十九は挑発的に言い返す。
「そっちこそ。助けてくれなんて、頼んでないんだけどね」
「嘘つけ。オレが炎を上げなければ、アンタは死んでいたぞ」
「きみも、もしオレががしゃどくろに斬りかからなければ、いまごろあの世で笑顔で暮らせていたんじゃないかな?」
「うるさい。オレは頼んでない」
顔を突き合わせて、いがみ合うふたり。
すると、ハッと我に返った少年が、立ち上がり身を翻らせる。
そんな彼の腕を、瀬田つららが嬉しそうな顔で掴んだ。
「やっと捕まえたよっ」




