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一、座敷童の章①

 子守唄を思い出していた。中学生のころから一緒に暮らしはじめた二個上の従兄が、夜眠れずに困っていたつららを寝かしつかせるために歌ってくれた子守唄を。

 ゆっくりとしたテンポが心地よく、その子守唄を聞いていると、つららはあっという間に眠ることができた。

 その子守唄がどこから聞こえてくる。

 授業中なのにおかしいなと思い、うとうととつららは重い瞼をこじ開けて自分のノートとにらめっこする。授業中眠ってしまったら怒られてしまう。なんとか理性を保ちつつ、つららは黒板の文字をノートに書き写す。


 それにしても眠い。

 いますぐにでも寝てしまいそうだ。


「おい、そこッ! 授業中に寝るな!」


 数学教師の怒声が響き、一瞬で覚醒したつららは瞼をこじ開ける。

 自分に向けられた言葉だと思いおそるおそる顔を上げると、頭のてっぺんが薄い数学教師が指さしていたのはつららではなかった。廊下側のつららとは反対の運動場側の席に座っている男子生徒だ。

 その男子生徒は、先生に怒鳴られてもなおも起きる気配がない。

 昼下がりの暖かな日差しを浴びながら、頬杖をついてぐっすりと眠っている。

 そんな寝姿もどこかの映画のワンシーンのように様になっているとつららは思った。


 化野九十九は一言で口にするならば、イケメンだ。すでにクラス内外問わず多くの女子から告白を受けていて、そのすべてを断っているということはもっぱらの噂である。しかもまだまだ告白をする女子が後を絶たずだとか。

 実のところつららも彼のことが気になっていた。あの美貌もあるけれど、それとは別に、彼は授業中よく寝ては注意をされているのにそれでも寝ることをやめない。その上、九十九は頭が良かった。先生にあてられて黒板の前に立てば、つららには全然わからない問題をすらすらと解いてしまうほど頭がいい。成績の悪いつららからすると、自分がわからないまるで暗号のような問題を簡単に解いてしまう九十九は、尊敬に値する人物だった。


「化野。前に出てこの問題を解け」


 数学教師にすっかり目を付けられている九十九は、ゆっくりと瞼を開けると、先生に言われるがまま黒板の前に歩いていく。

 そして先生が出した高校一年生には難解な高校三年生レベルの問題を、すらすらと解いてしまった。

 それに目を剥いたのが数学教師だ。悔しそうに奥歯を噛み締めて、「正解だ」と吐き捨てる。

 九十九は自分の席に戻ると、頬杖をついて眠るわけではなくぼんやりと窓の外を眺めていた。その細い目が、うとうとと瞬きをして、しばらくするとまた眠ってしまった。

 つららは、ジッとそんな彼の横顔を見つめる。

 その自由奔放に見えるのに、大人っぽい雰囲気が誰かに似ているような気がした。



「つらら」

「愛海ちゃん!」


 帰り支度をしていると、つららに声をかけてくる人物がいた。

 つららの中学時代からの親友の美浜愛海(みはまあみ)だ。愛海という名前は、海が大好きな両親が、壮大な海のように誰からも愛される存在になるようにという意味が込めて名付けたらしい。両親の愛情を受けながら四姉妹の長女をしている愛海は、つららとは違ってしっかり者のエリートだった。

 鞄の中に教科書を乱雑に積み込むと、つららは立ち上がってスクールバックを肩にかける。


「愛海ちゃん、これからバイト?」

「うん。もともとそのつもりで、家から近い学校にしたからね。で、つららは決まったの? バイト先」

「まだなんだよぉ」


 肩を落として項垂れるつらら。

 中学に入る前に両親がともに他界しているつららは、叔父の計らいによりいまもあの家に住むことができている。けれどいつまでの叔父のお世話になるばかりにいかないからと、高校生になったらバイトをしよう! そう息巻いて高校生活に臨んだものの、入学から一か月たってゴールデンウィークが終わったいまになっても、またバイト先は決まっていなかった。


 それもつららの度重なるドジが原因である。

 つららは昔から少し要領が悪かった。なにもないところで転んだり、よくものを落としてしまう。緊張すると特にドジは酷くなり、バイトの面接でお辞儀するタイミングで面接官にずっつきしたり、ファミレスの面接では帰り際にこけてウェイトレスに体当たりをして食器を浴びたり……なんとも常人からは理解しがたく思われる、そんなドジを連発してしまっていた。

 結果は振るわず、いままで受けてきたバイトの面接は十を超えているがすべて無残に惨敗。家から遠いところだと帰りが遅くなってしまい病弱な従兄が心配してしまうので、つららのできるバイト先はつららの住んでいるこの紅坂町内ぐらいしかなかった。


「あたしのバイト先はスーパーだけどさ、つららはドジだから向いてないだろうね」

「うう、そこをどうにか! 後生の頼みだからぁ!」

「いや、そんなこと言われても、あたしにはどうしようもないし。てか頼んでみるけど、いま人足りてるし。――ていうかっ。いいからくっつくな! そしてあたしのお腹に頬ずりするな!」

「だって気持ちいいんだもん、愛海ちゃんのお腹」

「イヤミか!」


 ぽっちゃりとした体形の愛海のお腹のやわらかさに思わず頬ずりをしていたら、思いっきり引っ張り剥がされてしまった。

 つららは物足りなさを覚えながらも、下駄箱でシューズからローファーに履き替える。

 ふと、また視線が勝手に動いてしまった。

 化野九十九だ。彼を見つけると、思わず視線が跡を追ってしまう。


「まーた、あんたは化野を見て。そんなに好きならちゃっちゃと告白して玉砕してくればいいのに」

「ひどいッ! てか私、ひとことも化野くんを好きだなんて言ってないんだけどッ」

「いや、あんたいつも化野のこと見てるでしょ」


 そんなのまるわかりだよとでもいうかのように、愛海はニヤリと口角を上げる。


「で、でも……たぶん、これ好きとは違うし。なんというか、化野くんって、誰かに似ている気がして」

「イケメンな有名人ならテレビに沢山いるから、そのどれかじゃないの?」

「それとは違うの!」

「うーん。あたしも知っていて、あんたも知っている人だと、同年代であそこまで大人な雰囲気を漂わせている人は思いつかないけど……」


 顎に手を置いて悩む愛海。

 つららも脳をフル回転させて考えるが、すぐにプシューと音をたてて撃沈した。

 また後で考えることにして、ふたりは愛海の仕事場へ別れる道まで他愛のない会話をしながら下校した。



    ◇◆◇



 家に帰って、従兄と机を挟んでご飯を食べている最中に、つららは唐突に気づいた。

 ああっ! と思わず大きな声を上げる。


「ッ、つらら、どうした?」


 突然のことに、つららの従兄がおかっぱのように切り揃えられた黒髪を揺らす。

 そんな驚いた顔の従兄を、つららは満面の笑みで指さした。


「トウジ兄ちゃんだ!」

「……ん?」


 首を傾げる従兄。

 話についていけていないトウジを置いて、つららは言葉を続ける。


「トウジ兄ちゃんだよ! トウジ兄ちゃんに似てるんだ!」

「……ん? なにが、ボクに似ているんだい?」

「化野くん!」

「化野くん?」


 もちろんのこと、トウジは化野という名前に心当たりがない。

 結論から先に口にしてしまうつららに、トウジは慣れた様子で言葉を促す。


「それは誰だい?」

「クラスメイトの、うーんと、イケメン!」

「ほほう、イケメン……」

「そう、すっごくかっこいいの! なんていうか、大人っぽいというか、けど目を細めるとやさしくなるというか、しかも体育の時間は無邪気に周囲と打ち解けているし、そういう大人っぽいのに子供っぽいところトウジ兄ちゃんにそっくり」

「へー。それは会ってみたいね」

「今度家に招待してもいい?」

「……うん、大丈夫だよ。つららの友だちがくるなら、腕を振るわなきゃだね」


 病弱でほとんど家から出ない引きこもりであるトウジは、料理が得意だった。といっても料理を初めてしたのは、両親を亡くしたつららと一緒に暮らしはじめてからのことだったが。ドジなつららは料理も不得手で、そんなつららを見ていられずに、トウジはネットなどでいろいろ調べて一生懸命料理を勉強した。そのおかげもあり、トウジの料理の腕はそんじょそこらの人に比べるとピカイチである。ただ愛海からは、お祖母ちゃんの味みたいと言われてしまうのだけれど。


「えへへ、トウジ兄ちゃんのご飯。いつも美味しいね」


 それでも、最愛のつららが自分のご飯で幸せそうに笑ってくれるのなら、トウジはそれで満足だった。


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