塩対応な我が家のメイドがめちゃめちゃ尽くしてくれる。
高校入学手前、今まで一軒家ながら随分と狭く感じた家が広く感じた。父の転勤が決まり、母がそれに付き添って海外へ行き、十五歳の春、俺の一人暮らしが決まった。先程両親を成田空港まで見送って家に帰って来たばかり。つまり、今まさしく俺の一人暮らしが始まったのだ。
「いやっふうー」
某有名ゲームメーカーの看板キャラクターのような掛け声で、俺はソファーに飛び込んだ。両親が海外へ行くと最初に聞いた時は戸惑ったものだが、小うるさい母の叱責を日常的に聞いていたら、日に日に一人暮らしへの欲望が高まっていき、その果てにこうなった。
これからは、エアコンをどれだけ使っても文句は言われない。テレビの前のふかふかのソファも両親に占領されない。風呂に入る時間も寝る時間も、咎められることは一切ない。
「なんてすばらしいんだっ」
ソファに寝転びテレビを点けて、俺は叫んだ。無駄に大きな声で叫んでも、俺を叱る人は誰もいないのだ。
早速、今日はピザでも注文しよう。
スマホをポチポチし、ピザ屋のホームページを開いて、何を食べようかと品定めしている頃。
ピンポーンと家のチャイムが鳴った。
宗教の勧誘とかだろうか。そう思って、億劫に感じながらも、他に来訪対応する人がいない事実を思い出し、玄関へと向かった。
「はーい」
玄関の扉を開けると、目の前にいたのは一人の少女だった。
「お初にお目にかかります」
丁寧な言葉遣いで、深々と少女は俺に向けて頭を下げた。
俺は、突然の対応にただ思考を停止させるのだった。
「今日からお世話になります。高城栞子です」
そんな俺を他所に、少女は自らの名を名乗った。初めて聞く名前だった。
「……えぇと、どちら様?」
だから、俺のこの返事は何一つ間違いはなかった。
「……失礼ですが、こちらは城田さんのお宅でお間違いないでしょうか?」
「えぇ、合っていますが」
「……そうですが、あなたのお名前、健司さんでよろしいですか?」
「……合ってます」
見ず知らずの人に住所名前を知られていて、俺は軽く恐怖を感じていた。
「……奥様から、連絡は受けていませんか?」
「連絡……?」
母さんから、連絡……?
そう言えば、成田空港からの帰りの電車の中、母さんからSMSに連絡が合ったことを思い出した。画像付きだったし、離陸前に飛行機からの空港の写真でも撮って送ってきたのだろうと思って目を通していなかった。
一度後ろを向き、ポケットに入れていたスマホを操作し、俺は絶句した。
『あんたの一人暮らし不安だから、メイドさん雇っておいたから。あとよろしく。その子の写真、送っておく』
添付された画像を開くと、今丁度目の前にいる少女の顔写真……と、履歴書が出てきた。
先ほどまで有頂天だったのに、俺は空気を抜かれた風船のようにしおれた。
「事情、おわかりいただけましたか?」
そんな俺のことを気にせず、高城は淡々と頭をもう一度下げた。
「今日から住み込みであなたのお世話をさせて頂きます高城栞子です。よろしくお願いします」
高城の丁寧な対応に、文句の言葉は中々出てこなかった。品行方正な態度の前に、汚い言葉遣いをするのは気が引けたのだ。
「……ん?」
しかし、脳内で高城の言葉を反芻させて、気が引けたとか言っている場合ではないことに気付いた。
「あんた今、住み込みでって言った?」
「言いました」
さらりと高城は同意した。
住み込み。つまりは、泊まり込みで俺の世話をする。お淑やかで品行方正で美少女が、俺と一つ屋根の下で。
「はああああっ!???」
思わず、近所の目も気にせず、俺は大声をあげていた。
「健司さん。近所の目もある中で大声を上げないでください。はしたないです」
「あ、はい」
ナイフのように鋭利な高城の言葉が胸に刺さった。
「一先ず、お家に入れてくれませんか? 仕事もありますので」
仕事、という言葉に気圧され、俺は高城を家に招き入れてしまった。
「お邪魔します」
そう言って靴を脱いで、我が家に足を踏み入れた少女を見ながら、俺は正気に戻った。
「おいおいっ、あんた、まさか本当に住み込みで働く気か?」
「はい。仕事ですので」
キョトンと首を傾げた高城を見ていたら、俺が間違っているような気がしてくる。しかし、ブンブンと首を横に振って我に返った。
「母さんから送られてきた履歴書見たけど、あんた俺と同じ年じゃないか。高校にもなってない奴がバイトなんて出来ないだろ」
「大丈夫です。これはバイトではないので」
「なんだって?」
「奥様とは、口約束で今回の仕事を受諾させて頂きました」
「口約束って……そんなリスキーなこと、あんた良くしたな」
「信頼に足る人ですので」
とんでもないことを淡々と語る高城に、気付けば言葉がつっかえ始めていた。
「それでも、俺嫌だよ。折角一人暮らし出来るんだ。出てってくれよ」
「駄目です。仕事ですので」
「そんなの、口約束なんだから適当で言いだろ。仕事したって報告すればいいんだよ」
「出来ません。奥様との約束として、健司さんの顔を毎日撮って送るように指示されています」
「何、その羞恥プレイ」
「奥様も、あなたがそんなことを言うの、予見していたのではないでしょうか」
淡々と、高城はそれらしいことを言った。
……ただ、確かに。日頃の自堕落で唯我独尊の俺の態度を見れば、母さんがそれくらいのことを考え抜いてもおかしくはなかった。
「それに、もう無理です。既にお金を振り込んでもらっていますので。一年分」
「一年分っ!???」
一年って、これから一年は、この人と毎日同居しないといけないの?
「安心してください。土日は、夕飯を作った後は、家に帰らせて頂きます。家庭の都合がありまして」
「そっか」
それは良かった。
……いや良くない。少しでも自由時間が出来ればとか思ったけど、それ以外の時間は一緒ってことじゃないか。
「あんた、なんでそんな仕事受けたんだよ。同じ年頃の男と二人で生活だなんて、手を出されたらどうするんだよ」
最早高城を仕事をないがしろにさせる方針で家から追い出すのが無理なことはわかった。ただ、であれば俺は、モラル的な方向で彼女の行いを責めることにした。
「失礼ですが、健司さん」
が、しかし。
「あなたに、女の子に手を出す度胸があるのですか?」
「は? ないよそんなの。あるわけないだろっ!? ……あれ?」
「じゃあ、問題ないですね」
淡々と、高城は俺の浅知恵を論破するのだった。いやこれは、俺が頭に血を昇らせたのが悪かったのでは……?
「それでは早速、仕事に移らせて頂きます」
淡々とした態度を崩さず、高城は会釈をして我が家内を闊歩しだした。
「ちょっ、何をする気だよ?」
「奥様から、家に入ったらまずは室内の清掃をお願いされています。海外転勤の準備で手一杯で、全然掃除が出来ていなかったから、と」
パタパタ、と高城が廊下を歩き、掃除機を見つけて、階段を昇って二階に上がった。
彼女が向かった先は、二階の一番奥の部屋。恐らく、手っ取り早く一番奥の部屋から片付けようと思ったのだろう。
「あーっ、ちょっと待ったー!」
未だ高城の存在に困惑する俺だったが、彼女がドアノブに手をかけようとした部屋を見て、叫んだ。
ガチャリ。
高城が開けた部屋は、脱いだ衣服が床に散らばり、机の上にはプリント類が散乱し、見るも無残な景色が広がっていた。
まあ、俺の部屋なんだけど。
「……あなたの部屋ですか?」
高城の顔色が少し変わった。口論では一切顔色を変えれなかったのに、ここで変わるだなんて生き恥もいいところだった。
「そうだけど?」
「……何日、掃除をサボったのです?」
「……わかんない」
首を横に振って、
「でも、掃除はしようとしたさ。したけど……散らばったそこを見たら、やる気が伴わなくてさ。それだけ。本当、それだけ」
俺は、言い訳を始めた。
「失礼ですが……部屋の掃除とは、常日頃から整理をすれば取っ掛かりでやる気を失うことはないことですよ」
「……はい」
正論すぎて、返す言葉もなかった。
高城は、部屋には入らず階段の方へと向かった。どうやら、この部屋は自分で何とかしろってことらしい。
「すみません」
「何?」
「ゴミ袋はどこですか?」
しかし、階段を降りようとする高城に、俺は尋ねられた。
「……なんで?」
「その部屋を掃除するからです」
「自分でやれってことじゃなかったの?」
「何を言うんですか。掃除をすることが、お世話係のあたしの仕事です」
淡々と、高城は言った。
「ただ、私物を捨てていいか判断に迷うので、一緒に掃除を手伝ってくれると幸いです」
一階からゴミ袋を手にし、高城の指示で衣類を入れる籠を手にし、俺達は俺の部屋の掃除を始めた。
我ながら、荒れ果てた中々壮観な汚さの部屋だった。
衣類は床に放っておいたものは洗濯籠に入れさせられ、プリント類は一枚一枚高城が目を通して捨てるかどうするかを判断していった。
しばらく無言で掃除していた俺達は、
「……これは?」
「あーっ!!!」
高城が俺の宝物箱を見つけたことで、また騒ぎ出すのだった。
「それは開けなくていいっ!」
「……すみません。もう開けちゃいました」
そう言って、高城は俺の意思に反して宝物箱の中身を物色していった。
「見なくていいから」
「アルバム本が劣化などしていたら、買い替えないといけないでしょう」
「……まあ、確かに」
丸めこまれた時、高城は宝物箱からアルバムを手にしていた。ペラペラとアルバムをめくりながら、高城は本の劣化具合を確認しているようだった。
そして、アルバムの粘着力が落ちていたのか、本をめくっている拍子に、一枚の写真が滑り落ちた。
「……小さい頃の写真、ですね」
滑り落ちた写真は、小さい頃の俺と、隣には少女が写っていた。手には焼きそば。確か、縁日に行った時の写真だ。
「こちらの子は?」
「……柏木栞子」
もう十年近く前のことだというのに一言一句間違えず、名前を言えた。その少女は俺の初恋相手だった。
出会いは、幼稚園。人見知りの激しかった彼女を見兼ねた俺が、声をかけて、そうして二人で遊ぶようになったのだ。好意を持ったのは確か……幼稚園の連中に、俺達の距離感が近すぎると茶化された頃。文句を言いながら少女のことを意識している内に、気付けば惹かれていた。
「そう言えば、あんたと同じ名前だ」
俺は笑った。それは、嘲笑の意を持っていた。
名前は同じ。でも苗字は違う。そして、性格だって二人はまるで違った。栞子ちゃんは、庇護欲をそそる少女だった。涙もろくて、俺を頼ってくれることが多くて、人によれば面倒だと思うタイプだったが、俺にはそれが好印象に映った。昔から、特別扱いされることが少なかったから、頼られるのが嬉しかったのだ。
「……そうですね」
微妙な顔で、高城は言った。
「それにしても、本当、酷い部屋」
しかしすぐに、気を取り直して俺の駄目出しをしてきた。
「悪かったな」
高城からの文句に、俺は憎まれ口を叩いていた。
そんなの言われなくてもわかってる。
それでもついつい憎まれ口を叩いてしまったのは、やはりこの家に来てからそこの少女が、ずっと塩対応を貫いているせいなのだろう。
本当に、可愛げのない女だ。
言うことは正論だが、オブラートに包んでくれればこっちだって反論してやろうとかそんな気を起こさないのに。
塩対応で、淡々と、鉄仮面を貫いて。
肩が凝るったらありゃしない。
そこのアルバムの栞子ちゃんは、可愛げがあって、子供ながらに儚げもあって、女の子らしくて……庇護欲はそそられても、文句を言う気は沸かなかったというのに。
それから俺達は、文句の感情は胸の内にしまい込んで、部屋の掃除に没頭した。高城からしたら今日はもっと掃除を進める気だったかもしれないのに、結局俺の部屋だけで手一杯になっていた。
夕飯時、高城は俺に手料理を振舞った。まだ彼女をお世話役に認めていない俺は、文句を見つける材料にでもならないかと彼女の作った手料理を口に含んだのだが、
「う、美味い」
普通に美味しい料理に、文句など沸いてくるはずもなかった。
「あんた、料理得意なんだな」
「……家庭の事情で」
家庭の事情、ね。
「あんた、どうしてウチなんかで住み込みのバイトしようと思ったの?」
なんとなく今更ながら、俺は彼女がウチに住み込むことを決めた理由が気になった。
「条件が良かったからです」
少しは期待していた俺に、高城は面白みもない答えを返した。
「食費は払ってもらえますし、バイト代は奮発されていますし、何より実家より高校が近いんです」
「へえ、高校は?」
「英有高校」
「ぶふっ」
思わず、口に含んでいたご飯を噴き出した。
「何をしているのですか」
向かいで食事をとっていた高城が、急いで布巾を台所から持ってきていた。
「あんた、俺と一緒の高校なのっ!?」
「はい。偶然とは怖いものです」
俺が近場だからと選んだ高校に。本当、偶然って怖い。
高城の振舞ってくれた料理に舌鼓を打って、風呂に入って、再び部屋の掃除を始めて、何とか終わらせる頃には時刻は夜十二時を回るくらいになっていた。
「……これからはもう少し、部屋の整理を常日頃から心得てください」
掃除終わりに、チクリと高城に苦言を呈された。
「わかったわかった。……じゃあ、俺もう寝るよ」
「そうですね。寝た方がいいです」
「あんたは寝ないの?」
「あたしは、奥様に日報を書くので」
「……あっそ」
そう言って部屋を出て行く高城を見送って、俺は本当に疲労が蓄積されていたので、そのまま寝ることにしたのだった。
俺は、電気を消して、ベッドに飛び込んだ。
枕に頭を沈めると、今日一日気を張っていた心も体と一緒に休まっていくような気がした。
「面倒なことになった……」
寝落ち寸前、俺は高城の存在を思い出し、辟易とした気持ちになっていた。念願の一人暮らしが始められると思ったのに、厄介な同居人が出来てしまった。
本当、何とか彼女を追い出す術は、ないのだろうか。
……彼女に立ち去って欲しい気持ちは、変わらず持っている。
ただ、俺は彼女の仕事ぶりは、認めないといけないんだろうと思っていた。
俺は家事全般をすることが出来ない。料理は焼肉のたれを使えばなんとかなると思っているし、洗濯機は回し方も知らないし、辛うじて浴槽は掃除出来る、そんなレベルである。
そんな俺にとって、長丁場の掃除もほぼ文句も言わずやってくれて、料理も美味い高城は、目の上のたんこぶではあるものの、いてくれないと困る存在であることは間違いなかった。
「でも、もうちっと可愛げがあればなあ」
それこそ、栞子ちゃんのようであれば、どれほど良かったか。優しく、甘えん坊で、頼ってくれる人であれば、どれほど良かっただろうか。
……栞子ちゃんとの別れは、彼女が両親の都合で引っ越したことでやってきた。彼女の前で涙を流せないと思い、必死に堪えて、そんなことがあったことを未だに覚えていた。
目を瞑った。
不思議な感覚だった。眠いのに、中々寝付けなかった。家の中に、家族以外の人がいるからなのだろうか。
静けさの中、廊下を歩く音がした。
高城だろう。日報を書き終わって、彼女も眠るのか。
そう思ったが、足音が俺の部屋に近づいてくるのがわかった。
ガラガラ
「……起きてますか?」
控えめに開けられた扉。
控えめな声。でも間違いない。高城の声だった。
「……寝ましたか?」
静かな足音が、こちらに寄ってきた。
俺は身構えていた。今日の寝た俺に、この女は何をする気なのか。今日一日の文句でも伝えるのだろうか。
パシャリ
しかし、聞こえてきたのは愚痴ではなく、シャッター音。
「……ふう」
そして、ため息。
……そう言えば。仕事の報告として、俺の顔を撮ることが母さんより義務付けられていることを、俺は思い出した。
高城の奴、すっかり忘れていたのだな。意外とうっかりな奴だ。
そう思って内心でほくそ笑んでいた俺に対して、
チュッ
高城は、何かをしてきた。
温かい何かが頬に触れた。温かく、そして柔らかい何かが。
!!!?!??!?!?!?!??!?!??!?!??!
何が起きた。
何が起きたっ!?
一体俺は今……何を。
「……おやすみの」
鉄仮面だと思っていた高城の声が、少し震えていた。
「おやすみの、チューです」
静かに、だけど足早に、高城は部屋を出て行った。
パタンと扉が閉まる音を聞いて、俺はベッドから上半身を起こした。高城の何かが触れた頬を、指で優しくなぞっていた。
この日俺は、結局碌に眠ることが出来なかった。
お世話する奴の体調管理を怠るとは、お世話係失格だ、と内心で高城に文句を漏らしたのは、翌朝普通に早起きし朝食を準備していた、俺の心を乱した鉄仮面が、少し憎たらしかったからだった。
下記にて連載版を書き始めました。よろしく。
『塩対応な我が家のメイドは、僕の初恋相手。』
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