真っ黒の子どもが私を見てる
真っ黒の子どもがいた。
仕事を終えて、電車での帰り道。最寄り駅で電車を降りた時に視線を感じた。どこからだろう、気になって周りを見ると、向かいのホームにこっちを見ている子どもがいた。
たぶん子どもだと思う。背はそれほど高くない。真っ黒のシャツに、これまた真っ黒のハーフパンツを履いた子どもがいた。視線があった瞬間、私と子どもの間に電車が滑り込んできた。
私はなんとなく気になって電車が発車するのを待ってみた。程なくして電車は発車し、向かいのホームが見えるようになると、そこに子どもはいなかった。不思議な出来事に少し気持ち悪いなと思った。
真っ黒の子どもがいた。
駅のホームで見た同じ子だと思う。あれから二週間ほど経っていたので、もう忘れかけていた。
朝、会社に向かう途中に見つけた。場所は駅と私の家との中間地点にある大きな横断歩道だ。赤信号で立ち止まった時、向かい側に立っていた。やはりこっちをじっと見ている気がした。
肩までかかった髪のせいで、男の子か女の子か判断できないし、顔も隠れてよく見えない。でも、私はこの子どもをどこかで見たような気がしてならない。
私の目の前を大きなトラックが通り抜け信号が青に変わった時、子どもはまたいなくなっていた。絶対におかしい。私は変なものに目をつけられたことを確信した。
真っ黒の子どもがいた。
いや、子どもではないのかもしれない。横断歩道で遭遇した二週間後、家の近所のコンビニの前を通った時に、ふと店内を見ると自動ドアの向こう側に立っていた。ドアのすぐそばに人が立っているというのに、ドアは閉まったままだった。
顔は長い髪のせいで相変わらずよく見えない。自動ドアも邪魔だ。怖いと思ったけど、顔が見えない相手に付きまとわれるのはもっと嫌だと思った。私はコンビニの自動ドアに向かって歩きはじめた。もちろん相手の顔を確かめるために。
ドアに近づくにつれて少しずつ顔が見えてきた。目は髪に隠れているのに、何故か子どもは瞬きもせず私を見ていることがわかった。
近づいてわかったが、子どもは黒目の大きな男の子だった。私は子どもの顔が見えてからも、私を見つめてくる理由を聞くために歩き続けて自動ドアを開けた。しかし、ドアが開ききるとともに子どもは私の目の前で消えた。
消える直前まで、子どもは私を見上げていた。そして消える前に子どもの顔が一瞬老婆に変わった。服装は真っ黒のまま、背丈も髪型も変わっていないが、顔だけは老けた女性のものになっていた。老婆の顔は私を見てニヤリとし、そして煙のように消えた。
私は老婆の顔に見覚えがあった。そして思い出した。子どもの顔にも心当たりがあることを。
真っ黒の老婆がいた。
コンビニで顔を見てから二週間が経った。二週間の間特に何も変わったことはなかった。きっと何かあるなら二週間後だろうなと思っていた。だからこの二週間ろくに眠れなかった。
祝日の朝、一睡もできなかったのに目は冴えていた。時計を見ると8時ぴったり。朝日がカーテンの隙間から部屋をほんのりと照らしていた。
薄明かりの中カーテンを開けて外を見た。古いマンションの三階から眺める景色なんてそんなにいいものではない。隣の一軒家の屋根が見えるぐらいだ。ただなんとなくそうしないといけない気がして外を眺めていると遠くからこちらに向かって歩いてくる人が見えた。私は固まった。あの老婆だ。
真っ黒のシャツに真っ黒のハーフパンツの老婆が私を見ながらこちらに歩いてきている。歩くスピードはそれほど早くないがあと5分もしないうちにここに辿り着くだろう。私は慌ててカーテンを閉めた。
一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから再びカーテンを開ける。やはり老婆はこちらを見て歩いていた。
どうして思い通りにならないんだろう。私は大慌てで服を着替えた。顔を洗い軽く化粧をし再びカーテンを開けて外を見る。老婆はマンションのすぐ下まで来ていた。老婆はねっちょりとしたにやけ顔で私を見上げていた。私の耳には自分の心臓の音しか聞こえない。
私はゆっくりと玄関に向かった。ドアノブに手が届く、そう思った時インターホンが鳴った。
10年前。仕事のストレスで私は頭がおかしくなった。
寝ることができなくなり日に日に肌は荒れ顔はやつれた。当時の上司は仕事ができない上にその責任を部下になすり付けるどうしようもないやつだった。
「おれが出世できないのは部下が女だからだ」
「お前みたいな無能が有能な人材の足を引っ張るんだ」
「仕事ができないくせに給料がもらえるなんていい身分だな」
毎日毎日同じことを言われた。仕事を押し付けられ邪魔もされた。
その結果私の心は病気になった。意味もなく涙が溢れることが増えた。ストレス発散に家の物を壊すようになり自分の体を傷つけるようになった。でも、それですっきりしたのは最初の数日だけだった。日に日に私の上にストレスが積み上がっていった。
気がつけば常に頭痛と微熱に悩まされるようになった。そしてしばしばお腹が痛くて動けなくなった。そんな体調になってしばらくしたある日、一人の男の子と出会った。
髪は長くサラサラとしていて顔色はよく、一人で歩いているのに何か楽しげだった。そんな彼を見た時、どうして私はこんなに辛い目にあっているのにこの子は楽しそうなんだろうと不思議だった。そして許せないとも思った。
私は不公平なことが嫌いだ。私だけが悲しい、私だけが辛い、私だけが苦しいというのが子どもの頃から嫌いだった。私が悲しい時はみんな悲しめばいい。私が苦しい時はみんな苦しめばいい。そんなことを考えていたらいつの間にか彼の首を絞め上げていた。
動かなくなった彼の首には太い首輪のような痕が残っていた。それを見た時私は驚いた。本当に驚いた。だって心の中が晴れ渡っていたから。薬を飲んでも治る気配がなかった頭痛も治っていた。
私は笑いながら泣いていた。この瞬間私のストレス発散方法が見つかった。
ストレス発散方法が見つかってから私はすぐに元気になった。回を重ねるごとに上手く絞められるようになるのも嬉しかった。特に趣味がなかった私に週末の楽しみができた。平日の仕事が楽しくなった。そしていつの間にか私は出世していた。
私の出世が気に障ったのか、ある日曜日に朝からあのどうしようもない元上司に呼び出された。私は特に会う理由はなかったけれどせっかくなので次の獲物にしてあげた。
今まで見下していた女に泣いて謝る男の最期は実に滑稽だった。あんまり楽しくて楽しくて、始末した後笑いながら帰っていたら気味悪そうに私を見る老婆がいた。なんだか腹が立ったのでその老婆の命も摘み取った。
私は後悔していた。最初に殺した男の子と元上司の後に殺した老婆のことを。二人とも衝動的に殺してしまったからだ。もっと丁寧に摘み取ってあげるべきだった。あれから何年も経ったけれどずっと後悔していた。もし、もし可能ならもう一度殺してあげたいと思っていた。そんな彼らが今私の元を訪ねてきた。
どうしてこんなに急なんだろう。いつ来るかちゃんと教えてくれたらよかったのに。そしたら丁寧におもてなしができたのに……私に雑に殺されたことをやはり根に持っているんだろうか。
「ねえ、いるんでしょう」
ドア越しに老婆の声が聞こえた。もうせっかちだなあ。私が逃げるとでも思っているのだろうか。ああ、もうだめだ顔がにやけてしまう。
「今開けるわ」
私は満面の笑みで鍵を開けた。
ある事故物件専門サイトに一つの物件情報が追加された。とある古いマンションの三階の部屋で異臭騒ぎが起こり、大家さんが部屋を開けると、玄関にかなり腐敗した身元不明の死体が二つ横たわっていたそうだ。尚、その部屋に住んでいた女性は今も行方不明だという。