表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/33

沈みゆく太陽


 三島和年は膝に微かな違和感を感じていた。

 那智勝浦町の宿で一泊した和年は早朝に出発する。重いバックパックを背負って歩き、熊野那智大社の鳥居をくぐった。荘厳な三重塔が山の緑に聳え立っている。

 和年は大滝も見てみたいと思ったが、膝の調子が気掛かりだった。これから熊野本宮を目指して山越えをするのだから無理は出来ないと諦める。

 日本一周を目指して太平洋側を歩いていた和年は、三重県でお伊勢参りをし、熊野古道の長い道のりを歩いた。前日、やっと和歌山県那智勝浦町にたどり着いたのだ。勝浦漁港はマグロの水揚げで有名であり、夕食の新鮮なマグロの旨味に力が漲る思いがした。

 そのまま和歌山県の海沿いを歩いても良かったが、せっかくだから熊野本宮も参ろうと、和年は山越えを決断したのである。

 熊野本宮は和歌山の深い山中にあった。

 那智大社からそこへ向かう山道があるらしい。大雲取越、小雲取越と呼ばれる山道は途中の小口も合わせて二十六キロほどの峠であった。

 体力的には自信があっても、やはり膝の調子が不安だった。和年は二十キロを越えるバックを背負っている。体重七十キロの和年と合わせて、九十キロ以上の負担がその膝にかかることになるのだった。

 早朝の森閑とした那智大社に一礼すると、和年はバックを背負い直して大雲鳥越に足を踏み入れた。

 山道はいきなり急な石段が続き、早くも汗だくになる。平地ばかりを歩いてきた和年は、石段に苦戦した。途中、かつての茶屋跡で休憩すると、遠くに広がる紺碧の海が陽光に煌めいて美しかった。

 登りは快調だった。

 大雲鳥越の頂上は八百七十メートルだ。そこから小口への下り坂、落差八百五十メートルの山道が地獄だった。

 下り坂は足でブレーキを掛けるように進むため、上りと違って、筋肉だけでなく骨や腱にも激しい負担がかかった。特に右膝への負担を減らしたかった和年は、左足に体重をかけて一歩一歩慎重に石段を下る。膝が痛かった。少し見通しが甘かったかと後悔する。 

 グキリと足首を捻ってしまった。ゆっくりと進んでいたために大事には至らなかったが、不安になる。数歩進むと、またグキリと足首を捻ってしまった。

 何だ? 和年は靴紐が緩んではいないかと確かめた。

 グキリ、グキリと慎重に歩みを進めても足首を挫く。その度に慌てて体勢を立て直した。汗が止めどなく流れた。水分を取っていなかったと慌てて水を飲む。これまで以上に慎重に坂を降りた。

 小口の村に辿り着く頃には、午後二時を回っていた。

 山道で日が暮れるのはマズいぞ。

 和年は慌てた。以前に山中で夜を迎えた時の恐怖が蘇る。

 小雲鳥越は十二キロほどの山道で、大雲鳥越ほど高くもない。和年は膝の痛みも忘れて、小走りで峠を越えた。

 日が沈み始めた頃、和年は田辺市外れの町にたどり着いた。ふぅっと安堵の息を吐く。

 熊野本宮はそこから四キロほどだった。和年は軽く食事を取って、本宮へと向かう。だが、熊野本宮は参れなかった。参拝時間が午後十七時までだったのだ。

 和年は膝だけでなく、アキレス腱にも鈍い痛みを感じ始めていた。

 日本一周は本当に出来るのだろうか?

 和年は不安げに沈みゆく夕陽を見上げた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ