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題名のない音楽祭 ~Konzert ohne ein Titel~  作者: 魔弾の射手
本章 Zur Genealogie der Molal
7/20

第3.75話 ~鴻鵠篇~

□大昭25年 04/01 春休み最終盤




 いつもの使い慣れた鷲宮准に貸し出されている一室、御鏡邸の中でもダントツ高級な客間で彼女たちは向かい合っていた。

 片方は暗い茶髪を男子と見間違えそうなくらいに切り揃えた髪型の鷲宮准。

 もう片方は烏の濡れ羽色の髪をうなじが見えるくらいで切りそろえている御鏡弥生。

 鷲宮准の左手には.357magnamの空薬莢が握られ、右手は御鏡弥生の左手に優しく握られている。傍目から見れば仲の良い姉妹のようだが、しかしその空気は至極剣呑だ。

 鷲宮准の左手に握られている.357magの空薬莢は、そして鷲宮准本人こそ、対峙する御鏡弥生の記憶を封じ込めた一種の要素(ファクター)だ。記憶を取り戻すことによっておこることが何かは二人とも十二分に理解している。

 しかしこれはやらなければならないことなのだ。周囲の大人が本人たちの知らぬところでやらかした大きな不始末を、十年越しにではあるが清算しなければならない。


 勿論“やらない”という選択肢もある。見て見ぬ振りをして通り過ぎることもできるだろうし、それをしたところで誰一人として責めはしない。全員が全員加害者なのだ。被害者であり加害者であり、故に誰一人としてその選択を責めることはしない。出来ない。

 しかしそれは問題を先延ばしにしているだけなのだと、鷲宮准は知っている。その結果が今こうして手元に在るのだから分からないはずもない。

 誰も責めないからと云って、許されるわけではない。そして何より、そんなことをしてしまったらこれまでのような関係ではいられない。

 知りすぎてしまったのだ。引き返せないほどに、取り返しが付かなくなるほどに、どうしようもなくどうしようもなく何処までも仕様もない問題を知りすぎてしまったのだ。知らないで生きる選択肢を捨てて、知ることを選んだのだ。


 ダカラ逃ゲナイ――私ハ私デアルコトヲ証明スルタメニ、御鏡弥生ハ御鏡弥生デシカナイト証明スルタメニ、過去ト決別シナケレバナラナイ


「じゃあ、始めようか。弥生」


 決意して御鏡弥生を見つめる瞳は力に満ちていた。思わず御鏡弥生が息をのむほどに。

 何が来てもいいとかそういった類ではない。進むために決意した瞳だった。

 彼女の責任ではないのに、彼女の義務でもないのに、彼女は解決しようというのだ。まるで物語の主人公のように。

 それが、御鏡弥生の求めた者だった。


「本当に、良いんだね?」

「くどい。やるって決めたんだ。そりゃ私たちがやったことじゃないけどさ、云えた義理じゃないけどさ、此処で一発、過去の問題を解決しよう。問題から逃げ始めたら一生解決しない。少なくともこの問題は」


 確認の言葉にも毅然と、有無を云わせずに鷲宮准は即答を以て答えとした。

 何が起こるのか、分からないことが分かり切っている。きっと碌でもないことは分かり切っている。それすら乗り越えなければきっと何にもなれはしないのだ。

 信用して渡してくれたのだ。これまでの相手は全員、鷲宮准と御鏡弥生を信用して、悪用しないと知ったからこそ厳重に保管してきた御鏡弥生のココロを返してくれた。その信用を無にしてはいけない。


 大人ニナルトハ、サウイツタ信用トカデ雁字搦メニナツテイクコトナノダラウ


「具体的に何をすればいいかなんてわからない。けど、分からないなら私たちなりのやり方で解決すればいいだけだ。そうだろう? 弥生……」

「…………そうだね。君はそういう()だったのをすっかり忘れていたよ」


 是ハ終末デモ結末デモナイ。新シヰ始マリヲ目スタメノ、終ハリノ始マリナノダ


 これまでの人生、結局のところ全て自分たちが磁石のように引かれ合っていただけの、そんな夢とかロマンとかの欠片もない、タネさえわかってしまえば単純で屈辱的で侮辱的でそして罵詈讒謗(ばりざんぼう)めいた悪夢の延長でしかなかったのだ。

 その記憶も経験も何もかも本物で、この友情も掛け値なしに本物だと云える。しかしそれは昔から決められていたと知って、同種だから惹かれ合っていただけだなど悪夢に過ぎる。この一週間見続けてきた悪夢(記憶)よりも余ほど性質が悪い。

 一周回って屈辱的だ。二周回って侮辱的だ。三周回って恨みに思う。四周回って、どうでもいい。


 これは紛れもなく鷲宮准と御鏡弥生たちの物語(人生)なのだ。元が同じだからとかそんなことは、彼女たちにとってはどうでもいい。

 友達なのだ。好きで付き合っているのだ。昔っからの腐れ縁だから馬が合うのだ。

 そんな単純なことで良い。超能力だとか、そんなことはきっかけに過ぎない。友達であることには何にも代えられないのだ。鷲宮准が御鏡弥生と友達で、御鏡弥生が鷲宮准と友達なのはそんな単純なことで良いのだ。そこには何も介在する必要なんてない。一目見て友達になりたいと思ったから友達になった。馬鹿みたいに単純な理屈で良い。

 それで良いのだ。それ以上は何も望まない。


 ダカラ終ハラセヤウ。終ハリノ始マリヲ終ハラセヤウ。始マリノ始マリヲ今始メヤウ。


 鷲宮准は優しく、努めて優しく、御鏡弥生の両手を合わさせ、その上から包み込むように握りしめた。







 気が付いた時には、鷲宮准は畳に倒れていた。辺りは先ほどまでの静謐さなどロケットに括りつけて発射してしまったかのように滅茶苦茶で、狂ったように哄笑を上げる御鏡弥生は、あの妙に妖艶だった御鏡弥生とも、あの妙に理知的で無機質で無感情だった御鏡弥生ともまるで別な存在に見えた。そう、御鏡夫妻が恐れていたのは、人格崩壊(こういうこと)だったのだ。

 彼女は、失った心を取り戻すべきではなかったのだ。取り戻したが最後、取り戻した瞬間に(・・・・・・・・)失ってしまう(・・・・・・)ことが分かりきっていたから。


 果たして長い沈黙はどれほどの長さでそこに横たわっていたのだろうか。到底分からないことだったが、しかしこれは踏み抜いてもいない虎の尾を踏んでしまったような、そんな嫌な予感を鷲宮准にいだかせるには十分すぎるほどの間を持っていた。

 高々この春休みの数日間ケンカに明け暮れていただけの女子高生(予定)に、十数年間も殺し屋をやってきた少女を下せるかと云えば答えは否だったが、しかし彼女の側付きにも夫妻にも頼まれてしまったのだ、もはや引き返せないし引き返すことは、こうまで歪んでしまった彼女を残していくことは、契約の破棄はやりたくない。

 果たして、長い沈黙は覚悟を決めるには十分だったが、彼女には御鏡弥生を止める算段はついぞ思い浮かばずに、彼女に魔笛を吹笛する間隙を与えることになった。


「最高の気分だよ――あぁ、まるで生まれ変わったような気分だ。いやこの場合、生まれ直したと云った方が正しいのだろうか、どっちにしろ変わらないが――そうか、これが生きているということなのか…………人間って素晴らしいッ……! 素直にそう思えるよ。ねぇ、准はそう思わないかい?」


 狂った御鏡弥生は歌うように続けた。


「生きている目標も意識も目的も意味も理由も整合性も論理性も欠いた、ただただ流されるだけの人生は人生とは呼べない。それはただの奴隷の日常だ。毎日毎日同じことを同じように繰り返して、細かく楽しいことがあっても苦しいことがあっても辛いことがあっても嬉しいことがあっても、おおむね人生は平坦だ。それは生きていると言えるのかな? 真に生の実感を得られていると言えるのかな?」


 生キテイルトハ云エナイヨネ。其レハ死ンデイルノト同義ダ


 そもそも、そんなライトノベルや18禁中二病ADVで出てくるようなことばかりやりだしたら社会秩序も何もないだろう。それは一転して整合性も論理性も欠いた人生になりかねない。

 脈絡なく続けられる散文的な御鏡弥生の呟きに、しかし鷲宮准は何も返せなかった。

 他ならぬ鷲宮准も、それを嫌っていたのだ。心の奥底で。どこかで壊れてくれればいいと思っていた節なんて探そうと思えば幾らでもある。

 普通が一番ではあるが、どこか、何かがズレてくれないかと、自分の人生に何か劇的で刺激的で劇薬的なスパイスが降りかかってくれないかと夢想するのは、この年頃ならよくあることだろう?

 そう返そうとしても、結局は空虚にしかならない。今の彼女、御鏡弥生には空虚な言葉の羅列にしかすぎないだろう。なんとなれば――


「でもさ、世の中どうしようもない大人っていくらでもいるんだ。自分がこう思ったら周りの迷惑とか考慮もしない奴ってのがね。利益とか採算とか度外視で研究とか、唯一打ち込めるそれだけが生き甲斐な人にありがちな話だけどさ。どうせもう聞いているんだろう、ワタシ(ボク)のことを」


 ――彼女は鷲宮准のことなど眼中にないからだ。


 御鏡弥生は鷲宮准に話しかけている風だが、その実これは大声の独り言に過ぎない。その証拠に、普段ならウザいほどに合わされる視線が合わされない。普段なら向けない殺意とか殺気とか、そういった剥き出しの感情を彼女に叩きつけている。

 曲がりなりにも友達のことを大事にする人間が、まったくと言っていいほど眼中にない。視点が変わったのだ。

 超能力者とは云ってしまえば一般人の視点から少し視点がずれた存在と言い換えていいだろう。彼女から見たこの御鏡弥生は、さらに視点がずれたような、そんな印象を受けた。


「未だに思うよ。未だに夢に見るよ。成功体と呼ばれて、自由意思も何もかもを剥奪されて、実験動物として生きていた時のことを。あぁ、あれは苦痛だった、あれは地獄だった、あれは死んだ方がましと思える生き地獄だった」


 そんな彼女は、なんてことないように淡々と語る。その語り草が、いきなりのテンションの高低がまた、彼女の異常性を引きたてて――あぁ、私はこの深淵を好きになってしまったのかと、彼女は今更ながらに知った。


 知ツタカラト云ツテ私ガ彼女ヲ嫌イニナルカダツテ? 其レハアリ得ナイ。

 何故ナラ私ハ、友達トシテ、ソンナ彼女ヲ深ク愛シテシマツテイルノダカラ今更、嫌イニナンテナレル訳ガナイ。


ワタシ(ボク)と同じくらいの年の子供をね、何度も何度も殺していったんだ。所謂蟲毒って奴だよ。最後に生き残った動物が一番呪いを溜めこんでいて強力だぞって奴――僕はそれだったんだ。人工的に超能力者、それも研究者たちのモルモットも兼用する、そういった超能力者を作ろうとしたんだ」


 蟲毒、複数の匣に大量の虫を閉じ込めて殺し合いを起こさせ、最後の一匹になったら別の匣の生き残った虫を複数体其処に閉じ込めまた殺し合いをさせる。数度の繰り返しののちには、最後に生き残った虫が持つ呪いは最大純度になっているという、殷や周の時代の中国で好んで多用された呪術。犬神や猫鬼と同様の、畜生の呪い。

 ドクトル・バタフライ曰く、最初は通常の蟲毒と同じ方法を用い、神霊となった虫たちをまたひとつの容器に、十数個の匣につき一匹ずつ生き残った虫たちを、彼女たち一人一人を別々に閉じ込めた匣にまた複数体を入れて喰らわせ合う。

 良識が残っていれば最初のうちは殺すのをためらうが、蟲霊に体を蠕辱される痛みに耐えきれなくなったとき、人は獣になると云っていた。それでも耐えられる者は骨の一片も残さずに食い尽くされた。

 そして生き残った子供をまた別の子供の待ち受ける匣に詰め、匣に詰め、匣に詰め――そして生き残った個体の中でも失敗した中途半端どもの中で、彼女、御鏡弥生だけは生き残る以上の結果を出して見せた。だから失敗作たちを彼女は喰らいつくして実験施設を破壊して回った。世界を殺すために。


「結果は成功だ。その日ワタシ(ボク)という自我は死に、人形が生まれた。研究者にとってもその当時のワタシ(ボク)にとっても計算違いだったのは、そのワタシ(ボク)はただ人格が死んだだけではなく、人格も精神も崩壊していたということさ」


 とても美しい笑顔で涙を流しながら慟哭する姿はどうしようもない嫌悪感を抱くが、其れが彼女なのだ。もはやその表情しか出せなくなってしまった彼女の、最大限の慟哭なのだ。

 その痛みを想像することは不可能だが、理解してあげることはできる。寄り添うことはできるのだ。歩み寄ることはできるのだ。

 少なくとも、普通の人間ならこんなヤバい奴近づこうだなんて思わないだろう。しかしその涙だけは彼女、鷲宮准を見てくれたような気がした。その涙だけは本音の気がした。完全に人間を辞めようとしているわけではないのだ。まだ御鏡弥生としての意識はあるのだ。歩み寄る余地はあるのだ。


「だがそれも仕方ないことだろう!? 毎日毎日剥き出しの脳味噌を捏ね繰り回されて、電極を刺されて電流を流されてして生きていたような奴が正常な精神を保っていられるわけが無いよね……!? 無理だよ……ワタシ(ボク)には無理だった」


 ダカラ僕ハネ? コウ思ツタンダ。ソレガ幸セダト思ツタカラ。


「だからぼくはね、思ったんだよ」


 三日月を描くように御鏡弥生の口角が上がっていく姿は――他の表情筋が動いていない中でそれだけが器用に動いていく姿は、紛れもなく怪現象と呼ぶべき類で。だが不思議と私は其れを美しいと思っていた。

 泣きながら、涙を流しながら嬉しいのか憤っているのか楽しいのか辛いのか哀しいのかも全く読みとれない中に、その中にすべてが詰まっている。彼女の細く小さな深淵の中にその全てが凝縮している。その深淵は、すべてを表現していた。


「殺すしかないじゃないか。皆み~んな、纏めて集めて一網打尽にぶっ殺すしかないじゃないか。殺して殺して殺して殺して殺して殺してぶっ殺して殺すしかないじゃないか! っははは、つまりそういうことなんだよ。元からワタシ(ボク)は、どうしようもなく狂っていて壊れていておかしくなっていて馬鹿になっている、どうしようもない破綻者なんだよ。だからこれ以外には分からないしやるつもりもない――――でもなかなか妙案じゃないか? 一人や二人殺したって同じなら、百人や千人殺したって同じなら、殺しつくせばいいだけなんだからさぁ。もう地球の核を射程に収めている。あとは殺すだけだ」


 涙を拭うと、そんな晴れやかな笑顔でそんなことを云ってのけた。

 生まれてはいけないものだったから、生まれなかったように生まれたことを消し去ろうとして、だから周りの全てを殺しつくすことを、彼女、御鏡弥生は決意したのだ。

 だが赤の他人だったら放っておいただろうが、そうは問屋が卸すはずがない。こんなことの為に鷲宮准は同席したのだ。

 止められる可能性があるのは鷲宮准以外にいない。手当たり次第に鏖殺するような災害が、鷲宮准という存在が存在しているだけでその手を止めている。即座にやれるはずが、その魔手を振り上げていない。

 それは彼女の中に一抹の凝っている人間の残り香だ。壊れている破綻していると自分をそう称するが、それでも魔手を振り上げないのは彼女にもまだ気にすることのできる両親が一抹でも残っているからだ。


 両親がいる。当然だ。御鏡弥生とて人の子だ。少なくとも自分を最も愛してくれる両親がいる。

 幼いころからの傍付きである都城美峰がいる。少なくとも、御鏡弥生を御鏡弥生として受け入れ理解してくれる人間がいる。

 他にもいるだろう。彼女、鷲宮准が知らないだけで御鏡弥生を取り巻く他の人間なら。そういったのがいるから、煩わしいと思えないほど御鏡弥生は人間性(ココロ)で病んでしまっているから、それが彼女御鏡弥生の強硬を留めているのだ。烏滸がましいことこの上ないが、その中に鷲宮准も含まれているだろう。


「そうはさせない。私は、おまえにそんなことだけは絶対にさせない」


 それも時間の問題だろう。今ここで、取り返しのつく今のうちにどうにかしなければならない。そんな方法思いつきもしないが、開けなくても良い猫箱を開けようと決意したのは他ならぬ鷲宮准本人なのだから。


 キョトンとした表情で、御鏡弥生は小首を傾げてみせると、すぐにまたあのいつも通りの(・・・・・・)胡散臭い笑みで彼女に微笑みかけてみせる。そうすれば否応なしに鷲宮准は反応してしまうと知っているからだ。

 彼女の行動は洗練された機械のように滑らかに、虚実や虚言を交える間隙なく全く何ら関連の無いことを宣う。

 目に入っていない。

 彼女、御鏡弥生には、彼女、鷲宮准の姿は認知できても存在を正しく認知できているとは云えない。

 それはまるでこの春休みの始まりの時のように、まったくもって自然に、まったくもって不自然な繫げ方で御鏡弥生は続ける。それにいったいどんな関連がなかろうとも、彼女にとってはそんな順序とかはどうでも良いのだろう。

 順序など結局のところは先か後かの違いでしかないのだと看破して、だから順序もへったくれもない滅茶苦茶なことを滅茶苦茶に宣う。


「君はあの日あの瞬間に能力を発現させたと云ったが、それは嘘だ。真実ではない」


何故?


 少なくとも鷲宮准は、復活した十年近く前に一回、自信の蘇生の為にのみ能力を使用したはずである。それが彼女の認識だ。

 御鏡弥生に返すたびに戻ってきていた自身の記憶、少なくとも七歳以降の記憶では一度も超能力に相当するようなものは使用していなかった。その記憶の真贋がどうなのかは触れないでおくとして。

 なんて事の無いように、調査報告書を読み上げるように、御鏡弥生は先ほどまでのテンションなど忘れて淡々とした口調で、興味なげに話す。


「君はそれ以前からその能力を熟知し無意識のうちに、自身が危機に陥るたびにそれを使ってきていたのさ」


Why?


「世の中金だけある奴ってのは寂しい物だけど、金があれば何だってできるのさ。おいおいどうしたのさそんなに睨んで。何かいいことでもあったのかな?」


…………


 この目だ。御鏡弥生のこの目だ。この目が、今は心底嫌いなのだ。

 暗闇をそのまま瞳に封じ込めたような暗黒の塊。芸術家がキャンパスに適当に厚塗りした末にキャンパス地が破けて出来た黒泥の如き瞳。以前ならそんな超然とした様にある種の憧憬に似た友誼を覚えていただろうが今の御鏡弥生にそんなもの覚えられようはずもない。

 以前の彼女なら、なんだかんだ言って鷲宮准を大事にしていた。目にかけていた。それは記憶を返す以前から変わることなく。しかし今の彼女は鷲宮准をまるで路傍の石を見るような瞳で見下ろすかのように、超然と、凄然と、静然と佇んでいる。

 それが堪らなく癇に障る。お前と私は同格の、対等の友人関係を結んでいたはずだろうと怒鳴りつけたくなるくらいには。それが無意味だとわかるから、いつものように飲み込むしかないのだが。


「調べたのさ。君の事故やらの遭遇率を調べている途中に、片手間でね」


 コイツハ結局何ガ云ヒタイノカ――


 決まり切った情報を決まりきったように、決まりきった法則に従う人間は決まりきった人間として、この瞳は、この瞳の奥に潜む御鏡弥生の異常性(超能力)は全てを定義づけて全てを否定しきる。


 人の無意識の顕現。

 無意識下の自滅願望。

 自己否定願望。

 万人による万人の為の万人の殺人衝動。


 この瞳の孕む暗黒は端的に明瞭な混沌(・・・・・)だ。何処までも透明で、何処までも深遠で、何処までも遠大で、何処までも混沌とした抱擁感。

 人とは五十年や百年で死んでしまうのだから、どうせ適当なお題目の元に殺し合うしかできない不出来な生物なのだから、ならば今死んでも良いだろうという自己矛盾をも孕んだ自分勝手な人類の代弁者。

 そんな究極的に他人に興味のない人間が、何を云おうというのか。何を知っているというのか。


「――君は小さな頃にトラックに撥ね飛ばされている。ほぼほぼ即死と云えるような速度でぶつかったにもかかわらず、君は奇跡の生還を果たし、その代償なのかトラックの運転手は死亡していた。まるでトラックの中でトラックに正面衝突したかのようにね」


 ツマリ――


 それはつまり、彼女、鷲宮准は幼少の頃からそうとは知らずに超能力を発現させていた、ということだろう。突然変異で生まれた超能力を用いて蘇った存在だ、あり得ないことではないだろう。

 そう考えれば、おかしなことは何もないだろう。元々恣意的に利用していたわけでもない、突発的に、突然にその場に変じて生じた物が気付かぬうちに発動していてもおかしなことはない。

 例えば、赤点を取りそうなときに急に問題の回答が浮かび上がってくるとか、短距離走でいきなり走る速度が上がったときとか、疑わしいことならいくらでもある。


「君は幼少の頃から、そうやって誰か他人の犠牲の上にその人生を成り立たせてきた、紛うことなき怪物なのさ。ワタシ(ボク)と同じだ。そして君の能力を魂喰らいの吸血王(エナジードレイン)だと診断したワタシ(ボク)は、まさしく目が節穴だった。それすらも君にとっては予定調和だったのかな? まぁ、どっちでもいいさ」


 ドチラデモ良ヰノカヨ


 他人の犠牲、それも本当の意味で人を生贄に捧げるようにして生き残ってきた。それはまるで、御鏡弥生の経験した蟲毒のように。

 恣意的か恣意的でないかの違いしかないが、意味合いはどちらでも大差はない。鷲宮准は鷲宮准の生命を安堵するために加害者側を殺してきた加害者(怪物)だ。親に騙り、被害者を騙る、どうしようもない加害者なのだ。

 そんなことをどうでもいいと云った御鏡弥生は、しかし慈しむような瞳で彼女、鷲宮准の頬を一撫ですると何の脈絡もなく彼女の左の二の腕辺りを撫で摩りながら勘違いしないでくれと囀る。

 感謝していると云った。全ての心と記憶を取り返してくれたことを、自分の尖兵として働いてくれたことを、自分の友人で居てくれたことを。


 ダカラオ前ハ最後ニ殺ス


「勘違いしないでくれよ、ワタシ(ボク)は君に感謝しているんだ。君に返せるお礼として、ワタシ(ボク)は君に世界の終わりを見届けて貰いたいんだ。そして最後の最後で、ワタシ(ボク)ワタシ(ボク)を殺して君を殺す。大丈夫だよ、もう地球の核を射程に収めている。あとは殺すだけだ」


 彼女、御鏡弥生が触れていた部分から先の感覚がなくなったことに気が付いたのは、御鏡弥生が踵を返して何処かへ去ろうとするのを留めようとした時だった。


 二の腕から先が消失していた。奇麗さっぱりと消失している。いや消失したのではなく、落下したというのが正しいだろう。

 二の腕から先は畳に転がり落ちて(あか)の深淵を其処に映し出している。御鏡弥生に伸ばされたはずの手はあらぬ方向を向き、濃厚な(あか)を滴らせ続ける二の腕は悲しそうな瞳で振り返った御鏡弥生の顔を美しい赤の斑紋に染めていた。それはまるで、この春休みを始めた時のような、奇妙な既知感と共に再来した。


 死んでしまった。分かるのはそれだけだ。

 まず間違いなく、壊死でもなんでもなく、死んでしまった(・・・・・・・)。二の腕から上を残して、二の腕から先は完全に、完膚なきまでに、治療の余地なく再生の余地もなく完全無欠に死んでしまった。

 壊死したからくっ付かないとか、そんなトカゲみたいな話ではない。概念的に、本当はあの一瞬で鷲宮准を殺せたのに、しかしそれをせずに御鏡弥生は概念的に鷲宮准の左腕を殺した(・・・)

 者や物には寿命がある。それは予め決められていて、人間が知ることは出来ない。知ることが出来るのはそれが尽きる瞬間のみである。

 これはそれを速めるのでもなくただ単純に殺す。概念的な死を強制する。寿命の来ていない物ですらその死を肯定させる。

 痛みもなく、呵責もなく、良心もなく、痛痒もなく、粛々と実行される絶死の至上命令(死刑宣告)。これは要するに、そう云う物だ。


 御鏡弥生は、友人のそんな惨状など気にも留めず、お願いをする。選択しろと命ずる。


 物語を終わらせるか(御鏡弥生を殺すか)物語の幕を引くか(世界を殺すか)、二者択一だ。


()、君が決めてくれ。この物語の結末を」


 鷲宮准の意識が暗転したのは、その直後だった。





 こちらは場面転換部分のセリフのみ去年の二月に書き上げ、それ以外の部分は今年の二月末から書き始めて3/31に書き終わりました。

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