第3.50話 ~煉獄篇~
□加筆修正
・誤字脱字を修正
・表現の足らない箇所への肉付け
・地の文の当社比10%ほどの増量
削除文字数は合計で千文字、加筆文字数は合計で三千文字。最終増量文字数二千文字。
□大昭25年 03/29 PM22:30
会場は工業地帯の端にある学校跡地であった。
十年一昔、三十年三昔、まだ街が発展途上にあったころに大層賑わっていたらしい廃校だ。
市の統廃合、工業排水などによる汚染、公害、街の発展とともに住宅街や道路の整備が進むにつれ、工員の社宅や工員の子供が通う学校などはその存在意義を失くしていき、廃校や廃屋が増えて行った。
そんな街の歴史の一部が未だに消えずに、けれど再開発するにも場所が悪すぎて放置するしかない腫瘍のようにして残っていた。
そんな学校を取り囲む元工業地帯には、感じ取れるだけで十数の人間の気配がある。そのうちの五人分は前回の相手、ドクトル・バタフライたちだろう。
監視されているのだ。日本に何人超能力者がいるのかなんぞ知らないが、そいつらが殺し合いするから周辺に被害がいかないように、そして何より公安が監視対象とする人間を見定めるために。
そんな視線の中にあってもなお、学校跡地の校庭には人っ子一人いない。気配もなく、あるのは己の息遣いのみ。
重圧はあれど何処にもその元凶はいない。故に彼女、鷲宮准がそれを見逃してしまうのは当然のことだったのだろう。
「誰かお探しかね?」
「――――――ッ!」
気ガ付カナカツタ――完全ニ、不意ヲ突ツカレルヤウニ突然ニシテ彼ハソコニ現レタ
弁解スルナラ、私ハ校門カラ入ツテカラズツト校庭ヲ見渡シテイタノダ。目ヲ皿ニシテ、相手ヲ探シテイタノダ
ダカラコソ、彼ノ出現ハ予想ダニシナイコトデアツタ――故ニ私ニハ彼ノ在リヤウガ気持チ悪ク映ツタ
深く淀んだような声が、地の底から鳴り響くかのような声が彼女の鼓膜を揺らした時、ようやっと彼女はそれを知覚出来た。
着ているのはカソックと呼ばれる立襟の黒い服で、その両手は背中の後ろで組まれているのだろう、ピンと張られた背筋は外見以上にそれの身長を大きく見せた。
皴だらけの顔は老人のようだが、しかし肌艶はどう見ても60過ぎのそれではない。もっと若い、30代後半から40代中盤辺りのそれで、そのミスマッチさが気持ち悪さの原因ではない。
頭髪は適当な長さで、瞳に掛かるほどでもなければ額が見えるほどでもなく、首筋あたりだけ妙に長い。
筋肉は普通程度に見えるだけで、実際には極限にまで引き締められた高密度の筋繊維の塊となっている。
しかし気持ち悪さの原因とは、根幹とはそんな外見のおどろおどろしさとかパッと見の印象の恐怖感とか、そういったものでは断じてない。少なくともそんなことで恐怖を感じられるのであれば御鏡弥生と友人関係に何てなってないだろう。
では一体何が恐ろしいのか、何が彼を其処まで気持ち悪く感じられるのか。鷲宮准は知らず、右手に持ったバットを構えた。
「あなた、誰――ですか」
「――御鏡弥生から聞いていないのかね? 君にとって二回戦目の相手、堺境だ」
一寸先ニアツテ、シカシ私ニハ彼ノ全容ガ理解出来テモ存在ヲ理解スルコトハ出来ナカツタ
そう彼女、鷲宮准が老木のごとき彼を恐ろしいと思いそう形容したのは他でもなく、お互いを認識し合える距離において彼女にだけ男が見えていなかったからだ。
見えていないというと語弊を招きそうであるが、事実そうとしか形容できないのだ。
全容を理解することは出来た。其処にいるのだと云う事さえ理解できてしまえば容姿程度など直ぐに判別できてしまえた。しかし彼女にはそこに人がいるという実感その物が持てないでいた。
彼女の認識において、そこには本来誰もいないはずなのだ。
誰もいない、強いて言えば酸素や二酸化炭素や窒素、工業排気が存在する程度なもので、空間を圧迫するほかの物質なんて存在しないはずなのだ。彼女の空間認識において。
云ってしまえば、本体がいないはずなのに影だけが見えている、そんな状況と云っても良いだろう。本体がいないとは、遠くにあるとかそういったことではなく、文字通り存在しないのに謎の影だけが其処にあるのだ。
アニメにしろドラマにしろ現実にしろ、何らかの存在というのは存在するだけの質量が網膜から光という情報として脳で感じ取られる。そういった情報のうちの重み、存在感とでも言い換えて良いそれが、彼からは欠落しているのだ。
昨今非常に多い、アクションだけが格好いいだけで目まぐるしく、矢鱈と目が疲れるアニメというのは剣戟に重みがないから、中身が薄いから目が疲れる。情報という質量が少ないから、影法師の演武に目が疲れる。多少違うがそういった状態と似ている。
この男はまさしくそんな、影法師染みた存在だった。
引き締まった筋肉だとか落ち窪んだような瞳も、何からも、視覚情報としての質量が感じられなかった。気配という重量感が感じられなかった。
超能力者とは、ドクトル・バタフライの四人娘たちが彼女に語るに曰く、人間を辞めているらしい。
能力如何にもよるが、気配だとかそういったものに敏感になる。通常の人間では死ぬような気配の重圧を受けても生きて居られる。それでも肉体のスペック自体は人間のままで、あくまでも精神性が異常に振り切れているだけに過ぎないのだとも、彼女らの言だ。
そんな異常な精神状態になってまで感じ取れないことそのものが、異常なのだ。
超能力者ニナツテ初メテ、恐怖ヲ覚エタ。怖ヒ。恐ロシイ。コノ男ハ、何処ニモイナクテ何処ニデモイルノダ。
そんな内心の恐怖を悟られないように、彼女はただ気持ちを押し殺して一言だけ返した。
「知ってます」
「そうか。では私が何かは、聞き及んでいるのかね?」
「……聞いてないです」
認めるのは癪だったが、しかしそんなことを気にしたところでしょうがないことだ。知らないのは事実なのだから。
相手が自分から能力の種を明かしてくれるのはありがたいことだ。能力行使からの推理ゲームをしなくて済むのだから、少なくとも世の中の学園バトル物のADVに比べれば全然ましな部類に入ることだろう。少なくとも戦闘しながらあんなことを考えている暇何ぞ彼女、鷲宮准にはなさそうだったからだ。
だから正直に答えた。幸いなことに、性格には難があっても人を貶めて楽しむような人間は対戦相手には存在しないとは御鏡弥生の言だ。少なくとも御鏡弥生が鷲宮准に冗談以外で嘘を吐くことはありえない。
「私は超能力者ではない」
「……………………え?」
「聞こえなかったかね? 私は超能力者ではない。結界師だ。厳密にはチベットの僧侶だったのだが、いま語ることではない」
マタ新シヒ用語カ………………
気が遠のくような気がした。
彼女の頭はお世辞にも良好な方でも中間に位置するようなもので、所謂ローカルルールやら詳細にルールのあるゲームは苦手だ。
例えば、人狼というゲームがあるが、これもローカルルールや新ルールの登場が目まぐるしい。最初は村人と人狼くらいしかいなかったはずが、いつの間にか司祭やら祭祀長やら主教やら吸血鬼やらサイコパスやら探偵やら怪盗やら共生者やらヤクザやらいろいろな役が増えていく。
例えば、大富豪というカードゲームがあるが、これも橋一つ跨いだ向こうの町では大富豪というゲーム性そのものが崩壊したようなゲームが行われていたりすることも珍しくはない。
身近なものなら花札だって映画で出てきたような『月見・花見で一杯』のあたりはローカルルールに属するものであり、公式ルールでは役として成立しなかったりする(つまり“こいこい”できない)。
そして御鏡弥生曰く、超能力とは結局能力と能力のガチンコで、最終的には相性と頭の良し悪しだとも言っていた。他者が介入しない限り千日手が延々と続くような能力バトルもあり、故に他のルール何ぞ存在しない。力こそパワーだと、鷲宮准にレクチャーしていた。
話ト違フヂヤナイカ――新シイ役ガ出テキタヂヤナイカ。私ハカウ云ツタ複雑ナルールハ嫌ヒナンダ
内心の言葉が思わず漏れそうになるくらいには理不尽だと嘆きたい気分だった。それでもやらなければ目的の物、つまり御鏡弥生の心の一部が手に入らないとなれば、逃げだそうにも逃げ出せなかった。
誰にも聞かれる。なぜ御鏡弥生の肩を持つのかと。
理由なんぞ知らない。理由を知るために戦っているだなんて言わない。強いて言うなら、鷲宮准が御鏡弥生の友達だから、御鏡弥生を助けているのだとしか回答といえる回答は用意できなかった。あの時の初戦闘から二夜開けても。
「面倒くさいのが現れた、そう云いたそうだな。まぁ良い――御鏡弥生から聞いているだろうが、ルールは先の博士と変わらない。私に一言参ったと云わせれば勝ちだ」
「は、はぁ…………」
「結界師だとて超能力のようなものを使う存在であることに違いはない。戦闘に関してこれと云って変わるようなこともない。安心したまえ」
それが彼の発した最後だった。
殺意ダ。濃密ナ殺意、イヤ殺気ガ私ノ全身ヲ蠕辱シテヰク。
堪らずにそのおどろおどろしい様相も相まって恐れてしまったのは、ある種普通のことだったのかもしれない。
普通こんな異常者と相対しただけで釘づけにされてしばらく息をすることすらできなくなるかもしれないのが、明確なまでの敵意や殺意のようなものを浴びせられて平常心を保っていられるような、そんな訓練を彼女、鷲宮准は積んできていないのだ。
そういったところも含めてアウグスタは手加減をしてくれていた。それがありありとよく理解できる有り様だ。
歯がガチガチと、顎が痙攣してぶつかり続けて不快な音を鳴らしている。手首が痙攣して握ったバットを取り落しそうになってようやっと、彼女は自分が彼を恐れていることを知覚出来た。
バットを強く握りしめて目的を再確認する。彼女が御鏡弥生から教わった気分を落ち着ける方法だ。一種の自己暗示だということを彼女は知らないが、それでもないよりは大分ましである。
気デ負ケテハイケナイ。私ハ弥生ノココロノ欠片ヲ取リ戻サナイトイケナイノダカラ
サウデモナケレバ前ニ進メナヰ。私ハ何故自身ガ超能力ナンテモノニ目覚メタカヲ知ラナケレバナラナイノダカラ
そうと決まれば――彼女は震えの無くなった両足に力を込めて一気に駆け抜けた。
彼我の距離は10mもある。ドクトル・バタフライの四人娘たちの云うことを信じるならば身体能力は超能力者になっただけでは上がらない。そういう能力でなければ身体能力が向上するようなことは決してあり得ない。
超能力にしろ体力にしろ、本人の努力が大事なのだとは彼女たちの談である。信用できるかどうかで云えば、信用できるだろう。そんな嘘を鷲宮准に伝えるメリットが一切ないのだ。
御鏡弥生に曰く、国は超能力と云う物を公に認めるつもりはない、らしい。基本的に超能力とは個々人によって程度が変わってしまうため、厳密な定義づけは超能力者たちの間でもその超感覚に頼る非常に曖昧模糊としたものである。
であるならば大昔に実在した御船千鶴子という御鏡弥生に曰く本物の透視・千里眼能力を持つという女がいた。彼女は密封された箱の中の文字を全て云い当て、そして記者の書き連ねた記事と世間からの糾弾から自ら命を絶った。とはいえ知らない人間にとって彼女が本当に超能力者なのかどうなのかはどうでもいいことである。
要するにこういった事象を全て超能力で済ませてしまえるということに問題があるのだ。
例えば犯罪において、ミステリー小説によくある一見して完全犯罪と云える状況であっても、容疑者が『これは私の持つ不可思議な力が成し得た技なのです。何でしたらこれから死刑囚をお一人殺して御覧に入れましょうか?』と証言してしまった場合、日本の現行法では超能力による殺人は罰することができない。それを立証する手段がないからだ。
厳密には科学的考証でいくらでも崩すことは出来るが、本物の超能力者と偽物の超能力者を一般人が見分けることができない、その土台がないから逆説的に立証する手段がないのだ。科学的考証においてそれを立証することができなかった場合、法では裁けない。
法は定義が曖昧であれば汚職の元凶になり得、厳格化し過ぎれば隙間ができる。人間が考え出したのだから穴開きチーズなのは当然だろうが、超能力を肯定するにはあまりにも下地が脆弱だった。
閑話休題。
要するに、絶対数が少なく敵対の意思がない人間、それも超能力者初心者に嘘の情報、それも良くある18禁中二病ADVによくありがちなことを吹聴するメリットはない。
こういった情報は秘匿しておくか、心理戦を行うときにでも取っておけばいい類だ。開示するということは信憑性は高いとみていい。
御鏡弥生や鷲宮准のような例外を除き、最初から完成している能力はありえない。能力にしろ、体にしろ、鍛えなければ上達はありえない。整合性は取れている。それこそそういった小説によくある最初から能力を使いこなして無双ゲームのようなことが出来る方が胡散臭いと云う物だ。
これだけの行数を使ってつまり何が云いたいかと云えば、彼女は結局普通の人間でしかない。精神が振り切れているだけで、それ以外は我々と変わらないということだ。
では彼女が10mを一瞬で駆け抜けた説明が付かないのだ。
ではこれは何か――ことは二日前、三月二十七日にまで遡る。
□大昭25年 03/27 AM12:30 昼食中
「准、僕は君の能力を見誤っていたみたいだ」
御鏡弥生は鷲宮准の頬に着いたご飯粒を優しく指で摘み取り、次いでそれを口に含みながらまたぞろ妙なことを口走った。
鷲宮准が昨日の時点で聞いていた自分の能力は御鏡弥生に曰く魂喰らいの吸血王であったはずだが、御鏡弥生のこの発言を鑑みるにそうではないようだ。
実際、鷲宮准にも自覚はあった。
自身が超能力者だと知ってから数時間後の初戦闘で確かに後ろに飛びのいたはずが、自分は対戦相手であるアウグスタの真上に移動していたのだ。そのあと勝利と呼ぶのも憚られる手段で勝利したのは記憶に新しい。
その超能力を超能力的に説明してくれるというのだから、もう一度お願いしたいところだというのが鷲宮准の気分だった。
鷲宮准もまた、御鏡弥生の頬に着いた米粒を引きはがして口に含んでいた。
「准、今ここで目の前にあるこのエアガンショップの会員カードと全く同じものを作りたいって思ってみて」
「ちょっと待て弥生。何でそんなもの持ってるんだ。お前私と同い年のはずだろうがおい」
「最近のモデルガンって質が良くてさ――」
「いやもういいその先は聞きたくない」
あっという間もない掌返しで鷲宮准はその先を敢えて聞かないことにした。絶対にどうでもいい話に繋がると知っているからだ。どうでもいい話に繋がったが最後、会話文だけで10行くらいを費やす羽目になることもよく理解している。
ブーブーと文句を云う御鏡弥生のことなど放っておいて、鷲宮准は云われた通り、そのエアガンショップの会員カードと全く同じものを想像した。
構造を解析し、ICチップの有無や文字、会員番号の打刻刻印の位置、バーコードのインクや構成材質に至るまでを解析しつくし、3Dプリンターがそうやるようにその脳内に浮かび上がった形を現実世界に形作った。
次の瞬間には、御鏡弥生の茶碗に盛られた御飯に対して垂直に、まるで枕飯のようにエアガンショップの会員カード(偽)が突き立っていた。御鏡弥生は目をパチクリさせた。
沈黙が流れた。
「まぁ……良いか――――ほら准、見てみなよこれ」
御鏡弥生の所作を見ていなければ全く同じカードを二枚取り出した風に見えただろうが、そのうちの一枚は自分が先ほど作り出したものだ。
寸分違わず同じだ。それはそうだ、能力を使おうと意識した瞬間脳内に精巧な図面と寸法がデータ化され、固有振動数から何まで、あらゆるものがデータ化されていた。それと全く同じものを出力しようと意識した次の瞬間にはその場にポッと生まれていたのだ。
だから寸分違わず同じなのは当然だろう。出現までのタイムラグを考えれば、まず間違いなく自分が能力を行使した結果だろう。
だが鷲宮准は、これが何を意味するのか、いまいちよく理解できていなかった。
ライトノベルなどでは二つ以上の力を持っていましたパンパカパ~ンというのはお約束だが、そうではないことは御鏡弥生直々のレクチャーでよく理解していた。そうではないからこそ御鏡弥生の持つ才能喰らいの簒奪王が異常なのだということも十二分に理解していた。
では、何なのか。鷲宮准自身納得のいく説明を出来る自信がなかった。だからとっととその続きを云って欲しいと、そう口に出すまでもなく御鏡弥生は面白いものを見るようにエアガンショップの会員カード(偽)を撫でている。
その表面から色彩など、細部に至るまで完全に、寸分違わず全く同じである。こんな安っぽいプラ製のカード、通常のプリンターでも村が出るところを完全に一致させている。
「君の能力は何にでもなれる能力、というと少し語弊はあるがまぁ然したる意味は変わらない。君の能力は君が望む通りに変化する。君が空間転移の能力が欲しいと思えばその通りに。君が物体をコピーして出力する能力が欲しいと思えばその通りに。君があらゆる物を爆発物に変える能力が欲しいと思ったらその通りに。文字通りに千変万化の能力なんだ」
格好ツケテ弥生ハコノ能力ヲ才能再定義の贋作王何テ呼ンデイルガ、意味ガ分カラナヰ。オ前ガ唯一ノ例外デハナカツタノカ
何でも扱えるという意味では、才能喰らいの簒奪王もそうだが、どう違うのか。
「君の能力は君の想像力が及ぶ範囲内に置いて全ての願望を実現できるだろうね。そして僕の能力は他人の能力を承諾なしで奪い取る能力だ」
「つまり、私の能力はよくあるライトノベルの能力みたいなものだってことか」
「そういうことだね。でも制約はある。僕と同様、Aの能力を使用しているときにBの能力を使用することは出来ない。半永続発動型A”の能力を使用中にBの能力を使用は可能だがA”を使用中にB”は使用できない」
何デモデキルツテ良イ響キダケドサ、ヤルコトガ増エルダケデ良イコトツテソンナナインダヨネ
他人事のように、けれど実感を持たせつつ、御鏡弥生は独り言ちる。
それが二日前のことだった。
□
彼女の持つ才能再定義の贋作王の本質とは、奪うこと。
多種多様な能力に自信を再定義し発動する、自己性の欠如がそのまま能力として形になったような能力だが活用できさえすれば勝利を、相手の有利性を、能力同士の相性を、あらゆるものを奪えるのだ。
要するに、才能喰らいの簒奪王と同様の器用貧乏な能力なのだ。
であるなら、鷲宮准の再定義した能力とは何か。それは考えるまでもなく明白である。
「身体能力強化か。それも王位を戴くほどの」
堺境の呟きは軽くバイクや車と同じくらいの速度で移動する鷲宮准には聞こえていなかった。風圧が強すぎて周囲の音がかき消されているのだ。
才能再定義の贋作王の弱点とは、ある能力を発動中には別の能力を発動できないこと。半永続的に発動する能力を発動中に別の能力を使用することは出来るが、半永続的に発動する能力を発動中に半永続発動する能力は使用できない。
風圧をかき消す能力なんてものがあるのかどうなのかは分からないが仮にあったとして、既に能力を発動中である故に発動できない。走り切るか、若しくは能力の効果時間が切れるか、それか自身で能力を停止するまでを待たなければならない。
だから彼女が立てた作戦は至極単純だ。要するに、こういうことだ。
能力を使われる前に、持ってきた金属バットで一発殴打して先手必勝、勝ちに行こうというのだ。
迫る、迫る。とにかく肉薄する。手段なんぞ選んでいられない。
うまく当てれば、いや時速64キロなのだからうまく当てなかろうと普通の人間なら頭をもぎ取れるだろうが、そんな慣性の乗りに乗った一撃を当てんと、鷲宮准はただ猪突猛進するだけだ。
猛スピードで迫る鷲宮准を前にしてその作戦を看破した――というより当然の帰結ながら看破せざるを得なかった堺境はと云えば、黙して動かず獲物が網にかかるのを待った。
時速64kmで迫る少女の姿が恐ろしく見えたかと云えばそうではない。その全くの逆だ。
無策に突っ込んでくるから、呆気にとられただけだ。
「――――――ッ!」
「無駄だ」
呻きと呼ぶことすらできない呼吸音を聞いて、しかし堺境は一言、無駄だとだけ告げた。
鷲宮准は息切れしながらバットを振り被り『そんなことはない』と――そう云おうとして突如として停止した。彼我の距離は5m弱だ。
いや、停止したというのは厳密には間違いかもしれない。彼女の現在の姿を正確に表すのならば、停止したというよりも“静止した”といった方が正しいかもしれない。
文字通りに、先ほどバットを振り上げた状態から完全に止まっている。身動きが取れないというよりも時間が止まっている、と云った方が適切なほどに身じろぎ一つせず、鷲宮准は鷲宮准によく似た石造となっている。
この状態の彼女に意識などないだろう。時間が完全に停止しているならば脳の活動すら停止している。文字通りに酸素含むあらゆる原子分子の活動が静止しているのだ。その中にあって人間だけ活動が静止しないというのはありえない。
周りから見れば、今の鷲宮准なら百回殺してお釣りがくるほどに無防備だった。勿論彼、堺境がその無防備を見逃すはずもなく、黒衣の男の熊の腕のごとき魔手が振るわれる。
「――ッ!」
短い呼吸と共に鷲宮准の疾走とは比べ物にならないほどの速度、それこそ瞬間移動と見紛う速度で肉薄し拳を彼女の胸と胸の間、ちょうど中心に位置する辺りからやや下に移動した辺り、所謂鳩尾に接触させた。
迫りくる拳は陳腐な表現だが流星のようとしか形容できない。空を切り裂き魔手は迫りくる。人間業ではない、それこそ正しく超能力者でなければ避けることは至難な速度で迫るそれは、当たれば内蔵の一つや二つは持って行かれることだろう。
相変わらず鷲宮准は無防備に静止していて、その一撃をもろに鳩尾に喰らい――
校門のあたりまで吹っ飛んだ。
それはもう見事なほどに、ハリウッド映画で車がすっ飛んでいくシーンのように。
「――――あぁぅっ!」
地面を転がり仕舞にはもんどりうちながら校門のコンクリート塀にその華奢な体を強かにぶつけて、そうまでしてようやっと停止した。
寸勁、八極拳や太極拳における拳の接触面から気を流し込み爆発させることで相手を弾き飛ばす、という眉唾物の技術だが、彼のやったことはそれだ。しかしテレビで一般的に目にするような物の数十倍に匹敵する、という但し書きは必要だが。
言わずもがな、彼女に自分が何をされたのかなんぞ知る由もない。
堺境という男に肉薄して、次の瞬間には妙な構えをした堺境の手により弾き飛ばされていた、その程度の認識だ。それ以外に彼女に状況を説明してくれるような物は存在しない。
何ガ起コツタ、私ハ何ヲサレタ、確カ私ハ、確カ私ハ――駄目ダ、頭ガ上手ク回ラナヰ、呂律モ回ツテイナヰヤウナ気モスル。
あれだけ地面を転がってもんどりうって、しかし不思議なほどに彼女に外傷と云える外傷は校門に体を打ち付けた時に出来ただろう頭部の擦過傷位な物で、それを理解した途端、彼女は作戦を変えた。
飛び込んで駄目なら、懐以外のところから殴りかかろうというのだ。実際今の一撃でとうに能力の再定義は解除されている。次の能力は何にするべきかを、彼女は想像した。
一撃でもいい、何が何でも命中させなければならない。
呼吸困難気味で意識も朦朧としかけているが、手はまだ動く。足も動く。ギリギリ脳味噌が動くならそれは絶好調ではないか。
だからこそ、一撃を当てられるナニカ、決定打になり得るものは何か、彼女は十秒の間に思考した。
武器を持っていようと、彼我の間に揮える暴力の規模は明確に、笑いだしたくなるほどの差が開いている。彼女がバット一本持っていたところで埋めようもないほどに。
彼女が校門に身を凭れ掛からせて既に三十秒は過ぎようとしていた。堺境はとっくに構えを解いて先ほどまでの態勢に戻っていた。
堺境自身、もう勝負は決まったと思っていた。
普通の少女ならこんな異常な力を見せつけられてこれ以上戦おうなどとは思わない。
異常者だとしても、異常者になりたてでその異常性に染まり切っていない状態の、一般人と異常者の中間に位置する今なら負けを認められなかろうと撤退を選べるだけの正常性が残っているはずだろう。それが彼の見立てだった。
超能力者には先天的な者と後天的な者がいる。後天的な者の中にも強い能力を持つ者はいるが、先天的な異常者ほどに精神は振り切れ切っていない。その精神性が振り切れるのに最低でも一週間はかかる。
この中途半端な期間が、今の鷲宮准の現状だと云っていい。
得てして大きな力を得た後天的能力者はこの原則に則らない場合もあるものだが、事前のプロファイリング資料を読んでいた堺境はこの点も大丈夫だろうとみていた。
異常者の傍に長くいすぎているが、しかし精神鑑定の結果自体は普通の少女なのだ。普通ならば、危ない奴に襲われたらすぐさま逃げ出そうとするだろう。
しかしそうはならなかった。
鷲宮准の体が地面に吸い込まれるようにしてその姿が段々と沈み込んで行っているのだ。
御鏡弥生から報告のあった才能再定義の贋作王の発動に間違いないだろう。
もんどりうつ最中にも手から取りこぼさなかった金属バットの姿すら地面に完全に飲み込まれる頃には、堺境も彼女の二つ目の作戦を理解した。
素人が考えることそのままだが、正面がダメなら背後から。勿論、ただ背後に回られているわけではないだろう。人間の注意が最も散漫になる方向とはどこか。それは上方向だ。其れさえ理解してしまえばどこから来るかなど自然と推測できると云う物。
背部上方、右斜め後ろあたりだろうか
そんな直感にも等しい一瞬の思索とともに出された結論が頭に浮かぶのと同時、後方1mの上空3m、右斜め25度あたりから驚愕するような声が聞こえた。
彼女は存外、人の話を聞いていないようだ。
「結界師だと云ったのを忘れたのかね? 結界とは他と他を区切る物だ。この廃校に張った結界も然り、お前が先ほど引っかかった結界も然り、今の状況も然りだ」
無論、結界に侵入したからと云って速やかに効果が執行されるとは限らない。突然現れたなら反応も遅れるだろう。
事実、振り向いた彼の側頭部に向けて、金属バットの先が当たるか当たらないかの間をおいて静止しているのだ。空間転移能力なのだから、周囲の安全が確保されるまでの数舜の無敵時間のようなものがあってもおかしくはないだろう。
「後ろからというのは、そこいらのゴロツキには丁度いい作戦だっただろうが、生憎能力者を相手取るにはもう二捻りは必要だったかもしれんな」
直後、振り向きざまに右足を地面に叩きつけるようにして姿勢を低くさせた堺境はそこからの勢いをそのままに左足を振り上げ、左足が地面に着くのと同時に右足で鷲宮准の腹を蹴って、その力をさらにかける。
先ほどの拳同様に通常ではあり得ないほどの速度で打ち出された重い一撃が決まった瞬間、鷲宮准の細い体は吹き飛ばされていた。
飛ぶ、飛ぶ。放物線を描いてすっ飛んでいく。
鷲宮准の意識はすでに暗転していたと云っていい。腹に食い込んだ瞬間に意識の大部分が持って行かれ、すっ飛び始めたあたりではすでに意識はなかった。
飛ぶ方向は先ほどとは真反対。校舎の側だ。其処に鷲宮准本人の影がかかるのと同じ瞬間、別の影が重なった。
途端、彼女の飛翔は一切の予備動作なく静止した。地面と彼女の間の距離は1m半ほどか。其処に彼は一切の躊躇も予断も隙も無く、ただ冷血に、ただ冷徹に。
彼にとってはある種予定調和だったと云っていい。先ほどのあの瞬間、降参したと一言云ってくれさえすればそれで良かった程度。そこから先は異常者同士の戦いで、冷静さを欠いた方が負ける。最初から鷲宮准は、術中にはまっていたのだ。
だから彼にとっては至極単純で単調なルーチンワークだった。
冷静に、冷徹に、機械的に、死を纏う――鋼の肉体に鋼の精神を重ね合わせたそれはどこまでも堅く、そしてそれは幾度と続けられてきたことだ。殺すことにいったい今更何の躊躇いがあろうことか。
戦場に出てきたのだ。戦場で相対する以上、男も女もない。あるのは勝者か敗者か、その二択なのだ。フェミニズムを語る者に生きる場所はない。
一体の戦闘マシーンのごとく、寸分違わず、適切な筋肉の動かし方、適切な呼吸法の元彼女、鷲宮准は狙い撃ちにされた。
振り向きざまの左手甲が爆発するかのように、彼女の無防備な背中に叩き込まれた。
痛ヒ――タダ痛ヒトシカ形容デキナヰ。人ノコトボカスカ殴リヤガツテ……
鷲宮准からしてみれば一瞬のことだった。
正面玄関前にまで転がった彼女の体は文字通りの満身創痍。そもそも殴られることにも蹴られることにも兄弟喧嘩以外ではやったことすらない彼女に、本物の暴力と形容して云いこれらはあまりにも響いた。
体を動かせない無防備な状態、というのも大きく関係しているだろうが、しかしここまでアクロバティックな喧嘩など早々ないだろう。
兎ニ角、逃ゲヤウ。逃ゲテ一息ツイテミレバ何カ変ハルハズダ
金属バットを拾い上げることも忘れて正面玄関から校舎内に飛び込んだ彼女は、彼女が先ほどまで転がっていた場所がたった一人の男の手で耕されたのを見て、緊張や痛みで動かない片足を引きずるようにして校舎内を逃げた。
逃げて、逃げる。崩壊しかけている安普請だがそれでも身を隠すという最低限の役割は果たしてくれるだろう。
近代日本建築というのはその多くが他人からの視認を防ぐということに重点が置かれている。
例えば昭和の建築やそれ以前の建築というのは個人主義というよりも全体主義的な側面が強く、要するに赤の他人からのある程度の視認性を確保していた。
民俗学的に相互監視体制の一種であるという見方が大きいが、現代になって欧米のような視認性を防ぐ建築様式になったのは、ただ単にそれらを求めた人間たちが欧風建築に憧れていただけではない。
欧風建築が受け入れられたのは民俗学的に単純な云い方で『憧れ』と称されることもあるが、それだけではない。
個人主義にも似たような考え方の台頭、何か生活を刷新するような日本の伝統とか、そういったのとは無縁かつ斬新な発想。そんな一言で表すなら革命性、それらに合致したのが欧米諸国のような作りの建築だった。
戦後日本が独立するに至るまでに進んだのが欧風建築への憧れにも似た左化と政治の変遷だ。
何が云いたいかと云えば、あちこちに張り出された柱や壁は隠れるのに丁度良いと云うだけの話だ。
この廃校は中学か高校だったのだろうか、隠そうと思えば幾らでも身を隠す場所があるが、しかし入り口に近い場所から最も遠い裏門側の校舎内、三階の階段の踊り場にへたり込み彼女、鷲宮准は呼吸を整えた。
胃ノアタリカラ饐エタ臭ヒガスル。頬ガ、足ガ痛ヒ。兄弟喧嘩デモココマデ酷イコトニナツタコトガナイ
悪態を吐けば多少マシな気分になったが、吐き気はまだ止まらない。それでも吐かないのは単純な話で、そうした瞬間に諦めてしまいそうだったからだ。そういった観点において鷲宮准は何よりも己のことを熟知していた。
流されやすい性分で何かを諦めるのも早い。これまでも散々御鏡弥生に転嫁してきた責任の一部も自分の負うべきものだと理解はしている。少なくともこの春休みのは違うとだけ断言できるが。
流され易くて飽き易くて諦め易い。そんな鷲宮准が自分自身を追い込むためには、一言たりとも弱音を吐かせてはいけない。
たとえそれが吐き気に裏打ちされた生理現象であろうとも、何か一つを例外として認めた瞬間に瓦解してしまう。彼女は自分がこれまで如何に、御鏡弥生の持ち込む問題ごとや無茶ぶりに助けられてきたかを実感させられていた。
末妹の金銭を騙し取った新興宗教の構成員を御鏡弥生が半殺しにした挙句簀巻きにして連れてきたとき、おそろいのガスマスクを買いに連れて行かれた時、殺人事件の推理に巻き込まれたとき。
どれも御鏡弥生がいなければ途中で諦めていたか流されていたかもしれない。御鏡弥生が、鷲宮准の手を引っ張らなければ、少なくともこれまでの人生が灰色だったことは間違いない。
だがそれでも彼女、鷲宮准に曰くの親友である御鏡弥生の人生の楽しみを手伝う理由にならないのは確かだった。
アウグスタの云った『流されているだけ』というのは、間違いではなく事実その通り。明確な根拠も理由もなしに人助けに興じる人間はいない。居たとして、突き詰めて要素を絞り出せばその根拠は出てくるのだ。どんなことにでも。
仮に、本当にそういった存在がいたとして、それはきっと本物だろう。決められたルーティーンを決められたようにこなす、そんな機械染みた本物だ。
だが鷲宮准にはそれがない。それは不実だと鷲宮准は己を断ずる。
だから咄嗟に友達だからだと答えた。答えがないのも不実だと思うなら、答えがあるのも不実だと思う。どうしようもなく堂々巡りしているが、少なくとも、人に聞かれて恥ずかしくない答え程度、あってもおかしくなかったのに、鷲宮准にはそれがぽっかりと抜け落ちていた。
そんな体たらくでは、ほんのちょっとの弱音で直ぐに諦めてしまう。彼女はそれを知っている。自分がいかに弱い凡才なのかを。
だから何も吐き出さない。それをエネルギーに変えるつもりで腹の中に押し込めて、それをそっくりそのまま堺境という男に返してやるのだと心の中で決める。
そんな瞬間だった。
彼女が踊り場に身を寄せてから五分ほどしか経っていない。いくら彼女が手負いでも、普通に走れば五分はかかる位置にいて、なおかつ崩れかけでもそれなりに広い廃校内を一切迷うことなく、この男はやってきたというのだろうか。何の気配もなく、何の前触れもなく、何の音もなく――――
今度は不思議な現象は起こらなかったが、そもそもからして超能力者自体が万国びっくり人間コンテストの参加者のようなものなのだ。おかしなことではないのだろうが……。
細く引き締まった筋肉を持つカソックを着た男が、ペタリと座り込む鷲宮准の真横に立っていた。
引き締まった筋肉が引き絞られる音に気が付くと同時に鷲宮准はその存在を知覚しその動きを目で追った。熊手のような腕がそれまでの型を無視したような構えで引き絞られ、地に叩き下ろそうとしている。
「息が整ったならば、再開と行こう――今度は加減しよう」
今マデハ加減シテナカツタツテ云フノカコノ似非神父ハ。
程よく乳酸の取れて動くようになった足に力をかけ、転がるようにして踊り場を階下に向かう方に逃げたのは、先ほどまで型を崩すことなく行っていた一切予備動作の無い拳から、喧嘩のそれに近い隙だらけの構えと拳を形作った瞬間であった。
コンクリートとリノリウムの壊れる音。一回でどれだけの連撃が加えられたのかは分からないが少なくとも先ほどまで鷲宮准がへたり込んでいた部分は穴だらけのチーズになっている。
先ほどまでの型に収められた技術が一撃必殺の大技だとすれば、こちらは片手だけで発生させられた死の旋風のごとき多角攻撃。
加減するという言葉の通り、堺境は片手しか使っていない。それが唯一の救いだろう。
階段を転がり落ちるのは一生に一度経験すればいいくらいのものであるが、それでも迷わず鷲宮准はそれを選んだ。あの状態からまともに逃げようとしたところでどの道同じことになっただろうから。
階段を転がって、もんどりうって落ちるのは才能再定義の贋作王を以てしても多少の軽減にしかならなかったが、それでも鷲宮准は逃げる。どうしても正常な感覚の戻らない足にはそこいらの瓦礫を太腿に軽く突き刺して気の抜けたようなのは霧散した。
平衡感覚はどうしようもないしまっすぐ走れているとは言えないが、少しでも思考を留めた瞬間に負けると理解しているから、思考が続く限り走って逃げて距離を取る。
敵を知り、己を知って恐怖を得たなら尻尾を巻いて逃げだすほかない。しかし逃げだしたくないなら知恵を絞って戦わなければならない。それは必ず勝機を見出すことに繋がる。それが彼女の兄、鷲宮誠が常々溢しているシミュレーションゲームへの回答である。
少し違うが、分からない敵を倒すにはまず、逃げる他ない。
敵を知り己を知れば百戦危うからずとは言うが、それはどちらかが欠けていれば負けるということ。ならば知るために、まずは格好悪くとも逃げる他ない。休息を取り、ようやっと思い出した言葉だ。
勿論、ただ逃げるだけでは駄目だ。観察しなければ勝機など見いだせようはずもない。こんな地獄の沙汰でも、しかし彼女鷲宮准は兄の言葉を、死なない程度に頑張るという約束を律義に守っていた。
極論を云ってしまえば、死にさえしなければ何度でも挑戦できるのだ。勝つまで何度でも。死ぬことは時として美徳だが、匹夫の勇ほど救いようのないことはない。その結果が、今の彼女の現状だ。
酸欠気味で回転の遅い思考回路は、しかしまだ希望を捨てていない。まだ闘志は消えていない。こんな展開、正しくバトル物のADVみたいで俄然燃えるじゃないか。
引き攣ったように笑みを漏らすと、もう一度覚悟を決めるため後ろを振り返った。後ろから追いかけてくる影はゆっくりと、ゆらゆらと幽鬼のごとく揺れている。
彼女はようやっと彼をしっかりと認識した。強者として。いや、その点で云うならアウグスタ達もそうなのだが、彼の強さはそれらを凌駕しているように感じられた。性質が違うと言い換えても良い。
手加減なし。常に全力というわけではないが、しかし手加減はしてくれない。
筋肉だるまというわけではないのに、しかしあの体の何処からあれほどの怪力を出しているのかもわからない。そして何より彼女を混乱させたのは結界師という単語だ。
超能力のような能力を使うとは彼の自己申告だが、それは確かだろう。そうでなければ先ほどの空間跳躍の時、空中で静止することなどありえなかった。だが結界という単語と超能力はどうしても彼女の中で結び付けられなかった。
結界とは他と他を区切り、他と他を繋げる物だとテレビで見た。それは鳥居に然り、門に然り、鐘に然り、心に然り。何らかの霊的物体、一般的に精霊や神と呼ばれる者と交信する場を整えるために用意されるのが結界。
人間とは生きているだけで結界を生じさせているとはオカルトライターの談だが、それと先の静止現象には何ら繋がりを見出せなかった。強いて言うなら、彼に近づくとそうなる、と云うだけだ。
仮にその静止現象が結界によるものだったとして、では最初の瞬間移動は何だったのか……。
後ろを振り返ろうとしたのは何の策もなしではない。まずは何があるのかを確認したかったのだ。
仮に彼女の考えた通り、結界がその役目を持っているのだとしたら彼女の勝ち目は万に一つとして無くなってしまう。だが振り返ったのが更に彼女の頬を引きつらせることになろうとは思わない。
「……マジか」
振り向いた鷲宮准の視線の先、先ほどまでと変わらぬスピードで、しかし距離だけは先ほどよりも詰まっていると感じられる微妙な差異で、堺境はゆっくりと歩いて鷲宮准に近づいている。
振り向いた直後の彼女を狙い撃つかのように、不可視の一撃が頬を掠めていく。先ほど同様、片腕一本で行われた遠隔攻撃。種など理解不能。結果しか目に見える物はない。
知らず、鷲宮准は小さく舌打ちをして近くの鉄筋がむき出しの瓦礫をつかみ取ると堺境の方に向かって投擲する。
普通の人間ならば避けようとするはず。たとえ超能力者と云えど、視界を遮るものが放たれれば何かで抵抗はする。超能力なり、体なりで。
しかし堺境はそのどちらもしなかった。いや、する必要がなかったのだ。
彼に向かって放たれた鉄筋剥き出しの瓦礫は四歩先、大体一歩が40~70cmのため約240cm先で停止――いや静止した。
停止というのは予備動作を含む単語であり、予備動作や反作用などなくその瞬間停止したなら停止という語は適切ではないだろう。その挙動は静止したと言い換えたほうがよほど適切だ。
瓦礫はピクリとも動かない。其処だけ時間が止まっているかのように、ネジ止め剤で強固に固着されでもしたかのように全く、寸分違わず其処から移動していない。まるで時間が止まってしまっているかのように。
それを確認した瞬間、鷲宮准は交差点状の区画を横に、堺境の視界から消えるような行動をとった。
いや、消えるように、ではない。消えようとしたのだ。
嫌な予感がした。彼の視界から逃れたかったのは事実だが、その場にいれば危険だという動物的直観に無意識に従った反射行動だった。だがそれが彼女の命を安堵させたともいえる。
直後の轟音と土煙。トラックが構造物に衝突したような轟音。それこそ雷音と形容しても良い轟音が先ほどまで彼女の立っていた場所に突き立っていたのは先ほどの鉄筋剥き出しの瓦礫、その成れの果てだ。
まず間違いなく、常人の識域では避けられなかっただろう。いや、超能力者の識域でも避けることは至難だ。
間一髪、と云えるかどうかは微妙だが、少なくとも堺境の超能力を見破れない彼女に彼と同様のことは出来ない。
彼女が最初に想像したのは防御フィールドのようなものだった。
堺境は一定周囲を防御フィールドで自身を囲んでいるから無策に突っ込んだ鷲宮准は弾き飛ばされた。そう考えそれを確かめるために瓦礫を投げつけた。
結果は予想を外した。しかしある一点では合っていたことが証明された瞬間でもある。
彼は自分の周囲に防御フィールドのようなものを展開している。
少なくともその情報だけは確定した。
堺境が先ほどの十字路に差し掛かった瞬間、鷲宮准はそのまま身を隠すために廊下の端っこの教室、視聴覚室と木札に書かれた教室に飛び込んだ。音でバレるだろうが、息継ぎの時間稼ぎくらいにはなる。
相手の視界から消えるということは、自分から相手が視認できなくなる代わりに相手からも自分が視認されることはないということでもある。
音の反響や軍隊教練で教わるような測距方法などを用いずともこの程度では居場所など直ぐに特定されてしまうが、何処にどう潜んでいるかもわからない相手には後手に回らざるを得ない。
ガンアクション映画などで机などを盾にするのと同じ理屈だ。盾としての効果を期待しているのではなく、相手からの視認を防ぐことがその大きな目的となっている。
再び乳酸の溜まった足を解しつつ窓際の床によろよろと腰を落ち着けたのは、相手が目の前から消えた安堵からだろうか。鷲宮准はたった100m走っただけで上がり気味の域を整えながらも、尚も思索を止めない。
防御フィールドガ張ラレテイルノハ分カツタ。効果ハ何ダ?
少なくとも二種類はある。何故分かるのかと云えば、二回目の攻撃の際、停止はしても静止はしなかったからだ。
瞬間的に効果を変えている可能性もあるが、しかし素人考えではあるがそんな手間をかけるよりも効果の違う物を数種類用意しておけば大概の状況に対応できる。例えば懐に潜り込まれるとか。
銃でも擲弾発射機と小口径弾と大口径弾とケースレス弾薬と信号弾と連射と三点射と単発とレーザーポインターとダットサイトとブースターとスコープとフラッシュライトを一つの銃に併存させたら確かに便利だろうが、その分操作性は劣悪になる上に分解清掃に著しく手間がかかるのと同じ理屈だ。
あるネタからガチまで安心と信頼と歴史のあるドイツメーカーが作ろうとしたが頓挫した実際にあった計画だ。
操作性は劣悪になるほか、使用する兵士には一瞬でそれらを選んで使い分ける判断能力とそれらと予備弾薬を含む装備品を持ちながら走り回る身体能力、分解清掃する際に専門業者レベルの知識と技術を要求してしまうという初歩的な欠陥が露呈して凍結となった。
それと同様に、例えば堺境が複数の能力を使い分けているのだとすれば、彼は必要な結界をいちいち選んで構築し直さなければならい。それはいくら何でも手間がかかり過ぎて実用性がない。
ゲームのようなショートカットキーに該当する物はあるだろうが、それこそ服に結界の効果を刻印するようにして常備しなければならいなど、須らく不完全な人間の操る術理なのだ。何らか欠点はあるだろう。
そこまで考えれば、あとは単純な話、複数種類の結界をある一定の範囲で垂れ流しにしている可能性だった。
空間に作用する術理を複数種類垂れ流しにする、安直ながらそれが最適解に近いような気がした。予備動作やそれに該当する行為が見られなかったというのも理由の一端だ。
種のあらかたの考察が済んだなら、次の手を実行するまで――手近なところに転がっている机の脚を、再定義した能力の齎す怪力に任せて引きちぎり次に取るべき行動を確認した。
殺シニカカルヤウナ気デ挑マナケレバ負ケテシマフ。負ケルノハ、嫌ヒダ。
その直後、もう何度目かもわからない出鱈目がさく裂した。
腹の底に響くような重低音。それらがまるで群れを成すかのように壁の向こうから響いている。ドリルだとか特殊建機だとかそんな常識的な物ではなく、まるで魔性の動物共が一斉にかつ大量に壁に叩きつけられ続けているような、そんな形容しがたいありえない音。
先ほどまで五月蠅いほどに響いていた足音は消え去り、その重低音の群れが向かう先は一直線――鷲宮准のいる部屋だ。
音の乱反射、音の暴力、空気を切り裂くような爆音、それらの勢いは少しずつ早くなりながら、間にあるあらゆる障害物は障害足り得ないと嘲笑するような高音を伴いながら接近する。止める手段はない。
本当にそんなことがあり得るのかと思いつつ、しかし彼女はありえないことはありえないことを知り、能力をさらに再定義した。
教室の壁が粉々になって吹き飛びながら、重低音の群れは教室の隅々を凌辱していく。壁際で頭を守るようにうずくまる鷲宮准に瓦礫が降り注ぐが、しかし鷲宮准の体は鋼に変性して、ダメージはさほども無い。しかし――
彼女は見てしまった。重低音の群れが、圧力の暴力が部屋中を嘗め回すように凌辱していく耳障りな音と、それらが意味することを。恐る恐る壁の方を見てみればそこには想像したくもない惨状が広がっている。
一人の人間が、結界のみを操るはずの結界師という肩書を裏切るような頭の可笑しい力の齎した末路が。
先ほど瓦礫を投げつけた廊下から一本の道が作られていた。合間にあったはずの職員室や保健室などの部屋は丸々ぶち抜かれて昨今流行りのシェアハウスのような様相を呈している。
その距離約60~80mほどか。そこから彼は拳を振りぬいた状態で鎮座していて、間違いなくそれが堺境の行った強硬であると物語っている。
「……外したか」
「ぁ――――お、お前私を殺す気か!」
「手違いでの死亡に関して御鏡弥生は何らペナルティを設けていない。文句があるなら君の友達に言うと云い」
「ふざけんな!」
マジデフザケテヰル。イクラ弥生デモ目ノ前デ友達ガ殺サレレバ憤ツテクレル……ハズダ。自信ハナイ。
そんな戯けたことを考える余裕ができるくらいには、この万国びっくり人間コンテストにも慣れきってきた頃だった。
彼女が一番に警戒するべきは結界師の持ちだす結界だが、網に掛からないならと持ち出されるあの格闘術も警戒していなければ一発で終わりだろう。
唾を飲んだのは花粉症だからではないだろう。逆にだ、彼女の中で何かが切れたような感覚がよぎるとスゥっと頭が冴えわたった。震える足腰に鞭を打つように、先ほどまで何度も頭で反復していた行為は実行に移されることに。
何度も何度も、予想の斜め上を行くようなことをされ続けて、もはやそれが当たり前のようにすら感じられたのだ。だから何が来ても怖くないような一種の超越感が、先ほどの強硬によって逆に彼女を落ち着けさせた。
いつだったかに見たやり投げ部のフォームを真似して、助走をつけて堺境に向けて真っすぐに、とはいかなかったが机のパイプを投げる。
風切り音を立てながらパイプの真ん中あたりを支点にクルクルと回転して、しかしそれでもある程度狙い通りの方向に向かって鉄パイプは飛んでいく。
素人の適当な構えだから本来なら前方に向かって回転しながらどこかにすっ飛んでいくところを、だがしかし次の瞬間その鉄パイプは何の予告もなしにその場所から消えた。
堺境が何かをしたわけではない。彼は何ら構えることも、先ほどの防御フィールドよりも手前の地点にあったから防御フィールドに触れたわけでもない。彼は何もしていない。
彼女、鷲宮准がしたことだ。その証拠に、次の瞬間には堺境の目の前で5cm前後の空走距離を挟みながら鉄パイプは出現した次の瞬間に停止した。
その距離は奇しくも先ほど鷲宮准が停止した距離と同じだった。つまりその距離は少なくとも先ほどまでの物体を静止させる防御フィールドではないということだ。
それが意味するところとは、即ち――
結界は複数張られているということが確定した、ということだ。
それを確認した次の瞬間、先ほど同様に彼女は一目散に逃げだした。今度はツタが絡みつき割れてしまった窓から駐輪場や武道場のある方向へ。
ガラス片で掌を怪我したところで、気にすることはない。どうせほぼほぼ満身創痍。今更傷や怪我の一つや二つできたところで大した差はない。次の行動があらかじめ決まっているなら、稚児のように手を拱くことこそ愚行。やることが済んだなら疾く立ち去るのが常套だ。
鷲宮准の手によって空間跳躍させられた鉄パイプが、先ほどまで鷲宮准の立っていた場所に突き刺さった音がむなしく響いた。
堺境ハ少ナクトモアト一ツハ確実ニ結界ヲ張ツテイル。結界ノ範囲ヲ自由ニ変エラレルノカハ分カラナイガ、結界ノ範囲ガスベテ同ジナラ、アト一ツ虎ノ子ガアルハズダ。
二枚で済むはずがない。予め結界を二枚張る人間が、もしもを考えないはずもない。
先ほどの現象から、鷲宮准は二枚の結界を考察する。種が完全にわかったわけではないし、そもそも能力で結界を解析してしまえば済む話な気もするが、鷲宮准は現象から導き出される一般解を出す。
一枚目は運動エネルギー関係なく物体を静止させる結界。
二枚目は物体の運動・位置エネルギーを減衰させ停止させる結界。
この二枚あれば一般人には十分だろう。となれば、最後の一枚は能力者用の結界と見て間違いはない。
時間やエネルギーも関係なく静止させ停止させる結界など一般人には手の出しようもない。となれば鷲宮准の分析に曰く用心深い堺境が最後の一枚に用意するのは対能力者用の結界。例えば能力の反射とか。
戦闘不能にさせることに重きを置いている結界ばかりなのだからこれの可能性はあり得る。問題は、どうやって二層の結界を破って能力を届けるか。
どの道実験して測ってみなければわかるはずもない。考える間もなく、鷲宮准はそれを実行する。必要なものは何かわかっていた。殺すつもりなぞないが、相手が殺すつもりで来るなら手足が振るえようがやるほかない。殺すつもりの一撃を叩き込む。
鷲宮准は自分を特別だと考えたことはない。
金持ちの娘と知り合ったことは偶然、幸運だった程度で、陰で交わされる妄言のような、所謂金目当てだとか、そんな無粋な感情を持って御鏡弥生と付き合っているわけではない。
そうだ、鷲宮准は特別ではない。最初はいけ好かないと思っていた娘に好意を抱いてしまったのだ。こいつなら、自分の人生はきっと面白いことになるという確信を持っていた。
だから鷲宮准は御鏡弥生同様に、特別だと思ったことは一度としてない。世に蔓延るフェミニズムは特に嫌いだ。唾棄すべき腐ったリンゴの脳味噌だとすら考えている。
自分は女だから害されることはない? 自分は女だから特別である? 自分は女だから異性よりも優先されるべき権利がある? 自分は女だから永遠に弱者である? なんだそれは食えるのか?
権利権利権利権利権利、権利ばかりを欲する愚図共は特に嫌いだ。虫唾が走る。全地球上の女性の代弁者だなど大言壮語な。お前たちに代弁されるまでもなく、自分の人生は自分で決める。
鷲宮准は、御鏡弥生はそういった人間だ。
故に同様、この勝負において自分が必ずしも安全であるとははなから考えていない。あり得ない。
勝負なのだから怪我の一つや二つするだろう。男と女なのだから自力には呆れるほどの差があるだろう。だがそれは、埋めようと思って埋められないようなものではない。超能力なんてものだってあるのだから尚更に。
本当に危なくなれば御鏡弥生とて動くだろう。しかしそれを当てにするほど依存心の強い性分では決してない。
鷲宮准とは、御鏡弥生以外に親しくする友人曰くに自立心が強い風に見られているのだそうだ。
だから鷲宮准もここで腹をくくった。どんな結果に転んでも良い様に今出せる全力で戦うのだ。
振り返った鷲宮准はアニメで見かけるような構えで腕を地面と平行に構え、親指の腹を軽く曲げた中指の腹に沿わせて人差し指の第一関節辺りで狙いを付けている。黄色のスーツに白目とカニみたいなヘアスタイルが似合いそうな構えだった。
指パッチン、フィンガースナップ・フィンガークラッピングなどとも呼ばれるそれを先ほど逃げ出してきた校舎の窓、今現在堺境が足をかけている其処へ向けてピンポイントに狙いを付け、指を鳴らした。
親指と中指と人差し指の接触面から零れ落ちた火花と鎌鼬が音を置き去りに一条の光線となって堺境に肉薄する。その速度は亜光速。音速を超えた時点で常人であろうが超能力者であろうが反応は出来ない。
感覚を鋭敏にさせる能力や動体視力を向上させる能力があればその限りではないかもしれないが、少なくとも堺境は化け物じみた身体能力と結界、まだそれしか見せていない。もしも持っているならば亜光速の一撃を避けるためにそれを発揮せざるを得ない。
ここまでをしてしかしそれでも準備としては不十分だから、確実にその一撃を当てるために魂喰らいの吸血王を能力に重ねがけし、着弾後にはその場で展開。発動した魂喰らいの吸血王で結界を剥がす。
二層の結界が剥がれてしまえば堺境は最後の結界とまだ隠し持っているかもしれない力を除けば丸裸も同然だ。
そう、鷲宮准はここで三つのことを実証しようとしている。
一つは、結界が堺境の手によってスイッチングされているか否か。
一つは、最後の結界の能力が反射か、それとも無効化か。
一つは、堺境はまだ隠し玉を持っているか否か。
鷲宮准や御鏡弥生が全精力を傾けてやっと避けられるかどうかの二つの攻撃を同時に放った。到達タイミングも同時になるように射出角すら能力で計算補助を行い射出しており、その一撃は絶対必中。
さらには発動した能力自体に永続発動型と付与能力の要素として再定義した魂喰らいの吸血王を攻撃に混ぜている。着弾時にはその場所に設置されるようにして発動し一定時間特定能力を吸い取り続ける魔の巣と化し、結界を剥がし続ける。
最後に待ち受けるだろう一層を残し丸裸になった堺境に亜高速で移動する爆心と亜高速で追尾する鎌鼬の二つが同時に着弾し、仮に反射された場合は能力定義を更新するか逃げるかすればいい。重要なのは、堺境の最後の一枚が何かを見極めることである。
指パッチンから放たれた亜光速で移動する爆心。それが着弾すれば校舎が丸ごと吹っ飛ぶだろう。移動しようとすれば移動先に合わせて移動して当たるまで爆心は広がり続ける。
同様に指パッチンから放たれた亜光速で追尾する鎌鼬。それが着弾すれば肉は愚か骨すら裁断してしまうだろう。対象が移動しようとすれば逃げ道を塞ぎ袋小路を作り上げ、それでも逃げるならどこまでも追いすがり広がり続ける。
発射から0.1秒にも満たない次の瞬間、堺境が降り立った場所を中心として約束された一撃必殺と獰猛な呪いの神風が堺境を襲う。
爆音と耳障りな超音波の二重奏が校舎を巻き込んで崩壊の音色を奏で、古い鉄筋コンクリート造りのそれは余波だけでその形を失くした。
燃やし、
溶かし、
切り裂き、
抉り、
吸い取る。
局所的に、至極限定的かつ瞬間的に平和な街の片隅で戦場の音を再現して見せる。鷲宮准が思いつく限りにおける最大出力は、少なくとも戦争中の一区画程度なら容易に殲滅可能な威力を伴って顕現していた。
まず最初に対人地雷型魂喰らいの吸血王が着弾点を中心に思いつく限りにおけるあらゆる超能力を完全に吸い取る。接触使用より幾分か吸い取り能力に劣るとはいえ、御鏡弥生に曰く“王位を戴く能力”とやらに底上げされている以上、それこそ誤差の範囲に過ぎない。
次に、亜光速で移動する爆心と亜光速で追尾する鎌鼬が同時に着弾。逃げ道を塞ぎながら全方位から容赦なく熱と音と風が襲い掛かり、逃げようとするならば目標の座標へ先回りして必ず当たる。移動先が分からなければ爆心地を中心に爆心を広げていく。どの道、必ず当たる。逃げれば逃げるほどに逃げ場を失うのだから、いつかは必ず当たる。
全て発動したということは、少なくとも堺境は全て諸に喰らったということ。この攻撃はどれか一つでも命中しなければその瞬間に瓦解する。
対人地雷型魂喰らいの吸血王に足を掬われるか、爆風や鎌鼬の余波が自分にまで襲い掛かってきて逆にピンチになるか。尤も、後者に関しては対策済みではあるが。
ここまで危険な攻撃を一切の対策をせずに放つほど彼女、鷲宮准も向こう見ずではない。何か一つが失敗した際には堺境を真似した能力に再定義して発動する準備までしていた。しかしその必要性はなくなった。
燃えている。爆発をもろに喰らってそれでも多少姿を残しつつ、だが校舎の約七割は損壊した。無傷なのは武道場や体育館の方面位だ。それ以外は今の爆発と超音波の辱波に飲み込まれ溶け焦げるか焼けこげるか跡形もなく消え去ったかのどれかだ。
反射された形跡はない。反射されたなら何らかの形で鷲宮准がその責を受けただろう。しかしこれで殺せたとも思えない。いやそもそも殺すつもりもないが、殺す覚悟でやらなければ勝てない。
アウグスタは何だかんだ云いつつ手加減してくれていた。後日邂逅した際にはご馳走に与ったくらいだ。身も蓋もない云い方をすれば、敵として見られていなかった。
敵ではないから勝たせてくれた。そもそも乗り気ですらなかったのだろう。さっさと終わらせたかったのもあるだろう。収束する結論はつまり、敵として見られていなかった。
だが堺境は敵として、出来る限り殺さないように殺すつもりで相対している。手を抜くつもりは微塵もない。年季もあちらの方が余程入っているだろう。対して鷲宮准はつい数日前に超能力に目覚めたばかりだ。
万能であることは器用貧乏だと御鏡弥生は揶揄うように云ったが、試せる可能性があるならすべて試すつもりで挑まなければ負ける。
負ければ、自身が超能力に目覚めた原因も、力が御鏡弥生のそれと被っている理由も、その手掛かりの一つを失ってしまう。ショートカットルートを通るためには特定のアイテムを集めなければならなくて、それが友達の心なんて、ゲームでよくある展開じゃないか。
だから負けられない。その先に何が待っていようと、少なくともこの瞬間立ち止まるわけにはいかない。そうしなければその後の人生ずっと遠回りすることになるから。
そんな覚悟と共に発射された一撃は、しかし無慈悲に振り払われた。
「まだ手加減する余裕があるとはな。それとも力に対して想像力が追い付いていないのかね?」
命中した時点で迫撃砲や戦車砲や銃弾手榴弾飛び交う激戦区を10平方メートルに凝縮したような地獄絵図が僅か3平方メートルで繰り広げるような様な常軌を逸した一撃を見舞った。
それこそ数発で米軍基地どころか一つの艦隊にすら通用するような一撃だ。常人なら万回は確実に殺せる一撃を放って、だがしかし爆風の嵐から出てきた堺境は無傷だった。
無傷。そして反射などの結界ではない。ということは堺境が三層目に敷いていた結界は、能力を無効化する結界だということが、これで確定した。
それを確認した瞬間の行動は早かった。
これまで同様、間髪入れずに逃げたのだ。
学校の敷地内という制限はあるが、身を隠せて落ち着ける場所に移動したかったのだ。
その代表格である校舎は先ほど薙ぎ払ってしまったから、消去法的に逃げ込める場所は限られる。
空間跳躍は一瞬だ。逃げるときは浮遊感が襲い、辿り着く瞬間には落下する感覚がやってくる。それが一瞬で彼女の体を襲うのだから、乱発すれば吐き気を催す。
毎度毎度空間跳躍の度に吐きそうになって、今まではそれより逃げることが最優先で気にしている余裕はなかったが、本日数回目の空間跳躍は我慢の限界を超えていて、跳躍後の場所が特に悪かった。
「うげぇ、埃っぽい……」
逃げ込んだ場所は、ボロボロの武道場の中だった。
何十年も放置された黴て萎びて異臭を放っている畳の嫌な臭いが充満していて、唯一の救いは先ほどの一撃の余波で窓ガラスがすべて粉々に飛び散ってくれていたことだろう。急激に空気の流入が行われて多少臭いが霧散してマシになっている。
咳き込むのは吐き気と埃っぽさ、どちらが原因なのかは彼女も分からなかったが、しかしこれで多少の時間は稼げた。
彼女が今やるべきは分からないことだらけの一層目と二層目とは違い、ある程度判明した三層目への対策と一層目と二層目を合わせての総合的な対処法だった。
今更ニナツテ頭痛ガヤツテキタ。ダウヤラ限界ガ近ヰラシイ。吐キ気モ空間跳躍ノ弊害ダケデハナササウダ。
疲れ切って眠りこけそうなのを鋭い頭痛が無理やり覚醒させる。
頭に掛かる靄は頭痛が晴らしてくれるが、それが逆に苛立たせてくれる。起床して直ぐの云いようのない苛立ちや怒りとか、そういうのと似ている。
だからだろうか、視界の端に映るそれを見て妙案のような何かが頭を過ったのは。
ダウヤラ今日ノ私ハ非常ニ冴エテイルラシイ。多分今日ヲ逃シタラココマデ大胆ニハ成レナササウダ。
一方の堺境はと云えば、先ほどの暴挙が行われた地点で未だに立ち尽くしていた。
ところどころに溶け、ところどころ燃え、ところどころ裁断されている校舎や能力使用によりガラス状になりかけている地面。予め敷地全体に結界を張っていなければ廃墟だらけのこの一帯がどんな惨状となっていたか分かったものではない。
素人のフェイントも一切なしの行動ゆえに何が目的かなんぞ考えるまでもなく理解できている。
例えば井戸を掘ったらまず最初に何をやるか。水があるかどうかを確かめるだろう。では水を確かめるには何をすればいいか。
長くて細いものを用意するのは手間がかかる。手近なところで数を揃えられて硬いモノ、例えば小石とか。そういったものを落として水があるかどうかを確かめるだろう。それと同じことを鷲宮准は実行していた。
結界の範囲とそれぞれの効果を把握するために、手近なところに転がっている瓦礫や鉄パイプを結界に直接投げ込んで範囲と効果を測った。
やったことはそんな単純なことだ。勿論それでは測れないこともある。
例えば一層目の静止の原理、二層目の停止の原理とかがそうだ。
概念的な物を量るのに、物理的な物差しでは限界がある。どの道一層目に引っかかれば静止し、二層目に引っかかれば停止すると云うだけであるが。
堺境は物理学者ではない。どちらかと云えば真逆の立ち位置、神職の類だ。チベットの僧侶で、密教の心理を学んでいた武僧だ。現実を数式や定理を以て定義づけ解釈する物理学者と神秘主義者では、立ち位置は真反対だ。
しかし行き着く結果はどちらも同じだ。突き詰めるまで突き詰めれば、遅いか早いかの違いでしかない。この場合、科学が遅かっただけでいずれは堺境の境地に追いつくだろう。
神秘とはそう云う物だ。最終的に科学が概念を定義づける。見ている視点が違うだけなのだとは大僧正の教えだ。
武僧がそんな異常な膂力と概念の力を手に入れてなお結界という力にまで手を伸ばしたかと云えば、それは結局、受動的な神の在り様と能動的に求める人間の姿に乖離を覚えたからに過ぎない。
巡礼と殉教の末に知った。神を生み出すのは人間である。正義と罪を定めそれを追及しようとするのも人間である。神などいないのだから、人間と天然自然以外に彼らを害せようはずもない。
であるならば無意識に神を求める人間たちのその一生にはどれだけの価値があるのか。それを知りたくなったのだ。
無神論者ですら内心には神を信じている。彼らの内部に彼らに都合の良い神は必ずいるのだ。そんな自己欲求が生み出す偶像とは何か、それは詰まる所、自分自身だ。誰の心の中にも等しく必ず存在する。
ユダヤ人の非差別意識から生み出されたヤハウェとか、そういった誰でも信じられるものではなく、自分以外に信じる者のいない神。其れこそ人間が一生に必ず信仰する神だ。
ではそんな物を抱えて生きる人間の一生とは、如何なるものなのか。
神など信じていないと空嘯きながら内心に神を飼う彼らの一生とは、正も悪も纏めてひっくるめてその誕生からその死まで、余すところなく蒐集したい。彼はそんな異常者だった。人の一生を蒐集する、生きる概念と云ってもよい。
人がどのようにして死ぬかが重要ではなく、人がどのようにして生きて、その果てにどのように死ぬかに興味がある。過程をこそ重視している。故に誰にも触れられたくはなかった。
神の不在を知った信者が最後に縋ったのは、人という神だったのだ。
そんな彼にとって、不確定要素が殊更強い鷲宮准と御鏡弥生。対のような関係でいて実は合わせ鏡の関係にあるこの二人は特に、その収集の絶好の対象と云ってよかった。
だから初めて見せた容赦のない一撃。これが尚更に堺境に愉悦を感じさせた。喜悦と法悦と愉悦とが混ざり合って混沌めいた快楽が、彼を襲っている。
何にでも変われるということは、何にでもなれるということだ。それはまさしくヒトという種を体現している。
ほんの一つの要素の食い違いだけで大戦争を起こせる。ほんの一つの要素があれば全人類が幸せになれる。そんな無限の可能性に満ちている。堺境に人間を信じさせるに十分な、光を彼女たちは持っていた。
それはある種、若しくは常人にとってみれば、常に正しさを直視させられているような地獄なのかもしれないが、少なくとも堺境はその正しさが心地よいと思っていた。
もしかしたら、歪んでいない者の方がよっぽど歪んでいて、歪んでしまった者の方がずっと歪んでいないのかもしれない。
そんな彼でも許せない物の一つや二つはある。
一つは、神を騙る者。元神職ゆえ、説明の必要はないだろう。
もう一つは、自分の趣味を邪魔する者や物だ。
そういう意味で論ずる場合において、御鏡弥生の心の一部が正しくそれに該当する。というよりも前者にも後者にも当てはまっている。とりわけ嫌いなものと云っても過言ではないだろう。
だから初めから、返す気などなかった。鷲宮准には子供と云うだけで勝たせてくれない意地悪な大人もいるのだということを知って帰って貰おう。
愉悦に歪む鉄面皮がいざ武道場の方向に歩を進めようとしたとき、求めていた人間が立ちふさがった。
鷲宮准は最初に堺境に相対したときと同様に利き手である右手に物を掴んでいた。長さは四尺ほど。剣道で使う物にしては多少長い気がするが、それは紛れもなく木刀だった。
古びて黴だらけでところどころ腐ってすらいた刀を象った紛い物は、しかし今では新品同様の照りを返している。
木刀。タダの木刀。それ以外に何ら特別な要素はない。探そうと思えばそこいらのお土産物屋や剣道の道具を扱っている店で買えるような、一般的な木刀だ。多少長いだけで。
戦力的に見れば重量的にも扱いやすさ的にも鉄パイプや金属バットの方が彼女の体格にもあっていて使いやすいはずだが、しょうがない。武道場に放置されていたものの中で武器になり得るものはこれ以外になかったのだから。
堺境がそれを笑うことはない。一転して今度は一体何を見せてくれるのか愉しんですらいる。
そこへ鷲宮准が宣言する。木刀を向けながら、お前に勝つと。
「堺境さん、残念ですが、勝つ方法見つけちゃいました。ですから、勝たせてもらいます。いや、勝つ」
勝ちたいでも勝たせて貰うでもなく、勝つと宣言した。
自身の力で、自信のある奇策でお前を打ち破ると宣言したのだ。
返事も待たずに開戦の号砲は鳴り響いた。
先ほども同様の約束された一撃必殺のコンビネーションが放たれるのとほぼ同時、鷲宮准は駆け出していた。
攻撃の規模を鑑みるに、自爆以外の何物でもないと思うが、勝つと宣言したからには何か秘策があるのだろうと結界の範囲を狭めて密度を高めた瞬間、至近での爆発。しかし結界を剥がすような効果も無ければその攻撃は一層目に阻まれて静止している。無理やりに抜けてきた攻撃は二層目で食い止められ、それ以上堺境に牙を剥くことはない。
完全な下位互換。堺境相手でなければ十分通用するだろうが、これならば先ほどの方が余程威力があったし身の危険を感じたほどだ。とんだ肩透かしを食らった気分になりながらも、広がり続ける爆心と鎌鼬の特性から身動きが取れなくなったことを自覚した。
一層目が止めている爆心と二層目が止めている鎌鼬。
堺境が動けば当然、本来設置が前提であるはずの結界は堺境を中心として堺境に追従する以上、うざったいまでの嵐が延々と襲い掛かってくることは想像に難くない。
安易に動くことはできない。密度を高めたとはいえいつかは結界も破られる。爆発を静止させても、爆発する瞬間のダメージは通る。鎌鼬が無理やりに通り抜けようとすればそのダメージも通る。下手に動きまることこそ悪手。
だがしかしと再考する。それは相手も同じなのだ。
無策に突っ込んでくれば一層目の時間結界、金剛界に絡めとられることになり、仮にそれを突破したとしてついでの二層目の空間結界、胎蔵界が進行を阻む。
もしも仮にそれすら破ったなら三層目の無力化結界、両界が能力を打ち消しその隙に拳を叩き込むだけだ。いつも通りのルーチンワークに過ぎない。
けれどここまで結界の効果を調べるために策を弄した相手がそれを無視して突貫してくるかと云えば、否である。それに気が付くのと同時に、この攻撃の意味を完全に理解した。
してやられた。
この攻撃は、堺境をその場に釘付けにするためのフェイクでしかない。中身が薄いのも、見た目だけ派手なのも鷲宮准から目を逸らさせるため。
では鷲宮准の目的とは何か。それは勝つこと。勝つためにすべきことは、前提条件とは。
それは堺境の全ての結界を突破し、堺境に参ったと云わせること。それ以上でも以下でもない。
ではこの爆発と鎌鼬の嵐を起こしたのは何か。それは鷲宮准が安全に堺境に肉薄するため。
相手から自分の姿が見えないということは、自分からも相手の姿が見えないということだ。だが少なくとも発したそれらが動かないで静止し続けるということはだ、相手は先ほどの位置から移動していないということでもある。
鷲宮准にだけ相手の位置がモロバレなのだ。
「まずは一枚目!」
木刀の一振りは一瞬時間結界に絡めとられたかと思えば、次の瞬間には時間結界をバターのように切り裂いていた。
それと同時に静止していた爆発現象も活動を再開する。
空間結界を叩き続ける爆音と光が一瞬見えた鷲宮准の姿を覆い隠し、しかしそれでも気配が動くのは察せられる。
体を少し横に倒してやれば鷲宮准は容易に自分の用意した爆発に巻き込まれてくれた。その結果として、鎌鼬も爆発も依然として堺境を追いかけ続けているが。
「対策はしてある!」
そんな幻聴が聞こえると同時に、二枚目が切り裂かれる感覚が堺境に届いき、視界が晴れた。
五月蠅いまでの爆炎も空気の歪みも光の乱舞も爆音もなくなり元の静謐とした廃校の敷地がある。立てられているのは自分たちの足音と砂利の靴底と擦れ合う音だけ。それ以外はまるで最初からなかったかのように森閑としている。
自分で自分の作り出した能力を切り裂いた。
至った結論はそんな稚拙極まる物だったが、それが正解だった。
隠れようとどうしようと正確に自分のいる位置を探り当てる相手なのだ。注意を逸らせば最初の一撃は当たるだろうが、次は警戒されて当たらない。避けられて終わりだとわかり切っているほどに分かり切っている。その後に待つのは自分の出した能力に巻き込まれる自滅。
ならば避けられることも防がれることも前提に全て纏めて叩き切ること。目の前に立ち塞がるモノすべて、邪魔なら自分が呼び出した能力でさえ叩き切れば当てられるかもしれない。避けられてもひと掠り入れられるかもしれない。
それが鷲宮准の実行した全容だ。
低い確率の為だけに失敗する確率の高い方を選んだ。一歩間違えれば自滅待ったなしの行為に踏み切ったのだ。
いや、一歩は間違えていた。
爆発と鎌鼬に巻き込まれて、盾にした右腕はこんがり焼けている上、左足は骨が見えるくらいにズタボロになっている。
手足が完全に千切れる前に能力を打ち消せたのが不幸中の幸いだろう。
猛烈な痛みが奔っていて、普通なら既に動けないどころか死んでいる。それでも鷲宮准は最後の一振りを繰り出す。これが勝機なのだ。
いくら超能力者とて、本当に狂ってでもいなければ、のっぴきならなければ自分から爆発に突っ込むやつはいないだろう。それに突っ込んででも攻撃を掠らせた瞬間が好機だ。
堺境は結界師であって、超能力者ではない。似ているが、違う。
超能力者を多く相手取って来ただろうからこそ、普通の超能力者なら普通はどう行動するかを知っている。普通を逸脱しなければ、異常の中の普通を逸脱して本当の異常者になる気でかからなければ勝てないのだ。
目の前で一瞬呆けた、今がチャンスなのだ。
ダカラ動ケ、私ノ腕……私ガ勝ツタメニ……!
「最後の一枚!」
鷲宮准が気が付いた時には三層目の無効化結界は消失し、堺境の喉元に向け、一般よりも少し長い木刀が付きつけられていた。
纏わせていた魂喰らいの吸血王はとうに解除されていたが、とうに息切れを起こしていて呼吸すらつらいが、それでも鷲宮准は続く言葉を紡いだ。
ブラフダ。コンナモノ。実際ソンナ余力何テ残ツテイナイ。
「魂喰らいの吸血王――――まだ使える。今度は何を切り裂けばいい……!?」
両界との対消滅で解除されたものを、解除されていない風に云う舌技はない。聞く人に聞かれれば一発で、それこそ目の前の男は嘘だと看破していそうだ。
アドレナリンの過剰供給が終わりを告げ急に冷静になった頭は、右腕の甚痛や左足の惨状よりも先に、現状の絶望的なのを理解していた。
それはそうだ。目の前の相手は無傷なのに対し、自分はすでにこれ以上ないほどの手傷をこれでもかと負っている。最初から最後まで徹頭徹尾、自分ばかり生傷をこさえているのだ。その上満身創痍で体力も枯渇するところまで枯渇している。
いくら何でもできる能力を持っているとはいえ彼女、鷲宮准にこれ以上の勝機は見いだせなかった。というより、今すぐにでも降参したい気分にすらなってきていた。
長いようで三十秒くらいな沈黙ののちに、堺境は口を開いた。
「――――参った」
「……は?」
「参った、と云っている。鷲宮准、お前の勝ちで良い」
結界があれば2~30人を一度に殺せるが、結界がなければ一度に五人しか殺せんのでな。冗談めかした台詞を真面目そうな顔で宣うものだから、さしもの鷲宮准も毒気を抜かれてしまった。
一度ニ五人デモ十分私ヲ負カセラレルヂヤナイカ…………
実感の湧かない勝利は気の抜けたシャンパンのようなものだ。若しくは氷で薄まり過ぎたハイボールのようともいえる。
なんだか子供じみた見栄の張り合いをしたような気がするが、何だかんだで、終わってみれば意外とあっけなく、彼女鷲宮准は弱点の無い結界師堺境との勝負に勝った。其れだけは譲ることのない事実だった。
通算二度目、鷲宮准は敵対者からのお情けで勝たせて貰う形で、二戦目を終えた。
景品は錆びた刀。錆の具合を見るに、血が固まった末の錆びだということが分かる。どことなく怨念を背負っているような、まさしく“ココロ”の入れ物にはお誂え向きな代物だった。
それ以外のことは全く持って記憶になく、気が付けば鷲宮准は御鏡邸の布団に寝かせられていた。
一生モノの焼け跡になるはずだったケロイド状にただれていたはずの右腕の皮膚は何故か元々の白磁のような色合いに、左足も同様で、同時にそれらが御鏡弥生の手によるものだということも何となくではあるが、想像がついてしまえた。
横を向けば、いつもの浴衣を着て無防備に寝こける親友の姿があって、傷の手当とか関係なしに呆れた笑いが零れて、実感のない勝利を噛み締めさせた。
「お前は暢気だなぁ……友達が滅茶苦茶体張って勝ってきたってのにさ」
思い出すだに恥ずかしい躁病チックなことをやっていた自覚がある。絶対にライトノベル向けなことをやっていて恥ずかしいことをその場のノリで云っていた自覚もあって、知らずに頬が熱くなるような気がして、殴られた頬が痛んだ。
それが勝利の報酬だった。それが勝利の実感だった。一番最初に突っ込んで、それでこさえた痣だ。それが在ることが何よりの証明だと胸を張っては言えないが、笑ってそう証明するくらいは出来そうな気がする。
一生分の情熱とか色々つぎ込んで戦っていたような気がしていた。そのくらい本気だった。
しかしこれがまだ中間地点でしかないことなど、彼女には知る由もなく、終わりの始まりは静かに始まりだしていることもまた、鷲宮准の与り知らぬことだった。
こちらは去年の十二月から書き始めて二月末辺りに書き終わりました。




