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題名のない音楽祭 ~Konzert ohne ein Titel~  作者: 魔弾の射手
本章 Zur Genealogie der Molal
4/20

第3.00話 ~反獄篇~

□大昭25年 03/31 02:23 春休み後半




 あれから五日目――堺境(さかいはざま)との決闘を終えてから二日目の夜半。妙に妖しい月明かりが彼女たちを照らしていた。

 白銀の光の中、御鏡弥生は傍らで(うな)され(なが)ら眠る鷲宮准を、赤く灯された瞳で見下ろしていた。見定めるような、ともすれば生き別れた家族と再会したかのような名状しがたい感情を色濃く湛えながら。

 記憶を順当に取り戻しつつある彼女には、隣で眠る腐れ縁の意味が分かっていた。そういうことだったのだ。


「准――これはね、大人のエゴなんだよ。僕たちは二人して被害者だったんだ。厳密には僕は加害者でもあるんだけど――でも僕は君に、今はまだ、それを教えるつもりはないよ」


 意味深に笑顔を深めながらも憔悴した風な御鏡弥生は、この物語を続けるべきではないと確信していた。それが二人を滅びへと導くとなんとなしに理解していた。

 なんとなれば、彼女こそが鍵なのだから。鷲宮准と御鏡弥生の趣味嗜好、進学先、欠けた心のパーツ――全てが一致していたのは偶然ではなかった。

 勿論普通に生きるにあたり、そういった要素の噛みあう人間など探せばいくらでもいるだろうが、出会う確率というのは低い、というより絶無に近い。そんなものと偶然に出会い、以降の十年を共に過ごす確率とは、一体如何程の物であろうか?


 だがそうであるならば、なるほどこれは運命だろう。だからこそ――


「我が愛しの准――君には辛い思いをさせることになる。ごめんよ」


 傍らに眠る己の半身(鷲宮准)のガーゼに覆われた頬を撫でた。月明かりは、まるで対照的な風に見える彼女らを妖しく照らし上げていた。

 鷲宮准(半身)の頬に軽くキスをすると、今思いついたように鷲宮准の知る(・・・・・・)御鏡弥生(・・・・)らしい(・・・)含みを持たせた云い方で呟いた。


「そうだ、この物語の結末は准、君に託すことにしよう」


 そのつぶやきは闇の中に飲まれて、月明かりは彼女、御鏡弥生を照らすことをやめた。







 最近ノ弥生ハ、不自然ダ――何トナレバ彼女ハ本来、人ヲファーストネームデ呼バナイ人間ダカラダ


「どうしたんだい、准」

「いや――弥生、やっぱりここ最近変だよ」

「准が実は超能力者だったとか?」

「そういうことじゃない! ――やっぱりお前はお前だったよ……」

「そりゃそうさ。僕は僕以外になれはしないよ。だから、ほら、安心しなよ」


 ソシテマタ、カウシテ抱キシメラレルノダ


 赤ん坊のように抱き寄せられ背中を優しく撫でるように叩かれるのは、彼女に仄かに不快感と、しかし振りほどこうと思うほどの拒絶感は与えなかった。

 彼女にも母性というものはあったのだろうか――鷲宮准は笑顔で抱きしめる御鏡弥生のいつもの笑顔(・・)に疑心を抱きながらも、記憶と感情を取り戻すという意味について考えていた。

 二度も御鏡弥生に記憶と感情を返してきて、ようやっとその違和感が形而上の物になって表れたことに、彼女は達成感よりも後悔が上回っていたといっていい。


 コンナコトデアレバ、斯様ナコトニ首ヲ突ツ込ムベキデハナカツタノカモシレナヒ


 別段、名前で呼ばれることに抵抗があるわけではない。逆に親密な関係になれたような気さえしてくるが、しかしそれが中々に慣れない。一種の気持ち悪さも感じている。

 それよりも、彼女には気になることもあった。


「何でここ最近弥生は、私のことを抱っこしたがるのさ」

「――――准には分からないかもね」

「――なんでだよ」

「――十年以上前の記憶とか、失くしてしまった感情が急激に戻って来る感覚って、分かるかな」

「……なんとなく、分かる」

「――――」


 壊レテシマヒサウデ、怖ヒンダ――ニベモナク、弥生ハサウ云ツタ。勿論、私ニモワカル


 鷲宮准もここ最近、御鏡弥生に記憶の欠片を返すたびに自身の中身の変わっていく感覚を味わっていた。そのたびに、自身の醜さを思い知らされることになっているのだが、それは余談だ。

 そうして変わっていく感覚を覚えるたびに人肌が恋しくなってしまうのだ。

 何故分かるのか――彼女もまた同様に、記憶を思い出していたからに過ぎない。幼いころの出来事、御鏡弥生との出会い、そして自身の(・・・)記憶には(・・・・)なかった(・・・・)交通事故の記憶。

 それらが記憶を返すたびに鮮明化して襲い掛かってくるのだ。それはきっと、御鏡弥生も同じはずだ。

 肉体という筐体が軋みを上げるようなのを、彼女も御鏡弥生も双方同時に体験していた。


「私もだ、弥生。ちょうどお前に記憶を返し始めてから、記憶の濁流が止まらないんだ」

「僕もだよ、准。でも、同時に返ってきて嬉しいんだよね?」

「……うん」


 憎からず思ってさえいる。迎合したがっている。しかしどうにも実感を得られないのだ。どうにも他人のような気さえしてくるのだ。特に、記憶の中の両親、兄姉の関係を見るたびに。

 自身の記憶だという認識は確かにある。それが改竄されていない生の感覚だというのも実感として存在する。

 しかし、実感がない。まるで他人の記憶を見せられているような感じが伴っている。不快だ。不愉快すぎて寝つきが浅い。そして何よりも、彼女は自分自身が嫌いになれてしまえそうだった。


 今コノ瞬間モ、私ハコノ選択ヲ後悔シテイル――責任ヲ転嫁シヤウトシテイル。

 嗚呼、気持チ悪イ…………消エテ無クナリタイ――


「……後悔しているかい? 巻き込んだ僕が云うのもなんだけど、逃げたければ逃げていいよ」

「ずるいよ、弥生――」


 サウ云ワレタラ逃ゲラレナイデハナイカ――


 その彼女なりの苦言に対し、しかし御鏡弥生は薄く笑むだけだった。


「ふふっ――」







 昼ご飯を食べ終わった段階で、御鏡弥生の方から鷲宮准を外出に誘ったのはお互いにそれほど用意するものに差異がないからだ。

 ――言い換えてしまえばほぼ同じようなものを持ち歩き、特にこれと云ってお洒落に気を使うような人間でもなく、両者とも物を用意するのに時間のかからない人間だからだ、と言い換えてもいい。


 彼女、鷲宮准はむかし兄がグアムの実弾射撃場で買ってきた.45LC弾とやらのネックレスを首から引っ提げて無地の白Tシャツの上、薄い胸板に垂らすとその上からヤスムラで購入した肘丈ほどの半袖の少し大きめな黒い上着を着用し、足回りにはヤスムラで購入した丈の長めなカーゴパンツを着用。

 玄関口で三和土に腰を下ろし、兄が高校入学祝という名目で購入したらしいあらかじめ磨き上げられた状態で用意されていた全革のコンバットブーツに足を通すと、手に持っていた黒いファティーグキャップを被る。丁度、御鏡弥生も玄関に到着していた。


「相変わらず君の服飾センスはお兄さんと同じ趣味だよね」

「違うから! ――兄が誕生日プレゼントとかいろいろ称して毎度押し付けてくるんだよ……」


 ソシテ其ノ大半ハ、黒デアル。印象カラシテ暗色ガ似合フノダソウダ


 とはいう物の、基本的に彼女、鷲宮准自身も黒主体で服を選ぶことも多いため大して言い訳になっていなかったりする。コンバットブーツに至っては履き心地が良いからか春休みに入ってからずっと履いているほどだ。

 髪を短くしているのと格好が格好なのも相まってよく男の子に間違えられるのもまた余談だ。


「兄も姉も何故か私のスリーサイズを把握してるから毎度ピッタリ合う奴を送ってくるんだ」

「まぁ良いんじゃないかな? ほら、このまえ准が話してくれたじゃないか。事故に遭ったことがあるみたいだって。大事にされてるんだよ」

「され方がすごく間違っている気がするんだが」


 サウ云フ意味デハ御鏡弥生ノ現状ノ保護者、都城美峰モ大概ダガ――


 御鏡弥生は彼女、鷲宮准と話している間も服のあちこちの皴をのばされたりポケットにGPSの子機をしこたま詰め込まれているなど、中々にすごい絵面であった。


「お嬢様、携帯電話は持ちましたね? 発煙筒は持ちましたね? 警護の人間が陰ながらお守りいたしますが――」

「美峰、一応僕の職業は殺し屋なんだけど――」

「殺し屋だからこそ節度を守った殺しが重要なのです。所構わず辺り構わず鏖殺(おうさつ)する殺し屋は私が殺します」

「それは良いからこのGPSの子機はいらないし警護の人間も半分に減らしてね。僕はあまりうるさいの好きじゃないし」

「――? お嬢様は何を勘違いしていらっしゃるのでしょうか……お嬢様の護衛ではなく鷲宮様の護衛です」

「随分酷いね!」


 当主の命令であるからか、それとも子供のころから面倒を見てきているからか、もしくは両方か――鷲宮准には到底分かりようのない二人の関係はそれこそ姉妹のようであった。


 サウ云エバ、此処最近ノ弥生は、ヨク笑フヤウニナツタ気ガスル


 にべもなく、そして唐突に彼女、鷲宮准はその変化に気が付いた。いつもの作り笑いめいた道化のような笑顔ではなく、自然体なのだ(・・・・・・)

 その姿には反駁の余地なく彼女、御鏡弥生を知る者であれば全員がそうだと頷くほどに、自然体であった。本来の彼女、と言い換えたほうが良いかもしれない。それが適切だという印象を抱かせるに足る自然さだったのだ。

 それが御鏡弥生の言っていた、感情を取り戻すという意味であり、事実として目の前には後天的に感情を取り戻した個人がいる。

 それは喜べばいいのか、変わっていくことを恐れればいいのか――鷲宮准は一瞬だけ逡巡した。


 最後ノヒトツ、其レハモシカスレバ今ノ安寧ヲ壊スコトニナルノデハナカラウカ――


 普通の人間として振舞う分には事足りるほどの感情を取り戻していたが、しかし御鏡弥生の失われた欠片(感情)はまだあと一つ残っているのだ。

 そして堺境にも、ドクトル・バタフライにも云われた――記憶を取り戻せば取り戻すほどに、鷲宮准の知る御鏡弥生からは遠ざかっていく。最終的には人格も、思想すら変わるかもしれない――


 ダカラト云ツテ、此レホドニ幸セサウナ笑顔ヲ奪ウ権利ガ、果タシテ私ニハアルノダラウカ……


「准もそう思わない? さっきから美峰が変なんだよ」

「私は私なりにお嬢様の変化を喜んでいるだけですよ。ようやっとお嬢様が年頃の婦女子らしくご友人とお遊びに出かけるというのですから、これが泣かずにいられますか……?」


 嘘泣キダ――隠ス気モナク嘘泣キダ。ナントナレバ彼女ハ口元ヲ隠シテハイルガ、目元ハ盛大ニ緩ミ切ツテイルノダカラ


「絶対に嘘泣きだよね」

「はてなんのことやら、身に覚えがございません」

「ブゥ……」


 サウ云ツテ頬ヲ膨ラマセル弥生ヲ、不覚ニモ可愛イト思ツテシマツタ私ハ末期ナノダト思フ


 そうして頬を膨らませる御鏡弥生を、涼しげに、かつ楽し気に見守る都城美峰は明後日の方向を見ながら冗談めかして、ある政治家の有名なセリフを持ち出して御鏡弥生で遊んでいた。

 いや、御鏡弥生もそうと知っていて遊ばれている節があるのだから、お互い様なのかもしれない。


「全テハ秘書ノヤツタコトデアリ私ニ非ハゴザイマセン」

「――もういいもん。准と楽しんでくるから邪魔しないでよ? 十人くらいなら余裕でカバー範囲内だし」


 行こうか――すっかりと拗ねてしまった御鏡弥生に手を引かれるがままに玄関の戸を潜ろうとしたとき、都城美峰が少し大きな声でわざとそれを云った。


「あまり遅くならないようにしてくださいね。今日のお夕飯はお赤飯にしますから」

「そういうのはもっと別なことに取っておいてよ!」


 嗚呼恥ズカシイ――


 そういって顔を赤らめながらも、御鏡弥生は満更でもなさそうな顔で都城美峰に見送られていた。無論彼女、鷲宮准も同様だった。

 しかしその視線にはそれぞれに別の意味が込められているような、そんな気がしていた。


 春の日差しによって暖められた生ぬるい風と日差しを感じながら上着の裾をはためかせる鷲宮准は、しかし隣の御鏡弥生と都城美峰の、主に都城美峰の寄越した視線の意味が分からなかった。鷲宮准には、分からなかった。

 不自然(・・・)な接し方を10年以上続けてきた御鏡弥生という個人と日常的に接してきただろう都城とその周囲の人間にとって、それは偉業にも等しい行為だったのだろうか――だから彼女には分からなかった。ただの友人(・・・・・)であるうちは、分からなかった。

 家族として、世話人として接する使用人たちにとって、その変化はどのような影響を及ぼしたのか、そもそもからして彼女、鷲宮准と使用人(かれら)とでは過ごしてきた時間が違いすぎた。だから分かりようがないのだ。

 ついこの前、ようやっとその違和感を理解したような小娘に、その感情を理解するには彼女の処理能力は足りなかった。彼女はこの期に及んでもまだ、子供でしかなかった。

 春にしては、この陽気にしては些か冷たい風が上着の内側に入り込んでくると、スカートを穿かないで良かったという気にさせた。

 春の嵐が何でも巻き上げてしまう。風切り音を立てながら木々が揺れ、木の葉が舞っている。こんな日にスカートなんて穿こうものなら寒い上に中身が見えてしまいそうで落ち着かない。こういったとき、男性に嫉妬を覚える。

 制服やスーツの選択肢がスラックスとデファクトスタンダード化しているからだ。それさえ選べば余ほど酷い柄でもない限り誰かに文句を云われることもほとんどないだろう。


 やがて周囲の塀より一段大きい門扉のあたりに辿り着くころには御鏡弥生は満更でもなさそうな、そうでも云っていなければ友達に格好が付かないと見栄を張るように愚痴を垂れていた。

 可愛らしい、といえば可愛らしいだろう。その実がやろうと思えば百人や二百人を平気な顔で、余裕で虐殺できるような娘でも。

 そんな部分のみ切り取ってしまえば親類に揶揄(からか)われてヘソを曲げた少女と云ってしまえるような、そんな微笑ましさがある。


 しかしそれもすぐに以前の能面の(造られた)ような笑顔に戻っていた。よく耳を澄ませば、買い物から帰ってきたのだろう使用人の声と男性の声が聞こえていた。それも複数人。


「なんなんだい騒がしいね」

「お嬢様――彼らがこの家に侵入しようとしていたため呼び止めたところ――」

「いいよ分かってる。うちに入って、美峰に伝えてきて」

「はい――」


 門扉の向こうにいたのは私服姿の女の使用人と、三人ほどのガラの悪い男だった。

 特に目立つのは白いスーツに赤いYシャツ、Rolaxの金ぴか自動巻き腕時計を付けている男だった。

 短く刈り揃えられた頭髪は金髪で、耳には金メッキのピアスを付け、はだけたYシャツの首筋からは背中に彫られているであろう入れ墨が見え隠れしている。

 まるで地元のヤンキーが纏まった金を手に入れた途端にこうなった、そんな典型と云える格好だ。少なくとも、これが真っ当な職業に就いていると思う人間はいないだろう。

 周りにいるのも、こういったのが登場しそうな漫画でよく見かける風体だった。

 一人はサングラスにオールバック、皴のしっかりと伸ばされたスーツを着ている神経質そうな男。もう一人はそこいらに転がっている地元の底辺高校をドロップアウトしておきながら不良を自称する大したこともできなさそうなやつに多少マシな格好をさせたような、そんな印象のいわゆる小者だ。

 殺し屋(堺境)、ドクトル・バタフライの対超能力者集団(アンチスキルズ)との決闘で多少の自信はついていたはずの鷲宮准でも、嫌悪感を拭い切れない三者だった。

 いわゆる、ヤクザ者という奴だ。敵意も悪意も剥き出しの。前二者は悪意はなく、終わってしまえば随分と親切な連中であったが、しかし彼らはそういう類の人間ではない。事実友人たる御鏡弥生の体をなめるように見つめる視線は、まるで商品を見るような無機質な物だった。


「――広島竜仁(りゅうじん)会系暴力団、三代目神田(ごうだ)一家家長の前原(まえばら)泰弘(やすひろ)および幹部の稲賀谷(いながや)義治(よしはる)。そこの人は確か先月、私立自由の森学園を中退した小清水(こしみず)劉生(りゅうせい)君だったかな。当家にはどのようなご用件で?」


 けれど御鏡弥生は臆したような素振りもなく、まるで日常会話のようにその男たちに向かっていた。

 御鏡弥生の左目は怪しく赤に灯っていた。


 男たちにはそれが怖いのを必死で押し隠そうとしている堅気の女の子にでも見えたのだろう。下卑た笑みを、特にガラの悪い二人は隠そうともせずに気安く彼女に話しかけていた。自分たちの本名が知られているということもお構いなしに。

 いや、本名が知られる程度、このくらいの規模の家ならありえないことでもないと自己完結でもさせたのだろうと考えたほうが、なるほど彼女、鷲宮准からしてみても自然な流れに見えた。


 ――不思議ト、危険ダト云フ認識ハナカツタ。

 嫌悪感ハアルガ、シカシ拳銃弾スラ容易ニ避ケラレル私タチニハ、余リニモ役不足ニ見エタノダ


 それが人を踏み外した感覚だということを存分に理解しながら、それでも彼女、鷲宮准はその万能感から彼らをさほど脅威とは見なしていなかった。

 その認識の根源には横に並び立つ御鏡弥生という存在が在る、ということも大きく関わっているのかもしれなかったが。


「そりゃもちろん、若い身空で当主の席で踏ん反り返ってるお嬢さんにご挨拶にと思ってな」

「要するに僕が気に入らないと、そういうことでよろしいので?」

「そういうことになるかもしれねぇな。とにかく、お前みたいなのが上にいられると俺らの商売あがったりなもんでな――」

「だから広島竜仁会系暴力団、関西堅信会に尻尾を振ったと」

「そういうことよ――で、兄弟盃酌み交わしたついでに取り敢えず現当主の首でも供えようって話よ」


 詰マル所、造反ダ。ソレバカリハ鷲宮准ニモ理解デキタ


 殺し屋家業以外にフロント企業ならぬフロントヤクザを従えていたとは予想だにしなかったが、体制の変化から造反者が出るというのは、どんな組織でも共通のようであることは理解に難くない。

 しかしそれを、少なくとも日ごろ様々なフロント企業や個人商店などの経営を行っている御鏡弥生を知っている彼女、鷲宮准からすれば、御鏡弥生という一種の天才がそれを見過ごしていたとは思えなかった。

 そういった部分には抜け目がなく、そしてそういったことに関して予め手間を顧みず手を回す御鏡弥生が、それに全く手を出さないとはどういうことか、五者の間に長く横たわっているような気のする沈黙の中で多少思考を巡らせれば、答えはあまりにも単純だった。


 必要ガ無クナツテシマツタノダラウ――ヤクザヲ抱エテオクコストト、表家業ノ利益率トデ、表家業ガ勝ルヤウニナツタノダラウ


 ゆえに、自分から出て行ってくれると云うなら特に止めはしない、好きにすればいい。そういうことだろうと理解すると、しかし同時にここまでを彼女、御鏡弥生は見通していたのだろうかと御鏡弥生を訝った。

 いや、何も考えていない風に見えて、常に先を見通している。そういう女だ。笑顔の下で、利益と損とを強かに計算しているのが御鏡弥生という少女の正体だ。


 だからこそ続く隣の彼女(御鏡弥生)の言葉が理解できた。すでにこうなってしまっては、彼女(友人)にとっては敵以外の何物でもないだろうから。


「五つ、君たちは勘違いしている。一つ。僕は別に君たちの造反を咎めもしていなければ君たちに好き放題される謂れもない」


 ゾクリと背筋が粟立った。隣に並び立つ彼女、御鏡弥生のまとう雰囲気が急変した。先ほどまでの、まるで春の日差しのような雰囲気とは打って変わってそれは冷え切っていた。


 コノ瞳ダ。人ヲ人トモ思ツテイナイヤウナ、コレハソンナ瞳ダ。


「二つ、君たちの造反は僕にとっては予定調和だった。逆に君たちの方から去ってくれるからと僕は一切干渉しなかったし、二か月前当時、君たちが急接近していた広島竜仁会と交渉の末、関西堅信会の兄弟盃で合意した」


 交渉シタカラ君タチハ今ノ地位ニイルンダヨ――暗ニ御鏡弥生ハサウ云ツタ。


 お膳立てしてやったのを無為にした、そう云いたい風にしか捉えられなかったのは、長い付き合いからだろうか。鷲宮准はその冷えた瞳に恐怖を覚えながらも、到底笑っていないようにしか見えない笑顔に釘づけにされていた。

 冷笑、失笑、嘲笑、そう云ったものが全て混ざったような、本当の意味で得体のしれない御鏡弥生の姿がそこにはあった。


「三つ、君たちの造反を止めなかったのは僕に力がないからじゃない。単にその方が表裏両方の意味においてうちのグループ全体にとって都合がよかっただけさ。単純な云い方するなら、その方が儲かったから」


 役立たずが消えてくれるんだから、止める必要はない――冷たい言葉の雨が、春の日差しの中でしかしまるで真冬の北海道の空気のような冷たさで放たれ続ける。

 対象は己ではないというのに、足が竦んでいた。今にも逃げ出したいはずなのに、鷲宮准はそこから動くことができなかった。

 ただわかるのは、キレているという事実だけであった。

 普段の御鏡弥生ならば彼女、鷲宮准にこのような姿を見せないためにもあえてその場から遠ざけるといった行動をとっただろう。だがしかし、そんな素振りもなく唐突に、まるで死火山がいきなり噴火したかのような唐突さでキレだしたのだ。冷静でいろという方が無理かもしれない。


「四つ、君たちは現在関西堅信会および広島竜仁会系傘下内において特に手柄と呼べるものがなくて苦労しているみたいだけど、こちらは君たちがいなくなったことでいくらか自由になれた。つまるところ、君たちという最低層のフロントヤクザが必要なくなったということだね。あとは中堅どころのフロントヤクザで十分事足りる」


 殺意だ。それも一生のうちにお目にかかれるかどうかというレベルの、体育館やサッカースタジアムですら殺意で飲み込み、その殺意だけで人間を千人/毎秒殺せてしまうほどの濃縮された殺意だ。

 熟成されたウィスキーやブランデーのように濃厚で、その視線や言葉尻はまるでジメジメと煩わしい真夏の日中のごとく。されどウィスキーやブランデー、ましてや真夏とはかけ離れた底冷えのする気配が場を圧倒する。

 体格差とか人生経験とか裏社会での経験とかそういった一切が意味を為さない。

 気配の重圧が、人を辞めた一匹の怪物の圧迫感が、絶対的強者の持つ弱者への絶対的殺害権が、伸し掛かるのだ。上下から、左右から、前後から。

 噎せ返るような死の臭いに前後不覚になりかけながら、鷲宮准は見守るほかなかった。


「五つ、これが最も重要だけど、僕が気に食わないならそれでいいけど、そう表明したところは片っ端から実力を以て捻じ伏せさせてもらったよ。任侠とか仁義とか渡世の義理とか、そういったのは御鏡(僕ら)には通用しないよ。まぁ、今時のヤクザ社会でも形骸化している概念だろうけど、それを盾にどうにかなる社会ではないんだ、僕ら」


 よく回る舌に閉口しているのか、それともこの春の陽だまりの中に唐突に発生した明確な敵愾心と殺意すら伴った絶対零度に、鷲宮准同様に半端者(・・・)でしかない彼らも臆したのか。

 どちらでもいいことだったが、二の句が告げられなくなった事実に変わりはなく、御鏡弥生は喋り続ける。

 先ほどまでの無表情とは打って変わって猟奇的で妖艶な、ともすればサディスティックとすら形容できそうな笑みが物語るのは何なのか、分からないがきっと、この男たちは生きては帰れないだろうことだけは理解できた。


「特に五つ目は裏社会の色々なところから批判や非難を受けたが、それはヤクザの世界の常識だ。暗殺企業(ぼくら)の概念ではない違う概念をよりどころとしているんだから、常識も違うさ」

「――――――」

「僕らはね、最近の生ぬるいヤクザとかそういうのだけじゃないんだよ、相手が。……怪物とか、政財界の重鎮とか、もしくはそこら辺を歩いている一般人とか――殺して、殺されて、また殺す。そういった循環の中で生きている。力? 金? 横の人脈? 道義だのなんだの、そんなものは関係ない。殺すだけだ。金持ちから貧乏人から子供から大人から年寄りから、母親から父親から諜報機関からマフィアから権利団体から愛護団体から、果ては国から――依頼されれば誰だって殺す」


 キミタチノ暗殺依頼モ出テイルンダ。何処カラダト思フ? ――関西堅信会ダヨ


 濃くなっていく笑みはいっそのこと化け物じみていて、虎の尾を踏むとは言うが、しかしこれでは度が過ぎている。

 目の前の人間の不幸を最大限に愉しんで、悦にいっている。

 それは御鏡弥生の皮をかぶった別の何かではないのか、少なくとも鷲宮准にはそのようにしか見えなかった。

 腰に力が入らなくなるのと同時に下着が湿り気を帯びてきた不快な感覚が嫌に気になった。そんな鷲宮准のことなどお構いなしに、それでも御鏡弥生は続ける。脅し文句なのか、それとも本気なのかも分からない。しかし愉しんでいることだけは鷲宮准でも理解できた。


「ある時はヤクザの親分の味方で、ある時は国に尻尾を振ってさっきまで味方だったヤクザを殺しつくす。ある時は虐待に悩む子供たちから親を奪い、ある時は虐待をする親からその親と子供と伴侶を奪う。ある時は貧乏人のために金持ちを殺し、ある時は金持ちの為に貧乏人を鏖殺(おうさつ)する。ある時は恋人の為に元恋人を殺し、ある時は元恋人の親の為に依頼人を殺す。そしてそれ相応の対価を定価(・・)で必ず戴く。

 もしも対価が得られないのであれば依頼主に報復するまで。減額は認めないしプロとして雇われる以上プロとして仕事するし依頼主の中途半端は認めない。支払いが滞るなら一家の娘が身売りしようが一家の息子が臓器を売ろうが、もしくは妻が裏ビデオに身を窶そうが夫がタコ部屋に赴こうが、彼らの親戚外戚末代、もしくはそれらの友人知人にまで波及する数億円規模の借金になろうが、得られる金銭は搾り取ってでも回収する。依頼主やその関係者が何人死のうが関係ない。それが僕らだ」

「――狂ってやがる…………お前、ヤクザ以上にヤクザじゃねぇか!」


 何ヲ云ツテイルンダイ? 君タチガヤツテイルコトト同ジダロウ。借金トカ、詐欺トカ、殺シ殺サレテ、僕ラト大差ハナイ。

 人ノ不幸デ生活スルナラ、人ノ不幸ヲ望ムナラ同ジダケノ不幸ガ必要ダ。サモナクバ釣リ合ヒガ取レナインダヨ。ヨク云フジヤナイカ、人ヲ呪ワバ穴二ツツテサ


 云うことは正論だろうが、しかしそれを内包している精神性とはすなわち壊人のそれだ。いや、これが普通なのかもしれない。

 少なくとも、堺境を見て経験したのはまさしくそれだ。

 彼らはみな、一部分において壊れているとは堺境の言葉だが、他ならぬ彼すらもその例からは漏れなかった。そして共通項として、アウグスタを含めて皆、御鏡弥生を恐れていた。それはこういうことだったのだろうか――いや、その一端というだけなのかもしれない。

 ズボンの裾へゆっくりと湿り気が移動し始めたころ、また別の虎がやってきた。


「おいおい、久々に家に帰ってきてみりゃ殺気駄々洩れで何を囀っているよお二方。何かいいことでもあったのかい?」


 御鏡弥生ト同ジ狂言回シノヤウナ台詞――茶化ス割ニ彼モ同様ニ殺気立ツテイルコトヲ隠サウトモシテイナイ


 だが同時に救われたような気さえしていた。

 御鏡弥生は周囲を気にすることなく奔放に殺気を放ち、目の前のヤクザ者は御鏡弥生も鷲宮准も、そして()にすらも殺気を放っている。

 それに比べれば彼の殺気は少なくとも鷲宮准にだけは向けられていなかった。遮られているような気さえする。


「堅気のお嬢ちゃんだっているんだ、ちったぁ弁えようぜお二人さんよぅ」

「都城から話は聞いています。さぁ、こちらへどうぞ。お話ならばゆっくり(・・・・)とあちらの離れでお聞きします故」







 結局ノ処、乱入者デアル御鏡弥生ノ両親、御鏡皐月(さつき)ト御鏡出雲(いずも)ノ登場ニヨツテ一旦収マツタガ、弥生トノ外出モオ流レニナツタ

 ――到底出カケラレルヤウナ状態デハナカツタガ


 結局、あの後都城に連れられ屋敷に戻った鷲宮准を待っていたのは風呂だった。その後はいつもの部屋で高校の入学課題の消化作業に勤しむことになった。

 普段ならとうに入学課題など終わらせた御鏡弥生が隣で教えてくるものだが、その位置に座ったのは案の定、都城美峰だった。御歳25歳の彼女は、しかしあの御鏡弥生の家庭教師まで勤めるだけあり教え方だけは丁寧だった、とだけ付け加えておく。

 御鏡弥生が戻ってきたのは彼女、鷲宮准が入学課題を終わらせた頃合で、トータルにすれば二時間半後だった。余裕で夕方になっていた。


「ごめんね、怖い思いさせて。止まらなくなっちゃってさ……」

「……珍しいな、お前から謝ってくるだなんて」


 別ニ気ニシテイナイ


 そういつも通り(・・・・・)ぶっきらぼうに返すと、安堵したような御鏡弥生に、鷲宮准は妙な居心地の悪さを感じていた。

 普段なら(・・・・)適当におどけたような言動を繰り返すような御鏡弥生がこんな普通の娘のような反応をすることそのものが奇異と云えて、それが普通のはずなのにどうしようもない違和感が付いて回っている。

 別に御鏡弥生が徹底した人非人だとかそう云ったわけでは断じてない。

 いや、繰り返すようだが友人の腹を切り裂くような奴がまともな奴だとは到底言えないが、少なくとも一般的な良識だけは併せ持っている奴だと彼女は自負、ならぬ他負している。

 だからどう居心地が悪いのか、分かっていてもよく理解できていなかった。

 要するに“キレた友人にどう接すればいいのかよくわからない”というだけのことなのだ。一度もこうして激情に身を任せたことのない人間がキレたのを目撃して気まずいだけだ。そういうことに違いないと彼女、鷲宮准は理解することにした。


 そんな鷲宮准をよそに、すっかり安心してしまったのか御鏡弥生は特に先ほどまでの気まずさなど気にした様子もなくいつものように(・・・・・・・)伝言を伝えた。


「よかったよかった。嫌われてたらどうしてやろうかと思ってたんだよ」

「何されるところだったんだよ……まったく、物騒な奴だな」

「別に、やれないこともないんだよ? ――それはそうと、お父さんとお母さんが呼んでいるよ。行ってあげて……って、分からないか。僕についてきてよ」

「え? あぁ……うん」


 夕飯前にか、と妙に釈然としないものを覚えながら、しかし御鏡弥生に急かされるとおりに何番目かに高級な客間まで案内されてしまう。

 よく磨かれた長い廊下は、夕暮れ時の外の暗さと相まってなかなかに気味悪く映る物だと鷲宮准は思った。

 夕暮れに沈む夜景は塀に隠れて見えず、月明かりか日差しが常に中庭を照らす。枯山水や雑木林が敷地に内包されているが、しかし時間とともに深まり侵食する闇はまるで飲み込まれそうなほどの深淵さを伴っている。その深淵さが、遠大さがあまりにも気味悪かった。

 輝度の高めの電灯が等間隔に廊下にあるが、その電灯の明かりですらも心細く感じることもあるだだっ広くも長い廊下は、小学生のころからずっと通っている彼女をしても未だに屋敷の全容を理解させない一種の迷宮と表現しても良いだろう。あまりにも部屋数が多すぎるのだ。

 宴会場、広間、客間、寝室が複数部屋と、客人の格に合わせて存在し、都城美峰が寝泊まりする部屋も屋敷の内部にある。彼女、鷲宮准の寝泊まりする客間はその中でも断トツ高級な方なのだが、知らぬは本人ばかりだ。

 書斎の隣、御鏡夫妻の寝起きする部屋すら通り過ぎ、地元の有力者と宴会をするときに使うらしい上から数えて真ん中あたりのグレードの客間の手前までやってくると、襖の手前、闇に紛れるようにして都城美峰は立っていた。


「お待ちしておりました。お夕飯が近いので今回はおふざけはなしです」


 答えるか答えないかのうちにその場で正座すると左手側、下座側の襖を少しずつ、大体体の半分ほどが現れるくらいまで開け放ち、都城美峰は部屋の主に声をかけた。

 相変わらず芯の通った透き通った声だと鷲宮准は一瞬その横顔に見惚れかけたが、目的を思い出すと居住まいを正した。無論マナーなんぞこれっぽっちも分からない鷲宮准に正しいマナーを求める方が酷な話である。


「失礼します旦那さま、奥様。鷲宮様と、ついでにお嬢様が付いていらっしゃいました」


 一応仕えている、とは本人の自称するところである御鏡弥生のことを“ついで”、というあたり扱いが酷いと思わざるを得ないが、都城美峰たちからすれば予期せぬ珍客であることに違いはないだろう。

 黙っていれば蓮の花のような儚さの美しい女性なのだが、言動がすべてを裏切っている。いわゆる、残念な美人というやつかもしれない。失礼なことこの上ないことを彼女、鷲宮准は声に出さないながらもそう評していた。


「おう、准ちゃんだけこっちにおいで。弥生、お前は駄目だ。――そもそもこれはお前が頼んできて、同席しないことを条件に承諾したことだぞ」

「そんなんじゃないよ、道が分からないみたいだから最短ルートで送っただけ。すぐに退散するよ」

「……そうかい。あい分かった、そのことに関しちゃとやかく言わない――美峰ちゃん、娘を頼むわ」


 かしこまりました――そう答える都城美峰は事の次第をすべて知っているようだった。

 また、自分だけが置いてけぼりを食らっているような嫌な感覚を覚えながらも、しかしなんとなくではあるがこのタイミングでの帰国とこのタイミングでの面会の意味を考えれば、答えは簡単だった。


 御鏡夫妻ガ、三人目ノ決闘相手ナノダラウ――


 荒唐無稽だとしか言えないが、この際どのような裏事情(設定)があろうと驚かない自信があった。

 親友が殺し屋兼超能力者兼欠落者で、自分も無自覚な超能力者で、親友の家は由緒正しい殺し屋組織だというなら、夜ごと超能力バトルを繰り広げていようと親が超能力者の元締めだろうと、少なくとも今の鷲宮准ならばどんな設定でも受け入れられるような気がしていた。


 静かに襖が締め切られると、切れ長の瞳が特徴的な御鏡皐月(さつき)が涼しげな笑顔で下座を指した。


「まぁ、そう緊張せずに。これまでのお二人は直接殴る蹴ると散々だったみたいですけど、私たちはただ貴女の気持ちを聞きたいだけ。決闘方法を、あの子は決めませんでしたしね」


 アノ子ラシヒト云エバラシヒデスガ――


 ころころと笑う姿はこれぞまさしく華の咲くような笑顔で、横に座る御鏡出雲(いずも)は頬を赤らめてちらちらとみていた。

 面子とやらをつくろうのも大変なことなのだろう、と他人事のように思いながら下座に敷かれていた座布団に正座すると、夕飯も近いことだし、と出雲が前置いて話を始めた。


「准ちゃん、君はなんで弥生の道楽に付き合おうだなんて思ったんだい?」


 別ニ責メルワケデハナイガ、気ニナッテネ――サウ彼ハド直球ニ問ヒタダシテキタ

 …………………

 答エラレル理由ト云エル理由ハ、存在シナカツタ


「君は、自分のやろうとしていることを考えたこと、あるかな?」

「――――」

「場の空気に流されて、半ば脅されるようにされてそれに任せてここまで来てしまったのなら、悪いことは云わない。止めなさい(・・・・・)


 強い言葉だった。

 ドクトル・バタフライもアウグスタも、そして堺境も、彼らは三者とも同様に『止めた方がいい』と、強くもなく弱くもない言葉だった。

 しかし御鏡出雲の発したそれは今までの誰よりも強い――実の娘(御鏡弥生)のことを真剣に考えての言葉だった。


「どうして、ですか?」

「――君も、そして弥生も、普通とはほど遠いがしかし普通に生きていくうえで知らなくていいことが……我々大人のあまりにも大きな不始末がある。弥生の最後のパーツとは、詰まる所そういうものだ」

「貴女の感じている違和感とは、即ちそういうことです。あの子にパーツを返すたびに、あの子も貴女も変わっていっている。いえ、本来の姿に戻っていっている。そしてそれは、今ここで手を引けば違和感で済ませられる程度の、ほんの少し人間的性質が変わってしまった程度で済むことです」


 だから、止めなさい――強い語調とは裏腹に、御鏡出雲の声は優しかった。少なくとも彼女、鷲宮准はそう感じた。

 必死さは感じない。(くだ)そうという気も感じない。ただこちら側の反応を待っていた。どんな答えであろうと、受け入れる度量の深さのようなものまで感じられた。

 聞けば、事のすべてを答えてくれる――そういう直感があった。だから気になった。尚更に気になった。今まで見て見ぬふりをしてきた全ての答えが、分かるかもしれないのだ。今まで知ろうとしなかったことを、ここまで無知であった責任は果たさねばならない。


 何故、彼ラハ頑ナニ御鏡弥生ノ記憶ヲ渡スト云フ簡単ナコトヲ渋リニ渋ルノカ。私ハ、私ハ余リニモ何モ知ラナサスギタ。聞ヒテカラデモ、遅クハナイハズダ


「聞いても良いですか……?」

「――あぁ、なんでも答えよう。博士も結界師も答えたがらなかったんだろう?」

「はい。二人とも、止めた方がいいとだけ。――私は、友達の大事なことなのに、私にとっても大事なことなのに余りにも何も知らなかった。聞いてから、判断したいんです。弥生のために、私自身のために」

「…………自分のために、か――良い心がけだ」


 分カツタ――答エヤウ。


 御鏡皐月は一瞬、見ていなければ分からないほどの短時間だけ鬼のような形相を浮かべ、次の瞬間には冷ややかな笑顔を浮かべていたが、しかし御鏡出雲が諦めたように肩を竦めて見せると彼女もまた呆れたような笑顔を浮かべていた。

 まるで馴れ初めをしつこく聞かれた父母のような、そんな雰囲気だった。そして再び彼女、鷲宮准を見たとき、彼女たちの馴れ馴れしさの理由をようやっと理解した。


 彼ラハ私、鷲宮准ヲ御鏡弥生ト同ジヤウニ扱ツテイルノダ


 そんなどうでもいい理解が、しかし直後の言葉とつながるだなど、まったく想像だにしない事実であったのは余談だろう。どの道、後の祭りであることに変わりはない。


「最後のピースは二つある。一つは、我々が持つこのマグナム弾だ」


 取リ出サレタノハ、リボルバーニ使ワレル長ヒ薬莢ノマグナム弾ダツタ。ソシテモウ一ツトハ、予想ガ正シケレバ――


「もう一つは、君だ。君、鷲宮准という個人は、十年前に脳死している。鷲宮准とは即ち、御鏡弥生に准じる存在で――故に鷲宮准は御鏡弥生で、御鏡弥生は鷲宮准だ」





 こちらは去年の七月あたりに書き始めて十月辺りに書き終わりました。

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