第2.50話 ~開闢篇~
□大昭25年 03/26 PM21:00
会場は県立競技場。時間は真夜中、21時に丁度なったところだ。
落ち着いた風が時折吹いてくるのが心地よいと思いながら、特に急いだ様子もなく都城が車の扉を開け、県立競技場の門を開け放つ。
哀れな羊が屠殺場に見送られるような視線を貰いながら数秒、客席と選手出入り口の通路を歩いて内部に侵入した先、競技場内中央、トラック内部のちょうど中央部に、彼女たちはいた。
Royal Precisionと背面に刻印された紛れもない国産時計メーカーの10万はする懐中時計の蓋を閉じながら、彼女と比べても圧倒的に背の高い女は選手出入り口のほうにその機械的なまでにきれいな顔を向けた。
まず、その女は肩にかかるほどの白髪だった。瞳は血を垂らしたような深紅で、虹彩はまるで歯車のような図柄をプリントアウトしたようなあり得ないパターン。月明かりがあるとはいえ、闇の中で光るようなその色は薄ら寒いものを覚えた。
嗚呼、サウ云エバ弥生モ、コンナ目ヲシテイタナ――
「――ここにいるということは、君が御鏡弥生の代理人、で良いのかな」
詰問するような口調だった。疑問形の形を被った断定形で、その女は即座に剣呑な空気をまとい、周囲にいた女たちも呼応するように臨戦態勢に入っていた。
そんな物騒な女たちに囲まれるようにして、左目にモノクルをかけ全身を包帯で覆った男が、包帯の下から覗く翡翠色の目で彼女の目を見つめている。彼が、ドクトル・バタフライに相違ないだろう。彼女はそう判断した。
「ふむ、どうやら緊張しているらしいな。ちょうどいい、自己紹介でもしようか。私の名はアウグスタ。流麗、とか云われるがまぁ気にしなくていい。この包帯男は我らの父、ドクトル・バタフライだ」
「――鷲宮准、です。弥生に代理で決闘してくれって頼まれてきました」
「ほぅ。しかし君は、あまり殺し合い慣れしている風には見受けられないが? あれがそんなことをするとは思えないが、人質でも取られたか?」
「…………別に、そんなわけじゃないです」
不快だった――彼女の心情を代弁するならまさしくそういったところだ。知らず知らずのうちに視線に力がこもって、アウグスタと名乗った女を睨みつけていた。
下世話だったな、詫びよう――アウグスタと名乗った女は頭を下げた。如何なる理由があろうと、ここに来たということはそういうことだからだ。
「彼女とは友達です。困っているって云うから、だから――」
「助けよう、と?」
「いけないんですか?」
「別に悪くないとは思うが、だからと云って殺し合いの代理をするには、些か軽薄な気がしてね」
奴ハソンナコトヲシナクタツテ、俺タチヲ百回ハ嬲リ殺シニデキルシナ――
後ろに控えていた金髪を首筋でまとめて居る、アウグスタ同様に歯車のような深紅の虹彩の女が呟くように言ったセリフは、彼女の知らない御鏡弥生の姿だった。
知らない面が多すぎた。知らなくてもよい事実が多すぎた。そしてそうまで隠されて、彼女が云うところによる責任とやらを果たす必要があるのか、彼女には分からなかった。しかしそれを知るためにも、戦わなければならなかった。彼女が云うところの、責任とはどういうことなのかを知るために。
その間も微動だにしなかったドクトル・バタフライは、しかし彼女たちが、というよりアウグスタの問いに彼女が閉口したところで、ようやっと重い口を開いた。
「まぁアウグスタ、そう突っつく物じゃない。お嬢さんにはお嬢さんなりに理由があるのだろう」
「確かに、そうだな。今ここで明らかにするべき類でもないな」
納得した様に引き下がると、一転してドクトル・バタフライと紹介された包帯男が会話を引きついだ。
「こんな夜分にすまないね、お嬢さん。一つ聞きたいのだが、降参してはくれないかね? 我々は君の予想する通り、殺し殺されの世界で生きている。手加減は出来るが怪我の一つや二つは覚悟して貰わなければならない。しかしどう見ても、君は堅気だ。こんなことに首を突っ込むべきではない。だから、降参してくれないかな?」
「でもそうしたら――」
「あぁ、御鏡の記憶は戻らない、ということになるね。だが君がそうまでして取り戻してやる必要性も義理もない」
取り戻してやる、その一言が、どうにも気になった。
確かに、云われてみればそうなのだろう。彼女の記憶を取り戻すために、自分の命を差し出しているような、まさしくそんな状況だ。半ば選ばされたような、あるように見せかけて存在しない選択肢だ。
そんな口約束、果たしてやる必要はさて、あるのだろうか。
ないだろう。お互い不注意だったに過ぎない。お互い勝手な理屈で迷惑をかけあっているに過ぎない。
――――だから見捨ててもよいと?
断じて違う。それは、断じて違うと断言できる。
同時に彼女は、自分の中の酷く浅ましい感情を認識せざるを得なかった。いや、これまでも知らないうちに、無自覚で、押し付けるように行っていたのかもしれない。
それでもこう答えるほかなかった。迷いなんぞ見透かされていようと関係なく。
「それでも、私は彼女の友達なんです――友達だから、助けたいと思うのは当然のことなんです」
友達が友達を助けようとして何がいけないのか――この上なく気持ち悪い回答だが、そうとしか答える要素がなかった。それがおかしいのだと詰問されているのに。
ゆえに、彼女がこう答えてしまった以上、彼らも逃げ道もまたなくなった。ほかならぬ参加者である彼女が退かないと答えた以上、それを条件に決闘を承諾した彼らに、もとより逃げるという選択肢はそれ以外なかったからだ。
もちろん彼女を殺すことで逃げることも可能にしては可能だろうが、彼女が自身を御鏡弥生の友達だと自称している以上、殺せばどのような報復に合うかなど分かったものではなかった。選択肢としては存在するが、選べないだけだ。
「まぁ、そこまで云うなら――こちらも引けなくなってしまったな」
アウグスタがフッ――と儚げに笑うと、ドクトル・バタフライが再び口を開いた。
「ドッペルホルン、ヴォルケンシュタイン、ザラシュストラは退路を確保してくれ。アウグスタ、お嬢さんの相手はお前が務めなさい」
「Ja whol.」
「すまないね。先週家に火を放たれて御覧の通り全身大火傷だ。これではさすがに若い子と喧嘩なんぞ出来はしないから、お嬢さんにはアウグスタとやって貰うよ。御鏡はルールに関してはどちらかが降参するまでといったが、お嬢さんには難しそうだから――そうさな、アウグスタに一撃でも当てられればお嬢さんの勝ちということで、アレの記憶を返そう」
見ての通り、私も年なのでね――おどけたように包帯男は笑った。楽はさせてくれないらしいことだけは分かった。
「鬼ごっこでもしようか。十数える間に好きなところに逃げると良い。私が追いかけて、君を捕まえられたら勝ちだ。君は私に一撃でも当てられれば勝ちだ」
アウグスタは冷静なままで、強者の余裕というやつなのだろうか、彼女に微笑みかけてきた。自身の勝ちを疑っていない。
彼女もそう易々とは勝てないとだけ理解していたが、彼我にはそれほどの開きがあるのだと再認識した。
クマにそうやるように二~三歩後ずさるとそのまま勢いよく背を向け走り出したところでアウグスタは数を数え始めた。
「1――――2――――」
しかし彼女にはどうにもアウグスタが倒せるような、そんな気がしなかった。
濃密な血の匂いがどうとか、雰囲気だけの話ではない。立ち居振る舞いに一切の隙がなかった。それだけでもない。
その気になればあの会話の間に何回でも、鷲宮准という個人は死ねた。
御鏡弥生ほどではないにしろ、常人程度の識域では理解する事さえ不可能な速度で何度でも、少なくとも20回は死ねた。否、殺せたのだ。
殺気なんぞない戯れ程度のそれで最低でもそのくらいは殺せたのだ。
『3――――4――――5――――』
接近戦は不利だろう。遠距離戦も――おそらくは絶望的だ。
しかし彼女は一縷、試してみたかった。ソレを人に向けたときの力というのを。酷く危険な考えではあるが、やってみなければ分からない。
倉庫の内部に、陸上競技のほかに野球などを行うこともあってからやはりそれはあった――
「あいつ、何やってんだ?」
「さぁ、アタシにも分からない……」
「単純に、アレを機関銃代わりにするつもりなんじゃ――――」
「「それだ!」」
ヴォルケンシュタインたちは100mほどは離れた地点からそれを傍観していたが、いきなり倉庫に飛び込んで彼女が持ち出したものに一瞬あっけにとられて、ザラシュストラの予想に二人の声がかぶった。
てっきり、御鏡弥生の友達だというからには超能力の一つや二つ披露するものだと思っていたが、予想を裏切って、そして失望させられたような気さえしてきた。
「あんなの、アタシらには無意味なのにね」
四人の中では比較的一部の大きい少し長い赤毛を後頭部で上向きになるように留めた髪型のドッペルホルンと呼ばれた女は、自身の掌を見つめながら呆れたように嘆息した。
先ほども思ったことだが、超能力者ではない。それを確信しながら。
しかしヴォルケンシュタイン――眩いばかりの金髪を無造作に纏めた、目つきの鋭い粗野な言葉遣いの女――は意外とみょうちきりんな能力かもしれないと多少後ろ向きな期待をかけた。
「いや、意外とあれはあれで撃ってくるのは軟式球じゃなくてビームかもしれないぜ?」
「――だったらこの前のおじさんみたく手のひらから撃てばいいんじゃ?」
「……………………」
直後にザラシュストラ――深い藍色、ともすれば黒にも見える髪をベリーショートにした女――が、そんな面倒くさい方法を使わなくてもいい、と指摘する。ヴォルケンシュタインもそれには閉口せざるを得なかった。
つまり見たままだけで言えば、鷲宮准と自己紹介した女は彼女らの視線の先に鎮座するアレで、アウグスタ――――彼女たちの司令塔を攻略しようというのだ。無謀だと、彼我の戦力差を図り間違えているとしか云えなかった。
そうこうするうち、宣言通りに10を数え終わったアウグスタは、目の前に鎮座するソレに目をパチクリさせていた。
傍らに立つ鷲宮准を基準にするなら、彼女の首元辺りに二つのホイールがそれぞれモーターに繋がれ、そのモーターは三脚で立てられたフレームを介して横に二つ、地面に対して並行に並べられた状態で、しかしホイールの間には軟式球ならばぎりぎり通れるくらいの隙間がある。
フレームは細くもなければ太くも無く、手で握れるくらいのちょうどいい太さに緑色のペンキで塗装されている。後部には大砲で言うところの薬室に相当する部分と砲弾を押し込むエジェクターロッドとエキストラクターが合わさったデザインのハンドルがある。
ハンドルの丁度真上には給弾口とアクリルパイプに満載された日本野球機構規格品の軟式球がぎっしりと詰め込まれていて、ちょうどいま、鷲宮准が電源をつなぎ終えたところだった。
それは言わずもがな、ピッチングマシンだ。
彼女たちの生きる大昭25年ともなると人間の反射神経が進化し、すでに投手の放つ時速700kmの超剛速球すら打ち返せる化け物が犇めく中で少なくともこの競技場のマシンは旧型なのだろうか、時速533.73kmまでしか発射できないが、一般的な観点で言うなら時速500kmでも十分な速度と云えるだろう。どのみち当たれば死ぬこと間違いない。
そんなものを向ける先はまさしく彼女、アウグスタの方で――直後アウグスタに向けて飛来してきた時速500kmの速球を右手で掴み取った。
「――――君は超能力者ではないのかな?」
「弥生曰く超能力者らしいですけど、良く分からないんで使わないだけです」
「中々殊勝な心掛けだが――」
その間も発射され続ける時速約500kmの速球を掴んでは放り捨て、掴んでは放り捨てているが、この程度ならば軽い失望と得心を得た。
なるほど、良く分からないのならば使いこなせるようになるまで使わないというのは理に適っている。それでケガをしてしまったり戦闘続行不能に陥ってしまえば彼女の――彼女らの目的が果たせなくなるからだ。
だがしかし――
「時速500km程度では、私たちは止められない」
1マガジン分、約50発を撃ち切ったところでようやっとアウグスタは動き出した。
発音の良いドイツ語だった。それしか彼女には分からなかった。勿論どんな意味かなども分からないし今から覚える暇もない。
しかしそれが少年漫画とかによくある武器を呼び出すための文言なのだということは分かった。こういった展開では、もはや使い古されすぎるほどに使い古されてきたお約束だ。
「Großer Waffen! Es gibt show Zeit!」
それは出現というよりは、まるで高次元の何かが顕現したようだった。
アウグスタを中心として光の帯が包み込み、Wan Ich das Schwert thue Aufheben, So Wünsch Ich Dem Sünder Das Ewige Leben.の文字が周回を始め、常人ならば一瞬で気絶するレベルの気配が競技場を包み込んだ。つい昨日超能力者になったばかりの鷲宮准も、気絶はせずとも息苦しさは感じていた。
例えば、普段誰も入ってこない自分の部屋に、10人の人間が入ってきたとしよう。10人は誰もしゃべらずいない物のようにふるまっていて、その上まだ部屋のスペースは余っているが、しかし十人もいれば否応なしに気配は部屋を埋め尽くす。
競技場のような容積の大きな器であっても漏れ出てしまいそうなほどの気配と云えば、それはもはや千人分の気配を優に超えている。
千人以上、数十万未満が競技場を全て埋め尽くし、その上その全てが自分への敵意に満ちていれば常人ならばその気配の方向性に依らず、一方向へ向けられるそれに耐えきれるかといえば、否だ。
スポーツ選手が倒れないのは、その意識の方向が定まっていないからだ。一人にかけられる視線が、気配が、意識がそれぞれに分散し定まらない。故に彼らは緊張しはしてもそれに踊らされるほどの精神的動揺を得ることは少ない。慣れも多分に関係しているが。
膨れ上がった気配の重圧に競技場の周囲に張られた全てのナイター照明の電球が音を立てて片っ端から割れ、代わりに飛び出てきたのは総計にして数万人規模の人間が凝縮すればこうなるのではないかというほどの圧力の塊だった。
それが彼女の爪であり牙だった。
使用者本人よりデカイだろう。
巨大なジェネレーターのような部分だけで推定170cmはあるアウグスタの柔らかそうな太腿の付け根辺りまである。その先にはジェネレーターには劣るが推定170cmはあるアウグスタの腰辺りまでの長さの角柱が一本、ジェネレーターに挿し込まれている。
そんな物が都合二本、アウグスタの肩より外を固めるように、背中から延びる巨大な動力パイプがそれを保持し、角柱の先端が彼女、鷲宮准を狙っている。
「降参するなら今のうちだ。年端もいかない少年少女を嬲る趣味は、生憎と持ち合わせていない」
「――――」
気が遠のくようだった。あんなものを持ち出して置いてよくもまあ今更と云いたいところだったが、しかしそれすら自分で選んだことなのだと突き付けられ――恐怖と躊躇の入り混じったような酩酊感が彼女を襲った。
あんなものから逃げるには普通に走るだけでは足りないように思われた。
ではどうすれば逃げられるのか。そもそも、逃げれば問題は解決するのだろうか?
「声も出ないか? 恐ろしいか? 悪いことは云わん。あいつの人生の目標はあいつに果たさせるべきだ。君が奴の為に骨を折ってやる必要はない」
気が遠のくような、恐怖とも逡巡ともつかない感情の酩酊感に、しかし冷や水が差されるようにまた、アウグスタはそういった。しかしそれは違うと、彼女は内心で反駁した。
友達だから、してあげたい――そういったことに嘘偽りはない。強迫観念じみた思いが多分に割合を占めるとしても。何故なら、彼女は彼女の友達だから。小学校低学年のころからの腐れ縁だから。何となれば、理由など幾らでも捻り出せる。
だから何度も言う通り、やるのではなくしてあげたいのだ。それがどれほど欺瞞と虚飾に満ちていようと。
人間としては当然の感情だが、しかして彼女は、それが浅ましく醜く歪んだ感情であると看破せざるを得なかった。結局のところ、御鏡弥生への献身とはいわば自己利益の追求にあるのだと。自己を満足させるために嘘をついているのだ。
――サウ、ダカラ私ハ偽物ナノダ。ドウシヤウモナク偽物ナノダ。
孔子の性善説と孟子の性悪説……
性善説は要するに人が善行を行うのはその心底からの善性によるモノである、という考え方であり、性悪説とは要するに人が善行を行うのはその行いへの対価を期待してのことであり心底からの善性ではなく、そこには自己利益を満たそうと根底から湧き上がる欲望があるのだという考え方だ。
つまり、人間を本物と偽物で分けると、その大半は偽物に分類される。中には本物もいるだろうが、その大半は偽物になってしまう。そして人間はその自己矛盾を背負って生きていかなければならない。
別段それが罪というわけではないだろう。しかし彼女にはその嘘すら許せなかった。それは他人を利用していることと同義だからだ。
もっと単純に言い換えれば、気持ち悪かった。
私ハ、彼女ノ恩人ニナリタヒノカ――? サウカモシレナイ――――
いや、違う。果たすべき責任があると云われたからだ。では果たすべき責任がなければ、彼女を見捨ててしまってもよいということでもない。
ソレハ見返リヲ欲シテイルノデハナイカ? 事実私ハ死ヌノヲ怖ガツテイル。自己満足ノタメニ、自身ヲ危険ニ晒シテ、割ニ合ワナイト云ツテ恐レテイル
そんな半端者だから偽物なのだと彼女は唇を少し噛んで、それをやめるとアウグスタに向き合った。
「ほう、やる気になったか――では……!」
グリップを握る手に力を籠めアウグスタは彼女のもとに飛び込んできて――
ジェネレーター後部のジェットが火を噴き、推進力としてアウグスタが両手に持つ鉄塊、その総重量100kgを優に超えるそれを押し出した。
流星と呼んだ方が適切なくらいのスピードで突っ込んでくるそれを止めようとすれば加速度と重量を足した値に対しある程度の堅牢さが求められるだろう。
推定で300kg近くはある鉄塊を押し出す時速にして約400km以上はあるスピード、相対重量は2tを超すかもしれない。そしてそれを止めようとすればスピードを相殺しなければならず、この分まで上乗せさせることになる。到底、現実的とは言えない。
しかしスポーツを嗜む程度にしかこなしたことのない彼女に砲弾と呼んでも差支えのないアウグスタを避ける方法はないに等しい。
ならば避けなければいい――避けられないなら避けようとしなければいい。御鏡弥生ならばそういうだろうことを思い出し、彼女はただ求めた。確実な堅牢性、または回避性能を。
昨今の主力戦車の複合装甲よりもなお固く、もしくは昨今の戦闘機よりも早く――核シェルターよりもなお固く、弾道ミサイルよりもなお早く――彼女はそれを不確実性しか孕んでいない己の超能力とやらに求めた。
――お前は何ができる?
――なんでも、何なりと、如何様にも――
彼女は得心を得た風に頷くと、両腕を胸の前で交差させ、背を丸めて、アウグスタに突っ込んだ。
アウグスタからすれば、可笑しくて堪らなかった。超能力者であるということは、すでに人間を辞めた、領域を飛び越えてしまったものだろうと考えていた。
昨日今日超能力を発現させたというのだからその発想も無理からぬところはあるのかもしれないが――無駄だ。案外と早くに決着がつきそうだとアウグスタは薄く笑みを形作ってそれを横薙ぎに振るった。
それですべてが終わるはずだった。御鏡弥生の目的も、彼女の献身も、そして半分以上足を突っ込んだ虚飾にまみれた世界からも――彼女がこのまま関わり続ければ何れ関わるかもしれなかった全てが、その一撃で終わるはずだった。
金属が肉にぶつかる音などは無く、空ぶったそれの勢いに体が持って行かれる。
だからそれを見つけてしまったのはただ単純に偶然だった。
総重量100kgは超えるだろう鉄塊を振り回した反動でその場を間抜けな操り人形のようにクルリと回った瞬間、それを目撃してしまったのだ。
彼女、鷲宮准が落下してきた。
本人も驚いたように瞠目しているが、しかし事前情報とはずいぶんと違っていた。いや、法則からも外れている。いっそのこと、御鏡弥生の持つ『あっても扱いに困るが、無くても困る』能力の一部でも使っているのではないかというほどに。
アウグスタが鉄塊をふるった瞬間、確かに鷲宮准はそこにいた。当たる瞬間に飛んだというわけでもない。そんな兆候も何もなかった。となれば彼女、鷲宮准は空間を跳躍したのだ。そうとしか考えられなかった。
魂喰らいの吸血王――アウグスタが御鏡弥生から聞かされていたのはそれだけだった。そして彼女、鷲宮准は普通の、そして何の変哲もない超能力者だということだ。
本来超能力者とは、御鏡弥生を除き、ほぼすべて、一般と括ってもいい全ての超能力者が持てる超能力は一種類だけと決まっている。
テレビでよく見かけるスプーンを曲げる程度だったり、思考を読み取ったり――そういった類の能力は年を重ねるごとに、往々にして10代後半から20代中盤辺りで自然消滅的に消失する傾向が強い。夢を見なくなるからだ。
しかし一部の能力は、消えない。まるで魂に焼き付いたかのように。それが彼らの根幹をなしているから、彼ら自身が彼らの法則に縛られるから、消えることはない。
彼ら自身が望んだ彼らにとって都合のいい法則なのだから、早々都合よく二個も三個も手に入るはずはない。彼らの根幹をなす、要するに彼らの人格を形成する一部であるがゆえに、超能力者は原則として持てる能力は一つだけと決まっている。彼らの人格の具現と言い換えてもいい。
その点において、御鏡弥生の才能喰らいの簒奪王は例外中の例外と云ってもいい。下手をすれば魂喰らいの吸血王なんか比でもないほどに。
御鏡弥生の能力は、一切の制約を無視して発動・行使が可能でありながら一切の制約なしに他人から超能力を奪い取って発動・行使することが可能だ。
数百人分の超能力なんぞ、通常の人間の精神構造では人間の人間性が崩壊してしまいかねないが、御鏡弥生はそういったことからも無縁であった。それが彼女を規格外足らしめる所以である。
アウグスタは“御鏡弥生はこうも言っていた”ことを思い出した。
『僕の予想が正しければ、彼女は特別だ。しかしこれは仮説にすぎない。もしかしたら彼女が持つのは本当にエナジードレインかもしれない。そのことに注意して戦ってもらえると助かる』
そんなものをつらつらと思い出すうちに、そろそろ受け止める態勢に入らなければ彼女、鷲宮准が落下死してしまうほどの落下速度を得ていた。
受け止めなければ確実に自分も死ぬ。
どの道、御鏡弥生の友人をしている以上普通ではないのだろう、そう思えばこの現象もあり得ないことではないように思えてきた。
バタバタと腕と足を振ってどうにかしようと情けない努力をしている彼女、鷲宮准を自分の胸に抱きかかえるようにして落下の衝撃などを全てジェネレーターキャノン後方のジェット噴射に任せ、胸部メインフレームが軋む音と痛覚から彼女、鷲宮准を補足し捕獲したことを完全に知覚すると、さてどうすればこのお転婆は尻尾を巻いて逃げるだろうかと考え始めた。
アウグスタに抱きかかえられた赤ん坊のごとき恰好の鷲宮准と云えば、何の痛痒もなしに――とはいかなかったようであるが、しかし闘志のような物だけは相も変わらず飽きもせずに燃やしていた。
痛みに耐えるように――事実そうなのだろうが――彼女はこのチャンスにお前の負けだと宣告した。
「――――50発」
「なんだ?」
「さっき、貴女が受け止めた1マガジン分の軟式球だ……」
「それがどうしたという――――ッ!」
訳が分からない。そう云いたいのがよく伝わってくるのを彼女は若干心地よいと感じていた。
なるほどこの全能感は、漫画で見かける超能力者らしいといえばらしいだろう。
こんな、殺す気はないにしても気絶させる気は満々の相手にずいぶんと余裕なものだと、どこか螺子が飛んで行ってしまったような感触を覚えながら、先ほどの酔狂、もしくは酔漢の戯言じみたセリフを続けた。
「私の攻撃を、一度でも貴女に当てられたら、私の勝ち――なんでしょ? じゃあ、私の勝ちだ!」
正確には受け止めたというのが正しいだろうが、当たってはいる。掴んでいるのだから、ボールはアウグスタの手に接触している。今、この瞬間も。
人道的観点から、アウグスタのようなニンゲンは鷲宮准のような主人公体質を助けずにはいられない。
ドクトル・バタフライに造られた当初から変わらない、アウグスタのアイデンティティで、そこばかりは御鏡弥生とキャラ被りしている部分ではあるが、アウグスタは空より飛来した鷲宮准を受け止めてしまった
絡め手とかそういった高尚なものではない。いっそのこと子供じみた考え方ではあるが要するにそういうことだ。受け止めたのだから、私の勝ちだ――と。
言葉の綾でもなんでもなく、ただの屁理屈に過ぎない。
場の人間すべてが凍り付いてしまったような中、彼女はそろりそろりとアウグスタから距離を取り、自身の勝利を疑わないような笑みを浮かべた。勿論、虚勢だ。
そうでもしなければ立っていられないだけで、普段の彼女であればとっくに気絶でもしていただろう。いや、今だってそうだ。倒れそうになるのを、結果を聞くまではと今も我慢しているに過ぎない。
先にその沈黙を破ったのは、アウグスタだった。
「なる――ほど。なるほどなるほど! 面白いな。いくら生き汚い奴でもこんな手口を使った奴は今まで誰もいない!」
腹をよじるようにして、端正な顔を歪めて笑う姿はもはや一級の芸術品にすら相当していたが、掛けられる言葉は称賛というよりどちらかというと貶されているような気しかしなかった。
そして何より彼女にはその続きが気になっていた。
だからどうしたというのか。生き汚いから何なのか。勝ちなのか、それとも続行なのか。ただそれのみが逸るように気になっていた。
「つ、つまり――?」
「私の負けだ。負けでいい」
何の衒いもなく、アウグスタは“そういうことでいい”と折れた。
まさかそうまであっさりと引き下がられるとは思ってもみなかった彼女、鷲宮准は呆気にとられ、腰が抜けてその場にへたり込んだ。
それが事の顛末だ。
こちらは去年の四月中旬から書き始めて六月に書き終わりました。




