第1.75話 ~玉鬘篇~ 下
元ネタのヒント:Aqua Style Malignant Variation
□大昭25年 08/01 PM13:52 夏休み後半
『フフフフフ! 君らの能力なんぞ、僕のクレイジー・ドラエモンドの前には無力! なんとなれば全てにおいて、埋めるに埋めきれない差があるのだから! アリが逆立ちしたって子供が巣に流し込む溶けたアルミニウムに抗えないのと同じように!』
鷲宮准は実家のリビングでソファーに仰向けに横たわり、チョコレートの練りこまれたクッキーを食べながら末妹が最近ハマっているというアニメを見ていた。というより、時間になったからとチャンネルを変えられた次第である。
彼女が元々見ていたワイドショーで取り沙汰されていたのは、一昨昨日に御鏡弥生が推理した通りの人物、仙峰堂久彦と、既に故人となっている寒水洋二の顔写真であった。そして彼を逮捕したのは、相も変わらぬ不愛想そうな面構えをした男、県警殺人課の暗黒寺叡景警部であった。
『クッ……ドラエモンドのドローン能力、C-ドラエモンドの最後の一つはいったい何なんだ! 其れさえ分かれば、対処の使用もあるというのに!』
『こいつはドローンの弾丸のおかげかなぁ……僕のドローンパワーが、ドンッドンッと漲ってくるのを感じるぞぉぉぉ! 今の僕は気分が良いィィ! 景気づけに教えてあげよう! 僕の究極のドローン能力、クレイジー・ドラエモンド第一夜の能力、その名もDas Rheingold! 効果は先ほどビノタ君、君が推理した通り、あらゆるものを大きくしたり小さくするゥ! それは攻撃、つまるところ慣性力や打撃力などの物理法則、概念にも作用するのさ!』
『どおりで、喧嘩慣れしてねぇ素人の拳が、妙に響くわけだ……!』
二日経って御鏡邸にやってきた暗黒寺叡景警部が云うには、取り調べにはこう答えたという。
「確かにね、文禄の壷の真作を割ったのは文化的な損失でしょう。けれどもね、私は後悔していませんよ。それにあなたは、いえ、あなたの優秀なブレーンたちは一つ大きな間違いをしている。私が間違えて真作の壷で寒水さんを殴ったと思ったんでしょうがね、私は最初から分かっていましたよ、どれが本物か。知っていて、分かったうえで敢えて本物の壷で殴ったんです」
「なしてや。大事な文化財やんけ。そのまんまニセモンと摩り替えてホンマモンの壷を美術館に飾れや良かったやんか。何故じゃ」
「暗黒寺警部さん、あんた人柄は大分良いが、けれどもあんた、物の価値ってのが分かってないね。要するに、何が大事なもので、何が大事でないか。何を守るべきで、何を守らざるべきか。それさえ分かれば、あとのことは勝手に決まります」
「なんや、そりゃ。そんなら文禄の壷の真作と贋作――価値なんぞ語るべくもないやないか」
「ふふ。深く知りたければ、ブレーンの方々にくれぐれもよろしくお伝えなさい。良いですか…………物の価値ってのはね、結局そういうことなんですよ」
――居合わせた他の警官は、取り調べの手引き通りに怒号や罵声を浴びせて人格を否定しただけで、その真意を理解することはなかったらしいとは、暗黒寺警部の談だ。
そして暗黒寺警部も、これを聞いた私同様にその真意を推し量りかねて、正午過ぎに御鏡邸に押し掛けてきたらしい。
そして何かを悟ったらしき御鏡弥生の手により、夏季課題の消化もそこそこに二人は仲良く気も漫ろに御鏡邸を追い出された次第である。
『続きましてはァ、クレイジー・ドラエモンド第二夜の能力! その名もDie Walküre! 現在過去未来、さらには条件を変えることでその時点から分岐したあらゆる未来の情報を取得し、過去の改変と未来の改変を行えるのだ!』
『てことはこの、胸の内に広がるぽっかりと穴の開いたようなこの痛み、お前が過去に遡って何かやらかしたってことか』
『その通ォォォォりィィィ! 君は気が付いていないようだけどね、僕の経験上! 今の君は300周目の君なのさ。その過程で何度殺してもどこからかウジ虫の如くに湧いてくる君の仲間たち全て、誕生の段階から一人一人丁寧に、宛らクロスワードパズルを病院の待合室で楽しみあう暇に飽かした老人のように丁寧に抹殺し! ついに、夢にまで見たビノタ君、君との一騎打ちとなったわけさ』
『なるほど、つまりこの痛みは、300周の間に幾度も仲間を殺され、ついには存在すらなかったことにされた仲間たちの痛みだってことか…………スター・カービィ――オーバートップギア! 時よ止まれ!』
『麗しいが、甘いアマァァァァァァァイィィィィィ! そんなスピリッチュアルを信じているようだから君らは延々飽きもせず負け続けられるんだ! 君らに足りないのはそこなんだよ! 君らに足りないのは知恵! 才能! 力! 体力! 忍耐! そしてスピードが圧倒的に足りない! クレイジー・ドラエモンド第三夜の能力、Siegfried! ドローン攻撃その全てを吸収し弾き返す! そぉら見てみろ、まるで蚊トンボを落とすかのように、君の拳は一発たりとて掠っていないぞォォ!』
物の即物的な価値だけで云うならば文禄の壷の真作は確かに高価だったが、其れよりも守るべきものがあったということ。だから文禄の壷の贋作の方を守ったと、仙峰堂は云うのだ。
陶芸の師であり古物商としての目を育てたと云う藤堂久右衛門が、偏屈の極みのような老爺が自身の名誉を貶め、仙峰堂久彦を弾劾するために、仙峰堂久彦の罪を白日の下に晒すためだけに作り上げた本物に最も近い贋作と、その真作だったら一体、どちらの方が大事か。
御鏡弥生はそうかと頷き、それ以上を黙して語らなかった。きっといつか分かるときが来るとだけ言い残して足早に客間を離れ、意味の分からない鷲宮准と暗黒寺叡景警部は都城美峰にせっつかれる様にして退出させられたのだ。
『いいや、違うね。お前はこれまでに300周したと云った。そのたびに仲間を一人ひとり丁寧に殺してきたと。お前が勝ってきたんなら300周もする必要はないわけだ。だがお前はいまここで300周目の俺と戦っている。つまり! お前の方が、300回負けてきたってことだ……! そのうえで一騎打ちでもなけりゃあ勝てねぇからだ! スター・カービィ=オーバートップギア! 時よ止まれ!』
『無駄無駄無駄! 僕のクレイジー・ドラエモンドにそんなノミハムシのような拳など効くものか! 君の攻撃は威力という概念、慣性力や打撃力の物理を極限まで抑え込まれた挙句に極大化されて反射、仮にそれを打ち返したところで過去も未来も現在も引っ掻き回して当たらなかったことになァアる! 君の攻撃は無意味! 無駄! 無為! 君は僕に今度こそ、台風に踏みつけられた稲穂のようにぶっ潰れるんだよォォ!』
この話を聞いたとき、そしてこの話を今も悶々と家に持ち帰って今時分になっても、鷲宮准にはどちらを取るべきなのか、全く分からなかった。
文禄の壷とやらは、どうやら余程価値があるらしいと新聞を読んで知っていた。それに伴い、其れの学術的、骨董的、美術品的価値など彼女自身、誰に語られずとも理解できる次元の話であるように感じられたが、仙峰堂の価値観とは大分ズレているらしいことだけ理解できて、そこから思索は一切前に進まない。
何故進まないのか、なんて言うのは簡単だ。
小市民を絵に描いたような凡庸さを自覚するところの鷲宮准にとって、文禄の壷の真作の方が価値が高いのだから、仙峰堂の云う“何が大事でそうでないか”や“何を守るべきで何がそうでないか”で見たら真作の方に軍配が上がる。誰でもそうだろう。目の前に美術品とそれに近い見た目のレプリカがあれば、多かれ少なかれ誰もが真作に価値を見出す。
にも拘らず、何故仙峰堂久彦は敢えて文禄の壷の贋作を、真作を新たに造ることの出来る職人が敢えて真作に最も近い贋作を作り上げ、そしてそれを仙峰堂が後生大事に守ったのか。その理屈とは、一体どんなものであろうかと。それが分からないからこそ、詰まっているのだ。
『クレイジー・ドラエモンド! 第四夜の能力ゥ! Götter Dämmerung! その能力は、あらゆる不可能を可能にすること! 僕がビノタ君、君を救うために未来の僕が過去の僕を殺し、自分自身をドローン能力へと変換したときに手に入れた能力だ! 』
『そうか、それがお前の――ドラエモンド、お前自身か。これは、勝てないな。俺の借り物のドローン能力じゃあ』
『そうだビノタ君。君の負けなんだよ。諦めて――』
『だが、お前が居れば話は変わる。なぁ、ドラエモンド』
『なぁにを馬鹿なことを――』
『C-ドラエモンドに聞いているんじゃあない。ドラエモンドに聞いているんだ。お前は元々教育型ロボットで、俺のような成功するか大失敗するかの二極にある子供を正しく教育するために送り込まれたはずだ。そしてドラエモンドのドローン能力が未来のお前を一時的に借り受けるC-ドラエモンドなら、俺のドローン能力は誰かからの助力を要件とするスター・カービィだ。お前のドローン能力の活性に合わせて成長し続けた、最後の1欠片を残してほぼ埋まっている借り物の能力だ。分かるな、最後の一欠けらはお前だ、ドラエモンド』
『やめろ、僕を否定するな――』
『それに……たとえどんな風になったって、ボクたちは友達じゃあないか。ねぇ、ドラエモンド?』
『…………ビノタくぅううん……!』
即ち、本質的な物の価値と云うのはそういう他人からの評価ではないということだ、という仏教か何かの説話に出てきそうなことであるが、これが猶更話をややこしくしていた。
仙峰堂久彦にとって、藤堂久右衛門の持ち出した文禄の壷は、そしてその製造過程の写真や複数個に渡る贋作の存在は許せるものではなかったから殺したのではなかったのかと、奇しくも暗黒寺警部と同じ発想に至り、そして仙峰堂はそれ以降供述に応じていないらしい。
つまりこれ以上なく丁寧に答えを述べたと云う意思の表れであり、既に詳らかにそれを公の許へ曝したのだから、もう話すべき事柄はないと、仙峰堂久彦は云っているのだ。これはそういう意図の発露である。ソースは御鏡弥生である。
故にこれ以上、彼が取り調べにおいて動機を語ることはなく、犯行認否とその手段など、動機以外のことについては積極的に捜査に協力しているというのだから、彼はこれ以上、彼の云うところにおける物の価値とやらを話すつもりはない。
(おのれ、流石は僕の友達――流石は僕の敵にして僕の守るべき存在――。接点を限りなく失くしたとて、運命は、進化は収斂すると云うのか……ならば僕が僕自身を扱うまでだ! クレイジー・ドラエモンド、第四夜の能力! Götter……)
『そうはさせねぇぞ! スター・ドラエモンド=オーバーワールド! 時は止まり、あらゆる運命は飯田商店ジャイアンツに収斂する……』
(僕の能力はあらゆる不可能を可能にする! 時間が止まったところで、運命を書き換えたところで僕は動ける! 僕は勝てる! 勝たなければならない代わりに必ず勝てるんだ! 負け犬と負け犬がくっ付いたところで、マイナス同士がプラスになるのは数学の問題の世界だけなんだよ!)
『俺はお前を殺さない! 俺は俺たちに絡まったこの運命を、お前のその怨念を断つ!』
(ここから先はドローン能力同士の勝負だ! 僕と同じ能力に進化したスター・ドラエモンドと、僕自身を媒体に発露したクレイジー・ドラエモンド、どちらがより優れているか!クレイジー・ドラエモンド第二夜の能力! 運命はここに変容する! 来い、ザ・ドラドラセブン!)
『手前の同級生全員をドローン能力に変換しやがったか! しかし、無駄だぁあ! ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラァァァア!』
(無駄無駄ぁぁぁあ! ドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラドラアアアア!)
――最終回拡大版60分だそうで、彼此30分はずっとバトル描写だけが続き過ぎて、私としてはそろそろ疲れてきた頃合いである。
思考を切り替えるためにため息を一つ。妹の食べているポテチを取ろうとした鷲宮准の手を、彼女はにべもなく払った。そんな妹の顔色を見た彼女の感想はと云えば、兄共々シスコンの烙印を押されるのが頷けるような可愛いの連打である。
――チャンネルを変えた張本人である妹はと云えば、ポテチを食べようとして口を開けたまま呆けて固まっている。最終回の画力に気圧されているらしい。妹の間抜け面が可愛い。
そんな可愛い妹と目が合ったのは何かの物語が始まるフラグだろうか。そうに違いない。
ラノベよろしくキッと睨み付けるようにして少し私から距離を取ろうと小さなおしりを動かしているのが可愛らしいと思う私は、弥生に曰くシスコンだそうだ。確かに彼氏なんて連れてこようものなら兄貴と一緒になって格ゲーよろしく弱攻撃連打は免れないだろうとは思うが、その程度である
「二姉から邪気を感じる……」
「妹の成長に姉は舌鼓を打っていたのだ。それにしてもまぁ邪気だなんて、中学2年生の頃の私みたいなこと言いだし始めて。将来が楽しみだなぁ」
「……絶対にお兄ちゃんと二姉みたいな大人にはならない」
「何をゥ! 私は妹のことが大好きなだけなんだ! なんというか、アイドルを400億倍可愛くしたらこうなったって感じで」
「気持ち悪い…………二姉、犯罪にだけは走らないでよ」
「今日の茜は辛辣だなぁ……私は別に小児性愛者じゃないんだけどなぁ~」
すました顔でテレビに視線を戻した鷲宮准だが、内心のダメージが半端ないことは想像に難くない。当然、鷲宮茜の方が正論ではあるのだが。
だから鷲宮准は、妹とのじゃれ合いの片手間で、その何かこびりつく様にして頭の中から離れない一言に思索を巡らせていた。
犯罪者の中でも、とりわけ思想のハッキリしている思想犯に近い衝動犯。サイコパスの誹りを免れなかろうが、仙峰堂久彦本人の中にあるその物の価値観に基づいての犯行であるからして、きっと彼はそれを後悔していない。
しかしだからこそ、その一言には重みがあった。人伝いに聞いた鷲宮准の脳裏に残るくらいの凄味があった。
暗黒寺警部も同様に、その凄味を直に浴びて何か揺さぶられたから御鏡邸を訪れたのだろう。他の警官が聞き流して罵声や怒号を浴びせる中で、暗黒寺警部だけが。
【駄目だビノタ君……君と僕二人合わさって最後の進化をしたS-ドラエモンドは、原理的にはC-ドラエモンドと同じ能力なんだ。あらゆる不可能を可能にし、あらゆる過去現在未来の中から求めた結果だけを引き寄せ、あらゆる攻撃を矮小化し、あらゆる攻撃を跳ね返す。だからもう、これしかない。ビノタ君、散々迷惑を掛けてごめんよ。元気でね】
『馬鹿野郎、お前はこの世界線での俺の最初のトモダチだ! オレタチの親友だ! お前一人で死なせやしない。死ぬって云うなら、俺も一緒だ』
【そんなこと……出来ないよ】
『良いんだ。俺が良いと決めたんだから、それで良いんだ』
御鏡弥生の態度を鑑みるに、鷲宮准や暗黒寺警部自身の手か、若しくは他の第三者による種明かしでもない限りにおいて、御鏡弥生本人の口からそれを語ることはない。いつか分かるときが来るとは、その言葉の真意とはそういう意図の発露であるが故に、何を語るまでもなく御鏡邸を追い出されるに至っている。
暗黒寺警部も鷲宮准もその反応に、その呆れの多分に含まれた含みのある空気に気圧されて、今の今まで悩みながら帰路に付かざるを得なかった。
そして何より御鏡弥生は、仙峰堂の意思をほぼ完璧に理解した上で共感していない。共感していないからこそ理解した内容の多くを語らない。それは詰まるところ、法律では、理性だけではどうしようもない対立した概念の併存であり、そしてそれは理解されないと理解していながら、詳らかに己の価値観を開示した仙峰堂への敬意なのだとも。
つまるところ御鏡弥生は、仙峰堂のその感情を肯定しているのである。否定をしない代わりに肯定しているのである。だからと云って共感は出来ず、そしてその感受性の問題は何かの拍子にいつか勝手に解決するレベルで馬鹿馬鹿しく、本質的な人間の在り様、人間の生活様式その物の具体的な抽象化と云える営みだということである。
『――良いか、勝てる見込みは一つだけある。C-ドラエモンドは一種の現象だ。それが発生した段階で、相克するS-ドラエモンドが存在しなければもうとっくに負けていた。絶対勝利と絶対勝利の概念が鬩ぎ合って、一方通行だった橋が不正改造されて相互交通になったみたいなもんだ。だが、俺が消えれば逆説的にC-ドラエモンドは発生しなくなる。俺の誕生が根本的なクレイジー・ドラエモンド発生の原因なんだ。だから俺は、スター・ドラエモンドで俺という存在を人類史から消すことで、クレイジー・ドラエモンドを消滅させる。だからドラエモンド、その瞬間、アイツ共々一緒に死んでくれ。成れの果てとはいえ、アイツも俺の大事なトモダチだ』
【ビノタ君――――分かった。君の覚悟は確かに受け取った。君がその存在を消し、完全に消える間際、僕はこの地球破壊爆弾無理心中特化型でC-ドラエモンドごと爆発に巻き込んで見せるよ! もしも来世があるなら、もっと普通に未来からやってきて、普通に友達になろう。それで僕はどら焼きをお腹一杯食べるんだ】
突き詰めてしまえば灯台下暗し。見ているふりをして何かを決定的に見落としている。それは一体何なのか。それは至極簡単で、それは普段から鷲宮准が何の気なしに実行するか、あるいは施されている。
だから御鏡弥生は『そんな簡単なことも分からないのか』と、暗にそう含ませてそれ以上を黙して語らなかったのだ。そして批判とは、非難とは、其れに共感し、あるいは其の真意を理解できる人間のみが行うべき傲慢なのである。
それは御鏡弥生が以前に語っていた内容であり、そして原義的で正しい扱われ方である。一つの確固たる信念を以て行われたことに、それに対する人間は同様に敬意を以て対峙するべきであるからこそ、ミーハーな性根を自覚する鷲宮准に、軽々しくそれを非難することは憚られた。
『成功したか、ドラエモンド――』
【うん、うん。君は偉業を成し遂げたんだ……ウ~オ~イオイ】
(馬鹿な、僕の体が、ドローンパワーが消えていく! まさかビノタ! 君はやっちゃあいけないことを、タイムパラドックスを引き起こしたというのか! それをやっちゃあお終いだよ!)
『全く、死ぬってのはこういう物なのか……もう何も見えねぇ、何も聞こえねぇ――なのに、不思議だな。お前らポンコツロボットが、二人揃って泣き崩れてるのが目に浮かぶようだぜ。ドラエモンド、それに何百周前のドラエモンド、死ぬときは一緒だ。一緒に心中しようぜ』
(ビノタ君…………怠け者の君が、毎日虐められてた君がこんな立派に……ウ~オ~イオイ)
【地球破壊爆弾無理心中特化型がもうすぐ起爆する。これで僕ら三人、塵一つ残さずに消え去るんだ。ビノタ君、君に出会えてよかったよ。君から友達を奪い続けて孤独に晒してしまったけれども、出会えて本当に良かったよ】
『泣くなよ、ドラエモンド。俺は、お前たちと出会えて、他の世界線の俺を知れてよかったよ。俺は孤独じゃなかったんだな。これでもう心残りはない。満足だ』
――そして閑話休題を経由してまたスタート地点に戻ってくる。
本質的な問題は真作か贋作かではない。本質的な問題は、その作品に内在する一種のエネルギーと云っても過言ではない、藤堂久右衛門への感情に起因するものなのかもしれない。
けれど直後に鷲宮准は思いついたそれを否定した。あり得ない。
殺すだなんて尋常ではない精神状態に置かれていなければ、若しくは尋常ではない精神を持ち合わせていなければ実行なんて出来ようはずもない。そしてそれを実行したということは既に引き返せない一線を越えているということ。ありきたりな話、恨み辛みと考えるのが妥当だろうが。
「…………なぁ茜、それ青い狸と怠け者少年のアニメをオマージュしただけの全く別のアニメだってことは分かってるよな?」
「二姉、私のこと何歳だと思ってるの?」
「…………お前の中でその二人称が流行っていると確認できたことだけが収穫か。私は悲しいよ。茜から普通にお姉ちゃんって呼ばれていたつい一昨昨日までが」
「……だって学校の子に変だって思われたんだもん」
「そう思うクソは放っておけ。私だって言葉遣いだけがガサツだって注意受けたことあるけど、一度も気にしたことないからな」
「気にしようよ。男子に変な性癖植え付けてるって自覚ないの?」
「そろそろぶん殴ろうか?」
「ごめんなさい」
「うん可愛い。よしよし、ではお姉ちゃんが抱っこしてあげよう」
「その返しはどう考えても可笑しいと思うんだけど。それと胸板がガツガツ当たって痛い」
――だとすれば、藤堂久右衛門本人への物でないとすれば、逆に考えてみてはどうだろう。つまりその贋作が藤堂久右衛門が最期に造った物だから残したとすれば――――論拠ならある。仙峰堂はあの顔付きが厳めしいだけの暗黒寺警部に物の価値を語ったらしい。
又聞きするに曰く、何を守るべきで、何を守らざるべきか。何が大事で、何が大事でないのか。それこそ仙峰堂が云うところにおける、物の価値と云う考え方、定義であり価値観の根底だ。
そしてその妙な冴えを見せた風な思い付きも、また振出しに戻った。
恨んでいたり憎んでいたりする相手が最期に作った、そう、遺作と呼んでも良い業界にとっては恥晒し。然るに真作に最も近い贋作と、贋作よりも贋作らしい真作だったら、それは一体全体どちらを守るべきかなど明白なのだ。
少なくとも、鷲宮准は短絡的に、そう思い込んでいた。結局は又聞きの情報でしかないからこそ、そこに含まれるニュアンスの差が分かっていない。
『いや、一つだけ心残りがあったな――』
(なんだい?)
【なんだい?】
『いや、なんてことないことさ。ただ、大人になりたかったなぁって――――』
「その瞬間だった。地球破壊爆弾が発動したのは……。小学五年生の終わりとなる春、ビノタ・ビノは過去から自分の存在を抹消し、クレイジー・ドラエモンドと自身の誕生を阻止したのは厳然たる事実である。そして二百年に続きその後二世紀に渡って繁栄を続けるはずだったビノの家系は、その繁栄の印でもあったビノタの消滅によって因果地平……すなわち宇宙の果てへ四散したはずだった」
(認められない……こんな末路はあんまりじゃあないか。ビノタ君――僕は決めたよ。君が永遠に幸せに生きられるように死力を尽くすと。僕はいつだって、君たちの傍に在るのだから)
「ビノの奇妙な冒険 第三部~クレイジー・ドラエモンドは永久不滅のブラフマン~ 完
次回予告 ビノの奇妙な冒険 第四部~不変なるドラエモンド~
舞台は練馬区を離れ奥多摩へ。猟奇殺人犯の訪れとともにそれは始まった。宛ら時計仕掛けのオレンジの如き残虐な仕掛けが、ビノスケ・ビノたちを襲う!
『こんな、こんなことがあってたまるかよぉぉぉぉぉぉぉォ!』
『フハハハハハ――ざまあみろビノスケ・ビノ。嘆くが良い悔やむが良い――あれがお前たちの運命だ。左様、今ここに決着がついたのだ。お前たちの完全敗北としてな…………。さぁ喘げ、泣き叫べ――お前たちのその惨め極まる姿を――地獄の底より見物しておるぞ』
『超能力者の正体は人間なのです。社会に適合できずに不満を持った人間がその脳中枢を活発化させ、幻覚よりも質の悪い実効性を伴った現象を発生させてしまっているのです』
『しかし私は、兵器として生まれたはずのこの娘に愛情を覚えてしまっているのだよ。この感情が罪だということは理解している。道具として生まれた物に道具以上の感情を抱くだなど馬鹿げているとも。だが私は見たいのだ。兵器として生まれた彼女は、果たして流すことが出来るのだろうか。人間として』
『すべてはあの時、あの場所で始まった。あの狂気を止められなかった……! それこそがアタシらの罪さ。あんたばかりが悪かない。悪いとしたら、あの時、あの場で目撃した奴全員が……等しく裁かれるべきなのさ――』
『その通りだ。しかし私はあの罪があったからこそ今の幸せがあると思っている。だからこそ私は、私の罪から逃れはせん! この罪は、この罰は、たとえ神であっても裁かせはしない! ――おぉ神よ、裁けるものならば、今すぐにでも裁いて見せよ! この救いようもない咎人を! ――さぁ!――――――さぁ!!――――――――さぁ!!!』
『福岡は以前、政府に反抗的な活動を行う暴力団組織の温床となっていた。従ってこの町には反政府的な思想と社会不満があると看做すことが出来る』
『何故だ! 何故ワシの人造ドローン軍団があんな小童どもに…………もうよい! ゆけい、デュラハン大佐の鉄十字軍団と空を制するドローン軍団よ! そして浮上せよ、海底城塞ブラッドフォードと選りすぐりのドローン軍団よ! フォルケンバーグ船長とフライングダッチマン号、そして鉄騎兵の中の鉄騎兵たちよ! 今こそあの憎き奥多摩を火の海に沈めるのだ!』
『さぁ、裁きの時間だ。だが私はお前を許す。あの時、あの場所で、お前の判断は正しかったのだ。そういって慰めてきたのだろう? 今度は裏切りで済むはずがない……!』
『アァッ――――ぉおぉぉぉのぉぉぉれぇぇぇ! ビノヒラビノォォォォ!』
『そぉぉぅだビノスケぇぇ!! お前は今この瞬間、人間を超えるのだ! その力を何に使うかなど、そんなちっぽけな選択肢など全て踏み潰していけ! この世の全て、お前の自由だ! さぁ――――ゆけぇぇぇい!!!』
『そうともさ、どうせこの奥多摩はぶっ潰れて更地になっちまうんだ。なら、中途半端じゃ面白くもなんともない…………溜まりに溜まった怨念、執念、妄念、焼き捨てんばかりに燃やすべきさね! さぁここが奥多摩最後の正念場だ! 派手にやっちまいな、大陽寺若い衆、龍珠院僧兵隊、奥多摩温泉女将集たち! 鉄騎兵どもに目にもの見せてやんな!』
『ま、待て! ヘンな奴がいるぞぉぉ!!』
『鬼におうては鬼を斬る、神におうては神を斬る、悪魔におうては悪魔を斬る、仏におうては仏を斬り、天魔におうては天魔を斬る――人におうては人を斬る――総ては善悪相殺、滅尽滅相の理なれば之即ち劔の定也……故、我が行く手に敵は無し! 装甲悪鬼正宗、見参!』
『ウォォォォォ!』
『浅間山荘以来じゃ、日本赤軍の血が騒ぐわい! 数じゃ、チャカをもっと持ってこんかい!』
『ちょっとおじいちゃんたち、数じゃないわよ腕前の勝負よ!』
『ウへへへ、とりあえずヘンなの見つけ次第ぶっ殺してきゃイイんでしょが――つまるところ皆殺しでぇぁい!!』
『…………四十年分だ。意気揚々と上陸してきた鉄騎兵軍団には申し訳ないが、時代に取り残されて燻ぶるしかなかった奴らの鬱憤払いに付き合ってもらうよ。覚悟しな!』
『やぁ諸君。とうとうここまでわたくしの話を見てしまいましたねぇ。わたくしこと日野樋野助は、元々「あなた」と同じ普通の少年でした。しかしある日突然、人間以上の力を得てしまったとしたら、「あなた」は其れを何に使いますか? 私もまた、今は亡き祖父、日野比延田の研究室の門戸をくぐったとき、祖父の残した偉大な超能力を受け継ぐこととなってしまったのです。そしてその瞬間から「地獄」が待ち受けていたように「あなた」にも! ここまで日野樋野助、若しくはビノスケ・ビノの物語をただの作り話として見てきた「あなた」にも、これからわざわいがふりかかるのです。「地獄」が待ち受けているのです。何故ならこれから待ち受ける「地獄」はわたくし個人のドラマではありません。日本人全員がまきこまれてしまうのです。「あなた」も例外ではない。「あなた」も参加するのです。そして「あなた」は…………』
『紀元を超えた太古の昔、人類の祖先は地中海にあったとされるローラシア島に発生した。その祖先たちは守られ、導かれ、そして繁栄を極めてきた――しかしその軍力も人民も歴史も、ある時を境にぱったりと途絶えてしまった。それを終わらせたモノこそがデウスと呼ばれる者。つまり、ドラエモンドなどと名を変えたD・エモンガー……それは知っているね』
『殺せ! 此処にある全てのレラジェ共を殺すのだ! 努々忘れるな――こ奴らはワシらさえ滅ぼすぞ!』
『この町の人間はまた暴動を起こす可能性がある――だから先にこの町を制圧し、新たな超能力者の出現を食い止めるのだ! 暴動を起こさないようであれば、暴動を起こさざるを得ないように仕向けてしまえ! 疑わしければそれが全てだ! お前たちは何も悪くない! 悪いのは全て奴らなんだ!』
『『『『『『『『『『鉄騎兵軍団がなんぼのもんじゃい!! 奥多摩潰すならこの百倍持ってこんかい!』』』』』』』』』』
『こちら水根駐在江の島、なんかとんでもないことになってますよ』
『ドローン能力が効かないだと――! こいつはいったい!?』
『我が名はレラジェ――ローラシアの最後の番人也。我はローラシアとその人民を食い荒らさんとする異文明を滅ぼす。故にこの星の全てを滅ぼす。塩基配列照合。ローラシア人遺伝子と97.6パーセントの合致を確認。同時に異文明人遺伝子とも97.6パーセント合致。攻撃対象指定。殲滅せよ、殲滅せよ、殲滅せよ』
『俺は神にも悪魔にもなれる超能力を手に入れた――――! だが、人を捨てても人の心だけは失わなかった! …………お前たちはどうだ! お前たちは人間でありながら、ドローン能力も持たずに悪魔に…………悪魔になったんだぞ! これが、これが人間のやることか? これが、俺が身を捨ててまで守ろうとした人間の正体か!』
『えぇいこうなれば、デュラハン大佐! 貴様の配下にある全ての人造ドローン軍団を結集し、飛空要塞ラピュータでドローン能力研究所を空爆せよ! せめてここさえ落とせれば、計画の7割は完遂したも同然! さぁ急げ!』
『了解! 全軍集結! 飛空要塞ラピュータ、最大船速でドローン能力研究所に特攻―――――あれはッ……ビッグバン・パンチ!』
『デュラハン大佐! よくもドローン能力研究所の皆を……飯田商店ジャイアンツの皆を……よくも、よくも、俺の奥多摩をぉ! ――貴様だけは許さないぞ、デュラハン! 死んでおじいちゃんたちに詫びを入れろ! エモン・インパクト!』
『何故だ、何故だデュラハン! ナゼダァァァ!!』
『えぇい、ワシの可愛いデュラハンを、ワシの可愛いフォルケンバーグを! ローラシア島浮上! 目標、奥多摩水根沢! さぁゆけい、長年にわたるこの因縁に今こそ、決着をつけるのだ!』
『だけどおじいちゃんは云っていた。俺のドローン能力があれば、世界を好きにできると。俺のドローン能力は、神にも悪魔にも成れる力だと。でも俺は、神様になんてなれやしないし、ましてや、悪魔になんてなりたくもない…………! だから俺は戦う! この奥多摩を守るために! おじいちゃんから受け継いだ、このドローン能力で! 決着をつけるぞ、ドクターメシア! 力を貸してくれ、ドラエモンド! ――――エモォォォンゴォォォォ! エモンガァァァ・Dィィィィィィ!』
だがしかし! ビノの家系は滅びたはずであった! ビノスケ・ビノは一体何者なのか、殺人犯は一体だれなのか! 何の変哲もないサスペンスと其れに触発された殺戮劇が、奥多摩で繰り広げられる!
『キティ・クイーン、第一の爆弾! ドローンと私の手、どちらかで触れた物全てを著作権侵害で爆裂炎上させる! お前のその汚い中身、ポップコーンみたいに存分に撒き散らすが良い!』
(出来たての、ポップコーンは如何?)
そして、ドクターメシアとの決戦の後、人類は滅亡し、ドローン能力者軍団と古代ローラシア人による20年に亙る戦争の幕が切って落とされる!
次回、ビノの奇妙な冒険 第四部 不変なるドラエモンド 第一話 ~大団円へのプレリュード~ 君は……星の涙を見る 元日より三日間三話連続放送予定!」
「…………あ~っと、なんだかさっぱりわかんねぇけど、ようやっと終わったか……さぁニュースだニュース。学校での話題作りにこれほど丁度良い媒体はないぞ」
「お姉ちゃんってさ…………」
「うん? 何か言ったか?」
「にぶちん」
その硬質な音を単純で分かりやすい擬音語で表現するなら、ゴツンという音が適切だろうか。
そんな強かな音がリビングに響いたのは鷲宮茜がそれを発した直後であった。鷲宮准の拳骨が見事に鷲宮茜に決まっていた。こうして鷲宮家では姉妹喧嘩兄妹喧嘩が勃発する。
「アイドルよりもかわいい妹に平気でボーリョク振るうんだお姉ちゃん」
「藪から棒に人のことを鈍いだの言うからだ。いくら可愛い妹でもあまり好き勝手云う様なら教育的指導は免れない。……それで一体全体何なんだ」
「お姉ちゃんの悩みなんて、妹の私には筒抜け。ほんと、普段ずけずけ押し入ってくるくせに変なところでにぶちんだよね、お姉ちゃん」
「もう一発いっとくか? 今度は親指を拳の中に包んだ奴」
「ガチの太極拳習ってる人が云って良いセリフじゃない――」
ドン引き気味に鷲宮茜が少し体を引かせたのを見て鷲宮准は間髪入れずに小脇に抱えるようにして抱きしめる。
春休み以降強くなりすぎているため、あれほど強かな音が鳴っていてもかなり加減しているほどであり、少しやりすぎたと内心思っているのは秘密である。
これではまるでDV夫やDV妻のようだと内心思いながら、果たして一体全体何をして鈍いと形容されたのかと彼女、鷲宮茜の鋭さ――ともすれば未来予知にも近い確度を誇るその察しの良さに仄かな期待を抱いた。
妹ならば、手っ取り早く答えを教えてくれるという、この上なく最低な期待でもあるとは彼女、鷲宮准をして自明のことであり、仮にその答えがもらえたとして、それが多くの人から見れば下らないことであると改めて突きつけられることになると本能的に知っていた。
――ふと思い出した。茜の勘の鋭さを。私が内心で思っていることを悉く見透かされて。茜には今、私がどういう風に映っているのだろうか
鷲宮准の仄かな後悔は兎も角として、鷲宮准は思い出す。鷲宮茜の鋭さを。
例えば、兄から貰ったエロ本の隠し場所を兄に報告されたり、
例えば、好物のチーズケーキの隠し場所を看破されて半分平らげられたりだとか、
例えば、茜と一緒に食べる予定で買ったプリンの隠し場所がバレていて、格好よく取り出して見せるつもりがその思惑もバレていて先回りされた挙句姉妹喧嘩に発展した時とか、
例えば、大して御鏡弥生とも鷲宮准とも仲良くする気の微塵もない、ただ持っている地位を掠め取りたいと目論んでいたクラスメイトと家での開口一番に引っ叩いたときとか。
例を挙げるなら枚挙に暇がない。それは異常なほどに異様なほどで、その察しの良さとその正確性は最早類推力とかで片付けられる領域ではなく、正しく予知や予言めいたものが、その通りに動いていると云った気配すらあった。
だから鷲宮准は、鷲宮茜を放っておけない。根がお節介焼きで、根が善良過ぎたからだけでなく、何よりも大事な家族だから。
それ以外に発する語彙の少ない自分に、仄かな苛立ちを抱えていることも。そしてその苛立ちすら彼女、鷲宮茜に見透かされているのではないかと云う僅かな畏れも。
自分は鷲宮茜に好意を抱かれるに足る姉になれているのだろうか――――そんな、いつだったかに下らないと他ならぬ鷲宮茜に吐き捨てられたことが、時折顔を出すのだ。
閑話休題
とくれば彼女、鷲宮茜は鷲宮准が悩む灯台下暗しの根元の部分を察してしまったのだろうか。
答えは否、鷲宮准は鷲宮茜にその手の話題を一切振っていない。さしもの鷲宮茜とて振られてすらいない話題への回答など持っている筈がない。その“筈”とやらも意外とあてにはならず――いや、そもそも全く違うアプローチから来られてしまっては当たっているも何もない。
つまるところ、鷲宮准が一瞬で巡らせた二通りの会話の予想に対し、それすら予想していたのか、茜は口を開けようとしたその刹那、あからさまに聞き方を変えた。
「それじゃあお姉ちゃん、私がこの間あげた誕生日プレゼント、大事に使ってくれてる?」
――唐突だな。そんなこと当然、大事に使っているに決まっている。大事な妹から貰ったプレゼントだぞ
鷲宮准の返答なんぞ、もはや定型文とすら形容していいほどに決まり切っている。誰からの物であれ、自分のことを思って渡されたものを、彼女が無碍に扱うはずもない。故にそれは、分かりきっていることを敢えて、鷲宮准に理解させたいが為の確認でしかない。
「そりゃそうだ。茜が自分で選んで私の為に買ってくれたんだから、大事にしないわけないだろ」
「お願いだからお兄ちゃんと共謀して百倍返しはやめてね――――でもね、そういうことだよ」
「ん? だから茜、お前はさっきから何の話をしてるんだ」
「内緒。丁度良いし、後はお兄ちゃんに聞いた方が早いかもね、ニブチンのお姉ちゃん」
「あ、ちょ――――逃げやがった。頬擦りしたかったのに」
途端、蛇か何かの生物にでもなったかの如く、鷲宮准の腕の中から鷲宮茜は器用に、という単語すら足りないほどの器用さで抜け出し、自分の部屋に籠ってしまった。その間、僅か20秒程度の早業である。
ちなみに頬擦りしたかった、と云うのは比喩でもなんでもなく、鷲宮准の顎から先は空を切ってヘンな体勢になって止まっていた。
体勢を元に戻し脇の下に残っている茜のシャンプーの残り香を少しクンクンしたのち、些細なことに気が付いた。シャンプーに微量に含まれる大麻成分由来ではない。彼女のシスコンは兄と姉由来の物である。
「ん? 丁度良いってどういうことだ?」
丁度良いと云った鷲宮茜、他ならぬ彼女の妹の頃合いを見たと言いたげなセリフが変に気になった。そしてそれが、鷲宮茜が“そういうこと”だと切って捨てた話題に関係があるのだろうと。
そう思った直後のことだった。彼女の両肩に手が載せられ、次いで力なく体重が圧し掛かってきたのは
――妹のいなくなって気の抜けた私の両肩に、ゴツゴツした手と体重が滅茶苦茶掛かってきたのは直後だった。
「お~い准、帰ったぞ」
「えひぇあ!」
「なんだその鳴き声は新種のポ〇モンか?」
まったく気が付かなかった。不意を突かれるように突然に兄は其処に現れた。
弁明ではないが、超能力者になって以降意識せずとも家の中で敏感に人の気配を感じ取れるようになっていた。後ろを向いていても茜が自分の部屋に入ったことくらい、手に取るようにわかるほど。
しかし問題が発生した。
そんな敏感に人の気配を把握できるようになったはずの私の感知野が、両肩に手を置かれるまで全くと云って良いほど背後に立つ兄の存在を感じ取れなかったのだ。
いつかの春休みの決闘の時に出てきたようなセリフが、再び鷲宮准の脳内でリピートしていた。
そして当然のことながら、鷲宮准の反応など最早決まり切っているほどに決まり切っていた。
「気配ぐらいさせろよ! びっくりしたじゃないか!」
「難しいことを云いよる……まったく。どうせ俺は影薄いよ」
そう云って頭を掻く鷲宮誠にこれと云って悪びれる様子はなく、疲れた様子でそのまま椅子に座ったままダラリと机に臥せってしまう。
見てみれば外行き用の服装と荷物であり、多少汗の匂いがすることから仕事から帰ってきたのだろうと当たりを付けると、彼女もそれ以上に噛み付く気は起きなかった。
「むぅ……仕事?」
「ん~そう。早番の人が休んで、他の人もみんな出られないって云うから店長と一緒に早番の時間帯で働いてた。で、いつもの勤務時間相当分が終わったもんだから、こうな、早出残業申請出して適当に漫喫で休んでからいつもの時間に出ようと思ったわけだ。したらまぁ店長が他の人に話付けるから今日は帰って良いって云うからお言葉に甘えて帰ってきたわけよ」
「うへぇ何それ……。ほい水。で、何で早番の人たちがほとんど出られなかったのさ?」
重い腰を上げて冷蔵庫からミネラルウォーターを鷲宮誠の手がギリギリ届くか届かないかの位置に配置するのは何ら不思議なことでもなく、単純な話先ほどの仕返しを兼ねた嫌がらせだ。
その意図を理解しているのかいないのか、おそらく後者だろうが、鷲宮誠は中腰になってペットボトルを掴むと水を一気に飲み干してしまう。文句を言う気力すらもないということだろうと理解すると、続く言葉を待った。
あまりにもウンザリしているのか、それとも疲れて鈍った頭を無理やり回転させているのか、鷲宮誠の唇が再び開くには大分時間を要することになった。
「――――ふぅ……公休が殆どさ。無茶苦茶なシフト希望を出す人が三人くらい居てな、そいつらの希望とすり合わせた結果かなりヘンテコなシフト表が完成したわけだが、丁度、予期せずして他の公休が重なったのよ。もう仕方ないから最低人数で回そうとシフト組み直したらその内の二人から休むと。で、大急ぎで他の人に電話しても業務命令拒否。大雑把に話すとこうなるな」
「ふ~ん。でも早出残業扱いにされて夜中も働いてね、みたいなことにならなくてよかったじゃん」
「……まぁ、可愛い妹とじゃれ合える時間が手に入ったと思おうか。と云うわけで准よ、特別にお兄ちゃんの頭を撫でる権利を進呈するから即座に撫でてくれ今すぐ撫でてくれ」
「シスコン」
「お前だってシスコンでブラコンだろうが」
――そういって兄の頭を撫でる私は、兄の言葉を否定できる義理に無い程度にはブラコンなのだろう
当然のことながら、鷲宮准に過剰な母性だとかのシチュエーションボイス系にありがちな設定はない。無いのだが、あまりにも弱々しく項垂れる兄を見て心底から気の毒に思ったのは事実である。
なお撫で心地は良好なようで気分がよさそうである。
好意への反駁と同時に、茜に云われた『丁度良い』という意味についても考えさせられていた。
丁度良いとは即ち、兄である彼、鷲宮誠が答えを明示してくれる可能性が高いだろうと云うこと。答えとはつまり、とても一般論的な、特別なことの何もない、鷲宮准が日々他人に施し、他人から施されていることでもある。
何ら特別なことでもないと云うのは茜の云い方からの推察であり、何ら根拠に乏しいものではあるのだが、その点について鷲宮准は鷲宮茜を信頼している。
だからそれを改めて聞くタイミングはどうすればいいのか――疲れている兄の愚痴に付き合ってやりたいと思う傍ら、自分の内側で他の物で紛らわすこともできずに渦巻く疑問をどのようにして終着させるべきかを考えていた。
別段、今すぐにこの疑問が氷解すれば良いと云うわけでもない。時間をおけばいつかは自然発生的に氷解する瞬間とてあるだろうことも、彼女とて当然理解していた。
所詮そんなものであるとはまた御鏡弥生の暗示した通りのことであり、そして所詮、そんなものとして、やがては虚しい理解とともに骨身に染みるのだろう。
『続きましては、先日県警殺人課より発表の在りました陶芸家の藤堂久右衛門氏殺害事件の容疑者、古物商の仙峰堂久彦氏が緊急逮捕された件です。容疑者は仙峰堂古物雑貨店を営む仙峰堂久彦氏――――』
「恩師を殺して不正を共にしてきた奴も殺して、そんでもって結局は本物と偽物の壷を間違えたんだからなぁ…………結局本物も偽物もないってか」
『仙峰堂容疑者は取り調べに際し“私は間違えて本物を割ったのではない”と答えており、また犯行の認否を明かしていません』
世間的に、殆どの人はそれこそが正しい解釈だと信じられているらしい。真意がどうであれ、本人がどう云おうと、著名人の云うことが正しいとばかりに。愚直に。
仮に、兄がこれを聞いたらどう思うのだろうか。先ほどまでそれほど重視していなかったはずのそれが、鷲宮准の脳内を一瞬で駆け巡った。
これとは即ち、仙峰堂が語るに曰くの“物の価値”とやらを置いて他にない。
『アーメン唱えて奇跡が起きィィ、ハレルヤ唱えて予言は成るぅぅ――――嗚呼ァァアアァ、エロイエロイラマぁぁサバクぅぅうタァアアアァニィィイイイ』
『作詞作曲、芳出田蔵さんより、“新約・ズンドコ節~オラこぎゃんとこさヅラかるだ~”でした。では次の曲に参りましょう』
『わしのこの髪の毛ぇは頭皮から直に生えとるもんや!』
『ちょ、生放送中ですからやめましょうよ!』
『えぇ、次の曲はヅラーダ・オ・マーエさん作曲、ズレータ・クレート・スカルプチャーです』
『お前またわしのことヅラ云うたなしばくぞワレェ!』
『謎の警視庁公安部第9取調室を占拠している捜査員が乱入してきましたので放送を一時中断します』
彼女鷲宮准が、そんな取り留めもなく再びまた愚にも付かない思索を再開したのは、兄である鷲宮誠がこれ以上見たくないからかそれとも見せたくないからかチャンネルを変えたその瞬間だった。
それすらも大して面白くもないというよりはあまりにも意味が分からなかったからかまた別のニュース番組に切り替わり、それをまた、兄である鷲宮誠は其れを大して面白くもなさそうに欠伸を供すだけで――――その間抜け面を見るに、どうにも御鏡邸で聞きしに及んだ事柄を適切に解説してくれそうには見えない。
大変に失礼な物言いであるとは鷲宮准も理解しているが、事実として大して毒にも薬にもならない会話を普段から交わしているだけあってか、鷲宮准に鷲宮誠がそういった回答を持っていることに関して全力で否であると云える自信があった。
「で、お前と茜は何楽しそうに話してたんだ」
「そこまで聞いてたのかよ」
「うんにゃ? お前が悩むなんて茜とのコミュニケーションに失敗して落ち込んでる時くらいだろ」
「――――――別にそんなことないし」
半分図星、半分的外れではあったが、そういうことにして有耶無耶にでもしようと云う意図が伝わったのか、鷲宮誠は溜息一つ「テレビ消すか」とだけ溢した。鷲宮誠がテレビの電源を落としたのはその直後だった。
――あ、これ兄貴が叱ってくる時お決まりのパターンだ
内心で冷や汗をかきながら、どう話したものかと内心で考えをまとめて居た。当然、茜には相談してもにべもなく断られたということにしようというのだけは真っ先に確定した。
「どうせまたくだらないことだろ。プリンでも買ってやって一緒に食べてればまた茜の方から口きいてくれる。で、今度はどんなセクハラしたんだお兄ちゃんにも聞かせなさい」
――あれ、なんかいつものパターンと違うぞ? このちょろいの、ちょっと上目遣いでおこっちゃや~よすればイケる?
中々に最低なことを考えながら即座に実行に移したのは手慣れたものがあった。毎度毎度こうなのかもしれない。
「……怒らない?」
「……可愛いじゃないか」
「いやその、茜に避けられてるっぽいのはいつものことなんだけど、其れと関係なくって。弥生の所で刑事? みたいな人と話してるところ見たんだ。で、その時に話していた内容がなんかモヤモヤして」
「へぇ。どういう話だったんだ?」
ようやっと、茜の時もそうだったが、漸く本題を切り出せた。
若干の達成感に安堵しながら、彼女なりに言葉を選んでいた。嘘を云わない程度に、本当のことを云い過ぎない程度に。知りすぎてしまわない程度に。
別段、彼女とて兄を信用していないわけではない。しかしどこで漏れるか分からないことだけに、言葉は選ぶ必要があった。
知りすぎて広めてしまってはあのよく分からない刑事にとっても傍迷惑極まりないことだろうからと、彼女にしては珍しく気転を利かせていたつもりだった。
「なんか偽物を守って本物を壊したのは間違えたからじゃなくて、分かっていて壊したんだってさ。本物と偽物の価値なんて考えなくても分かるとか、あとその刑事さんに物の価値が分かっていないって返したんだって」
「ふぅん。どっかで聞いたような件だな。弥生ちゃんそういった難事件の手伝いもやってるのか。お前も見習えよ」
「兄貴の名に懸けて」
「俺の名前なんぞ懸けなくてええわい」
返事に若干の引っかかるところがあったのだが、直後のボケに思わず返した瞬間その引っ掛かりも霧散した。彼女をして、このくらいで掻き消えてくれれば嬉しかったのにと思うところであったが、まだ肝心の答えを聞けていなかった。その答えとは何なのか
そののめり込むような姿勢と全く合わさってズレる様子の無い視線に、鷲宮誠は若干の呆れと気恥ずかしさを覚えながらわざと視線を逸らすことで返事としながら、分かっていて問いかけた。
そんな所作など鷲宮准にすらあからさまで、鷲宮誠が視線を合わせられるのが苦手なのを忘れていた彼女、鷲宮准はすぐさま視線を明後日の方にずらしながら答えた。
「……それ、刑事さんはこう云わなかったか? 犯人が“本物か偽物かなんて関係ない”って云っていたって」
「え? あぁ、うん。物の価値って云うのはそういうことだ、とかも云っていたらしいよ」
「――そうか。そうだな。物の価値ってのは極論そういう物だな」
――やっぱり兄貴は何かわかってる。知ったかぶりじゃない。染み入るような、深い所で理解したようなその所作は幾度か読書中の兄貴を見ていて知っている。私には何のことやらサッパリ分からない。
知ったかぶりしている時とか、その時初めて知った内容を話す時とか、兄貴はそういった表情をしない。
彼女とて自分の兄が見栄を張りたいときと真面目な話をしたいときの違いくらいは理解している。雰囲気の差も勿論理解している。
しかし彼女の口が動いたのは、茶化すような、また適当なことを話していないかと確認する一言だった。
その言葉は直後に一蹴されることになる。
「テキトー云ってない?」
「適当なんかじゃないさ、マジだよマジ」
「ホントーかぁ?」
別に確認する必要もなく分かりきっているほどに分かりきっている。この顔をする時、兄は真面目な話しかしないのだとも。深い所で理解してしまったが故のその愁いを帯びた表情の意味も、悲しそうなわけも。
これはただ自分が分からない謎を身内が簡単に解いてしまったことに、対抗心なんて言葉で片付けることも出来ない劣等感に裏打ちされた、ただの子供じみた負け惜しみだと彼女とて内心で理解していた。
理解していて漏れ出た。
――それではここ数時間の煩悶がまるで無意味だったということになるではないか
兄を見栄っ張りと云う割に、彼女、鷲宮准も相応に負けず嫌いで見栄っ張りだった。
そんな妹のことを、可愛らしいものを見るように乾いた笑いを一つ、鷲宮誠は鷲宮茜が鷲宮准にそうしたようにまた問いかけで返した。
「じゃあ准、お前は俺がプレゼントした物とかってどうしてる?」
「普段から使うようにしてる」
「そうだな。時計とか端末とか、毎日のように使ってくれてるもんな。でもさ、悪いんだが准に渡した時計やペンのいくつかには残念ながら偽物が混じっているんだ」
「むしろ毎度毎度高いの貰ってる方が気が咎めるんだが――」
「俺には居てくれるだけで幸せなのさ。で、そう云われたら、お前ならどうする?」
――そうか、これが核心の部分なのか
鷲宮准にも漸く、何が云いたいのか理解できて来た気がした。それは兎も角として、
「……ぶぅ」
一度は抗議しないと気が済まない。別に貰い物の真贋がどうと云うことでもなく、その意地の悪い問題提起の仕方にだ。
「悪かったよ。アイスでも何でも奢ってやる――で、お前ならどうする?」
「……何でもって云ったな?」
「あまり高い所はよしてくれ」
真贋なんて、調べればすぐに分かる。実際、鷲宮誠の趣味が多分に表面化した物を受け取ったことも鷲宮准自身、数えきれないほどある。
けれど、結局はモノなのだ。偽物だと動かないものなら兎も角、偽物でも間違いなく機能する物、例えばペンとか、例えば一部の電子機器だとかなら別にどうと思うこともない。問題は物の真贋ではなく、それがどういった思惑で渡されたものなのか。
――嗚呼、だから茜は呆れて離れてったのか。そりゃ、こんな下らなくて気恥ずかしくて直接言って聞かせるようなことでもない話、懇切丁寧に説明したくはないよな。
物を貰うことに有難みを感じない奴なんかに
「――どうするも何も、使うよ。そりゃあさ、偽物でちょっと残念だけど、皆がくれた物だし」
「どうせ茜にもそんな感じの返しして呆れられて部屋に籠られたんだろ」
「何で分かんのさ!?」
「お前の考えてることなんて百年先まで読まれているのさ――――でもな准、そういうことなんだよ。物の価値ってのはさ。誰かが自分のことを思って作ってくれたり用立ててくれたものだから、その価値は本物とか偽物で片付けられない価値がある。でも俺は嬉しいよ。お前が一丁前に物の価値を考えられる子に育ってくれて」
――頭を撫でる兄貴の手を振り払えないのは、今の言葉にまるっきり真逆の意味で図星を突かれてしまったからだ
手作りだからとか、物の価格の大小とか、そういったことを鷲宮准自身、殆ど気にしてこなかった。家族から貰えるものだから特別嬉しい程度で、ここ最近になってそう云ったところも気にするようになった程度。
高い物を強請ったこともない。安価な物でだっていい。自分の誕生日や何かの記念日を他人に祝って貰えることが、何よりも大事なのだ。ほかならぬ家族から。
そんな大事な家族から貰った物だから大事なのだ。ただそれだけで嬉しかった。
そんなくだらないことに気が付いてしまえば、それでこんな恐ろしいことが出来てしまえるのかと、鷲宮准をして信じられなかった。
それが確かならば、犯行が露見されそうになって――寒水洋二と二人掛かりで重ねた罪に他ならぬ寒水洋二本人が恐れ戦いて挫けたのを見て、仙峰堂久彦と云う男は冷静に本物と偽物の壷を見分けて敢えて本物の壷で殴り殺したのだ。そう解釈する他に無い。
赤の他人が、昔師事したことがあるだけの自分を告発するために製作された物であっても。
「……それだけ?」
「これ以上どんな答えが必要なんだ?」
「違う! それだけで……」
「たったそれだけで殺人を犯せるのかって……?」
豪くまじめな雰囲気だった。部屋の空気が凍てつくようだった。差すような視線が鷲宮准の頭の先からつま先までを射抜いたように感じるのは、きっと勘違いでも気のせいでもないだろう。
直前までの茶化しが嘘のように、いつも程々に怪我しない程度にどっかで聞きかじった様な教訓話を話して聞かせるときとも違う。
まだ本気など彼女とて見たこともないが、これは春休みの時に見たことがある。
「犯すともさ」
人を殺せる目だ。そうとしか形容できない。
これはとっくに覚悟なんか決まっていて、これはとっくに決意を決めていて、これはとっくにその一線を踏み越える準備が出来ている。
人が踏み留まるべき最後の良心によって眼光に顕れているだけで、その一線を踏み越えようものなら簡単に捻り殺される。
これは、そういう目だ。……そして彼女はこれを見たことがある。他ならぬ春休み、他ならぬ対超能力者集団や結界師と決闘した時に、否応なく。
――これはそういう目だ。今までの本気なのか如何なのか分からない戯言染みた覚悟とは違う。私の兄貴は本当にそうするつもりなのだ。
「俺がもしも、准や弥生ちゃん、家族みんなから貰った物にいちゃもん付けられたら、殺されたとしても殴り殺してるからな」
「……………………」
無言で返すほかに、鷲宮准に返せる答えなどなかった。そうできるだけの語彙力もなく、そうできるだけの頭の回転もない。ただ、頷くだけだった。
その言葉は、今まで法螺を吹いた回数が多いこの眼前に座る兄の言葉の中で、最も真実味を帯びていた。そしてそれを言葉に出すことの歯がゆさや気恥ずかしさ、そして覚悟を見せることへの勇気が、あとから湧き出ているかのようだった。
――徐に兄貴が悪かったと、そう呟きながら続けたのが妙に耳に残った。私は、なんて不義理な奴なんだろう
「悪かったよ。物を渡すだけ渡してただけじゃ意味ないもんな。けどな、准。物の価値ってのはそういうことなのさ」
――『事の真相はどうであれ』と付け加えながらも、兄は其れだけは否定しなかった。大事なことは物の真贋ではなくそこにある意思なのだ。
では、そうであれば――――最初の答えにまた戻ってきたならば
何故、どうして、そんなものに
この三拍子が残るのだ――そんなことの答えなど、つい今しがた、私の目の前で兄貴から明示されたばかりだ。
後悔していないのだ。後悔するようなこともなく自分で考えて自分で実行したことだから何よりも誰よりも納得している。
納得しているからこそ、偽物よりも偽物らしい本物を失うことと本物よりも本物らしい偽物を失うことを秤にかけて、偽物の方が本人の中で価値が上回っただけに過ぎない。
頭では分かっているが――では、何故?
「やってから気が付くことってあるだろ。そういうことじゃないかな。他人から飯を奢って貰うにせよ、飲み物を貰うにせよ、本来あり得ないことだから“有る”に“難しい”と書いて有難いと読むわけだな。勉強になっただろ」
「――勉強ついでに御免なんだけど、兄貴から貰った物、何個か売っちゃった」
「それは聞きたくなかった」
閑話休題
久々の兄妹喧嘩に若干の後悔と罪悪感を覚えながらも、鷲宮准は答え合わせを始めることとした。答え合わせの出来る人物など限られている。
交友範囲は御鏡弥生より圧倒的に広いとはいえ、今回共通して同じお題を持ったまま御鏡邸を追い出された仲間である暗黒寺叡景警部と直通の電話番号を、鷲宮准は持っていない。電話を掛ける人物など、一人に絞られる。
――これは答え合わせだ。散々散々3万文字近くに渡って茶番を続けた結果の答え合わせである。
電話の着信音が消えた直後、第一声を発しようとする弥生の声を制止して私は見透かされていても私から答えを云わなければいけない。情けなさと向き合わなければならない
「なぁ弥生――――」
『うん? どうしたのかな、准』
――なんてことないかのように、ごく自然に、いつも通りにいつも通りないつも通りの話始め…………でもその声色は、きっと私の内心を見透かしている。
不思議と、もう何度もこういったやり取りを繰り返してきたからか、そのいつも通りの中に在る意味が彼女、鷲宮准には分かってしまえた。不思議と御鏡弥生が何を考えていたのかが分かっていた。鷲宮准の方から切り出さない限り何も答える気がないことも。
だからいつも通り、自分の情けなさに目を瞑って半ば非難するようなニュアンスまで含んでいる自分自身の声色に辟易する。あまりにも恥知らずすぎると。
「お前は分かっていたんだよな」
『――何のことかさっぱり分からないけど、その問いにはyesで返すよ…………其れで?』
最早それがこの命題の答えである。
仙峰堂久彦が偽物の壷を守り本物の壷で寒水洋二を殺害した理由とは即ち、師でもあった陶芸家が最期に遺した“仙峰堂久彦を陥れるために用意した”壷だからである。
つまるところ、最後の最期に贈られたものだからである。そこに含まれる意義や意味、思惑や意思の方向性の正負は関係なく、誰かが誰かを想って誰かの為に用立てた物だからだ。そしてそれを誰かが害そうとしたから殺した。
それが鷲宮准の云いたいことの全てである。
それが鷲宮誠から鷲宮准が教わった答えである。
そのうえで御鏡弥生の問う“其れで”、とは一体何か――
「私にはいまいち信じられないんだ」
筋道を理解するときには過程と前提を理解する必要がある。そしてこの問題における過程と前提は既にで揃っている。極論、理解不能な宗教を理解したいときはその教義の内容における主文、本論の論旨さえ理解してしまえば、他の常識に反するような内容であってもその前提があれば理解に容易いのと同様である。
彼女、鷲宮准が理解に堪えないと溢すのはただ一つ。過程と前提と結果を見て筋の通らないこの矛盾である。
――仙峰堂久彦が藤堂久右衛門氏の殺害を決意したのは、同氏から“自首しなければ明るみに出すと”脅迫された時だという。
脅迫に屈するわけにいかなくて殺したというのに、いざ臆病風に吹かれた相方が偽物を割ろうとして、だから真作で殺すだなんて、それは論理が破綻してやいないか。まさかそんな――――――
答えは既に鷲宮誠が論じた通りである。であれば結論が出ている以上、この無駄に長い序論本論を総合的に鑑みればそれ以外に答えはない。
その答え合わせがしたくて電話していることすら、御鏡弥生は見透かしている。
――殺人なんて犯せる情勢の男が、情に絆されるなんてことがあるのだろうか?
――――いや、あり得る
『殺人なんてやれるような男が、そんなものに揺れるなんて?』
「殺人なんてやれるような男が、そんなことで揺れるなんて」
「分かってるんじゃないか、お前は…………」
『分かっているんじゃないか。お前は』その言葉に反論の余地はなく、決定的に鷲宮准の敗北である。
御鏡弥生の内包する気配に呑まれて飲み込んだその続きは、鷲宮准をして情けないセリフでしかなかった。
――やっぱり、見透かしているんじゃあないか。全部お見通しなんじゃあないか。
嘲る心算がないことも理解している。だが、そんなことがあって良いのだろうか。そうだとしたら、私はなんて幼いんだ。電話口の姉妹の方が、よっぽど大人じゃないか
情けなさに歯噛みして、自分の幼さに辟易して、自分の恥知らず加減に嫌気が差して、ごく当たり前のようにその有難みを理解できている彼女、御鏡弥生が妬ましい。
『分かっているともさ。普段から、准や美峰、お父さんにお母さん皆にして貰っていることだから…………』
「そうか――ッけど……」
続く言葉はなかった。続けられるような言葉もなかった。それを論じるには、彼女、鷲宮准は彼女自身が想像するよりも幼いことを認めるようで、癪だった。
全て結果なのだ。これまで続いてきたことの結実なのである
『いいかい、准。結局のところ、そういうことなんだよ。物の価値って云うのはさ』
その言葉に何の反駁も出来ず、彼女、鷲宮准はただ『そうか――――』としか返せなかった。返す言葉もなかった。
その言葉は、最も真実に近かった。
通話を切り、彼女、鷲宮准は力なくベッドに凭れた。
情けない自分を殴ってやりたくって、左手で力なくビンタした。
「………………私って、子供なんだな」
いつだったかに嗅いだ、血の香りがした。




