第2.50話 ~地獄篇~ 中
鷲宮准はドクトル・バタフライから供与されたロボットモドキを操縦していた。操縦していたと云うよりも、適当に弄っていたら動いた程度な物であるが、これが十中八九善意からの物ではないことだけは理解している。
面白そうだから、あれほど強大な物に太刀打ちできないと知っているから、様々な理由が入り混じって、その上で興味が勝ったからでしかない。
そうして高度1万m、雲の上を飛ぶ鷲宮准は、相変わらずの暗い空に憂鬱な気分で会った。
高度1万mを超えてもなお、その上に更に分厚い雲がかかっていた。その分厚い雲はまた何処までも続いている。地球が完全に覆われているとしたら、今まで何故寒いと感じなかったのかが不思議なほど、分厚い雲であった。
目標とする龍、善の悪龍。伽藍の堂のようなこの空域を、世界をこのようにした元凶。
葛飾北斎の描いた構図に曰く、摩羅波旬は龍の姿を取って仏法修行の邪魔立てに来たらしい。何故かは知らない。
曰くマーラ、波旬とも呼ばれる悪魔はあらゆる仏法修行の邪魔立ての為に、あらゆる悪性に属する生物を嗾けたり自らが女性に擬態し修行僧を誘惑することや、時に聖者や阿羅漢に擬態し仏法とは正反対、矛盾した内容を市井に流布すると云う。
しかし日蓮上人が法華経などで語るに曰く、この摩羅波旬はあらゆる邪魔立てや奸計を弄したのち、最終的には仏法修行者の修行を邪魔せずその修行の行方を見守り味方するのだとか。
善の悪龍と呼ばれるあの龍が何故龍の姿を取っているのか、何故こうも見知った気配があれから流れ出ているのかなど考えたくもない。そしてそれが意味するところは――――
彼女が竜の姿を取っていることや、善の悪龍だなど意味の分からない称号、何故龍の姿を取っているのかなぞ、今気にするべきではない。
彼女が今気にするべきは、なぜこのような地獄を生んだのか。必要なら、この手に掛けることすらも――――――
だがその前に――――――――
『お宝発見!』
このマシンキャノンからの斉射より逃れることだ。
周囲はいつの間にかロボットたちで溢れていた。そのロボットたちが目指す先は善の悪龍の許であり、その目指すべき先から立ち昇る雷は、一体どういったことか、ロボットたちを撃ち貫き空から叩き落していた。
そんなロボットたちに目もくれず、対超能力者集団の一人によく似た声の女が、何の前触れも脈絡もなく鷲宮准に戦いを挑んできたのはある種必然だったのか。この獣の論理の渦巻く地平においては。
マシンキャノンを撃った張本人は何処か――今も続く制圧射撃の出所はどこか――。
光の塊の如く襲い来る弾丸の嵐を抜けた先へと目を凝らせば、当然のごとくそれがいた。よく似た構え方で、よく似た武器を構えたロボットが。
腕と合体するようにして多銃身式の機関砲が生えていたのは一体何の冗談か。口径のそれぞれ違う機関砲からは相変わらず火を噴き、弾丸は猟犬の如くに鷲宮准に殺到する。
その猟犬たちの飼い主足る女の姿こそ見えないが、この連携を前提にした制圧射撃には覚えがある。
殲滅の二つ名を持つ女。
ドクトル・バタフライの四人娘の一人。
殲滅せしむるヴォルケンシュタイン。
対超能力者集団の弾幕役であり、その弾幕はさながら獲物を追い立てる猟犬の牙が如くに振るわれ、仮に逃そうとも袋小路へと追い立て弾丸や砲弾の雨あられで喰らいつくすか、他の姉妹が喰らい殺す。
即ち、超能力者殺し、超能力者の天敵を自称する一人である。
それが何の間違いか、先ほども見たような覚えのあるロボットに乗り込み自分にその銃身を向けている。
武器は単純だ。ヴォルケンシュタインが持つものをサイズアップしたような代物。
銃身は一見回転式に見えるが、その実はそれぞれで口径の違う榴弾や砲弾やレーザーやミサイルやらをそれぞれ独立発射してくるマシンキャノン。
彼女の身長に8000mmを足したのがロボットの全容で、そのうえで武器もそれと同じ縮尺にしたような、そんなサイズ感の遠近法が狂って踊り出すような巨大な砲。先ほどからの射砲撃は彼女からの物で間違いない。
しかしどうにも、彼女は他の誰かと連れ立って彼女を狩りに来ているのではなさそうだと、鷲宮准は気が付いた。
他のロボットたちは遠巻きに一瞥をくれただけですぐさまあの巨大な、巨大すぎるほどに巨大な、全長で10km以上は確実にある龍の許へと旅立っている。そしてそのうちの殆どは落雷に撃ち落されている。
恣意的にロボットたちを打ち落とていくあの落雷が彼女たちの所に落ちてこないのが幸いと云うべきか、彼女たちは一度も、相対してから一度も落雷がその身を掠めることすらもなかった。
しかしそれもいつまで続くものか。何より鷲宮准は彼らのように一体となっているわけではない。彼らですら一撃掠っただけで墜落を免れないのだから、彼女のロボットモドキに掠りでもしたらどうなることか、そんな物は自明である。
だが見覚えのある、聞き覚えのある声を撃ち落としたくないのは事実で――故に鷲宮准は弾幕を避けた。
迫りくる魔弾の群れが一目散に鷲宮准を目掛けて突撃してくるのは、まるでよく訓練された猟犬の群れのようで、ほんの少しでも位置が悪ければ鷲宮准は抵抗すら許されずその身を大地に縫い付けられることは想像に難くない。
故に避ける。避けて、避けて、避けられそうになければ他のロボットを盾にしてでも避ける。
尚も追いすがる機関砲から放たれる猟犬の弾雨は止むところを知らない。まるで壊れた鳩時計のように、延々とその砲身から途切れることなく弾が吐き出され、鷲宮准の予想進路全体を埋め尽くすかのように着実に追い込んでいく。
適当に撃ちこんでいるかのようでその実は非常に正確無比な狙撃。タダの人間がこれを避けることなど不可能に近かったが、鷲宮准は生憎ただの人間ではない。
弾丸がまるで恐れるかのように彼女を避けていた。
弾幕がまるで怖がるかのように彼女を避けていた。
鷲宮准の場所にのみ空間が生まれていた。
鷲宮准を狙って吹き荒ぶ弾幕、弾丸の霰は、しかしまるで狙った対象を見失ったかのように一度たりとも有効弾を出せないで空を切っていた。
弾丸の進路を見切り、次の行動を予測し、見つけた隙を逃さずに身を滑り込ませる。
非常に高度に理性的な動作を求められ、非常に高度に行動の抑制と弛緩を繰り返す人間離れした所業。世が世であれば神業と称賛されただろう。しかし今、鷲宮准の脳裏にはそんな楽観などの類は存在しなかったと云っていい。
少しでも集中を切らした時点で能力が切れてしまう。そのために一切の不要な思考を切り離し、避けると云うただ一点に集中する。そうして得られた隙を見逃さずに身を滑り込ませる。
鷲宮准はこの瞬間のみただ魔性の弾幕を避け続けるマシンになるつもりで、呼吸と戦闘にのみ局限させた思考以外の一切を絶った。
瞬きも耳鳴りも、喉の渇きや餓えも、背筋をゾワゾワと駆け巡る悪寒を掻き毟りたい衝動も――汗が目に入ろうとも口の端から血が垂れようとも、それこそ爪が剥がれようが腕が捥ぎ取られようが、概ね一般の人間がその動きを止めるだろうあらゆる苦痛、あらゆる辛苦その全てを無視して――いや行うことを己に禁じた。その対価としての極限の集中状態。
やっていることは単純でもその神業を何度も繰り返し、何度も成功させる。都合百回は超えている。
修練すれば、余程動体視力が良ければ数回程度ならやれないことも無いだろうが、分間百を超える猟犬を何度も何度も避け続ける等、常人の反射神経では到底不可能だと云っていい。
それを何の衒いも何の迷いも無く実現したのは、偏に失った三か月で鍛えられた戦闘勘も大きく関わってきている。
少しでも集中を切らせば、少しでも銃身がブレれば友人を撃ち抜きかねない神業を成功させたこともあれば、梁山泊砲を上回る大出力のプラズマ砲噴兵器を真正面から受け止めたことだってある。
友誼を交わした岩石の機械化人を、泣きながら砕いたことを今も忘れない。
だからこの程度で集中が切れるはずなどない。単純な自己暗示に裏付けされた超能力の連続使用だが、そう思わなければこの弾幕に付き合うことなど土台不可能だった。
そう、只の銃弾でさえ常人の識域ではその弾道を見切ることすら難しい所を、この弾雨は、発射される魔の爪牙の銃口初速はとっくに2000m毎秒を通り越しており、その上本来口径や重量がそれぞれの銃身ごとに異なるはずのヴォルケンシュタインの手にするマシンキャノンは巨大化したことにより更に手の付けられない魔砲と化している。
つくづく、鷲宮准は感謝した。ドクトル・バタフライ――蝶野博爵の超能力研究の産物、御鏡弥生とは異なる解を指した対超能力者用兵器集団の全員がここに揃っていなかったことに。
囲まれれば、あの連携の前では超能力者になって高々四か月程度の鷲宮准など、これら魔砲の掃射に晒されればひとたまりも無かった。その点において、鷲宮准は非常に幸運だった。
だが避け続けるだけではいつまで経っても状況が好転しないことも、善の悪龍と呼ばれる彼女との距離も離れてしまう。
鷲宮准はその目で彼女が何故そうしたのかを知る必要がある。その前提条件の上において、本来ヴォルケンシュタインと思しき存在との戦闘は予期されるものでもなければ付き合ってやる必要のない戦闘に類する。
状況が状況でなく、理性的に話の出来る状態であれば当然のことだが停戦するか適当に他の姉妹に任せてしまってその場を立ち去るが、そうもいかない。
彼女たちの存在は鷲宮准が一方的に知り合っているにすぎず、また仮にこの世界でも彼女たちとこの世界の鷲宮准が知り合いだったとしても、ここにいると云うことは既にこの胸糞悪い世界の想像したくもない有様だろう己もまた斃された後なのだろう。
何故そうと断言できるか――この世界にとって親子や兄弟姉妹の関係は希薄なのだ。
仮にその概念自体が辛うじてまだこの世界に存在したとして、この有様では詰まる所は同じこと。
家族、
親子、
兄弟、
姉妹、
知己、
恋人、
そう云った存在がこの世界では全て敵なのだ。
全ては己を強化するための血肉に過ぎず、故に他人とは総じて踏み台に過ぎない。
これが単純に全人類が自己愛性人格障害を患っていて、その自己愛の方向性も人それぞれだったとしたならばこのような惨状はそもそも生まれない。最少は家族や兄弟姉妹、最大は国家までの範囲で集団という物が機能し得ただろうからだ。
だがこの世界は、この胸糞悪い世界は生まれては殺し合い、緩やかに消滅へと向かう万物万象滅尽滅相の穢土浄土。
天狗道の幅を利かせるこの世の奈落である。
故にこの世に安息はなく、故にこの世のあらゆる生命はあの善の悪龍を目指す。
それは宛ら第六天の魔を目指し生贄を捧げ続ける哀れな虜囚のようでいて、故にその有り様を望んだことを知らなければならず、その目的を達成するために、今目の前に鎮座する障害を退けなければならない。
理性的に話の出来る状態でもなければ、そんな理もない。
故にやることは決まっていた。
知り合いを手に掛けることへの嫌悪感も抵抗も勿論ある。だとしても退けなければ己の目的を達することも出来ずにこの胸糞悪い世界に骨を埋めることになる。
そんな物は御免被ると鷲宮准は躊躇うことも無く能力を継続使用している。
高度は1万m以上の高高度。
どの道殺さないようにすることなど土台不可能であり、仮にそうしようとしたとして、足を救われ己が滑落するのみ。
そもそも超能力戦闘においてもそうであったように、対超能力者集団の面々は本来手加減や容赦と云った言葉を持たない。
脅威度の高い超能力者や犯罪を積極的に行うような異常者が相手ならば確実に殺され、そうでなかったとして少なくとも二度と立ち上がれないほどの手傷を負わせる。
彼女がこの春休み、一度も戦闘不能状態や植物状態にならなかったのは、他ならぬ参加した全員が例外的に手加減してくれたからだ。であれば侮る様な材料は全くと云っていいほどない。
射殺さんと砲身を向け撃ち続けながらも首を傾げるヴォルケンシュタインとて、彼女もまた本気である。
油断も無ければ隙も無く、兎に角弾幕を石臼のように操り標的を磨り潰さんとしている。
自力では到底未だ太刀打ちできるような練度でもない鷲宮准に、且つこのロボットモドキを操ることすらも初めての経験となる鷲宮准が、ヴォルケンシュタインを昨今流行りのライトノベルのように数行程度であっさりと倒すことはほぼほぼ不可能と云っていい。
故に回避しながらも頭を巡らせていた。勝つための方策を練っていた。
『なんだクソ! おいてめぇ、なんで当たりやがらねぇ! とっとと当たって落ちろよ!』
「無茶苦茶云うな、まったく」
しかしどうにも勝つ方法はこれくらいしかなさそうだと、鷲宮准は己の脳筋さ加減に少しだけ引いた。
落ち着いて避け続ける。落ち着いてヴォルケンシュタインの一挙手一投足に目をやる。
相手を分析すれば、勝てない勝負にも勝機が見出せるかもしれない。なおのこと、ここには対超能力者集団の面々が全員そろっているわけでもない。
三人や四人を同時に相手するわけではないのだから、相手はたった一人なのだから、少なくとも楽であることに違いはない。勿論、勝つことがではなく相手をすることが、である。
更に云えば、ヴォルケンシュタインは中々当たる様子の無い鷲宮准に苛立ちを覚えている。この獣の論理に、彼女たち対超能力者集団は、その連携を前提とする攻撃手段と攻撃手腕は、この無法にして果てなく己を求め続ける求道を奨励するこの世界には相性が悪かったと云えた。
彼女たちの攻撃というのは高度に理性を求められる。多少なり箍がすっ飛んで暴力に身を任せる装置に成り下がったとして、それぞれが司令塔として即座に状況を立て直し最適な手段での攻撃に移る。
仮に失敗してもメインの司令塔であるアウグスタを中核に、四人は常に連携を崩さない。仮に連携を崩すような相手が現れたとて決定的に問題ではなく、その場合は力技で自分たちが連携しやすい状況を作り出す。
常に連携状態を作ることで相互に死角を失くし、それでも生まれた死角を突いて連携を崩され様とも即座に連携を取り直す。
一度崩れた連携を立て直すのは困難極まるはずが、彼女たちにとってはそんな物意に留めない。強引に力技で連携を取り直すか、若しくは個別に殲滅戦を始めた後隙が生まれた段階でまた連携を取り直して効率的に殲滅するか。
相互が相互に強い理性を求められる。連携とは即ち相互の互助でもある。片方が潰れれば片方も共倒れになるがゆえに足並みを揃えるかそれぞれが長短を埋めるようにしなければ行き詰まる。
故に連携とは攻撃ではなく彼女たちにとって防御でもある。攻性防御と言い換えても良い。
お互いがお互いを守りながらも常に最適な攻め手を打つ。たった四人だけのチェスや将棋のようなもの。
其処にドクトル・バタフライ――蝶野博爵が混ざれば手のつけようのない混沌が広がるのみ。スモークチャフの疑似超能力、塑性加工・大いなる夢見舞台があらゆる感覚を欺瞞し、その勝利を確実なものとする。
これら全員が揃っていない現状、これを好機と呼ばずして何と呼ぶのか。
仮に全員が揃っていれば鷲宮准程度木端の如くに蹂躙され軋轢の轍と化すのみ。しかし一人なら、まだ勝機はある。
勿論一人とて一般的な超能力者の百人分以上は強いが、論理の上でなら倒せないことも無い。
そうなれば、鷲宮准は必然的にこれに頼らざるを得ない。
機械化人殺しのたった一丁。宇宙にたった一つのコスモキャバリー。これの照星が明滅すると云うことは、決定的に効果があると云うこと。
コスモキャバリーの有効射程は優に300mあるが、彼我の距離は1kmは確実に離れている。ロボットにとって1kmも3kmもあって存在しないような距離感に過ぎないが、少なくとも其処まで近づいて撃てば、後は一撃必中にして一撃必殺。機械化人を確実に鏖殺せんと生み出された魔銃が放つ光線は悪魔の拵えた魔弾の如くに狙いを逸れることはない。
このまま遠距離で撃ち合っていても千日手であることは疑いようのない事実であり、また碌な攻撃能力を持たないこのロボットにとっても、唯一有効打を与えられる武器である。
鷲宮准の取った行動は非常に単純であった。回避は相変わらず続けながら、鷲宮准の乗りこむロボットモドキは宛ら一条の流星のごとくヴォルケンシュタインと思しきロボットに殺到する。
殺到する砲弾やプラズマの中から超能力で受け流せるもののみを選別して着弾の瞬間のみの発動と定義して受け流す。それが不可能な物はそれまで同様に回避に専念する。
回り込むこと自体は可能だが、そうしたとしてヴォルケンシュタインは超信地旋回してでも砲身を彼女の方向に向けることは間違いなく、どちらにせよ猛獣の折の真上で綱渡りをするような極限状態を強いられたことは想像に難くない。
どちらにせよ同じことなら自分から飛び込んでいく。そうでもしなければ打ちのめされそうだから、少しでも恐れを減らすには自分から飛び込むほかにない。
自分から死中に飛び込み少しでも相手の意表を突ければ万々歳。そうでなければ今みたいにどうにかして自分を目的地に届かせるほかにない。
対するヴォルケンシュタインからすれば、あり得ない光景であった。
己の放つ猟弾を避け続けるのは先ほどまでと変わりないが、受け流しつつも少しずつ己に肉薄しつつあるその現状に確かな異常を見せつけられていた。
その弾薬は最早通常のロボットが避けられるような速度の十倍に迫っており、種類の違う弾薬をそれぞれの砲身から撃ちだし続けることで仮に実弾兵器に弱いロボットであろうともプラズマが表面装甲を焼き実弾が抉り熱量兵器が貫徹する。
それが都合秒間2000発。弾丸口径にして25.6cmはある大口径砲と大口径砲を掛け合わせたマシンキャノンの掃射はどのようなロボットにも逃げる隙を与えなかった。
にも拘らず、明らかに着弾しているにも拘らず、それらは弾薬としての効果を発揮する間も与えられずに傾斜装甲でもない装甲表面をすべるように弾かれている。
別段装甲が特殊な風には見えない。カーボンとタングステンとセラミックの十層仕立ての複合装甲、カーボンセラミック複合材にチタニウムを機内機外両面に電気蒸着させたチタニウム装甲。
一般的なニルヴァーナ・フレームのそれであり、配合比率はバランス型に属する。つまりマシンキャノンに装備されたどの弾薬でも一定の効果が望める。
装甲厚に関して言えばヴォルケンシュタインのロボットの半分程度、ニルヴァーナ・フレームの一般的な装甲厚程度であり、仮に局所局所に傾斜装甲を施したとして得られる効果は微々たるもの。
傾斜装甲によって見かけ上の装甲厚が約二倍になっていても、言うなればヴォルケンシュタインの放つ弾薬はプラズマを除きほとんどが大口径高初速弾。熱量破壊系弾薬に至ってはAPFSDSとしての効果すら期待できる。
無論プラズマが弾かれる程度なら問題はない。表面に電気蒸着させたチタンを焼き切ってカーボンとタングステンによるセラミック層を表出させることが目的である以上、弾かれることなど想定の範囲内であるしそれでいい。
しかし、しかしだ。
全く表面を焼き切れていないのは一体何の冗談なのか。
表面のチタンが電気分解と周辺の水分子の急速な膨張による加水分解で電気蒸着させた部分を引きはがすわけだが、どう見ても標的の乗るニルヴァーナ・フレームに施されている装甲は平均的な装甲。
High-Explosive Anti-Tankに対して強い耐性を持つでもなく、
Electric-ENergy Anti-Tankに対して強い耐性を持つでもなく、
Thermal-Energy Anti-Tankに対して強い耐性を持つでもない。
どれをとっても平均値の装甲であり特段装甲厚が高いでも、強い斜面を設けているでもない。
まるで滑るように、あのロボットの装甲から剥がれ落ちる瘡蓋の様に、着弾した弾丸が尽く受け流されているのだ。
あり得ない。避弾経始を考慮した装甲であればそういったこともあるかと納得できなくもないが、弾種に関係なく弾いているのだ。
その上で弾薬と弾薬の隙間を縫うように肉薄する機影が止まる素振りはない。かえって勢いが増している気さえする。
コワイ
彼女はこれまでの人生で初めて恐怖を、死を覚えた。
この世界で生きるにあたり、この世界で生まれるにあたり死とは生と等価値である。
死ねばその死骸を苗床に新たな生命が生まれ、そして死とは原義的に恐れるものではない。いずれ己にも訪れる物なのだから、いずれは龍に至るにあたり経る道なのだから恐れることは何もない。
少なくとも、少なくともそれがこの世界での常識であり、故に誰も死を怖いとは思っていない。
反対に、痛みに対してはとことん脆弱だった。
死ねば何も感じないで済むが、痛みは続く。疼く。機械の体を得たことにより極限まで痛みに鈍化した人類にとって、痛みとは死よりも何よりも恐ろしいものであった。
生死にも、老いにも、性別にも、食にも、あらゆることから解放された人類にとって、死を乗り越えてしまったがゆえに痛みに耐性が無いのだ。
だがヴォルケンシュタインの背筋を這っているのはそう云った痛みへの憧憬でもなければ痛みへの恐怖でもない。
ヴォルケンシュタインはこの時初めて、痛みではなく死に対して、間近に迫った死に対して恐怖した。
分からないということではなく、力技で押し通れないことでも、ましてや痛みへの恐怖でもなく、死ぬことに恐怖した。
直後の金属同士がこすれ合い激突する轟音。
金属の拉げる音とコクピットを覆う天蓋が崩れ去るかの如く中身へと殺到したのは同時であり、常ならば彼女が最も恐れるところである痛みが全身を襲おうとも次の抵抗に考えを巡らせていたのはことここに至って未だ、自分の勝利を、自分が目の前の上手そうな餌を刈り取ることを諦めていないことの証左でもあった。
――故に彼女自身慣れぬ痛みに朦朧とする頭は必死を悟りながらも勝利の為に足掻こうとしていた。
回避行動を取る、という考えは浮かばなかった。それは負け犬の考え方であると、彼女は生まれた時、周囲で以前の己の残骸を啄むハゲタカがごときロボットを喰らいつくした時からそう思ってきた。
彼らは弱いから己に食われた。己はこの世界で最も強いから、だから彼らを喰らいつくせた。少なくとも彼らより己が強いから喰らえた。己が何者よりも強いから。だからこそ己は逃げることも避けることもせず、全力を以て相対した。其れこそ己とよく似た他の存在とも。
しかし――しかし自分よりも強い存在がいると云うことが何よりも腹立たしい。己こそこの世界で最も強い存在であるはずなのに。
己こそ最強。しかしそれを脅かす存在というのは見過ごせない。それはあの善の悪龍であろうとも。
万物一切皆殺し。羽虫の一つ、鼠の一匹、人の一人、総てと全力を以て殺し合う。どちらがより強いかを決めるために。無差別に、無思慮に、無選別に、出会えば壊す。出会えば皆殺し。路傍の小石がごとき赤子であろうとも捻り潰す。己が強いことを示すため。やがてはあの善の悪龍に達しそれすら喰らわなければ気が済まない。
己こそ最強だ。最強であるがゆえに己は頂点に立たなければならない。つまるところ、己は最強であらねばならない。矛盾を極めた唯我の極み。己以外に強い存在は不要であり、だからこそ目の前の敵は何より許しがたい。
故に殺す。
故に潰す。
故に壊す。
これぞまさしくこの世の縮図。これぞまさしくこの天狗道、求道を極めた世界の末世である。
痛みに朦朧とする頭で、しかしヴォルケンシュタインは片腕のマシンキャノンを振り乱すようにして狙いをつける。発射まで幾分も要する物でもないが、しかし確実に、目の前で何かを構える少女の姿に照準を合わせ、発射の号令を下す。
神経系と同化しているマシンキャノンは彼女の体の一部として、彼女の命に従い弾幕を放とうとして――
――――ヴォルケンシュタインは己がいつの間にか仰向けになるようにして倒れていることを自覚した
急激な脱力。腕も動かなければ頭も頑として動かない決意を固めた石の如くに重い。
視界が定まらない。視点がブレ、経験したことも無いが高熱に侵されればこうなると云わんばかりに視界全体が揺れ続けている。
口から何かが垂れた。涎かと思えばこの味は食べたことがある。
そう、錆びた鉄の味。
そう、動力パイプ内を流れる液化ガスの味。
そう、油圧シリンダーに流れる機械油の味。
そしてそれが指し示す意味を、己が今どのような状態に置かれているのか、それを否定するために手を中空に這わせようとして――
真下に何があるかもわからず、あるのはただの浮遊感。
暗渠と読んでもまだ表現しきれない分厚く星を覆う雲の真下を流れるのは何なのか。川か、それとも砂漠か、それか街並みか。何れにせよ、その死体は欠片として残らない。
高度一万メートルの上空から投げ出された躯体は彷徨うことなく、揺蕩うことも無く一目散にそこまでの道程を駆け抜けてしまうのだ。
故に末路など自明。故に結末は陳腐だが分かりやすい。言葉というものは、究極に近づけば近づくほど陳腐になるのと同様、終着点が見えている物に関して、その形容を表す言葉もまた陳腐になる。
幸いなことは、ヴォルケンシュタインがそれを――つまり彼女の死体の廻る末路を、その終着点を理解する前に絶命したことか。
寂しげに、憎々し気に、怒り気に、いや、ただ単純な話負けを認められずに鷲宮准へと一心不乱に腕を伸ばしながら、その亡骸は分厚い雲の下、滅びの台地へ餌をバラまくかのように隠れた。
鷲宮准の行ったことは非常に単純だ。突進して正面装甲を引きはがし、無理やりコクピット内部に己のコクピットをめり込ませて行う超至近距離からの射撃。
ヴォルケンシュタインの砲撃を逃れることは不可能である。ヴォルケンシュタインは相手が何処に逃げようが追いすがり、そしてその双腕から振るわれる猟犬のごとき射砲撃の数々が全領域にばらまかれる。
しかし唯一死角は存在する。
それは自分自身だ。
自殺志願者や発達障害でもない限り、敵が懐に入り込んできたからと云って自分の方に銃を向けて撃発するような馬鹿はいないだろう。そしてヴォルケンシュタインの乗るニルヴァーナ・フレームは両腕がマシンキャノンと化している。その可動範囲は腕部の可動範囲に準ずる。
それは先ほどまでちょこまかと回避を続けていた間に収集していた情報であり、反動が相殺できる限りにおいて腕部の可動範囲ギリギリまで動かず、それを過ぎれば本体自体が俯角と仰角を調整し再射撃の繰り返し。
巨大な武器と化している腕部の可動範囲は精々95度程度な物であり、リコイルの影響を考慮すれば範囲はさらに狭まることになる。
その懐の中に飛び込みさえすれば射砲撃の雨からは逃れられる。その後はロボット同士の肉弾戦にもつれ込むだろうが、それならば先にコクピットを引きはがせば鷲宮准の勝ちは確定する。機械化人間を殺すのは、彼女の得意分野だと云える。
後味の悪いのはいつものことだ。
後悔が先に立たないのもいつものことだ。
後ろ歩きしながら匍匐前進するような日々も――
だから何も思ってはいない。
だから何も感じてはいない。
だから何にも揺らがない。
だから己は正義でも悪でもなく――
だから己は善人でも悪人でもない。
それが三か月の間に彼女にまざまざと突き付けられたモノである。
汚れず純白のままで生きていられる存在など存在しない。そんなのは赤ん坊の時だけの特権とすら呼べ、故にここ最近に至るまで蜘蛛の糸がごとき純白でいられたことは最早奇跡と呼ぶことすら生ぬるい。
だが、自分で選んだことでも、ましてや選ばされたことでもない――流されるように、まるで自然の摂理と云わんばかりに死で溢れ返るこんな胸糞悪い世界を肯定する事もまたしない。
自分で選んだことならあきらめも付こう。他人に選ばされたことなら抗いようもあるだろう。だが自分で選んだわけでもなければ他人に選ばされたでもない。そんな物、認められない。
自分の力で得た物にこそ価値があると信じる。他人と共に掴み取った物にこそ価値があると信じる。だからなおのことむかつく。だからなおのこと許せない。
「――お前、さっきから見てたんだろ? 何でお前は――お前は何で、こんな胸糞悪い世界を作った!!」
鷲宮准の背後にはソレがいた。
全高にして10kmちょっとはある巨体が如何様にして近づいたのかは彼女の想像の域を出ないところであるが、しかしそれは彼女の存在を知覚していた。
面容は機械仕掛けの龍、と表現してもなおロボット臭くもあり有機体臭くもある。デフォルメされたロボットと生物の中間地点にある龍型ロボット、と表現してもなお足らない。
そのおどろおどろしい面相には、その躯体には数え切れぬほどの人が、ニルヴァーナ・フレームが溶けて半端に固まった溶岩の様に融合していた。
何万人、何百万人――夥しいほどの人、人、人、人、人――――人の群れが、ロボットの群れがそれと一体化し、体を構成している。これ自体を器とするかのように。
その中に、不思議と見知った気配を感じた。
懐かしくも初めて出会う気配。お互いに見知らぬ中だが、良く知っている。
そう、彼女たちは半身同士なのだから。
「答えろ! 御鏡■■■!」
臆している。恐れている。怖さに足が震えている。
それは断じて義侠心の類ではない。誰かが誰かを食らい合って生きている世界を憐れんでの物ではない。そもそもそんな憐れむ心など、とっくの昔に捨てた。行う偽善を選べるようになった。
殺すつもりで向ける銃身に迷いはなく、今にもその巨大な影、善の悪龍と呼ばれたロボットの眉間に狙いを付けて、引き金に指を掛ける。
それは問いかけではない。断罪でもない。自分が生き残るための決断であり――そう、他のロボットの主たちと同じ。それが仮に、御鏡弥生本人か、若しくはその子孫だとて。
だからそう、断じてこれは憐れんでの物ではない。憐れむのは、憐れむことがどれほど傲慢で幸せなことなのかを鷲宮准はよく知っている。故にこの行為に敢えて理由を求めるならば、鷲宮准は怒っていた。
こんな胸糞悪い世界を作ったこともそうなら、その渦中の人が他ならぬ良く見知った存在だからというのもある。
しかしこの怒りはそうではなく――そんな単純なことではなく――――――
『皆ノ選ンダコト――コノ身ノ選ンダコト――ソシテ私コソ、吾ガ身ヲ燃シ皆ヲ新世界ニ導ク人身御供ノ王――依リ代御鏡■ガ今際ノ名付けニ曰ク吾ガ名ハ転輪聖王・弥勒――御鏡■■■■■ガ己自身ヲ生贄ニ生ミ出シタ救世ヲ体現スルシステム也』
気配も匂いも、そしてやりそうなことの尽く、善性由来の悪行。だと云うのに、そこから彼女の存在は微塵として感じられなかった。
その正体は即ち伽藍の堂。
大多数を救わんがために己を、己という意識を、自我を捨て去り仏になり切れぬ悪龍へと変じたその所業に、彼女は甚だしい怒りを覚えていた。春休みの一件が無ければ、自分も同じことを選択しただろうことなど想像に難くないと云うのに。
怒りでカチカチとなり続ける歯の根は、もしかすれば恐怖も代弁していたのだろう。腕は震え呼吸は整わない。照星と照門がブレ続けているが、これほど大きな質量を外すとも思えず、しかし指には最後のひと引きをするだけの、たった2kg/mmほどの力も籠らない。
撃ちたくないと魂が叫んでいるだなど青臭い。涙を呑んで心を通わした機械化人を、己の世界守りたさに殺したのだ、よく見知った見知らぬ他人一人を手に掛けることなど、容易いことだろう。
ここに残っているのは、十年近く心を通わせた友でも、その子々孫々でもなく、その想いを依り代に動き続けるからくり人形、抜け殻に過ぎないのだから。
「――――――クソっ! 何で、何で指が動かないんだ! たった一発、撃つだけじゃあないか!」
これまでにも見てきたあらゆる辛苦、あらゆる後悔、あらゆる凶行――滅びの始まりを続けるその元凶を前にして、撃とうと思ってもしかし鷲宮准の指は動かず、そのロボットの手に掛かることを甘受した。
キッと睨みつけるのは虚勢に過ぎない。諦めたことを認めたくない、諦めないことを諦めたくないがためにせめて虚勢の一つでも張らねば立っていられなかっただろう。鷲宮准は、肝は据わっていても結局はただの十四~五年しか生きていない小娘に過ぎないからこそ。
待てど暮らせど、先ほどのロボットの集団の様に落雷によって撃ち落とされるでもなく、鷲宮准はそのロボットの、まるで肉眼のごとき眼と目が合い続けていることにそこはかとない恐怖を覚えた。
その存在、善の悪龍と呼ばれた転輪聖王・弥勒は狼狽える風に何事かを呟くだけ。鷲宮准を見てはいるが、見てはいない。そもそも鷲宮准が本当にそこに存在するのか、それすらも鷲宮准には曖昧な感覚しかない非常にたどたどしく覚束ない不鮮明極まりない物であった。
もしも話が通じるのならば――そう思ったのも束の間、この手の輩に話が通じないことも、そして目を見開き拒絶するかのようなその色を前に、会話など無意味なのだと理解する。
『――シカシ、何故ダ…………何故ココニイル、鷲宮准―――――――! 吾ト貴様が出会ウノハ悠久ノ刻ノ果テノハズダ!』
転輪聖王・弥勒と名乗った龍のごときロボットは彼女を退けるでも叩き潰すでもなく、否定するでもなければ肯定するでもなく、ただ遠ざけようとした。
見えない壁のような、何かが存在していた。ただそこに居ることが不自然だと、否定されるでもなければそこに居ること自体を認めないと云った風な、そんな柔らかい壁があるように、少なくとも鷲宮准には感じられた。
鷲宮准にとって初対面であっても、善の悪龍――転輪聖王・弥勒にとって初対面ではない。きっとこの龍が云うように幾星霜もかけてようやっと、最後に、鷲宮准が合わさることによって完全体となり、羽化登仙する。散々使い古された言葉だが、この龍が鷲宮准の元に近づいてきたのは要するに偶然ではなく必然のことだったのだ。
人類救済という大事業の最終段階、最終仕上げ、鷲宮准はそのトリガーであるゆえに、鷲宮准がその場に忽然と現れたからこそ、転輪聖王・弥勒はここまで接近した。そう、約束の時が来たのだと勘違いして。
故に、今はまだその時ではないと、その違和感に気が付いたことはある種の幸運だったのだろう。
大地で未だに血で血を洗い続けるヒトビトを習合し合一し、そして解脱する。それら目的の完遂せぬうちに解脱しかかっていたことに気が付いたからこそ尚更強い言葉で今はまだその時ではないと拒絶する。お前が来るのは早すぎたと。
その意図が押し付けられるようにして理解できたからこそ、鷲宮准は知らず知らずのうちに、本人も意図せぬままにその総体を視てしまった。
『帰ルノダ! ――帰ラヌカ!』
強い文言での拒絶。否定でもなければ肯定でもなく、今この場に居てはならない存在だから帰れと云う、ただそれだけに強い文句による拒絶。退去勧告がごとき拒絶が一陣の風の様に鷲宮准の体を押しのけた。
その行為と視たものから確信した。やはりあれは御鏡弥生の子々孫々に連なる者なのだと。その抜け殻なのだと。
それの中は伽藍堂だった。何かを入れるために開けられた、人一人分の空漠。人一人分が無いと云うことは、その分だけ容量が余る。余った容量分を、巨大化し地球全土にまで拡大した容量分を、この龍は埋めようとしている。求めている。生贄がごとき救いを求める群衆を。
これら群衆を、この龍が合一することを認めたヒトビトは、パソコンで云うならば圧縮ファイルとして保存するような物。
姿形の名残を体表に刻み込み、残った魂のみをまるで図書館に収蔵された図書の様に一人一人丁寧に区分けして保存する。そうして記憶することが、この龍の使命だからだ。この龍の行う救いの、その一端だからだ。
故に御鏡弥生の子々孫々の、名も知らぬ誰かは己を人身御供として――救済のための人柱として一柱の龍を生み出した。
枯れたと思った涙が再び頬を伝うのを自覚した時、鷲宮准により強い拒絶の言葉が掛けられた。
鷲宮准の体は――鷲宮准の魂は、その管理者権限による拒絶に抗うことなどできず、この世界から爪弾きにされた。そう、いつかの三か月間の様に。
『―――――――――――――――――――――帰レ!』
ドワォォ!!
来るのが唐突だったのと同様に、弾き出されるのもまた唐突であった――――




