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第1.25話 ~玉鬘篇~ 中

□大昭25年 7月25日 ??:??




 そこは何処までも真っ白であった。比喩ではなく見たままで述べるなら、何処までも真っ白であった。

 無菌室染みた白。

 キャンバスのような白。

 絹糸のごとき白。

 象牙のような白。

 どう言い表そうにも適切ではなさそうな、そんな異常なまでの白が延々と――山麓だっただろう何かも、川面であっただろう何かも、大地であっただろう何かも、海辺であっただろう何かも――何もかもがまるで強力な漂白剤で白濁に染め上げられ漂白されつくした生地が如く、荒涼たる白の荒野が淡々と、延々と、何処までも、地平線のその向こうまで広がっている。

 地獄でもなければ天国でもない。これほどまでの白を求める者がいるのだろうかと思えるほどの、まるでゲーム内で特定のコマンドを入力したら不具合(バグ)が発生して表層上の世界(テクスチャ)が全て剥がれてしまったかのようで底冷えのする、人の生きていて良いような世界では断じてない。


 神罰覿面、焼き尽くされゆくソドムとゴモラを世界が目撃してしまったかのごとき塩の世界(ネツィヴ・メラー)


 塩の塊がごとき白の荒野は地の果て空の果て海の果てまで広がっている。

 大地のテクスチャなどない。

 海のテクスチャなども無い。

 白のテクスチャが何処までも広がる無窮の荒野は嫌に寂しく――空は憎たらしいほどの快晴であった。


 そんな真っ白な、これ以外に何もあり得よう筈も無さそうなまでに病的な白の只中にあって異彩を放つ物があった。

 枕木の敷かれたうえにボルトなどでしっかりと敷設された線路が、場違い極まりない事ながら二本の鉄細工が荒涼にして寂寥たる白の無窮を貫くかのように続いている。

 その上に鎮座するのは当然この線路を利用するべき存在であり、それが線路の上に存在することには一切、何ら不可思議な点などないはずなのだが、この白の無窮の只中にあってそれは明らかな異常として鎮座していた。


 黒光りする機関車。D51 1072型機関車とその一等客車と外見の似通った車両合わせて10両が、煙突から蒸気の一つも上げずに寂しく佇むだけ。待ち人が来ない貸し切りの列車でも蒸気の一つや二つは上げているだろうに、立ち昇らせるべきものを立ち昇らせず、ただ静かに待ち望んでいる。

 待ち望んでいる対象とは、それの真横に現れた彼女と同じだろうことは唯一分かることだった。

 空間を引き裂くように、捻じるように、切り裂くように、吐き出されるように、かみ砕くように、踏みつぶすように、叩き潰すように、切り取るように、食い破るように、唸るように、どのような言葉でも表現できない現象を伴い、それは出現した。

 出現、と云えば違うのかもしれない。もしかしたらそれは最初からそこにいてある瞬間に偶然知覚出来ただけかもしれない。ただ一つ分かることと云えば、観測側としては(・・・・・・・)突如として(・・・・・)そこに現れた(・・・・・・)ことだ。


 カラスの濡れ羽色の髪の毛はすっかり伸び切ってしまい、手入れされていないのか枝毛が見え隠れしている。

 表情は花の咲くような可憐な笑顔だが、しかしその纏う気配はあまりにも剣呑だ。

 殺意、殺気、そんな程度の言葉で片づけてしまってはいけない類の、濃縮されて熟成されただ“殺す”、ただ“死を与える”、いやもっと単純に“奪う(寿命)”という概念が人を象ったかのように(いびつ)

 細い腕も、きめ細やかで透き通るほどに真っ白なその肌、その矮躯にそんなことなどできるはずも無いと分かり切っているほどに分かり切っている事柄のはずなのに否定せざるを得ない。

 彼女に掛かれば誰かを殺すことなど赤子の手を捻るよりも容易いことなのだと無意識に理解させられる。これはそんな不条理の塊(超能力)であり、これはそんな万人の思い描く破滅の阿頼耶識(アズラーイール)

 両の瞳はまるで血でも垂らしたのではないかと云うほどの濃く、深く、底の見えない深淵が広がり、これを見た人間は疑う余地もなく迷うこともなく発狂するだろうと分かる。そんなあり得て在りよう筈も無い、本来ありえてはならない狂気の存在は誰かと云えば、しかしそれこそ彼女たちの佳く知るところ。


 正の方向の感情のほぼ全てを失い、形作られた笑みは殺意や嫉妬の裏返しである。

 果ての無いそれこそ無窮。溢れ出んばかりの無窮の嚇怒、無窮の悲憤、無窮の憐憫、無窮の殺意――それらを表現しきる感情を持たないからこその、無窮の笑顔が作る鉄面皮。

 世界とはこんなにも醜い物かと彼女をして絶望させるに足る事象――この世は本当の意味で地獄であった。


 別段彼女が何か罪を犯したわけではない。生まれこそが罪であるとされては彼女にとっても浮かばれなかろう。弁護を望んでいないとしても。しかしその短い14~5年は過酷だった。

 一般的には金持ちで大地主で資産家で、裏向きでは殺し屋でフロント企業もフロントヤクザも多数抱える裏の大企業で、そんな普通に生きていこうとするだけでも困難を極める世界に彼女は生まれた。別段それ自体は構わない。躾が厳しかったり行儀作法に煩かったりしても、しかし彼女は家族を愛していた。

 では何故か――彼女は7歳其処らの頃、攫われた。ネオナチ系が運営する施設へと。その施設が行っていたこととは大ドイツ民族体再構築のための超能力兵士(ヴェアヴォルフ)の量産にこそあった。

 劣等人種をその脳味噌ごとアーリア人(聞き分けの良い犬)に改造し、只人では対抗しようのない個人が制御できる超人(ツァラトゥストラ)による軍隊、詰まる所人工培養の超能力兵士(ユーバーメンシュ)による救済の技法の確立。

 洗脳、催眠、薬物、調教――時には脳を直接弄るような強引さで、そして幸か不幸か彼女はそれらの辱め全てに耐えてしまった。


 いや耐えた(・・・)という表現は微妙に事実と異なる。耐えたのではなく壊れたのだ。

 兵器に感情などいらぬ。要らぬならば失くしてしまえ。

 兵器に表情などいらぬ。要らぬならば固定してしまえ。

 兵器に性欲などいらぬ。要らぬならば忘れてしまえ。

 兵器に親などいない。居ないのならばいない様にしてしまえ。

 兵器は全軍の統括者に従え。従えないなら従えるようにする。

 兵器に個の概念など邪魔だ。邪魔なのだから個と云う概念を失くせ。


 研究者の想う通りに、上役の想う通りに。人間が思いつく限りのあらゆる手を尽くして子供たちは人から一歩ずつ踏み外して行った。

 たとえそんな感情がなくとも電流さえ流せば人の表情も感情も思想も、いくらでも変えられる。

 性欲や月経が十全に肉体性能を発揮できない枷として機能するならば催眠でも何でも使ってその枷から解き放とう。

 親類縁者など不要であるしそれら劣等は駆逐するべき社会主義者(コミンテルン)である。

 全軍の統括者(ヒューラー)の命令こそが絶対であり、正しきアーリア人(ヴェアヴォルフ)を統括する者で、従うべき存在であるのだから従えないなら喜んで従えるようにしよう。

 個人の別は悪である。全員が同じであり同じ目標の為に邁進する超人の兵士(ユーバーメンシュ)である自覚を持てるようにしよう。


 条件競合を起こす種々雑多な催眠や自己暗示、洗脳の数々に薬物と調教師による調教の果て、他の子供が選んだように壊れることを選んで、それでも死にきれなかった。

 ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた灰色の脳味噌が崩壊の瞬間に望んだことは単純に、搾取される側から搾取する側への転換、法則の破壊者(アジ・ダハーカ)への欲求、つまり人類種への反逆者フェルシュング・ユーバーメンシュとなることであり、故にそうなるのは偶然ではなく必然だった。

 釈尊(ブッダ)が、神の子(イエス)が、預言者(ムハンマド)が、二元論者(ツァラトゥストラ)が、道徳者(孔子)が、学者(マルクス)が、詩人(ゲーテ)が、開拓者(ヴィンチ)が、哲学祖(アリストテレス)が――そうした博学者、哲学者が己の得た“救済の技法”を説いたところで誰も聞く耳を持たない。救済など求めていないとばかりに。そのくせ救済の理論だけを知りたがる。賢くなったと己を欺瞞し虚飾を以て飾り立てたくて

 だから唯一の救済を。最後の最後に行き着く人類種への最後の安息を。

 ガフの扉を開こう。地獄の窯を開こう。チンワト橋を架けるから――この星全ての罪を背負うから。

 そんな破滅の阿頼耶識その者と呼んでも過言ではない愛すべからざる少女ボワ・ド・ジュスティスとて一度は止められた。だがその先の人生に彼女の望んだものはなかった。

 一度踏み外した者に社会とは冷たい物だと、幼いながらに彼女はそれを知ってしまった。親は逃げるように立場と稼業を残して去り、世界という物の裏側には敵だらけで針の筵。何より流れ込む誰の意思かもわからない()が煩わしい。


 だから15歳の春休み、再び人の醜さを目の当たりにして我慢することを辞めたのだ。


 滅ぼす。人とは救いを求めて生き続けて無為に死に絶える生物なのだから、その救いを形而化しよう。生も死も等価値なのだ。 魔王と蔑むなら蔑むが良い。人を救うために滅ぼす。其れこそ人類種に与えられる本当の意味での救い、それこそが彼女が悟りの境地に至って得た一切衆生済度、救済の技法に他ならない。

 生まれたものは滅びねばならない。滅びの決まっている生をただただ無価値に横過していくなら、発展の道が閉ざされているなら生きている意味も救いもない。浪費してただ終わり(スクイ)を座して待つだけなら救い(呪い)を与えよう。人の生とはそうして無価値に終わるのだ。

 無価値にして無慙(むざん)。無価値にして無愧(むき)。恥も知らず悔も知らず無価値なる人生を無価値に浪費して無価値に死ぬのだからこれこそ仏道における無慙無愧(むざんむき)。そんな無価値なる無慙無愧の伽藍(がらん)うろから救い出すためになら、一切衆生済度の化身(アカ・マナフ)にだってなってやる。


 憤怒相で殺されるよりも満面の笑顔で殺されたほうがマシ(・・)だろう?

 一切己に恥じず、一切誰に恥じず、一切衆生を救世へと導くために――何より己が救われたいから。

 無惨に殺しはしない。無様に殺しもしない。

 痛みも無く呵責も無く苦悶の暇も無く、一瞬にして至らせてやろう。

 それが彼女の得た救世観音(アズラーイール)救済の技法(アカ・マナフ)であり、それが彼女の得た超能力の全容(ユーバーメンシュ)


 彼女にとって不幸だったのは苦痛を共にする者がいなかったことだろう。

 同じような境遇で、同じように人工的に目覚めさせられて、同じように苦しみ選択を強要されて、そうしてお互いの傷をなめ合えるような存在が居ればまだ幸せだったのかもしれない。若しくは彼女はそれを求めていたのかもしれない。


 憐れまれることは嫌いだ。比較して不幸だと云われるような上から目線には反吐が出る。


 同情されることが嫌いだ。空しいマスターベーションの道具に成り下がりたくはない。


 嫉妬されることが嫌いだ。己はお前より上でもなければ下でもない。


 恐怖されることが嫌いだ。怪物みたいに扱うなよ、人間。私だって人間なんだから。


 己を■■■■■として見て、

 己を■■■■■として扱って、

 己を■■■■■として接してくれる

 そんな都合の良い、そんな御伽噺(普通の友達)のような存在を求めていた。そんな者など居ないと知っていたが。


 だから一夜にして滅ぼせた。誰に構うこともない。


 苦悩していた者もいただろう。苦しみを取り除こう。

 戦っていた者もいただろう。戦いの軛から解放しよう。

 喧嘩していた者もいただろう。空しさから解き放とう。

 無力に嘆く者もいただろう。悲しみを忘れさせよう。

 死にたいほど己を呪った者もいるだろう。殺してやろう。

 殺したいほど憎んだ者もいるだろう。憎しみなど失くしてしまおう。

 恨んでいた者もいるだろう。毒を抜いてやる。

 望まず息絶えようとする者もいただろう。安らかに眠れ(レスト・イン・ピース)


 そんな事情など一切合切忖度するつもりもない。無価値なのだから今死んだところで結局同じこと。無価値なる人生を無価値なるままに終わらせる前に摘み取るのみ。そうして摘み取って行けば、やがて世界は浄化されると信じている。

 無価値で無くなれば幸福に至れると。

 それこそ彼女の齎す来世功徳。ただ殺し、殺し尽くした果てに何れ幸せはやってくるのだと、彼女はまだ見ぬ来世の功徳を約束して魂からの救済()を与えた。


 人類種の無意識から放たれる死への渇望を認識し、人類の醜さによって得た救済の技法、来世功徳。死の反奇跡。

 ある世界の彼女はそうして世界を滅ぼした。止められる人間など、誰もいなかった。


 彼女は待ち続ける。いつになったら彼女に会えるのだろうかと。まだ見ぬ再会を夢見て、この白の無窮で立ち尽くすのだ。




□大昭25年 07/29 11:18 夏休み前半




『さて本日のオーバートップギアは――――――』

〈おいマジかよ、なんでルーフが……NOoooooooo!!〉

『リヒャルトが叫び、』

〈うん? おいおいマジかよ……頼む停まるな、停まってくれるなよ――――oh…………リヒャルトめ、覚えてろよ〉

『ホームズが意気揚々と車を走らせ、』

〈そんなの……簡単だろ?〉

『私エレミヤは撮影クルーに見栄を張る。アクション満載で見所が盛りだくさんだ』

『そうだなジェレマイヤ。特に今回はシリーズで一番下らないことをやっている』

『そうそう。例えば新型ブガッティヴェノムとブガッティのテストドライバーを3人あの世に送ったり、特殊CGを隅々まで駆使して、まるで発情していきり立った孔雀みたいにゴテゴテに着飾ったりとかね』

『おいおい待て待てハムスター、ブガッティのテストドライバーが3人もお亡くなりになったのは、彼らの初歩的なミスが原因だ。私のせいじゃない。取り敢えず話題を変えよう。本日のオーバートップギアは前後編に分けた通常版と云う著しく尺の無駄遣いな回でお送りする。皆で映像を見るだけの集会の一体どこが面白いのかわからないが、それもこれも全て企画したミスター・ウィルソンのせいだ。クレームなら彼に入れてくれ』

『あぁあ是非ともそうさせて貰うよエレミヤ』

『おいおいどうしたリヒャルト・ハムスター。今日は豪くご機嫌じゃないか』

『エレミヤ、きっとあれだ。今日が彼の奥さんとの何回目か分からない結婚記念日だったからだろう。きっとそれでイライラしているのさ』

『おいホームズゥ! なんで朝必死こいて家族と協議した話を蒸し返すんだよ! 仕事が終わるまではまるで処女のような真っ新な心でいようと思っていたのに、台無しだよこれじゃあ!』




 そろそろ壮年に差し掛かりそうな白人男3人組がテレビの画面にて、初っ端から仲が悪いのか仲がいいのか、恐らく後者だろうが何事か云い合いを初めていた。

 エレミヤ、時折ジェレマイヤと呼ばれる中年太りをこれでもかとした長身白髪の男が一番左側に立っている。海外のバラエティ番組の原則を加味するならば彼がメインMCなのだろう。

 真ん中に立つリヒャルト、時折ハムスターとも揶揄される童顔の小男は鋭い皮肉を放つところを見るに、どうにもご機嫌斜めのようだ。彼が賑やかし役だろうか。

 一番右側に立つホームズと呼ばれた温厚そうな、こちらも盛大に中年太りしている中背白髪の男は、青い瞳で時折火にガソリンを注いでいる。彼もMCの一人だろう。

 ミシシッピというECサイトおよびサービスを世界展開する大手IT企業がミシシッピビデオプレミアムでストリーミング配信をしているイカレタ自動車番組。

 左側のメインMCジェレマイヤがイギリスの長寿番組The Grand Touristの監督と猛喧嘩の末殴り倒してしまったことからリヒャルト、ホームズ共にイギリスはBCCから首を通達。ミシシッピにヘッドハンティングされる形で当時のスタッフ諸共移籍したのがこの番組だ。

 偶に車を爆破したり、偶に羊を分間3匹くらい轢き殺したり、偶に車にみょうちきりんな改造を施して超長距離行軍をしたり、偶に低品質な中古車を使って旅行したり、車を自作してモンゴル平原を横断したりするトンチキ極まりない番組なのだが、何だかんだで各自動車メーカーから提供を受けておもねる様な報道をよくしている。


 鷲宮准はこういった番組には本来興味がない。では何故このみょうちきりんな海外番組を見ているかと云えば、それはいま彼女のいる場所が御鏡邸で、彼女の目の前には夏季課題――それも苦手な数学の――が並べ立てられているという状況が全て物語っていた。

 いや分かるか


『我々が本日やってきた国は、真珠湾攻撃で有名なハワイ諸島はオアフ島。モンゴルとは毛色の違うカラリとしながらも気を付けなければスニーカーの靴底が剥がれる様な酷暑の中、ミスター・ウィルソンによってこの島に集められた我々は口々に当番組の敏腕ディレクターことミスター・ウィルソンの悪口を楽しんでいました』

〈大体ウィルソンは何を考えているんだ。こんな暑くて日差しが強くて靴底が溶け落ちるような季節に僕たちを呼び出すだなんて〉

〈なぁホームズ、知っているか? アメリカは第二次世界大戦中に日本の潜水艦から放たれた酸素魚雷に被雷し座礁してしまった駆逐艦をそのまま沖合に留めているらしい〉


「ほら准、また手が止まっているよ。何処か分からないところでもあった?」

「……その番組が私の集中を乱すんだ」

「変なドラッグでもキメて来たのかい? それじゃあ禁断症状の起こっている精神異常者みたいな発言だよ」


〈その話聞いたことあるよ。戦争を伝えるための博物館みたいな感じの扱いだって〉

〈多分その話であっているぞリヒャルト。重要なのはここからだ。被雷した駆逐艦からは人も物資も砲弾もまるで膿を潰したかの様に流れ出したそうだが、それと共に今に至る百年間に渡って流れ続けている物が一つだけあるらしい〉

〈その流れ出ている物ってのは一体なんだ?〉

〈落ち着いて聞けよ? その駆逐艦からは今も、我々も良く知るところのあの“金よりも価値のある黄金の液体”が海洋に放出され続けているらしい。その放出量は微々たるものだが、第二次世界大戦が終戦してから百年以上経つのに、それは未だに流れ続けているんだ〉

〈エレミヤ、それは本当か?〉

〈本当だとしたら大問題だよ! 環境保護団体や海洋保護団体は漁獲制限やボートの航行に制限を課すよりも先に、まずこの問題を解決するべきだよ!〉


 場所こそ日替わりでお互いの家を行き来する形ではあるが、どちらにせよ御鏡弥生に夏季課題の消化作業、それも主に彼女の勉強を一方的に見て貰っている状態にあった。

 対する御鏡弥生は、夏季課題なんて復習問題など夏季休暇に入るより以前、授業中に配られた段階ですでに終わらせて提出済みであり夏休みを満喫するのに何の支障も無かった。

 御鏡弥生が鷲宮准に語るに曰く、大人になったら夏休みも冬休みも無く働かなくてはならなくなるのだから、今のうちに惰眠を貪り美味しい料理を食べて、どこか遠くに旅行したり美味しい料理を食べたり、友達とゲームしたりと若いのを全力で満喫するべきなのだとか。

 鷲宮准は不承不承気味な納得の許、御鏡弥生を含む友達や家族と遊ぶ時間を確保するため、夏季課題の消化作業に遅まきながら取り掛かることになったのだった。今日の科目は数学のようである まる


「と云うか、ペースが速い! 一日で一教科って、六日や七日で全教科を終わらせるつもりかよ?」

「うん? 違うよ。毎日勉強する癖をあと四日で付けるつもりだから、事実上三日で全教科を終わらせるよ。自由研究および論文課題もね」

「終わるか!」

「ハハハ、何を云っているんだい? 終わらせる(・・・・・)んだよ」


 見事なまでの花の咲くようなニッコリ笑顔でそう宣う親友を、鷲宮准はこれまでの人生において初めて鬼畜(クソ)だと思ったのは余談だろう。

 そんな鷲宮准を嘲るつもりなど一寸とてないはずの車番組も、敏腕でも性格の悪そうなディレクターに振り回されているらしいのが、これまた鷲宮准の集中を削いでいく。白人オヤジ共が農家の巻き藁に(ティーン)火をつける輩(エイジャー)みたいなことをしている番組を見るなと云うこと自体、中々に酷な話だ。

 もしもこれを目にして『この程度で集中が削がれるはずがない』と思うあなた、考えても見て欲しい。

 自分が必死こいてノートと教科書に向かっている傍らで、車のボンネットを突き破って何故かルーフの切られたフォード・コルチナにV8エンジンが載せ替えられていたり、ニトロと黒煙とクーラント液を全力でルーフの切られたフロントグラスと運転手に吹き付け続けるホンダCIVICや、自分たちの理解を超えて余りあるみょうちきりんな改造や妙なエアインテークらしきものの増設された日産Skyline GT-RやホンダNSXなどでドライブする間抜けたちが気にならない人間がいるはずもない。


『ミスター・ウィルソンからの指示によって、スタッフも巻き込んだ我々の愚にも付かない楽しいお喋りの時間は打ち切りになりました。仕方なく、ミスター・ウィルソンの指示に従い我々が珍しくも公共交通機関を用いて向かった先はホノルル。ここで装備を整えろとのお達しでした』

〈装備を整えろとはいってもシカを狩りに行くわけでもなし、一体何を装備しろと云うんだ。それに結局ホノルルに戻ってくるならオアフ島にまで移動する必要はなかったんじゃないか〉

〈そうだな。しかしそんなことはいつものことじゃないか。ところでホームズ、世の中には自分たちのことをプレッパーズと呼称する連中がいることは知っているか? 地球は常に無限増殖して変なモニュメントを建造して襲い掛かってくるエイリアンや、未来の宇宙戦争に突如参戦してきた人類のみを守る放射線が建造した巨大ロボット戦艦が更に拡大させた宇宙大戦争を終わらせるために過去の我々の地球に乗り込んで未来を変えようと健気な努力をする昆虫型知的生命体がいると、彼らは本気で信じているらしい〉

〈それだったら、其処の隠れアメリカ人(リヒャルト・ハーマン)に話しを振ってみたらどうだ? 彼ならその手の話に理解が深いはずだ〉

〈僕はああいったお遊びからはさっぱり足を洗ったんだ。大体、惑星間を移動できる技術を持っている宇宙人が、スイス製20mm(エリコン20mm)機関砲やスウェーデン製(ボフォース)40mm(40mm)対空機関砲の砲弾なんか使うわけがないしね〉

〈おいホームズ、リヒャルトが珍しく真面なことを云っているぞ。明日は雪でも降るんじゃないか?〉

〈防寒着の用意をしておけばよかった〉

〈まったくだ〉


 意図してそういう撮り方をしているとはわかっている物の、海外の景色をより美しく空撮している映像は中々に興味をそそられて、また手が止まっていると云わんばかりに御鏡弥生がノートの端をトントンと軽く叩く音が部屋に響いた。

 少し悔しくなった鷲宮准が取った行動は、本人をして幼稚だと思わせる噛みつき攻撃だった。御鏡弥生には効果が薄いようだ。


「そう云うお前は、書道の自由課題はどうしたんだ? お前自分には字心がないからって嫌ってたじゃないか」

「そこはほら、何でも好きなもの描いて良いって云う適当度合いだからこんなのを書いて貰った(・・・・・・)よ」


 書初め用の用紙、和歌山とは無縁のこの土地で何故使われているのか分からないが、そこそこ長い和歌山判に書かれていたのは、それはもう達筆な、一目見て御鏡弥生本人が描いていないと分かる度合いの筆致でこう綴られていた。


 何度目だサマ〇ウォーズ


 見事なまでに達筆な草書体で書かれた書初めのあの長い紙が、キリル文字の新聞に包まれてあった。

 字心の無い御鏡弥生に草書体を自然にサラサラ書きあげるなどと云う芸当など到底出来るはずもなく、それはもう誰がどう見ても明らかなまでに誰かが代筆した雰囲気が丸出しとなっていた。


「……あのドラマの小道具さんにでも書いてもらったのか?」

「お母さんが十日前にウランバートルから送ってきてくれたんだ。某ドラマみたいで良いでしょ?」

「十日前でモンゴルってことは、日程的に今ロシアかウクライナあたりか……よく間に合ったな……」

「書道の授業中に書初めの自由表現課題を出すって云われてたじゃないか。あの時にお母さんにメールを送ったら夏休みに入ってすぐにウランバートル発シンガポール・マレーシア・ブルネイ・中国経由で運び屋(日本郵便)が持ってきてくれたんだ」

「なんだその密輸みたいなやり方…………」


 密輸みたいな、ではなく密輸その物と云っても過言ではない経由地とやり口で、且つ堂々と税関を抜けたようであることは想像に難くないことだけは鷲宮准にも容易に想像がついた。


〈おいおい――リヒャルト、君はそんなにそのフォード・コルチナが気に入っていたのかい? 私はてっきりコンプレックスが余ってその、気乗りしないんじゃあないかと思ってちょっと見た目を、変えてやろうと思ったんだよ……〉

〈ちょっと? これがちょっとだって!? 信じられないよこのは! 僕の憧れのフォード・コルチナMk3のルーフを、あろうことかグラインダーで切り飛ばした挙句に車の下に隠して置いて、一体どの口が善意だなんて言葉を口にするんだ!〉

〈すまなかったよ、本当はもっといろいろ用意していたんだが時間が無くてな。ほらこれ、君の紳士のソーセージ型シフトノブを――〉

〈こいつ信じらんない! 人の車に紳士のソーセージ……HAHAHA!〉

〈ちょっと待てリヒャルト、あれはホームズの車じゃないか?〉

〈HAHAHA――え? ホームズだって?! 信じられないよあいつ、三人一緒に宿を出るところを撮ろうって云ったのあいつじゃないか!〉

〈あの世界史の先生には残念ながら協調性という物が欠けているらしい〉

〈まったくだ〉

『どこかの二匹の馬と鹿が罵り合っていたおかげで、僕のBNR32型スカイラインGT-Rは幸いにもパッと見は無傷でした。しかし――』

〈水温計がおかしいな。此処10km弱の間ずっと水温計の針がオーバーヒートを指した状態で走っています。それに伴い、今クーラーは動いていません。けどクーラーの機構と車の作動は別の問題。現に車は動いて……oh!? ――変です! さっきまでトップギアに入っていたのが、今勝手にセカンドあたりに落ちました!? 念のために云っておきますが私は減速チェンジしていません! シフトノブはトップギアに入っているのに、ギアボックスだけが別の生き物にでもなってしまったのでしょうか!?〉

『その後幸いにも3km先の街で修理工場を発見し、其処でボンネットを開いて中を確認した処、とんでもないことが分かりました。ラジエーターから延びる冷却パイプのそこかしこにホールソーで穴があけられ、クーラント液が漏れ出していました。つまり冷却水の温度が上がっていただけでなく、エンジンの冷却に必要な冷却水がそもそも足りていない状態だったのです。其れだけでなく、ラジエーター内や冷却水のタンクに微妙に残ったクーラントは超高温になり、その超高温のクーラント液が掛かったせいでエアコンのコンプレッサーとエンジンとを繋ぐゴムベルトが溶け、ご高齢の車のご高齢のギアボックスとクラッチとエンジンを繋ぐクランクシャフトに至っては破断しかかっていました』

〈何故ホールソーで開けられたと分かるかと云えば、間抜けな犯人が間抜けな証拠をエンジンルームに残して行ったからです。まずこれはホールソーを留めるコレット若しくはチャックと呼ばれるパーツで、これは軸の折れたホールソーと刃の部分を中心にグズグズに溶けて軸ごと縦に破断したホールソーです。両方とも高速回転させすぎて折れたのでしょう。そしてこんなことをやりそうな奴は一人しかいません――――リヒャルトです〉


「警察が届いたもの見せろって云うから見せたらね、見た瞬間に興味失って帰ってったんだ。酷いよね」

「私に同意を求めるな、同意を」


 何か良からぬものを摘発できるかもしれないと、意気揚々と踏み込んだ挙句にこんな仕様もないものが出てこようものならそれはもう場が盛大に白けることは間違いなさそうだとは、鷲宮准も同意するところではある。

 盛大に呆れ果てて二の句も告げられなくなった彼女が現実逃避交じりにノートと教科書に向かい始めたことすら予定調和だった可能性が高いながらも、苦手な勉強を再開した。

 掌の上で良いように転がされているような状況に仄かな苛立ちを覚えながら、再び白人男たち三人組がハワイで何やらお互いの車に悪戯を施してはその顛末が映される音をBGMに勉強を進める鷲宮准であったが、三十分もする頃には昼ご飯の時間だと云うことをすっかり失念していたのであった。


『私ことジェレマイヤがリヒャルトの車のルーフを切り取り、リヒャルトはホームズの車のラジエーターに悪戯をした。とくれば消去法で、ホームズは私の車のどこかに小細工をしたに違いありません。ですがしかし――――』

〈いやに快適です。到底誰かが悪戯して不具合を起こしているとは思えない。本当に、これ以上ないくらい快適です。エアコンもワイパーもウィンカーなどの電動系のパーツは全て動くし、水温計はずっと真ん中よりかなり下を指していて至って平常。何処かのタイヤが削られているだとかバーストしているだとかも無く、勿論動力系も無事です。ちょっと(・・・・)ガソリンの減り(・・・・・・・)が早い(・・・)気もしますが、概ね平常運転と云っていいでしょう――――ホームズは何処を壊したんだ? いや、あのお婆さんのことだからやろうと思って忘れていた可能性もあるぞ〉

『当然僕が、自分を人間だと思い込んでいるゴリラの車に何もしていないわけがなく、彼の車には既にささやかなプレゼントを三つ添えてあります。番組クルーに電気オタクと工業オタクがいて助かりました』

『ミネラルウォーターと頭文字がPの方の黒い炭酸飲料、分類学上は野菜とされるパンで肉とレタスとかを上下から挟み込んだアメリカの国民食、ジャガイモを適当に切って揚げただけのおやつを手に車に戻った私を待っていたのは、如何にもホームズらしい嫌味な仕掛けでした』

〈リヒャルトに教えてやりたいよ。自分が菜食主義者になるからって他人もそうだとは限らないってことをな。これが本来あるべき正しい食事だ。茶色、茶色、真黒。非常に健康的です。しかし困ったな。両手がこれだと――どうやって乗ればいい?〉

〈知らないよ〉

〈どうやらスタッフは手伝ってくれないらしい。なんて薄情なんだ。取り敢えずケツから入って、飲み物をドリンクホルダーに、バーガーとポテトフライは、助手席にでも置いとけばいいだろう。しかし、このままエンジンもかけないでおやつを食べていたらきっと、ニ十分後には干からびているだろう。ウィルソンは一体、こんな場所の何処が好きなんだ?〉

『キーを挿しエンジンをかけた時、それが起こりました』

〈oh!! エンジンをかけた衝撃で、シートが真後ろに倒れ込んだぞ! しかもなんだこれは、日本語の歌じゃないか。どうやったらステレオを止められるんだこの車は――えぇい止まれ、止まれよこのクソグルマァ! ――ホームズゥ!! このスカポンタンがぁぁ!〉


 ジェレマイヤのその場にはいないホームズへ向けた絶叫や、シートの破損と共にガソリンタンクに穴が開いたことへの罵声をBGMに頂く昼食は、昔ながらの喫茶店や洋食屋で出てきそうな味付けのカレーだった。

 福神漬けが彩り辛味の抑えられ具材の味の良く染み出たそれはどうやら、都城美峰の手作りらしいとは遥か昔に御鏡弥生が聞いてもいないのに自慢げに話していたものである。

 どう考えてもさっき作り始めたような味ではないこのカレー、何だかんだで鷲宮准の好物である。鷲宮准の好物と云うことはニアイコールで御鏡弥生の好物でもあり、既に何杯目か分からないお代わりを要求していた。

 これを寸胴一杯分貰えるらしいと聞いて内心はしゃいでいる鷲宮准だったが、それと同時に五体満足――と云えるほど五体満足ではないが、こうやって穏やかに食事を摂れる幸福を内心で噛み締めていた。

 鷲宮准にとって、最早春休みという単語は恐怖以外の何物でもない。トラウマと決断を強いられ、その結果世界的に見て十万人という人間を殺した。

 一歩間違えなくとも死んでいただろうし、御鏡弥生が本気を出していなかったから、本気を出せなかったから、本気になれなかったから、だから彼女は今も生きている。だから彼女たちは今もこうして安穏とした日常に居られた。

 例えその資格がなかったとしても、もうあんな凄惨極まりない決意はしたくなかったから、二人で選んだ。願わくば、一生にあれが最後であってほしいと思いながら。

 斯くして人の業が生んだ不義の阿頼耶識ドゥシュ・ザオシュヤントは定められた進化を放棄しヒトとなることを願った。

 斯くして人の業が生んだ義の自浄作用アクワルタ・ザオシュヤントもまた人であらんと願った。

 故にあれから三か月近く経った現在、こうして安穏とした日常を送れる幸せは本来戦わずして得難いものであることを知りながら、愚にも付かない親友とクソのような戯言を宣いながらも日々を浪費するような幸福に身を委ねていた。


 そんな幸福を破る足音が聞こえてきたのは、鷲宮准と御鏡弥生双方が食事を終え畳の上に寝っ転がろうとした直後であった。

 板の間を乱雑に歩き回る音とそれを制止する声が入り混じりながらだんだん近づいてくることを理解すると、最早現実逃避気味に眠気の残る意識を覚醒させ、鷲宮准は左腕で上体を起こした。

 御鏡弥生ならばこの音の元凶、恐らく人……それも男性の物だろう足音の正体を知っているだろうと思ってチラリと目線を送ると、首をすくめてやれやれと言いたげな顔で首を横に振った。どうにも避けられそうにないイベントらしい。なおイベントCGの出来に期待は出来そうにない。

 そんなドスドスという重低音を響かせて乱雑に近づく足音は、この場に居合わせたほぼ全員の予想通りに御鏡弥生と鷲宮准が使っている客間の前で静止した。


『我々は“ソレ”に存在を悟られぬように息を潜め、それぞれの車の中でジッとしました。しかしリヒャルトが――』

〈ゴメン屁こいた〉

〈あ! 見ろよおい! ――リヒャルトぉ! この間抜けがぁ! お前のこいた屁で、ヒグマが逃げて行ったじゃないか!〉

〈違うよ! 大方車の中でジッとしているチンパンジーに怯えて逃げてったに決まってる!〉

〈大騒ぎするな二人とも! ヒグマが逃げていくじゃないか!〉


 もっとも、息を潜めるという作戦は失敗に終わった。TVと現実、両方の意味で。

 テレビの画面を見れば、番組の舞台はハワイから中東や南アメリカの何処かに移っており、放送回自体が切り替わっているらしい。

 三人は何やら動物を撮影しようと意気込んでいる様子。Ford Explorer、2020年販売型日産X-trail、Rand RoverのRange Rover Discoveryの三台にそれぞれスロー提督、ハムスター、チンパンジーが乗り込み撮影しているようだが、どうにもその姿は色々可笑しかった。

 ジェレマイヤの乗るFord Explorerは四本あるタイヤの内後部の二本が雪上及び悪路用のクローラーに取り換えられ、前部の二本は大径化されそれに合わせてホイールアーチとホイールシャフトが弄られた挙句、エンジンに至ってはボンネットを突き破ってV12エンジンと思しき何者かがフランス人の手によって詰め込まれたかのようにして微妙にその姿を覗かせている。ちなみにもしも壊れた時の為にかトランク内には前部の二本分と同じ径のタイヤが仕舞われていた。

 ホームズの乗る2020年販売型日産X-trailらしき代物はタイヤを二回り大きくして車体のホイールアーチをそれに合わせて拡張し、車体全体を迷彩色に塗装。前後に鉄骨と鉄パイプと塩ビホースから作り出したと思しきステップ兼フロントフォークガード兼外部水冷システム(直接ホイールシャフト及びラジエーターに水を掛け、必要なら車内からパラコードを引っ張って弁を開放しラジエーターに給水する)には壊れて点かなくなったヘッドランプの代わりにカラフルなLED照明が十二個、水の入ったタンク、怪しい車屋で買ったウィンチなどが追加され、ルーフの上にも水の満載されたタンクが詰まれている。ルーフを見て見ると、微妙に凹んでいることが分かる。

 Rand RoverのRange Rover Discoveryには何故かDefender270のイギリス軍風の装飾と砂漠用迷彩、インテークやフロントフォークガード、ウィンチなどが追加され、見た目だけならばホームズのX-trailやDefender270に酷似していたが、左右四輪全てがクローラーに取り換えられた上、牽引している物が目を引いた。リヒャルト曰くレオポルド(28cmK5)列車砲を意識したらしく、トレーラーハウスの屋根には専門機関向けの大型望遠鏡が天幕と共に据え付けられていた。一体どこが列車砲なのだろうか。見た目だけで云うならば自走機関砲である。


 どうでもいい事か。


 襖の前にいるというのに、しかしその存在は動かない。動かないというより、使用人が必死に制止しようとしていたから、この場合動けないと云った方が正しいのだが、いつその攻防が終わってしまうか気が気でなく、じっとりとした嫌な沈黙が場を包み、鷲宮准の背筋は本体の意図など一切解さず盛大に冷や汗を掻いていた。

 冷房でこれでもかというほど冷やされている客間がより一層冷え込んだかのような錯覚を覚えるころには10秒ほどが経過していた。

 いい加減そろそろ諦めて帰らないのかと思った次の瞬間には、襖が弾け飛ぶのではないかというほどの勢いで開かれ、ここまで一気呵成に足音を響かせてきた人物の全容を顕にしていた。


 どこかで見覚えのある銭形警部染みた格好の男だった。いやそこまで明言してしまえば最早正体じゃないか。


 自分で自分にノリ突っ込みをしながらも鷲宮准は自分が大分毒されているらしいことを自覚し、更にはそんなことにさえも軽い引きを覚えた。

 だが彼女のセルフドン引きなどお構いなしに、この場に現れたそこそこガタイの良い厳めしい顔つきをしたスーツ姿の男は御鏡弥生に声を掛けていた――無駄にデカい声で。


「弥生! おるかぁ! 儂じゃあ! おどれの兄貴分、暗黒寺叡景じゃあ!」

〈私は光輝く、神だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!〉

「うるさっ……」





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