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第2.25話 ~地獄篇~ 中


 朱


 鮮烈な朱が彩っていた。


 朱


 刺激的な赤が蔓延していた。




 朱   赤   緋   紅   赫


 赤   緋   朱   銅   淦


 朱   淦   赫   赤   銅




 赤だけのコントラストで彩られたキャンバスはキャンバスごと拡大していくかのように、凄烈な赤黒い深淵を水の滴る音を伴い広げていた。

 彼女が言葉を失ってしまったのは、嫌になるほど夢に見るほどに見た朱の深淵に飲まれたからでもなければ、不自然なほど自然に融合した姿に息を飲まれたからでもなかった。

 その深淵は不思議なほど、魅入られたと心のどこかで思えてしまえるほどに蠱惑的で、故に思ってしまったのだ。




 何だこの胸糞悪い世界は――――







 管、と云えば聞こえはいいかもしれない。


 血管、と云えば少し生々しいかもしれない。


 シリンダー、というとかなり違うかも知れない。


 カーボン製ではないが炭素が原料である。

 鉄製ではないが炭素繊維で出来ている。

 それは本来体内に収まっていなければならないものであるが、彼女の見間違いでなければそれは、体の外に出ているのみならずどう見ても、どのように好意的に解釈しても――


 それはコクピットに繋がれていた。


 下半身と呼べるような歩行器官は存在しないと云って佳かった。びっこを引いているだとか畸形嚢腫(きけいのうしゅ)だとかそう云った物ではない。

 仮に人間という物をデザインするとして、フランス人でもなければ二本の腕と二本の脚、頭が一つにそれらを接続する胴体を想像するだろう。フランス人なら腕の位置に足を、足の位置に頭を二本生やすことだろう。車であれほど奇々怪々な設計がやれるなら人間でもやりかねないと誰もが思っていることだろう。


 頭部には主として感覚器官一連の情報を集約する集積装置としての脳味噌と耳、三半規管と網膜が基礎設計として搭載されるだろう。

 腕には細かな作業を行うための感覚器官たる五本指を持った手を、複数の関節を持たせて柔軟な可動域を確保するだろう。

 下半身には男女ともに生殖器官と共に老廃物の排出機構や栄養摂取後の搾りかすを排出する器官、そして移動を行うための足が、これまた手と同様に五本指で複数の可動節を設けた上で設計されるだろう。


 稀に設計上それらが含まれずに生まれてくる者もいる。本人が望んでいないにも拘らずに設計上必要とされるものが省かれた状態や、若しくは足り過ぎた状態で生まれてくる、世間一般に障碍者と呼ばれる存在だ。

 だが彼の有り様を見るに、彼は障碍者と呼び(・・・・・・)腫物を扱うように(・・・・・・・・)相対するべき存在なのかについては一抹の疑問が過ったのだ。

 無論後発開発途上国や中近東の一部の国では稀に後者の類の障碍児童や、若しくは足らずに生まれてきた類の子供がいる。体内で兄弟を食らってしまったか生存競争に負けそうになったかのどちらかとされる。

 しかし彼の有り様はどう見ても、その類とは云えなかった。




 この人間(・・)には歩行という機能が最初から設計されていなかった。

 きっとそう表現したほうが適切だろう。


 下半身には本来生殖器や足などの器官が生えていなければならないところを、この人間にそれらの器官は見当たらなかったのだ。

 何故そう分かるか。それは非常に単純なことだ。

 本来足や生殖器であるはずの部分は、いっそ醜すぎて美しいと評したほうが良さそうな肉の塊が鎮座し、コクピットに本来あるべき座席なんてものはなく、それら肉の塊を納める台座のような物が拵えられている。これがすべてを物語っていると云えよう。


 歩くという機能が人間という存在としての設計上、度外視されているのだ。

 無論それだけでなく、コクピットの形状や開閉ラッチがないことから、彼の載せられているこのロボット自体も、機外活動を想定していない。

 口や腕はあるが、足や生殖器の類がない。体中に管が突き刺さり、醜い(美しい)肉の塊は堅固に台座に据え付けられている。よく見れば、肉片が台座の奥に見えることから、まだまだこの肉の塊は機体の側に向かって伸びているのだろう。

 食事はどうするのか――排泄はどうするのか――ロボットの整備は如何にして行うのか――――――――――

 それらの答えは既に一時間近く前に鷲宮准の目の前でこのロボットが行っていたことであった。

 エネルギー源は他者に依存し、同時にそのエネルギーを窃取することで生存しているのだ。

 つまるところ、ロボットが破壊されれば中身が死に、中身が死ねばロボットも死ぬ。非常に嫌な意味で、人器一体。いったいどこの誰がこんなふざけたものを設計したのかと疑いたくなるほどに。


 水音は鷲宮准の薄い胸板を伝って、コクピット内に滴り落ちていた。

 赤黒い液体が流れていると云うことは、間違いなく肉の塊のような部分もまた彼の一部であった。彼女が後先考えずに馬鹿力で持ち上げた結果がこれであった。

 しばらくもがいた後に、彼は息絶えた。どのような原理か、スクラップアンドビルドとエネルギー源を奪取する以外に彼に生きる方法はなかったのだ。そもそもの生命の設計図からして彼女とは異なるがゆえに。

 見知った顔だったから、助けようとした行為は裏目に出ることとなりみすみす――意図せずして殺すこととなったのだ。これほど間抜けなことも無いだろう。


 冷たくなって動かなくなった醜い躯を、彼女はその薄い胸板に押し付けるようにして抱きしめていた。

 涙は流さない。既にそんな悲劇のヒロインぶって良い立場ではない。

 己は徹底的に加害者なのだ。

 己は七つの世界を破壊したのだ。

 己は機械化人含め都合1000億人以上に上る人命を、蝋燭の様に吹き消したのだ。

 己は無様にも、別の世界の親友が、道を開くためとはいえ自ずから焼死するところを眺めていただけの間抜けだったのだ。

 己は己よりも生きる価値のあった人々を犠牲に世界をその手に取り戻した極悪人なのだ。

 だから涙は流さない。それでも(・・・・)と云い続けるのだ。後悔しても、死にたくなるほど自己嫌悪しても、人の命を己が手に掛けることになったとしても。




 己にはもう、進み続ける以外に道はないのだから。




 生きるべき、生きていて欲しかった人々に道を譲って貰った。譲って貰った結果として今の自分がいる。

 そんな彼らに恥じないように、何よりもこの世界が一番だと胸を張って、己の我が儘(エゴ)の為に他の世界を爪弾きにした。だからもうこれ以上失わないために、戦うことを知ったのだ。

 血溜まりの中、彼女は胸に抱いていた躯を元の台座に収めてやり、瞳を閉じさせた。退化して目としての役割を負っていたかすら不明であるが、瞳を閉じさせ腕を組ませた。

 それが自己満足の為の行動だとは、無論十二分に理解していた。


 ロボットのコクピットを出た時、ようやく彼女にも有様が理解できた。否、理解させられたというべきか。

 仮称山南修の亡骸を内包したロボットの許に、()の物かもわからない巨大な腕が飛んできたからだ。


 先ほどまでの生存競争が、飽きることなくどこででも、其処彼処で行われていた。


『これは俺が見つけたから俺のものだ! は~な~せ~!』

『お前よりも俺の方が一瞬掴むのが早かった! これは俺のもんだ!』


 余程欲しい部品(臓器)だったのか、二体のロボットが何らかのパイプの両端を手に取り綱引きをしている。

 ある所では一人で死体漁りをしていたロボットを三体で取り囲んで光線のような物を浴びせる姿もあった。その後、当然のようにお互いがお互いを攻撃し合っていたのを見るに、仲間意識など欠片とてないらしい。

 仲間意識があるとすれば、死体の積み重なったゴミ捨て場(墓場)に残っている物を漁っている幾体(幾人)かはそれに該当するだろうか。部品を見せ合い交換しているのを見る分には微笑ましい風に見えるが、次の瞬間には大型のロボットに踏みつぶされた。


 久しぶりに、死んだと思っていた恐怖の感情が胸の奥から湧き出てくるのを感じていた。

 家族とよく似た五人(・・)を、人間が考えつく限りの残虐な手段で処刑されたときにも、黒旋風が事切れる寸前、目の前で線路の分岐器を倒した時だって、泣きながら岩石の機械化人を粉微塵に砕いて肥料として撒いた時ですら、誰にも止められることなくやり遂げてしまった御鏡弥生が目の前で焼失したときも、恐怖など些末な物でしかなく、反対に義侠心しか湧かなかった。

 いや、本当は汽車の中で人知れずに座席を涙で濡らすようなことはあったが、しかしそれが本当に恐怖によるモノかは分からない。

 ただ分かるのは、何かに突き動かされるように、恐れなどの感情とは無縁だったことだろう。まるで怖がり方を忘れてしまったかのように。

 そんな、忘れてしまっていたような恐怖の――純粋に他者を、起こった出来事を恐れるというごく普通の感情を思い出した。


 吐き気を催した。

 生きるために食う。生きるために殺す。そんな物、日本でだけ見たって常日頃から行われていることだ。別にそれに吐き気を催したのではない。

 食肉加工場を見に行けばいい。元気に鳴いている豚が次の瞬間には吊るし肉や塊肉に代わり、別の食肉加工場ではそれらの吊るし肉やひき肉は腸詰(ソーセージ)燻製肉(ベーコン)塩漬け肉(ハム)に加工され我々の食卓に運ばれる。

 ある農場では地面に植えられた野菜小松菜が機械で無造作に1ヘクタール分摘み取られ、三束入り170円で売られているし、農場にポコポコと湧いたようなキャベツは1玉100円で並べられている。もやしに至ってはどれほど大量生産しても200本や300本入って85円程度な物、非常に多い業務用にしたって2000本くらい入って500円が精々だ。

 海を見ればビチビチ泳いでいる魚を網が一網打尽に捕まえ、一尾当たりで数千から数万円、状態が良ければもっと高値で取引され、それが加工場で加工されて刺身肉や焼き魚用焼き魚として販売されている。

 そうでなければ更に加工されて一人鍋用の具材や野菜炒め用として販売されるか、流動食として細かく裁断されてペースト状にされるか。

 別にそんな、人間という種としての食に問題提起をしているのではない。鷲宮准が吐き気を催したのは、それを強制されている現状(・・・・・・・・・)に、吐き気を催したのだ。

 彼らにとってエネルギー源を奪い取ること、パーツを奪い取ること、殺して同化すること、それらはごく自然な食物連鎖のうちにしか過ぎないのだろう。

 しかし、では何故、誰がこんな世界を生み出したのか。


 気持ち悪いと云っても良い。


 気持ち悪いとは即ち、彼女がこれまで頻りに口にしてきた胸糞悪さに繋がっている。




 見ていられなかった。悼ましい姿に変えられてこのような地獄絵図を生きていることではない。

 倫理とかそう云った物、あの半ば異世界のような有り様の世界にもあった。その価値観や考え方が違うと云うだけで、ヒトがヒトを捕食するだなんて地獄を許容した世界は無かった。

 彼らにはそれしか選択肢がないとはいえ、その有り様は、戦うことが半ば以上に目的化している姿に彼女は我慢ならない憤りを感じていた。

 それら畜生の論理は小動物にも当てはまるようで――


「なんだ、機械の…………ネズミ? 何処に……」


 体中からボルトを生やしたネズミらしき生物――いや、ネズミなのだろう。機械による合成音でチューチュー鳴いていることからネズミやモルモット、この世界に於ける広義の齧歯類なのだ。

 しかし――最早原型など留めていなかった。

 あるネズミの下肢は完全に機械化していた。腰と思しき部分から下が丸々奇怪な機械と化し、本物のネズミのような怪しげな動きで走り回っている。

 あるネズミの顔面は完全に機械に埋もれていた。隣の生身のネズミより巨大なナイフのごとき前歯がガチガチと音を立てている。

 あるネズミはもっとひどい。上半身と顔が完全に機械と化し、脳味噌が飛び出していてその前頭葉に針のような物が刺さっているのが見える。あれではテセウスの船の論理から見ても本人、本鼠とは云えないのではなかろうか。

 あるネズミには二つの頭が付いている。

 あるネズミは頭こそ生身だが尻尾には機械の頭が据え付けられている。

 あるいは全身が機械のネズミもいる。


 そんな機械の鼠の一団が向かって行った先へと目を凝らしてみれば、其処には鷲宮准のみ知った顔が磔になっていた。それは明らかに人為的に行われた凶行であり、そして彼女(・・)がこの生存競争に敗れたことを如実に物語っていた。

 串刺し公が行ったように磔となった女――その遺体の在所は地上から約6m弱。高々と、己の戦果を誇るかのように、そう戦利品を飾る未開の土人のようだと云った方が正しい。

 胸から串刺しにされたのはつい最近ではない。血が止まっているだけでなく、その遺体は手足を千切られその残骸、付け根や肘まで残っている腕から覗き見える機械類は既に腐っている。

 錆びている状態を飛び越え、最早腐っている。腐敗が進み、後は風化してやがては塵と消えるのだ。

 何より吐き気を催すのは他でもなく、その遺体は鷲宮准の良く知る人物に似ていた。


「あれは……都城、さん?」


 御鏡家の使用人。最も御鏡家で職歴が長く、御鏡弥生の両親を除き最も御鏡弥生との繋がりの強い個人。

 鷲宮准を恨むと、心にもないことを宣い逆説的に鷲宮准の身をも案じた本人。もっと幼い時分から世話になりっぱなしの人物であり――――そんな付き合いの長さ云々ではなく、何だかんだで強い人(・・・)である。

 そんな彼女がまるで戦利品かそれとも生贄を飾るかのように串刺しにされているのは一体何の冗談なのか。

 心を落ち着ける材料はいくらだって揃っている。何故なら自分はあの無くなった三か月の間に、家族とよく似た声、家族とよく似た姿、家族とよく似た所作を取る彼らが惨たらしく処刑されるところを目の前で見ていたのだから。


 ダカラコノ程度デ決壊スル筈ハナイ――

 己ハ家族トヨク似タ人タチガ目ノ前デ殺サレテモ平然ト闘志ヲ燃ヤシ続ケテイタ畜生(超能力者)ナノダカラ




 比較的奇麗そうな排水を見つけられたのは幸運だった。

 仮にその排水が上水道だったとして、既に街がこの有様では最早飲用に適するレベルの物ではないに等しかったが、そんな些末なことを気にしていられるほど彼女の中に余裕と云えるものは残っていなかったのだ。


 胃液のような物が込み上げるのを必死で制していたが、その必要はない。

 周囲は既に荒れ果てた廃墟の摩天楼。人は機械に習合され人同士で相争う地獄絵図と化している。故に誰も気に留めない。幾ら胃の中身をぶちまけたところで誰に憚ることも無い。

 生きている動物なんぞ終ぞ見なかった。居たとして、この動物のごとき倫理観の立ち込める欲界、天狗道へと変生(へんじょう)を果したこの世界、生存競争に生き残れるのはそれこそ一握りだろう。

 若しくは修羅道かもしれないし、それか天狗道と合わさった世界なのか、どの道今気にするべきではない。

 これは世界全体が仏魔に落ちたも同然。ただでさえ、鷲宮准の望んだ世界でさえ仏魔、云い返れば仏縛がごとき有様を呈していたと云うに、これは修羅道と天狗道が掛け合わさったがごとき終末の世界(六道輪廻)

 相争う地獄のごとき修羅(ヴァルハラ)と、驕り昂ぶり他化自在を弄する天狗(魔縁)

 ここは最早己の知る世界ではない。胃液と昼食の内容物を盛大に吐き出しながら、鷲宮准はそう理解した。

 口に残った胃液を比較的奇麗そうな排水で濯ぎ、どう動けばいいのか、この世界はいかにすれば抜け出せるのか、それら答えの出ない問答に陥りかけていた。


 いや、それもまた仕方ないことだ。

 無くなった三か月の間、彼女は半ば自分の意思で他の世界へと侵入し、内側から瓦解させた。手を下すまでも無く終わっていて、見届けるだけだった世界も同様に。

 しかしこれは、彼女自身が望んだ世界ではない。彼女自身が必要に駆られて侵入せざるを得なかった世界ではない。

 行きが汽車なら帰りも汽車だった。しかし彼女に、この世界へと転移を果した理由など終ぞ知れない。行きと同じ方法で帰ることができない。それがますます彼女を不安にさせていた。行き場のない怒りも、憤りも同様に、蓄積していた。




『そんな姿でよく生きていられるものだな、旧世代』




 よく見知った声が響いたのはその直後だった。

 突如、それこそ堺境が結界内を瞬間移動するように突如として感知野の外から出現したかのように、彼女の後ろに音も無く、それはいた。


 両腕は長く、股下からかなり飛び出ている風だった。

 肩から細長いパイプのようにも見える二の腕が両腕を繋いでいたが、肩と思しき部分を起点に腕は上にも伸びていた。

 両腕はターボプロップエンジンのようで、両手の先は宛らレシプロ機のペラのよう。

 胸部はまるで髑髏をそうとは見えないように1Bitポリゴンで象ったかのような形状をしている。

 両足は太く、かと云えばその両足を繋ぐのは腕同様細長いパイプのごとき二の腕だ。

 顔はまるでトランプのジョーカーのような、片側が白で片側が黒。

 全体的に赤色を基調とし、その姿はどこかで見たことのある姿を象っていた。


 そしてその内から響く声は、ドクトル・バタフライ――蝶野博爵に酷似していた。


 ただ違うのは、彼にとって己は初対面の誰かに過ぎないと云うことだろうか。鷲宮准を指して旧世代というからには、彼らは新世代だと云うことか。ロボットの中に押し込められて闘争に明け暮れることの何が新世代かは分からないが、どうやらそう云うことらしい。

 彼女の知っているドクトル・バタフライは、余程重篤だったのか半年ほどたった今もナポレオンコートの下は全身包帯を巻いた状態で、どのように成型しているのか分からないが尖がり帽子のように包帯が頭よりも上の方向へ伸びた奇怪な面容をしている。

 基本的に紳士的で、御鏡弥生とのいざこざの関係からか、それとも息子の嫁を思い出すからか猫可愛がりされる傾向にあるが、少なくとも鷲宮准の知るドクトル・バタフライではない。

 彼は、ここまで高圧的に、無機質に、無感情に、無感傷に、非人間的な人間では――少なくとも鷲宮准の目の前でだけは断じてなかった。


『まったく、よもやこんな世界をそのような姿で生きていられるとは。■■が無ければ、ニルヴァーナ・フレームが無ければ生きられないはずだ』

「ドクトル・バタフライ――蝶野さんですよね?!」

『ほう、儂のことを知っているのかね。儂は貴様のような奴と会った覚えはないが――――』

「――――ッ!!」


 絶句したのは今日で何度目だろうか。

 もはや数えきれないほど絶句し、もはや数えきれないほど恐怖した。鷲宮准の予想を、鷲宮准の胸中に渦巻く云いようのない胸糞悪さを更に飛び越える胸糞悪い光景が、幾度も幾度も目の前で繰り広げられるのにはもう、彼女をしてうんざりさせられていた。

 彼のロボットは、どうやらコクピットが開閉するらしい。その証拠にコクピットを開け放ちその総身をこの終わり過ぎるほどに終わった修羅の世界に晒したその姿はまさしく彼女の知る蝶野博爵の物であった。

 しかし、彼の全身にはあり得ないほど肉感的動きをするチューブが脊椎や頭部、いや全身にくまなく刺さり、そしてその体も、最早人間と呼んでいいのかすら分からない。


 目玉にはロボットアニメでよく見る様なミラーレス一眼カメラのレンズユニットような物が常に焦点を合わせようと拡大縮小を続けている。

 頬から下はまるで金属のような光沢が見える。浸食されているのだろうか。舌はまるでブドウジュースやブルーベリージャムを塗ったトーストを毎日食べ続けたらこうなりました、と云われて納得できるほどに青く、血が通っているように見えない。

 右腕には三本指のUFOキャッチャーのような手が、腕は人間以上に豊富な可動節が設けられている。

 両足と思しきものは見えない。パイプや血管のように蠢動(しゅんどう)するチューブ類に阻まれてその姿を拝むことは出来ない。

 左腕にはハンマーのような物が据え付けられている。

 全身を取り巻くチューブのような物はまるで血管のように胎動し続け、全身を拘束するかのように、若しくは目に見えているこの体自体外部と接触するための疑似餌に過ぎないのではと思わせる。


 控えめに云って、化け物だった。仮称山南修がまだマシだと云えるくらいには、それは最早人という姿を保っていない。これを人間と呼んでいいのか、と云えば、人間なのだろうと鷲宮准は即座に納得した。

 機械であろうと、ヒトとしての良識や意識と誇りを持つ者は、みな人間だ。

 概念の上で自意識を確立した機械(マキナ)もいた。

 そう云った前例を知る以上、彼女にそれを化け物と呼ぶことはどうにも抵抗があった。本人がヒトだと云う自覚を持っているなら、それは人なのだ。

 故に鷲宮准は内心で化け物と呼んだことを内心で訂正した。それは紛れもなくヒトだった。


『貴様、■■――マントラはどうした。それとその姿は稀に見るアヴァターラか?』

「――――――何故蝶野さんは、そんな化け物みたいな機械と一緒になっているんですか? この世界は、この惨状は……この胸糞悪い世界は、一体何なんですか……?!」


 内心で納得しようが、如何にその存在をそう理解しようが、恐怖が消えることはない。

 へたり込むように力なく座り込んだ鷲宮准は、力のない声で縋るようにしてドクトル・バタフライ――蝶野博爵に尋ねた。もうそうするほかになかった。

 マントラ(真言)だのアヴァターラ(神の化身)だの聞かれたところで、そんな物自分が知りたいと云った感情ももちろんある。しかしそんなことを口にできるほど、鷲宮准のメンタルは強くなかった。

 元々からしてそうだったのだ。忘れられない傷ばかり残してきた。

 階層都市国家ゴモラ外殻第四階層ジュデッカで出会ったロト、

 ガンフロンティアで出会いコスモキャバリーを託して事切れた大山氏、

 心優しかった岩石の機械化人、

 宇宙戦艦梁山泊と共に戦った梁山泊の侠客たち、

 鷲宮准の罪の意識を苛むかのように追いかけ続けたドル型Type02警部職アンドロイド、

 謎の大和型戦艦、

 宇宙を股に掛ける海賊、

 何も知らないのに家族のように扱ってくれた人たち、

 誰にも止められることの無かった世界の御鏡弥生、

 ハイゼンスレイ教授、


 旅のあらゆる別れを覚えている。本当は生きていて欲しかった人々を否定してここにいる。

 それら傷の癒えぬうちからこんなものを見せられては、指し物肝の据わった自覚のある鷲宮准をして限界など見え透いていた。


『――むぅ、答えになっとらん。が、まぁ佳かろう――世界か。全く異なことを聞く。これが我々の求めた究極の世界だ』


 表情を一瞬だけ歪めたドクトル・バタフライ――蝶野博爵だったが、しかし本人も知らずに涙を流す鷲宮准の姿に何を思ったか、己の聞きたかったことを全て飲み込んだ。

 しかしそれをして奇妙奇天烈。まるで要領を得ない。この世界が万人の望むような世界でなど、あるはずもない。だと云うのに


 だと云うのに鷲宮准は同時に、ああそうなのかと得心が行った。


 恐らく全ての人間がそれを、受け取れる恩恵に目が眩んだでもなく能動的に、自ずから望んでこんな地獄に身を投げたのだと。

 そうでなければ、そうでなければこんな世界が(・・・・・・)長続きするはずもない(・・・・・・・・・・)のだ。早晩行き詰まるか、そもそも反対勢力が生まれなければおかしいのだ。

 この世界は、己が望んで取り返した世界はこうまで終わっているのか? 鷲宮准は思わず、誰かにその問いに対する答えをぶつけて貰いたい気分であった。


『ザルヴァートルから収斂(しゅうれん)進化したこのニルヴァーナと合一し、人を超え、より優れた体を奪い合い喰らい合うことでヒトとして無限に進化を続ける』

「―――――――――――――――――進化、だって?」

『そうだ。貧富の差も無く、労働も無く、性別も無く、性に餓えることも、食に飽くことも食に餓えることも無い。頭の足りないものが搾取されることも、頭の足りる者が不満を募らせることも無く、民族主義や社会体制の柵も無ければ、経済圏による経済格差も存在しない。ニルヴァーナと合一した全ての人が持つ奪い戦う権利(・・・・・・)は平等(・・・)だ。これぞまさしく、太古の昔から人が求めて已まなかった理想郷なのだ!』


 進化、平等、理想郷。耳障りの言い言葉だらけで反吐が出る。

 その言葉には彼女も反応せざるを得なかった。そんな物、理想郷何ぞ――既に見飽きるほどに見てきたばかりだ。断じてこんな胸糞悪い世界、あの理想郷たちと同列ではない。

 ようやっと調子が出てきたのかと、人ごとのように感じていたのはきっと気のせいではない。鷲宮准は誰に言われるでもなく、この世界のこの惨状に対する反骨心のような物を、叛逆の意思を練り上げていた。

 そうだとも。間違っているから、自分の世界が一番だから、理想郷過ぎて詰まらないから、もう滅んでしまっているから――何より家族ともう一度会いたいから、だから一瞬なびいたとしても他の世界に対して明確に叛逆の意思を持てた。それと同じだ。

 この世界は間違っている。


 そんな鷲宮准を見て引き攣った笑顔を湛えたドクトル・バタフライ――蝶野博爵はUFOキャッチャーのような手を向けて云い放った。お前にさらに燃料を注いでやろうと云わんばかりに。


『そら、見て見ろ。新しい命だ。これがまた成長し、やがては龍へと至る道を突き進むやもしれん……楽しみじゃないか?』

「ふざけんな!」


 淑女の時間は終わりだ。


「こんなものが理想郷であって堪るか!」


 懺悔の時間は終わりだ。


「これなら私が否定してきたあの理想郷たちの方が百倍はマシだ! 」


 慙愧の念を想うのは、今ではない。


「こんなものを、私たちの未来だなんて言わせない!」


 云うべき言葉が出来た。

 叩きつけてやるべき言葉が出来た。

 どこに伝えればいい? ――きっと彼なら知っている。

 さぁ伝えてやろう


「誰だ、こんな胸糞悪い世界を作り出した輩は!」


 誰だ、こんな胸糞悪い世界を作り出した輩は


 何が面白いのか、ドクトル・バタフライ――蝶野博爵は機械となった両腕で拍手した。耳障りな金属音の二重奏があたりに木霊すると、初めて出会った時と同じ、あの全身を包帯でグルグル巻きにしたその下に潜んでいた猟奇的な笑顔を湛え、それならばと指さした。

 方角にして南南西。その先に、影のような物が見えた。とても、とても巨大な。ドクトル・バタフライ程度では到底敵いそうにないほどに巨大な。

 今まで何故見えなかったのか不思議なくらいに、これだけ離れていてなお巨大な影が暗雲から透けて見えていた。それが、この世界を生み出した元凶であると、ドクトル・バタフライは云う。


『知りたいならばあそこに征け。あそこに征けば全ての答えがある。そう、全てが! マントラとは何か、アヴァターラとは何か、ヴェーダとは、ブラフマンとは何か、ヒトとは、宇宙とは! その全ての答えが!』





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