第2.00話 ~地獄篇~ 上
βルート 大昭25年8月29日 14:49
その日鷲宮准は、あの激動から早二日目の午後、再びの平和と悲しみの相反する両方を噛み締めていた――はずだった。
「またぞろ、一体何なんだ…………また人が沢山犠牲になるなんて、御免被るぞ」
ドクトル・バタフライ――蝶野博爵から頂いたR.I.P. J.W.と蓋の裏に刻印された懐中時計の蓋を握りこむように閉めると、再びあたりを見渡して――しかし彼女の瞳に映ったのは、余りにも惨い荒廃した有り様だけだった。
辺り一面は焼け野原の痕か、はたまた冷えて固まった玄武岩のような有り様となり、街という街の跡形もなく、荒涼とした瓦礫の摩天楼が広がっている。
大暴動でも起きたのか、はたまた大災害でも起きたのか、無かったことにされた三か月からこの三か月前に帰還して二日目だというのに、余りにも展開が急すぎるのではないかと、鷲宮准が呆れかえりそうになったのは無理からぬことだろう。
まだあれから――――親しくした尽くを殺し尽くして得た未来のその実感すらないというのに、また未来を守るために戦うだなど本来ならば御免被りたい処だった。
己は物語の正義の味方でも無ければインターネット小説の主人公でもないのだぞと、彼女は催す頭痛に思わずこめかみのあたりを抑えた。
常人ならば精神崩壊か、若しくは昏睡状態となっていても可笑しくはない精神的動揺を受け続けて尚平常を保てているというその異常性は、順当に痛みに鈍くなってきていることを如実に物語っていたが、それでも彼女はまだ、人間であり続けようとした。
鷲宮准の目の前をザルヴァートルフレームに酷似したロボット――当然鷲宮准がそのロボットの規格名なんぞ知るはずもないのだが――が墜落していくのが見えたのはその時だった。
「一体、何だっていうんだよ――この胸糞悪い世界は……」
□
事の発端は鷲宮准の義手の調整の為だった。三か月間戦い続け、その末にその激動の三か月は無かったことにされ、御鏡弥生の望んだ未来へ続く改竄された過去へと帰り着いた。
三か月の時差ボケ、無かったことにされたとはいえ戦闘の技術は骨身に染みて、悪夢染みた壮絶な別れや凄絶な嘆きも、夢に見るほどに――それこそ毎晩うなされるくらいには脳裏にこびり付いている。
そして最初の世界で譲り受けた大事な物も、何故か手元に残っていた。
念のためにと、御鏡弥生が執拗に推すものだから、左腕が義手になっていると家族に知られたくないから、そんな後付けの理由に納得した振りをして義手の発注元である道上総合福祉技術研究所にやってきていた。
義手の取り外しの邪魔になるからと、道上総技研を訪れる時、鷲宮准はなるたけ米軍の勤務服を模したアウターシャツの下にタンクトップのみを着ることにしている。
ちなみに今月で既に十回目に上る整備と調整である。いい加減そろそろ完成しないものかと思っているのは余談だ。
正午から小休止を何度か挟みながら続けられた義手の点検は鷲宮准をして慣れたもので、義手の扱いの向上などを所員に見せていくのは何だかんだでいつもの光景であった。
最終的に午後の14時になるころ、最初の世界においてある人の最期を看取り、ある人が最後に誰かに使って欲しいからと作り上げた当代不吉の魔銃――大山型量子加速式熱相転移火線砲の解析に入った。
徹底的な分解組み立ての他、超音波やX線などを使った構造材の解析、エネルギー収束方の解明を目的として行われたが、その結果は誰にも分かり切った結果であった。
異なる歴史、異なる惑星配列、異なる人類文明、異なる超自然現象が支配する前人未到の異世界――あり得たかもしれない歴史にあった全てが叩き出す数値は、その歴史が否定されたのだから当然存在しないという結果のみとなる。
この世には存在しない鋼材、この世為らざる原理で作動する機構部――それその物が反物質で出来ている反物質砲だと、訳知り顔の説明好きな研究者が説明しだしたら信じられるくらい、あり得ないというただそれだけの事実しか残さなかった。
存在その物があってはいけない、存在そのものが存在してはいけない、これはそんな代物。この世界のおもちゃ箱と云っていい。
一時的に流れ着いていたあの時ならば、バグのようなことが世界規模で起こっていたあの時ならばその存在も許された。流れ着いたうちの一つだから、世界が目こぼしをしてくれた。しかし――
なぜ終わったはずなのに、これは未だ手元に残り続けている? 最早不要となったはずで、他の物品同様、奇麗さっぱり跡形もなく消え去らねばならないはずなのに――
それとも、未だにあの脅威は去っていないということなのか…………
真実はまるで見えない。いや、真実というのがある人から見たある側面を拡大した鏡に過ぎないのだということなど百も億も承知だが。
「どうやら鷲宮さんしか使えないみたいですね」
エネルギーの収束も行われず、只カチャカチャと弾倉が空転するのみ。最早そこに機構的意義など見出されず、よくできたモデルガンだと云われれば警察ですら騙せそうなほどだ。
SFに出てきそうな、それでいて焼き入れによる本物特有の黒光り。バレルの先端から覗く線条の先に見える深淵は飲み込まれそうなほどで、かと云えばシリンダー内部の発光体は明滅を続けている。
鮮やかなまでの翡翠の光が漏れ出て意味するところを鷲宮准は知っている。幾度となくその光に助けられてきたがゆえに、その光の明滅が未だこの銃が生きていることを知っている。
光線を武器とし、機械と化した人間を抹殺するために――友と再び出会うために万難を排する武器として拵えられ、彼女だけを認め彼女に譲り渡され彼女と三か月を共にした機械化人殺しのただ一つ。宇宙を駆ける戦士の銃。
これが存在するということは即ち、彼女の役割は、破壊者としての彼女が未だ求められているということに他ならない。
流れ着いてはならない流れ者を排除するゴミ掃除役。
蘇られては正常な運航に支障が生じるからと任された免疫抗体。
どんな風に表現しても良いが、彼女はそうしてこの三か月の間に述べ1000億人に渡る人間を、いや世界を破壊して回った。
彼女を認めた世界も、彼女が認められなかった世界も、彼女を認めるどころもない世界も―― 十把一絡げに全てをなかったことにした。己の世界を無かったことにされたくないがために他の世界を無かったことにする人類史上最悪の等価交換。
幸せを得る為には、他の何かを犠牲にしなければならないのか――その問いに彼女は反駁の余地なく間髪入れずに答えられる自信があった。
正義なんてものにも、悪なんてものにも額面以上の価値などないのだ。仮に悪だと弾劾されようと、仮に義の者だと鼓舞されようと、どちらであろうと変わらない。代償もなく、何も支払わずに結果を得ることなど不可能なのだ。
だから分からない。だからどうしようもない。諦めているでもなんでもなく、どうという風にでも答えてはならないことだから、その時になって見なければ答えられないから分からない。
極論として、現実的な答えを述べるとするならばそんな物あり得ない。
そう一蹴することも出来るだろう。しかし彼女にはそのどちらも選ぶことなどできはしない。理想論だと笑われたとしても、それを目指した人々がいたことは他ならない事実だった。
だから彼女は記憶し続ける。あの三か月の出来事を。常人の百倍は激動に塗れていた三か月を。
沈痛極まる面持ちでコスモキャバリーを見つめる鷲宮准に只ならぬものを感じた研究員が場の空気を入れ替えるために、ではもちろんないが、解析の為に分解しようと持ち掛けたのは最早必然だっただろう。
それを鷲宮准が静止した。
徐に左腕を取り外してコスモキャバリーと共に差し出す姿は彼女の固まり切った決意を如実に物語っていて――道上総技研のいち研究員に過ぎない彼女を、いや、居合わせたすべての人間が気圧された。
いったい十五そこらの少女が、いったいどのような経験を積めば、このような熟練者のそれに近い瞳を湛えられようものか。いったいどのような経験を、彼らの知らぬ間に積んできたというのだろうか。あまりに多くの別れを経験した老兵の様な、到底安穏とはしていない剣呑とした経験を積めるものか。若しかすれば、積まざるを得なかったのかもしれないが――――。
そうして提案されたこととはすなわち義腕に構造材として縫い込むという悲傷な瞳で訴えかけるがごとき狂気。
それを提案と称してしまえばこの物語は語弊しかなくなってしまう。より正しくそれを表現するならば四段落前で既に形容した通り、それは決意と言い換えたほうが最も近いはずだ。自分で自分を鞭打ち、自分で自分を許せない――だから忘れたくない。その言葉は提案というよりも脅迫に近く、もはや狂気じみていて彼女の正気が疑われたのは必然だろう。
「私は忘れたくない。世界があれを否定しても、私があれを覚え続ける。仮に往生したら、墓の中にまで持っていくし、あの世があるなら――地獄にも天国にも行けなかったとしてもそれでも私は覚え続ける。生まれ変わったとしても、羽化登仙したとしても。どんなことがあろうとも」
だから、それでもと足掻くことを決めた。
普通の子供なら心神喪失していたとしても誰にも責められる謂れのない経験であり、仮にそうなったとしても、仮に精神崩壊したとしても、仮に夢から覚めなくなったとしても誰も責めないだろう。仮にそれを忘れたとしても、誰も、それこそ当事者であった者たち含めて誰も、彼女のことを責めることはないだろう。
だがそうではない。それでも、私は覚え続けなくてはならないのだ。強迫観念だとは理解している。だが、彼らを私が否定したら、彼らに私の我儘を押し付けた私が忘れて、私の我儘の為に道を明け渡してくれた彼らを私が忘れて、いったい誰が彼らを記憶し続けるのか。いったいどこの誰が、稀代の殺戮者の仕出かした罪を覚えていてくれるのか。
とうに決した結論だ。すでに結末はここに収束した。御鏡弥生が先の見える未来に接続し直した世界ではあるが、それでも元々の世界の地続きで――だから誰にも裁かれることはない。裁かれることはないのなら、罪の意識を抱かなくてもいいのか? 裁かれることがなければ、罪はないのか?
別に彼女とて裁いて貰えるなら裁かれたいだなんてわけでもなく、裁きようもないと重々承知しているから、自分にバツを下した。覚え続け、記憶し続け、自分の我儘を通した代償を、何の代償もなしに未来など得られないからと他の総てを生贄に捧げた大罪人だからこそ記憶し続けることを選んだ。
だから記憶し続ける。自分なんかと蔑むつもりもないが、仮にそう称することが許されたとして、自分よりも生きる価値のあった素晴らしい人々を殺しつくして得たからこそ、仮に誰が忘れようと、最後の一人となろうとも、己の脳味噌が記憶し続けなくてはならないと。
「私のために全力を掛けてくれた人たちとの思い出なんです。私の我儘を叶えるために率先して犠牲になってくれた人たちの形見なんです。なんでこれだけ残ったのかわかりませんけど、これが残ったことにはきっと意味があるはずで――でも家の中で保管しているわけにはいかないんです。それならいっそのこと、いつでも取り出せるように義手に組み込んでもらった方がよっぽど…………」
それは彼女と同じ視野を持つ御鏡弥生にしかわからない決意であった。同じような経験をし、鷲宮准と再会するためだけに吹き溜まりの世界を十年近く彷徨い続けた御鏡弥生にしか鷲宮准の決意の真意を理解することはできない。
そんな無力感しか伴わない漠然とした感覚が容易に理解できてしまうからこそ、道上総技研の研究員たちは二の句を告げることも出来ず、その提案を粛々と受け入れるしか選択肢はなくなっていた。
斯くして鷲宮准発案の元、コスモキャバリーを義手内部に格納することが決定した。構造材の一部をくり抜き、可動節を設けていつでも取り出せるようにする。必要な時に、その力を行使するために。
数時間程度で全ての作業を終えた道上総技研の技術力が高いのか、仮組された状態で鷲宮准の左腕は戻ってきた。
事の起こりは、これが原因だったと云っていい。
また私は間違えたのかと、間違えだらけの自分に嫌気がさすのを自覚しながら、鷲宮准はしかし、その決断を否定することだけはしなかった。
□
場所は見慣れた街並みだった場所だった。彼女たちの育った地元であることは間違いがないはずである。行ったこともない東京や埼玉県ではなく、紛れもない彼女たちの地元であるはずだ。しかし――
「なんだよこれ、第四次世界大戦でも起きたのか?」
この改竄された私たちの世界において、第三次世界大戦と呼ぶにふさわしい軍事干渉はすでに起こっているが故のこのセリフだが、我ながら不自然なセリフだと思う。
そんな風に独り言ちるこの状況自体がすでに異常なのだから、ちょっとした些末な異常など周りの異常事態にかき消されてしまうだろう。
ここは滅んでいる。正確に言えば、滅んでいるというよりも現在も戦争継続中だということくらいか。詰まる所、傍から見れば滅んでいるが当事者側から見れば滅びきってはいない、ということとなる。日本語とは難しいものだと鷲宮准は頭を抱えた。
そんな鷲宮准は迷うことなく左腕に格納されているコスモキャバリーを引き抜いて臨戦態勢に移った。どのような魔法を使えば腕よりも幅のある物体を腕の体積に収められるのかは甚だ不思議なところであったが、今はそれに突っ込んでいる時ではない。
空は真っ赤に染まり、暗雲は堆積した雪のごとく。それがもはや雲の向こうの日差しを透かしていないということを如実に物語っていたが、しかし戦火が、爆炎があふれているこの戦場において、そんな問題も些末なものであった。光源は十分に確保されているとは言い切れないが、進むことはできる。何なら光源程度、普段から持ち歩くポーチに確保されている。
ちょっと足場と治安の悪いキャンプ場、その程度だと自分を誤魔化すことで受け入れてはならない異常事態に対する抵抗感を自ら削いだ。その精神的作業は最早手慣れたもので、彼女にとってこの作業すらある種日常的に行われていたことだったのだと、仮に彼女を見ている人間がいたならばそう評していたかもしれない。
しかし彼女が武器を片手に警戒しながら街を歩いている中でさえも、崩壊したこの街はあまりに奇異なものに映った。
比較的整備されていたはずの都心部エリアだが、何か巨大な物体でも衝突したのかマンションや県中心部に見える30階建てのオフィスビルすら見る影はなく、地下鉄へ続く出入口は地盤ごと10メートル以上隆起して跡形もない。
上下水管と思しき千切れたパイプから流れる水は濁り切っていることは、汚水のほかに土や細菌が蔓延っている可能性が高いことがうかがえる。顔を洗うのにも使いたくないと思う以前に目の前の惨状に口をつぐむほかになかった。
一体の、全高にして約8メートル、分かりやすく言うならば三階建てのマンション程度で、肩幅のみで言えば全幅6mのずんぐりむっくりした体型のロボット――彼女の知る由もないが、その姿形は御鏡弥生が観測者として旅した吹き溜まりの世界に存在していたザルヴァートル・フレームに酷似しているのだが――が倒れていた。
腕や足は太く、関節部は細い。頭はセンサーが露出しないように風防が張られている一つ目の異形。
鉄の塊を切り出して溶接痕が残らないように丁寧に溶接して均したかのように接合部らしき部分は見えないが、だが銃弾――と云うよりは弾痕の直径的に10㎝弱あるため砲弾と云った方がいいかもしれない大きさだが、弾痕や擦過痕らしきものの浮かんでいる表面装甲は少なくとも新品の状態は保たれていないと云えば聞こえはいいが、もっと正確に状態に忠実に表現を改めるならば無整備状態と云った方がより正確かもしれない。
無整備状態で動き続けていたと思しきザルヴァートル・フレームに酷似したシルエットのロボット、そのロボットに各所隠すように施されている配線はどれもこれも破損して破裂していた。けれどそれが問題なのではない。破損など機械ならばよくあることだ。彼女が目を背けたくなったのは、その色に他ならなかった。
主に油圧シリンダーや各部の過冷却を防ぐために施されているパイプ、動力を伝えるガス圧を利用するパイプなど、様々なパイプが露出し破損したそれらから流れ出ている液体は到底液化ガスなどではなく、その色を端的に表すならば“血の様な紅”という単語がこれ以上になく適切だった。
死体のようだった。そのロボットはまるで、生々しく見慣れるほどに見慣れた人間の躯のようであった。少なくとも私にはそう見えた。
仮にそれが見間違えでなければ、それは間違いようがなく、死体と形容してよかった。少なくとも彼女にはそう見えた。
そしてその認識が強ち的外れでなかったと逆説的に立証されることとなったのは、いったい何の冗談なのだろうか。そしてこのロボットが、街並みを破壊しつくした物の一端を担っているのだろうこともまた、想像に難くなかった。
少なくとも搭乗者は死亡しているだろう。
鷲宮准の三か月の旅路において、ロボットというのは存在した。機械化人を除いても、ある世界ではそういった物が用いられていた。その世界では常識として、自分のロボットの全高を超える高度からの落下を制御しきる術は機械化人側にも人間側にも存在しなかった。
ダンパーやサスペンションの類をどれほど積み込んだところで、戦闘高度からの落下には耐えきれずに自壊する。故に当然の帰結として搭乗者の保護は二の次となって機械化軍も人間側もそれを配備し主戦力として利用していた。
鷲宮准からすれば、それは死んでいるのが普通だった。生きているはずがない。生きていたとして、複雑骨折とむち打ちを同時に患って、その状態が到底戦闘可能な状態とは云えないことも知っていた。
だが――
『や、やめろ――――やめてくれぇ――――』
そのロボットはその状態で、生きていた。いや、搭乗者はその状態で生きていた。瀕死であることには変わりないだろうことと――それは未だ狙われていることが同時に分かった。
ほぼほぼ本能と云っていい無意識領域で危険を察知した瞬間、彼女の行動は早かった。
近づこうとした足を引き下げ倒れ込むように。殆ど無意識下での空間転移の行使は、寸分でも遅れていれば鷲宮准程度の質量ならたったの一瞬で木っ端微塵に出来てしまえただろう。
直後の爆発。
爆炎と爆轟が周辺の空気を揺るがし、それが跡形もなくなるほどの爆発力と衝撃波が街路や瓦礫を吹き飛ばした。
転移直前に鷲宮准が見たものとは非常に単純。戦争映画で同じみな代物であった。
巡航ミサイルよりも口径長の短い、巨大化した迫撃砲弾と形容したほうがいいような尾翼付きの小型ミサイル都合35発がロボットに突き刺さり、鷲宮准が転移した直後に爆発した。発射地点は転移直前の彼女の遥か後方で、転移した彼女からはそれの後ろ姿も、大破炎上するロボットの姿もよく見えていた。
目測300mはあるため爆風殺傷半径からは抜けているが、破片殺傷半径を考えるならばもう300mは遠くに転移したかったところではあるが、それ以上は視力を強化しなければそれを目撃することは叶わなかっただろう。最低限身を守るために瓦礫に身を隠してはいるが、どこまで通用するものかは彼女をして未知であるし、なおかつ移動が非常に億劫だった。
彼女が危険を承知で300m地点に転移したのは、モジュラー式巡航ミサイルの代名詞たるトマホーク巡航ミサイルの通常弾頭を想定したからだが、その話は少し長くなるため割愛しよう。
とにかく300mは爆風で死なないために最低限必須だった。破片殺傷半径的には全くと言っていいほど足りなかったが、それは自分を強化するか何かで自分を保護すれば問題ないと判断したからであり、そしてロボットがロボットを破壊するという彼女にとって見慣れた胸糞悪い光景をこの至近距離で眺める羽目になってしまったのは因果なのだろうか。
やはり戦争中だろうか。しかしどこにも国籍や型式や部隊章やコールサインなどを示すものがない。だけど何よりも気持ち悪いのは――――
共食い。そう形容したほうが適切だろうか。
自分で破壊したロボットからパーツを引きずり出したり、デカい図体にしては繊細に分解したり、吸収している。見ればそのロボットも、破壊されたロボットも、どちらも継ぎ接ぎされたように不自然なパーツが後付けされた形跡がある。
仮にこれが目の前に広がる共食いによる産物だったとして、より胸糞悪い。これを、この光景を共食いと呼ばずしてなんと呼ぶのか、私は適切な語彙を知らない。
ロボット同士による共食い。もっと聞こえの良い云い方をすれば、スクラップアンドビルドと云ったところか。
何かを探している様子のロボットも、自分にとって必要なものが見つからなかったと見えて、妙に人間臭い仕草で肩を竦めてみせるとだみ声の男の声が300mは離れているというのに盗み聞けてしまえた。近寄ったならばどれほどの大音声かなど、考えたくもないと鷲宮准は思った。
『けっ、だらしのねぇ野郎だ――――おい、お前ら! こいつは俺のだ! 他のところ行きやがれ!』
ロボット同士による共食いは、連鎖するものなのだろうか――彼女の真後ろからさらに続けてミサイルやマシンガンの斉射が、先ほどのロボットの死体を漁っていたロボットの総身を襲ったのはその時だった。
因果応報というべきなのだろうか。いやそんな生易しいものでは断じてない。
これは仲間がやられたからやり返すといった、そんな生易しい仲良しごっこでは断じてなく、ただ単純に一体のロボットが不用心にも背中を晒していたから複数人で狙い撃ちにしただけのこと。
仏教的な、やったことがそのまま自分に返ってきたわけでもなく、ただ単純にこのロボットの搭乗者の運が悪かっただけのこと。そこに如何ほどの高尚な理由などなく、やっていることはこのロボットのやっていたことと大差はない。
『この野郎! やりやがったなぁ! 俺の■■はやらねぇぞ!』
ミサイルとマシンガンの弾雨の中からどのようにして生き残ったのかなど鷲宮准には到底理解したくない領域の駆け引きがあったのだろう程度にしかわからなかったが、事実としてロボットは多少なり傷つきながらも弾幕の中を生き残ったようである。
ミサイルとマシンガン、果てにはショットガンの様な物など、あらゆる射撃武器をどこに隠し持っていたのかは不明だが、死体漁りをしていた方のロボットは応戦の姿勢を見せた。
もともと平穏とは程遠い様相を呈していた街並みがあっという間に戦争一色に染まったのは必定だったのだろう。
彼は彼のいうところにおける■■を欲しており、彼を襲ったロボットの一団、都合五体も概ねそれが目的だったのだろう。同じものを欲するもの同士がこの無法地帯で出会えば何が起こるかなど自明のことであり、そうして下らない理由での戦闘は突如として始まりを告げることとなった。
五体はそれぞれに距離を取り決してクロスファイアを起こさないように徹底して彼を取り囲む姿勢を崩さないようにしていた。その上での十字砲火。彼に避けるすべはないと思われたが――
直後、彼は飛び上がるとまず一体、大分痩せぎすなロボットに狙いを付けた。速度は印象の通り彼よりも早いことなど分かり切っていたが、間合いに入り込んでしまえば関係はない。
落下しながらの乱射は兎に角逃げられる場所を絞るために無秩序に放たれたものだったが、しかしスピードが持ち味と云える痩せぎすのロボットにはそれで近づくには十分だった。動きが制限され、どこに逃げようにも逃げ道が悉く潰される。逃げ道が潰されなかったとしてもまぐれ当たりは中々の衝撃を伴いまともに逃げる隙が得られない。
この戦い方には覚えがある。彼らは自分が有利だと思っていたか、鷲宮准にとって未知であったかの違いでしかなく、その戦い方は、飛び込もうが飛び込むまいが自分の土俵に強制的に引きずり込むやり方は堺境のやり方に似ていた。もっともあちらは、種を明かされれば中々のインチキでしかなかったわけだが、こちらはそれを素で行っている。
ほかの仲間に、痩せぎすのロボットを止めようとする動きはない。あわよくば両方とも――そういった意図が見えるかのよう、と云うよりはそのものと云った方がいいか。詰まる所、漁夫の利を狙って双方共倒れかどちらかが倒れるのを待っている。
仲間意識で攻撃を始めたのではなく、誰かが見つけた狩場に丁度時を同じくして数人が居合わせた。そんな感じがする。ゆえに仲間ではなく、一時的に共闘しているでもなく、この場に居合わせたロボットは皆自分の餌だと思っているかのような――そんな胸糞悪い理解に吐き気を催しながら鷲宮准はその一部始終を見続けた。
これは、生存競争だ。強いものが生存を許され、弱いものは淘汰される。そんな単純な、獣の論理。
これは、蟲毒だ。最後の一匹になるまで続けられる生きる霊的毒だ。
鷲宮准はこの状況を見るだけで、これが戦争などではないことを理解した。
これは戦争ではなく、他者から何かを奪ってでも生き続けようと足掻く、まさしく人間そのものと云っていい有様だった。鷲宮准は次いで心の中で独り言ちた。私がやってきたことと変わりはない、と。
結果からして、痩せぎすのロボットは場数が足りなかったのか死体漁りをしていたロボットに後れを取り、コクピットと思しき部分をつぶされたことでその活動を完全に停止した。
しかし状況が動くのは相変わらずだった。
死体漁りをしていた彼の足元からステップアップドリルと思しき何かが生えてきて、スラスターやら口径何センチかなど測りたくもないファンのついた足を貫いて胴体までを射抜いたのだ。
片腕がドリルに、片腕には三本指の、平時ならば廃材を掴むのに使われる工事用重機の先端パーツのようなものがのぞいている。こちらも相当に痩せぎすな体躯をしていることから、こちらも素早く移動することに長けているのだろう。
詰まる所、この場に居合わせたロボットは、すでに息絶えたロボット三体を合わせて八体いたということになる。
混沌とした場を制する者はなく、とりあえず、お互いに距離を取るでもなく三体のロボットの死体にそれぞれが群がると、先ほどの死体漁りをしていたロボットと同じように死体漁りを始めていた。お互いに最低限の利益を共有しようだなんて打算ではなく、ただ単純に目当てのものを早い者勝ちで手に入れたかったのだろうことがよくわかる。
お互いを押しのけ、お互いが手にしたものを奪い合い、殺し合う。
あまりにも異常。あまりにも無常。あまりにも無慙。あまりにも無愧。
どのように表現しようにもこれ以上にない地獄と云えた。マルクスが云うような自然状態に近く、これこそ社会契約の崩壊した人間の生末かと薄ら寒いものを覚える。
やがてその場に動くものは一つとしてなくなった。
最終的に双方共倒れに終わり、最後の一体が瀕死ながらもその場から逃げようともがいているが、やがて動きが止まった。
この時点で既に鷲宮准は直感していた。あれは人間なのではないかと。
いや、実際問題ロボットを遅延なく動かすならばと言うことであれば中に乗り込んでいなければあり得ないが、鷲宮准が直感したのはそういった部分ではない。
あれ自体が何らかの意思を持っているのではないかという――詰まる所、意思を持つ機械なのではないかと云うこと。そういった存在との対峙は、慣れたものであるし、その証拠に、コスモキャバリーの照星部分が赤く明滅していた。
どのみち近づいて見なければわからない。鷲宮准とコスモキャバリーのをもってしてもその存在がどういった存在であるかくらいしかわからない。この惨状はどうしたことか。わかる存在――それも敵対的でない存在を見つけなければならない。
私をあのロボットのところに転移させろ――
命令は単純である。超能力の濃度、強さを決定づけるのは非常に両極端なものである。
例えば何かを起こすにあたって縛りが緩いこと。これが一番わかりやすいだろうか。
縛りが緩ければ緩いほど能力を使用できる状態、環境的要因に作用されることが無くなりやすく、それと同時に加害半径が広がりやすい傾向にある。突発的に発露した者に多く、覚醒直後は不安定になりやすい。
縛りがキツければきつい程能力を使用できる状態、環境的要因に作用されやすくなり、それと同時に加害半径は人によって異なる。修行者や求道者などに多く、前者さえクリアできれば扱える暴力の桁は前述よりも大きくなりやすい。
鷲宮准と御鏡弥生の能力は前提としてそもそも能力の同時使用は抜け道を使う以外、原則不可能である。半永続型と単発型の能力であれば同時使用は可能であるが、同一型の能力の同時使用は不可能である。
縛りはこの程度であり、鷲宮准は御鏡弥生と同一の起源から分岐したネガポジション的存在である。そのために鷲宮准ならば本人の想像力の追いつく限りにおいて最大効果を発揮する状態で超能力を行使でき、御鏡弥生ならば相手からの不承了承の如何に関わらずに能力を簒奪し使役する能力となった。
両者の起源である既に永続的に使用不能となった死刑執行人の断頭鎌に至っては、人類に対するネガファクターである証拠として、殺せるものであれば惑星すら殺せる。惑星に生きる全人類を狙って死滅させられる。認識さえできているならば代謝行動をとるこの世のすべての生物を殺せる。
対抗するために変質した才能再定義の贋作王のみ後者に属し、死刑執行人の断頭鎌の発動時に最大効果を発揮する。特定能力の発動を阻止する若しくは相殺することが能力であるために、その効果は絶大である。本人の処理能力が追い付く限りにおいては、という但し書きのつく諸刃の剣でもあるが。
故に単純で良い。命令は単純で良い。こうした能力を使いたい、その願望や骨子があれば後は自動的に発動し、本来王位を戴けない能力であろうと最大出力で発揮される。
英語圏の人間みたいな言い方だが、鷲宮准はそう、ただ想像力を働かせればいい。実現不可能かどうかは能力が、無意識領域が判断する。
単純な能力であるがゆえに縛りや目的が単純なほどに扱いやすい。
考えた直後には転移を終えていた。目の前には先ほどまで争い合っていたロボットたちが残り、周囲30㎞圏内に他の乱入者の姿はない。
今を除いて、彼らの正体を探る機会はない。
コクピットと思しき部分は同一規格ではなく、ロボットそれぞれがそれぞれのコクピットを有していた。
真っ白い卵型形状の掴み処のないもの、たまに市街地を走っているMM号みたいな鏡面の物、金属板を複数層重ねて複数枚を一度に折りたたむような構造のもの、ロボットの股間部分に射出可能状態となったロケットと一体化したもの、肘から先がロケットになって飛び出す仕組みになっている有人ロケットパンチ――
頭が悪いのではないかと思わず彼女が頭を抱えるような物ばかりの中で、比較的ましな有り様と云える、隔壁を何枚か重ねるようにしているロボットのコクピットを開けようとしたのはもはや言うまでもないだろう。
加えて、彼女が最初に見つけた死体漁りをしていたロボットがそれだったのは何の因果なのだろうか。
選定が秒速で終わったのはそこまでで、コクピット周りの隔壁を開けるのにはかなりの時間を要した。無論鷲宮准の筋力の問題ではなく、ほかのロボットにも共通した特徴故の物だ。
通常コクピットや隔壁を外部から開けるための弁やハンドルなどが通常は戦闘機や戦車、戦闘艦にすら付いているものだが、横たわっているロボットたちには共通してそれらの弁やハンドルの類が搭載されていなかった。
ここに存在する八体がロボットたちの総てだというはずはないだろうが、この姿形も様々な八体すべてに共通しているのはパーツの類がすべて剝ぎ取って後から付け足したように継ぎ接ぎされていることと、装甲の損傷具合を見るに長い間無整備状態にあること、そしてコクピットを開けることを度外視されているのか非常用の弁やラッチやハンドルの類が存在しないことだ。
ここに存在するすべての、規格などが統一されていないロボット全てにこれらの点のみが共通していることを鑑みるに、これらのロボットには生存率を度外視されているか、そもそもコクピットの開閉が度外視されているとしか考えられなかった。
勿論鷲宮准は戦闘に関しては一家言あるが、こういった物に関しては専門外だ。しかし共通点を纏める限りにおいて、その結論しかないように思われた。
ではなぜ、これほどまでに彼女がコクピットを開けることに執着しているかと云えば、人命尊重やら人命救助の考え方を振りかざしてのことではないとだけ断言出来た。
ではなぜか。それは彼女の胸中で嫌なほどに、染みつくほどによく覚えているヒリつく感覚の正体を見極めるためだ。
これは果たして人間なのか、機械なのか。
有機体なら命を助けることを条件に情報提供を促し、必要な情報を得られ次第に殺す。自分の身が一番だ。
機械ならば命を助けることを条件に情報提供を促し、必要な情報を得られ次第に壊す。自分の身が一番だ。
夏休みを飛び越えた三か月の間に鷲宮准は大分擦り切れていた。正義は大事だろう。だがその正義をなすためには自分の身を守らなければならないことをよく理解した。そのために何かを犠牲にしなければならないことも。
思わず左腕を抱き寄せたのは儘ならない現実への苛立ちではないと否定したい気分で在った。
20分ほどを費やしてもコクピットを開けるための装置の類は見つからなかったことから最終手段に出ることにした。
その最終手段とは、身体能力強化を施したうえでの力技などではなく、コスモキャバリーからエネルギーを漏出させて熱で溶断する――平たく言えば溶接の逆をやろうと云うのだ。ブリーチングなどでよく見かけるあれだ。
行動は早く、コスモキャバリーに内蔵されているエネルギーをゆっくりと漏出、発砲してしまわないようにゆっくりとトリガーに力をかけて、固定。後はそれをその場にあった石で描いた線に合わせて少しずつ動かして切り壊す。中に乗り込んでいる人間を殺さないように丁寧に。
そうして丁寧に切開した先に見えたものは――
「…………!!」
思わず息を飲んだのはコクピット内の惨状に吐き気を催したからだけではない。それが見知った顔に似ていたからだ。
学会員――遡ること夏休み中盤、鷲宮茜という他ならぬ鷲宮准の妹を殺そうとした不逞の輩にして、改心したのちは超能力に理解のある担任教師。
対超能力者特化型音響兵器・七つの福音書外典と6インチダン・ウェッソンリボルバーを手にしていた姿が未だ印象に残る山南修に、それは嫌なほどに酷似していた。
身じろぎをしていると云うことは、未だ生きていると云うことだろうか――虫の息と云えばそうだが、先ほどまで如何にして情報を得たのち殺すかを考えていたのと同じ脳味噌とは思えないほど、その胸中は弛緩していた。
気が変わった。顔見知りに死なれたら寝覚めが悪い。
この上なく理不尽で自己中心的な言葉だが、彼が己の知る山南修であればきっと力になってくれるはずだと、そんな根拠のない自信があったことも事実だった。
『オ、お前ハ………………善の悪龍の――――』
「先生、今助けます!」
『や、ヤめろォ――――私を、こコから出スナぁ!』
「こんな所にいたら死んじゃいます! もっとましな場所で………………っ! 何ですか、それ……」
息を飲んだのは二度目だ。しかし二度目のこれには、明確に恐れの色が浮かんでいた。
彼女が仮称山南修に対してこの一瞬の間に行ったことは非常に単純なことだった。身体能力強化と、もう一つ別系統の身体能力強化で仮称山南修の体を無理やり引き上げたのだ。
元々大の男を抱えるのに鷲宮准本人の腕力は大して上がっていない。堺境と楽しく命懸けで太極拳の指導を受けてはいるが、純粋な腕力のみで云えば春休みの頃と大差はない。
そこで鷲宮准が用意した能力は、身体能力強化と一定時間時間差で身体能力を強化する超能力である。
片方は半永続、片方は単発でしばらく効力のある能力であり、重ね掛けすることで単純な足し算として鷲宮准本人に適用されたことで、推定でプロレスラー三人分の腕力を手にした鷲宮准は、違和感を覚えることなく彼を引きずり出した。
問題は引きずり出した後だった。
血のような粘着質な液体が手から肘へと伝っていくのが感じられる。
水揚げされた魚のごとき水音がコクピット内に木霊する音も聞こえる。
その情景をたった一言で表すならば、あの春休みのような朱の深淵が広がっていたとしか形容できなかった。




