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第1.00話 ~玉鬘篇~ 上

 二章からはやむ落ちも掲載していきます。


 麻のブレザーにスラックス、白いワイシャツと黒字に赤い線の入ったネクタイを巻き、Bolleのスポーツグラスをかけてその上さらにガスマスクを付けた男が闇から浮かび上がるようにしてスポットライトの下に現れた。

 両手には黒い礼装用の手袋を嵌め、その手でスポットライトの下、ティーテーブルのような高い脚の机に置かれた物を平手で指して語り始める。不思議とその姿は、その場には似つかわしく見えた。


「え~、物の価値と云うのは人それぞれです。例えばこの眼鏡、私が初めて親と共に眼鏡屋で購入した最初の眼鏡です。今の眼鏡はもう五代目です。これは私が成人してから初めて自分のお金で購入したスマートフォンです。一番安いプランでSIMを購入したのを覚えています。これは私が三十数万円をかけて自作した自作パソコンの一号機です。これはコルトSAAのモデルガン、私がモデルガンの収集に手を出すようになったきっかけです。これはレーション柄のクッションです。抱いて寝ると中々モコモコで寝やすいんです。そしてこちらはコンデジと三脚です。私が動画投稿にお熱を出していた時の、え~有体に云って遺産です」


 高級なレストランで見かけるような、丸皿を覆う物から現れたのは種々雑多な如何にもなガラクタの山であった。

 少し弦とフレームの歪んだ眼鏡、壊れてボロボロになった中国製のスマートフォン、埃だらけで見る影もない大型のパソコン、リボルバータイプのモデルガン、見た目が軍用糧食(レーションパック)に酷似したクッション、コンパクトデジタルカメラと三脚、レプリカの米軍の勤務服――

 これではゴミの即売会ではないか、そう思いかけたところにしかしと男は付け加える。

 熱が入っていた。不審な見た目の男が饒舌に語る語り口は真に迫る物があって、目を離せなかった。


「他人から見ればこんなボロボロの物は皆一様にガラクタに映るでしょう。しかしどれも私が成人してから自分のお金で蒐集した記念すべき品たちで、結局宝物なんて云う物は当人にしてみれば大事な物でも、他人から見ればどうでも良いモノだったりするわけです」


 暗に、宝なんてそんな物だ、そう喝破しているような印象さえ受けた。他人が決めた価値に踊らされる必要はない。

 百万の物を百万で購入したからと云ってそれが本当に百万の値打ちがあるかなど他人には得てして分からない物だ。物の価値とは宗教と同じで、自分がそれで救われてさえいればそれ以上の価値を得たりするものなのだ。


「今やガラクタとなり果てたものでも、大事な思い出が詰まった品で――え~、究極的に、物の価値とはそう云う物です。是非とも今宵一度、あなたの身の回りを振り返ってみてください。きっと大事なものが見えてくるはずです」


 他人が物の価値を決めるのではなく、最終的に、究極的に、あらゆる物の価値は自分の持つ物差しによって決められる。短かろうと長かろうと関係なく、人生において起こり得るあらゆる物事はその物差しが決めるのだ。

 嫌なことがあったかもしれない。楽しいことがあったかもしれない。悲しいことがあったかもしれない。嬉しい時があったかもしれない。憤るときがあったかもしれない。

 人生とはそういう物なのだ。長い人生、振り返ってみて良い人生だったと思うか、悪い人生だったと思うかは本人次第で、他人は結局関係ない。どれだけ価値があったのかを決めるのは、自分自身の物差しでしか計れないのだから。


 ところで――


 この夢の終わりを告げるように、胡散臭く笑った(・・・)男は話を変える合図をした。


「え~ところで、偽物と云えば――」


 夢は其処で終わった。




□大昭25年 7月25日 PM12:00




 三人の男がいた。片方は作務衣の上に羽織を羽織っており、白髪と白髭の目立つ60~70代くらいにしては背筋のピンと伸びた男だ。

 両手や作務衣の裾には土いじりをしたためか爪の間や手の細かな傷などに陶芸で使われる1kg数万円もする土が大胆にこびり付いて乾き切っている。何某か作り終わって数時間は余裕で経過しているのだろう、窯の内部で炭の燃える音が母屋にまで届いている。

 百人に聞いたら百人が老練な職人だと答えそうな貫禄のあるこの老人こそこの家で陶芸に励むその道の大家、藤堂(とうどう)久右衛門(ひさうえもん)その人だ。

 滅多に作品を売らず、その上彼曰くの駄作であろうと完成度が高すぎる故に一皿につき何百万もの大金が動くような、そのたぐいの職人だ。実際この母屋にも所狭しと秀作駄作の数々が陳列されていてこれを全て売れば20年は遊び暮らすことができるだろう。


 そんな久右衛門老人の目の前に立つ彼らは、借金取りでもなければその道の仲間でもない。

 彼らは要するに、古美術商だ。

 片や美術館を経営する若き経営者、片や若い身空ながら数々の珍品名品を見出し自身でも焼き物を嗜む若き陶芸家であり古美術商。

 美術館を経営する男の名は寒水(ひやみず)洋二(ようじ)。陶芸家は仙峰堂(せんぽうどう)久彦(ひさひこ)

 この二人が久右衛門老人の家兼工房兼焼き場を訪ねた理由とは端的に、この老人に呼ばれたからに他ならない。老人の土塗れの手には今朝の朝刊が握られていて、その眼光の鋭さは今にも彼らを縊り殺してしまえるほどの濃度となって放たれている。

 嘘などついたところですぐさま看破される。そんな理解をこの二人は持っていた。この老人は全てを理解しての上で彼らを呼んだのだ。


「お前たち、よくもまぁ記者連中の目の前でこんな大それたことを云えたものだ」

「何のことでしょうかな。とんと身に覚えのないもので」


 人好きのする笑顔で老人に答えたのは仙峰堂久彦だった。

 身に覚えがないなど嘘だ。言い訳に過ぎない。何故ならその朝刊に載っている人物とは彼、仙峰堂久彦その人に間違いないのだから。

 こんな、その道の人間ですら眼光だけでどうにかできそうな老人の視線と相対しても一切臆さずに誤魔化そうと出来る者などそうはいない。寒水洋二は感嘆するような思いでそのやり取りを見守っていた。

 普段なら尊大な態度を崩さない彼が唯一頭があげられない老人を前にしてのこの態度、到底できるものではない。


「身に覚えがないか。ならこれを読め!」

「――今日の朝刊ですね。……仙峰堂久彦と寒水洋二のタッグが文禄の壺を発見。えぇ、確かに沢山の記者に囲まれましたねぇそれがどうかしましたか? あの場でも申し上げた通り、古物屋をぶらりと覗いたらそれらしい物が安く叩き売りされていたから買い上げて鑑定したまでのことです。なにもおかしなことはないでしょう?」

「うちの美術館が鑑定した。疑うなら鑑定書だって……」


 寒水洋二がすかさず鑑定書を取り出そうとしたのを「いらん」という一言で切って捨てると、彼は自分の横に大きな桐箱を侍らせながら語気も荒く、酔漢の戯言染みた、それでいてしっかりした決意と理性の下にそれを口にした。

 彼らの不正を告発するため、あえて不正に手を染めたのだ。そう、久右衛門老人は全て知っていたのだ。


「よくもいけしゃあしゃあとそんな嘘をつけるものだ……! あれはな、私の作った贋作だよ。本物はこの桐箱の中にある。疑うなら確認するがいい……!」


 桐箱をぞんざいに引っ掴み、寒水洋二に手渡してやるとすぐさま寒水は確認を始めた。

 そんなこと、あってはならないのだ。本物と発表した手前、それが本物とよく似た偽物であったなど、あってはならないのだ。

 しかしそんな物無駄な努力に過ぎない。実際に寒水の前には本物があるのだ。

 釉薬(ゆうやく)の具合、土の質、焼き上がりの具合、ありとあらゆるもの要素が、彼らが本物として提出したものを上回っている。いや、彼らの見た物が下回っているのか。どちらでもよいことだが、素人目では分からないほどの差異ながらそれはまず間違いなく本物だったのだ。この場で重要なのは、それだけなのだ。


 本当に見る目があるなら一目見ればすぐにわかる。目が肥えてさえいればすぐにわかる。これは本物だ。本物に他ならない。

 朝刊に載っている写真の中の壺は良く出来ている。良く模倣されている真作に最も近い贋作だ。久右衛門老人の腕ならば真作を超える贋作をすら作り得ただろうが、あえてそれ(・・)をしなかったのだとも理解できた。


 これは真作を超えては(・・・・)ならなかった(・・・・・・)からだ。


 ゆえにあえて甘い部分を残した。長い年月を陶芸に注いだその道の人間が、普段ならばこんなミスすら侵さないだろうという細かな造りの甘い部分を、敢えて作った。

 素人目にも、もちろんプロの目にもパッと見では違いが分からないくらいだが、じっくり見る機会があれば少なくともプロには分かるくらいの細かな違い、違和感――それだけ(にせ)て作らなければならなかった。

 この芯の通った枯れ木のような老人が、どれほどの気合と執念で――それこそ呪いの領域に足を踏み入れるかどうかの瀬戸際でこれを作ったのかが寒水には理解できた。ついでそれを見た仙峰堂もまた同様だ。


「古物を集めて売っているような店で見つけた? そりゃそうさ。興信所を使ってお前さんが良く利用している古物屋や骨董屋を調べ上げ、全く同じ(・・・・)文禄の壺の贋作を何個も作って置かせたのだから。態々焼き上がった物を土に埋めて時代を付け、納屋で半年寝かせて埃塗れにしてな。その偽物の壺も、お前がこんなものを発表した時点で各店主にくれてやったわ。口止め料代わりにな」

「――――」

「お前たちが二人揃って何をやっていたかは知っている。私の工房から何個か皿を盗み出して裏市場に流したのも、価値のある名品と素人目には見分けがつかない程度の贋作を入れ替え本物を流していたことも、何もかもだ」


 完全に、どこまでもバレていた。興信所の人間では簡単に探り当てられないくらいの、それこそ正しく深層で行われるような市場で取引したのも。

 時間を掛ければ、それこそ数年単位の時間を使えば興信所の人間でも調査できたということだろうか。どの道この段階まで来てしまえば方法など最早関係はないが、一つ確定的に決まってしまっていることと云えば、彼らの不正が今、この場所で、この芯の通った枯れ木のような老人によって告発されているという、告訴されようとしている、ということだ。


 仙峰堂は内心の動揺を悟られないように、いつもの人好きのする笑顔を崩さなかった。

 笑顔でいるということは武器になると、古美術商をやっているうちに身についた技術の一つだ。本当に価値のある物を値切るのも割り増すのも、笑顔の下でなら誰も嫌とは言わない。格式を気にする昔ながらのヤクザ者ですらも、笑顔で価値を説明してやれば黙って定価で買ったほどだ。

 だからとりあえず、此処は彼の求める答えを述べて結論を先延ばしにしようと、まずはそれを前提にしていた。そのさき(・・・・)も見えていたが、それは最終手段だ。


「で、貴方はこれを(あたし)たちに見せてどうしようというのですか?」

「今すぐに関係者に不正を詫びて、然るべき裁きを受けるんだ。それが私の望むことだ。それ以上は何も望まん」

「――何故あなたはこれを持って他の鑑定士の下に赴かなかったのですか?」

「……云ってやるものかよ。さぁ、答えは?」


 仙峰堂久彦は知っていた。この男には自分以外に陶芸を教えた人間がいないということを。彼が唯一、そして最後の弟子で、久右衛門老人がこの本物の文禄の壺を持ってすぐさま告発しなかった理由とは、即ちそう云うことなのだ。

 だから彼にこの場で認め、謝罪しろと告げている。誰にも告げずにひっそりと告発することは出来ただろうが、それを敢えてせずに、直接彼に伝えたのはそういうことなのだ。

 久右衛門老人は彼が素直に罪を認めれば弁護でもするだろう。ぶっきらぼうながらそんな不器用すぎる部分を併せ持つ、本人曰く『陶芸の悪魔に魂を捧げた』とまで豪語するにはあまりに人間らしかった。

 ただ、そんなもの(・・・・・)に感動するほど仙峰堂久彦も、寒水洋二も出来た人間ではない。そんな態度を見せる寒水洋二に対し、仙峰堂久彦もまた人好きのする笑顔を浮かべて計画を練った。笑顔で演技をして見せた。


「師匠がそのように考えておられたなどつゆ知らず、(あたし)もただ恥じ入るばかりであります。ただ、(あたし)はあまりにも手を汚しすぎてしまいました――考える時間を、身の振り方を考える時間を、下さいませんか……? 明日、いえ今日の20時までには答えを出します」


 年季の入った嘘泣きだ。この界隈で若いと云っても、彼の弱いもそろそろ36歳。40がらみの人間がやるにはあまりにも気持ちの悪いものだが、その気持ち悪さを誰にも気取らせることなく、本当に泣いているのではと錯覚させる演技を久右衛門老人にして見せた。

 騙された。そんな手応えが仙峰堂にはあった。

 師弟愛とか、そんなものを信じるくらいには人間らしすぎる久右衛門老人は、彼に騙されていた。見事なまでに、騙されていた。


「私が懇意にしている弁護士を付けよう。実刑は免れないだろうが、可能な限り減刑されるよう計らう。大きな過ちだが、悔いてくれさえすればそれでいい。よく悩め」


 寒水から桐箱に収められた本物の文禄の壺を仙峰堂が受け取り、それを仙峰堂の手で恭し気に久右衛門老人の手に渡した。


 彼は下げた顔の下で人好きのする笑顔を浮かべていた。




 個人経営の美術館にしては大きな内装の事務室、その隣の記録ファイルなどを保管している保管庫で彼、寒水洋二はどうするのかと仙峰堂に詰め寄っていた。


「どうするんだよ仙峰堂さんよ……! その場の勢いであんな約束しやがって――これで本当に認めちまったらメンツが立たねぇだろうが」


 普段の尊大さなど何処へやら、彼はただ目先の不安要素に苛立っていた。

 そも、認めてしまえば彼と寒水洋二の共犯関係まで立証されてしまう。工房では出されなかっただけで、興信所の人間がまとめただろう売買品リストや顧客情報だってあるだろう。それらが白日の下に晒されれば終わりだ。

 そんなこと、云われなくたって仙峰堂も理解していた。寒水は普段から尊大な態度を崩さない割に小心者で、そして何よりおつむが弱いことも理解している。

 だからこうして時間を稼いだのだ。六時間や八時間程度の時間だが。


「まぁまぁ寒水さん、早々慌てたもんじゃないですよ。まだ約束の時間まで余裕があるんですから、アンタの伝手を使って仕入れて貰う物があるんですよ」

「――またやるのか、あれを」


 ご名答、と言いたげに仙峰堂は引き金を引く動作をして見せた。

 相も変わらず人好きのする笑顔を浮かべて、どの道お前とは一蓮托生なのだから、今更老人一人を殺そうと殺すまいと一緒だろうと説く。

 不正を行うには十分に、お互いに分業ができていた。

 経営をするには十分だがしかし肝心なところで詰めの甘い、ある種おつむの足りていない寒水洋二に対し、仙峰堂には地盤と捨て目の良さが丁度良く合っていた。少なくとも不正や不法を誰に悟られずに実行できる程度には。

 そも、元は寒水洋二が仙峰堂に相談したことがきっかけだったのだ。経営に行き詰り、国宝相当と見込んで仕入れた物も鑑定してみればやたらと寒い(出来の悪く)じぶたれた(品位に欠ける)壺だった。


「アンタだけじゃこの美術館を運営しきれなかった。其処に(あたし)が口を挟んで、お蔭さんで美術館(ここ)は国宝やら世界の銘品・珍品の宝庫になった。偽物とも知らずにね。アンタは経営とその手の世界に伝手がある。(あたし)はその手の世界に伝手がない代わりに頭と権威がある。良い交換条件じゃないですか」

「分かってる! 分かっているともさ…………この前と同じので良いんだな?」

「えぇ、あれは中々音も小さく握り易くって、癖になってしまいましたよ」


 そう冗談めかして笑う仙峰堂の笑みは、内容が内容でなければただの気の良い客のようにしか見えなかっただろう。居酒屋で店員と談笑するような自然さで放たれた笑みはしかしあまりにも邪悪で、寒水洋二はそれに委縮して従うほかなかった。




□大昭25年 7月25日 PM20:30




 それではアンタはここで待ってらっしゃい――人好きのする笑みを浮かべて仙峰堂は着物の内側に仕込んだそれを軽く叩く素振りを見せた。

 一瞬ヒヤリと来たものだが、どの道それを実行する意気地の無い寒水にこのような行為は不可能だ。陶芸家の世界全てを敵に回すこんな反逆など。そんなこと仙峰堂は百も承知で物だけを揃えさせたのだと頭では理解できていた。

 やらなければ詰む。やればやったでばれた瞬間に詰む。薄氷の上で舞曲(ポルカ)を踊るかのごとき暴挙。

 進退儘ならず逮捕されれば人生自体が終わりかねない彼らにもとより選べる選択肢などこれ位な物だと思わねばそもそもこんな策に、常の寒水なら乗らなかったかもしれない。古くからの共犯関係なのも多分に関係しているかもしれないが。

 云いようのない不安感に苛まれる寒水を他所に仙峰堂は相変わらずの人好きのする笑みを浮かべ、藤堂久右衛門の焼き場であり住居でもある建物のインターホンを鳴らしていた。


「先生、覚悟が出来ました。これから寒水さんと共に警察に出頭しようと、先生にご迷惑をかけるわけにはいかないから静かに出頭しよう、と身辺を整理しながらつらつらとそんなことを話し合っていたのですがね、どうしても最後に先生と語らってからでないと、(あたし)の気が済まなくって」


 人好きのする笑顔の中に一抹の悲壮を覗かせて、まるで大本でも読んでいるかのように仙峰堂久彦の口は演技要求通りの台詞を読んでいた。

 騙された――そんな手応えがあった。伏せた顔の下で、人好きのする笑顔を深めた。


 久右衛門老人に師事していたから、この枯れながらも未だに芯の通った老木一本騙すことなど、仙峰堂にとっては簡単だったと云えた。久右衛門老人の、悪魔に魂を売ったにしては余りにも人間らしすぎる側面を誰より熟知していたから。

 仮に本当にこのまま出頭すれば久右衛門老人ならば――老獪な手で彼らをまんまと嵌めて見せた久右衛門老人なら弁護士の一人や二人着けてくれるだろう。飛び切り腕の良い者を。

 しかしそれは寒水洋二にしても仙峰堂久彦にしても本意ではない。本意でないならやることは一つしかない。


 そんなもの(師弟愛とか云う物)に感動するほど、仙峰堂久彦も寒水洋二も出来た人間ではないのだ。


 久右衛門老人が入れと云って完全に開き切った戸から家の内部――飾りっ気のなく貧乏極まりない所帯だが、其処にじぶたれ茶碗だのなんだのと理由を付けて並べたてられた茶碗全て売れば如何程になるものだろうか。


「そうか。決めたのか――自分の行ったことの重大さに漸く気が付いてくれたか」

「えぇ。(あたし)共のせいで師匠の名が穢されるなどあってはならないことです」


 考えるのもバカバカしくなるほどの世に出回ることなく作られては集められていく久右衛門老人の執着や想念の類が注ぎ込まれた国宝に負けず劣らずの名品たち。

 そんな名品たちを飾り立てる何の拵えも無く、寸法を測って切って張り付けたようで無骨な棚が並ぶ場所本来は竈などのあったであろう場所を占領する。

 そんな寂しさと侘しさと風情が奇妙な具合に同居する場所で、久右衛門老人は寂し気に漏らす。

 陶芸を教えたのも仏道における第三の瞳にも似たその神秘眼を開く手伝いをしたのも、後にも先にも彼、仙峰堂久彦以外にいなかった。


 だがふと久右衛門老人は疑問を呈した。いったい彼はなんといったのか?


「ん? どういう意味だ久彦」

(あたし)たちが捕まることで一番被害を受けるのは師匠ですからねぇ。(あたし)たちが捕まれば自然とあの壺が贋作だと云うことが世間に知れ渡ってしまうでしょう。そうなれば師匠、貴方は稀代の贋作者と世間に後ろ指を指されることになる」


 久右衛門老人にはとんと彼、仙峰堂久彦の考えているところのその真意を測りかねていた。

 彼らが捕まることによって世間から糾弾される。なるほどそれは間違いないだろう。世間というのは、とりわけワイドショーを見るような人間と云うのは対極的な正義云々が重要ではなくもっともっと単純な、云ってしまえば善悪二元論的な論調を重要視するものだ。

 そこに至るまでのプロセスや何を為すためにやったことかなどどうでも良く、悪を暴くために悪を為して逆説的かつ大局的に正義を示すなどと云うことを許さない。

 何故なら考えないからだ。そういった物を見る殆どの人間と云うのは。考えるよりも先に善か悪かを図りたがる人間の為に餌を吊るすのがその番組だから、善か悪かの論調になりやすくそれを助長する。

 そうなれば自然、仙峰堂久彦と寒水洋二の悪事を暴くために悪を為すことで逆説的な正義を、大局的な正義を示して見せた藤堂久右衛門老人は間違いなく悪として糾弾されるのだろう。

 だが久右衛門老人にしてみればそんな物どうでも良いことで。何故なら彼は陶芸にしか興味がない。世間からの評価などどうでもいい――だから仙峰堂久彦が何を云っているのかが分からなかった。

 そもそも彼はこんな人好きのする(・・・・・・・・・)気持ち悪い笑顔を(・・・・・・・・)浮かべるような(・・・・・・・)人間だっただろうか?(・・・・・・・・・・)


「何を云っている久彦」

(あたし)らが捕まれば貴方は稀代の盗作者、贋作者としてその名を馳せることになる。しかし師匠、いえ先生はこの国が誇る偉大な陶芸の大家であらせられる。そんな貴方の名を穢したくはない」

「だから出頭しようという話では――」

「えぇですから(あたし)たちはたっぷり八時間以上かけて話し合って決めたんです。師匠、藤堂久右衛門先生――――」


 不穏な余韻に思わず振り向こうとしたのは本能からの危機を感じたからだろう。この男は危ない――本能からの警鐘に従ったそれは間違いではなかったのだろうが、ある意味では間違いであった。彼は着の身着のままその場から逃げれば良かったのだ。

 衣擦れの音が静かな室内に響いたのと隣室でクラッカーのような物を鳴らしたような音の圧が響いたのは、久右衛門老人が振り向いたのと仙峰堂がその一言を発したその瞬間であった。


「――貴方には死んで戴くことにしました」


 その一瞬が久右衛門老人の生死を決定的に分ける一瞬であったが、久右衛門老人は運が悪かった。

 重低音のようなものが吹き抜ける瞬間、時速300m(亜音速)で鉛の塊が吹き抜けて肉を抉り、骨を砕き、走馬灯を見る間もなく久右衛門老人の矮躯を、その身に宿る悪魔ごと穿った。

 銃の全長に対してあまりにも巨大なサプレッサーの目立つ.22LR弾を使用する小型拳銃(コンパクトオート)、その銃身から白煙が(くゆ)っていた。

 雷管に備えられた炸薬が内部の火薬に引火し、爆発的なエネルギーを得た弾体を押し出す。

 圧力はそのまま推進力へ変換。燃焼エネルギーと圧力がサプレッサー内部に取り残され、 .22LR弾がその気配も最小限に直接久右衛門老人の頭を吹き飛ばした。それが立った一瞬ののちに起こった全てだった。

 反動の少なく音の少なく若干威力に乏しい弾薬だが、銃を向けた状態で1m先であれば十分な殺傷能力は維持できる。かつて米国大統領の暗殺にも用いられた弾薬であるのだから、最低限の殺傷能力は持ち合わせている。


 そんな物が久右衛門老人の背後に位置する窓ガラスに(ヒビ)と弾痕を残し突き抜けて林の中へ消えていった。

 弾を回収して使い回す予定もないからどうでも良いが、仙峰堂は近所に家が無くて良かったとホッと胸をなでおろしていた。これで明日の朝まで犯行が露見することはない。

 仮に異音が周囲に聞こえていたとして、じぶたれ物を叩き割る音に聞き慣れた周囲の人間はきっとまたかと思って歯牙にもかけないだろう。それよりも、自分たちの存在が露見することこそ避けねばなるまい。


 死体を動かすようなへまはしない。動かせば工作をしたのだと一瞬でバレる。それは美味しくない。

 同様に、茶器や陶器の類を持ち出すこともしない。売れば金になると知っていて押し込んだとなれば――それもこの、枯れ木の中に化け物のような執念を燃やし続けてきたような老爺の元へとなればそれは即ち多少異常に目利きのできる人間の犯行と割れるだろう。

 だから美味しくない。この家は、物盗りと見せるには非常に、美味しくない家だ。

 そんな家でやれる工作など、たかが知れている。犯行時間を誤魔化すために暖房を掛け、家中を荒らして回り、必要な時間になったらガラスを叩き割って周囲にワザと異常を知らせる。

 その頃には仙峰堂も個展会場で著名人に取り囲まれている頃で、寒水もまたその頃には美術館の中で事の次第が終わるのを待つばかり。

 金を握らせた、いつ消えても誰かに疑問を持たれることもなさそうな気配の薄いホームレスにそれを実行させ、盗難車を爆破して証人を消す。しばらくは賭け事に困らなさそうな、それなりの金額を手にさせて夢を見せたままに。

 人とはこうまで外道に成り下がれるものなのかと感嘆するほかない。その驚嘆すべき精神性は最早常人のそれとも違い、かといって壊れているでもなく――彼はこうして合法非合法、あらゆる手を尽くしてこの世界を渡り歩いてきたのだと、駆け付けた寒水に嫌と云うほどに理解させる。


「おや、遅いお付きですね――始めましょう」


 人好きのする笑み(吐き気を催す笑み)で寒水に冷たく言い放つその語気は至極冷静且つ酷薄な響きを持っている。

 最早引くに引けぬ、進まざるを得ない不撤退の命令を聞いた東部戦線の士官たちが如く、その瞳は誰にも納得がいく筋の通っているはずなのに疑惑ばかりの言い訳を思索しているのだと物語っているかのようで、覚悟を決めたはずなのに歯の根が一瞬カチリと鳴った。


 物の崩れる音、棚をゆっくりと倒し後から滅茶苦茶にぶちまける。物音を立てるのはご法度だ。

 早い所ではすでに床に就いている家庭もあるだろうから、ご迷惑にならないよう出来る限り静かに紳士的にとは仙峰堂の論だがしかし、寒水は慎重にその提案(命令)を実行した。今だけはこの最低最悪で反吐の出そうな現実を盤石な物にするための夢見る機械になるつもりで黙々と。

 こんなこと、こんな偉業にして理性でも行えないような史上最低の反逆を行うには、彼は余りにも凡俗過ぎて、だから自分の内心からくる動揺を悟らせまいと必死で繕って、ボロが出ているのにも気が付かずに繕い続ける哀れを晒し続けて。

 仙峰堂はしかしそんな寒水に目もくれず、本物の文禄の壺を確認し再び桐箱へ。久右衛門老人の持っているであろう不正の証拠となる写真も、全て取り去って懐へと仕舞い込む。

 興信所との契約書に、画像は印刷して郵送後に調査人の手によって破棄されるとある。マスコミの動きを見る限りタレコミがあった様子もなく、各店主も犯罪に関わりたくないからかだんまりを決め込んでいる。


 じぶたれた人間(俗物共)はこれだからと内心で侮蔑するのは、それでも師匠であった藤堂久右衛門老人を想ってのことかは本人をして定かではない。

 もしかすれば、久右衛門老人に敬意を払っていたのかも知れなかった。

 想像力が足りていなかったと云えば想像力が足りていなかっただろう。久右衛門老人には道筋への想像力が足りていなかった。しかし死を想える人間がどれほどいるのか

 例えば今年度の初めに起こった10万人を超える人が一夜にして一斉に自殺を遂げたのだって、あり得ないことではなかったはずだ。世界中でどれほどの人間が日夜戦争や飢餓で死んでいるものか。

 偏に想像力の欠如だった。目に見える形で誰かが居なくならなければ人は喪失という事実と目の前に横たわり延々とこちらを覗き込み引きずり込もうとする“死《淵》”に気が付くことなど出来はしないのだ。

 しかしそんな想像力に欠如した久右衛門老人であったが、その勇気が蛮勇に終わってしまった久右衛門老人であったが、しかし仙峰堂久彦をして改めて敬意を表するに値する傑物であったと一人隠れて偲んだ。下手人がどの口でと、その傲慢さに思わず笑みが濃くなるも久右衛門老人は仙峰堂久彦から見ても勇気のある老人であった。

 自身がどうなるかも顧みずに己自身の手で元弟子を告発しようと手を回し、あと一歩のところまで着ておいてその足を鉄骨から滑り落した。

 久右衛門老人はひっそりと、この二人に悟られぬように告発すべきだった。興信所の人間に有事の際に後を託し、道を繋げさせればよかった。そうすれば今頃彼らは豚箱と称するにも清潔で快適な三食食べられて風呂と適度な運動をさせてくれる、この世で最も甘い公共(刑務所)にその身を移していただろうことなど想像に難くない。


「にしても、良い出来だな……」


 溜息を漏らすように寒水が呟いたのは、暗にここに在る茶器の一つや二つ取って行っても意外とただの物盗りに思われるのではなかろうかと云う楽観が見え隠れしていた。

 元々楽観主義者でもない寒水がここまでになるのもうなづけるほどに、かつて手を届けさせたくとも手の届かなかったそれらが目の前に在るのだから当然だと云えたが、仙峰堂がぴしゃりとそれを止めた。


「その茶器に触れてはいけませんよ。繊維片の一つでもついてしまえば露見しますからねぇ。単純な物盗りに見せるんですから、こんなものを二個も三個も持ち出してはその道に通じているとバレてしまう。それは余りにも、美味しくありませんからねぇ」

「分かっているけども、勿体ないと思わないか? こんなどう売ったって高値で売れる物がごまんと――」

「アンタはこの場の雰囲気に呑まれて、気持ちが悪い方に傾いている。…………国から重要文化財として買い付けが確定してるんです。文禄の壺で我慢しましょ」


 我慢と云うからには当然仙峰堂久彦にも人並みの欲があることを思い知らされるが、しかしそれではまだ多少の気が収まらなかったのも事実で、名残惜しそうに壺やら茶碗棚やらを見やって、そして仙峰堂に続いて作業に戻った。

 一つでも多く、証拠になり得るものを引きずり出し、部屋の中を滅茶苦茶に、音を立てずに。

 古い機械式の柱時計はわざと内部のテンプやガンギ車などの主要な部品を釘抜きで壊しながら引き抜き、文字盤の上をマグロのように踊る針を目的の時間に合わせて止めておく。

 外観は適当に釘抜きで殴りつけて壊し、柱時計の風防から見える内部に適当に抜き去った歯車やらを投げ込んでやれば時間の工作は終わり。それが仙峰堂の計画にない事でも。


 一頻り、やれるだけの工作を行った後に一時的に退却するのも計画のうちだった。

 片方は茶器や陶磁器を買い付ける名目で目撃者造りの為に競りへと。もう片方は美術館の監視カメラに小細工を施しに。

 仙峰堂久彦も、寒水洋二も、その日の夜はまるで小学生の肝試しの時のような奇妙な高揚感と、仕事中や勉強中に感じるあの奇妙な時間の少しずつ伸びていく感覚を同時に味わっていた。




□大昭25年 7月26日 AM10:30




 大量の警察車両と警戒色を想起させる虎柄の現場保全テープが彩る古民家の内外は、まるで群がる蟻やダンゴ虫のような数の警官と私服警察官で犇めいていた。既に作業は負えたのか鑑識の姿は見えない。

 剣呑な空気に触発されたのか周辺の住民や動画配信者の類が野次馬の軍勢となり押し掛けるのは最早必然に等しく、横一列になって押し留める警官の姿も大昔から変わらない光景であった。

 そんな虚しいだけの光景を他所に、塗装の禿げ上がって各所ボロボロになった一台のポルシェ991型911カレラ――所謂高級外車が現場保全テープの手前に停車した。

 野次馬たちが何事かと見つめる先に自然と鎮座する、古民家には到底似つかわしくない高級外車のドアを開き出てきたのは、ワックスも使わず無造作に髪をオールバック撫でつけたスーツ姿の男だった。

 少し額の見えてきた大体三十代中盤、良くて三十代序盤くらいの年の頃で、しかし見た目の厳つさや高級外車から受ける印象とは真逆に、仕立ての良さそうなスーツを着崩している。

 通常なら不快な印象を与えかねない着方だが、不思議なことにこの男にはこのスタイルが一番似合っているのではないだろうかと云うくらい、違和感と云った物が介在する余地なく自然と収まっている。

 到底堅気に見えない風体の男に警官が一瞬肩を強張らせたが、直後にそれが杞憂だったと知ることになる。


「そんな強張らんでも、わしゃ県警刑事部殺人課の暗黒寺(あんこくじ)叡景(えいけい)警部じゃ――通るで」


 制服を着用した警官に警察手帳を見せる手際は、最早この男がこういった態度を取られるのは常の事なのだと暗に理解させるほど手慣れたものがある。

 急いで敬礼した警官をしり目に、暗黒寺警部と名乗った男は勝手に現場保全テープを潜り抜けて両ポケットに手を突っ込み――次の瞬間には手袋をはめて現場に直行していた。

 ふと、制服を着用した警官が違和感を覚えて左腕の袖を捲くってみると、妙に青ざめた皮膚の女の腕が彼の左腕を何の予告もなしに掴んでギリギリと締め上げ、突然のことでありながらも悲鳴すら押し殺し平生を装い続ける警官にまるで興味を失ったかのように、数秒後には消失していた。

 鬱血痕を確認し今さっきのが白昼夢ではないことを悟った警官は思わず後ろを振り向き、見たくも無い物を見てしまった。


 一体で百鬼夜行数千回分とすら形容できる、密度にして数百人分に近い気配の塊――奇しくも女の伴った影が、まるでしな垂れかかるように――いや事実しな垂れかかっているのかもしれないが、暗黒寺警部を名乗った男の背中に纏わり憑くようにして移動していた。

 腰を抜かさなかったのが不幸中の幸いだっただろう。

 憎悪や敵愾心、それらを飲み込むかのような殺意の暴風がまるで天使と見紛うような女の形を手に入れたかのごとき暴挙に――そして先ほど受けた警告の意味を考えるならば、今ここで彼は死んでいても可笑しくなかった。

 暗黒寺警部の身に何も起こっていないことから、そしてあの天使と見紛わんばかりの殺意の塊が何もする様子がないことから、あれは暗黒寺警部だけは襲わないのだと分かれば、彼はあの存在を見なかったこととして勤めて忘れようと努力することにした。

 あれは人の直視して良い代物ではないとだけは、誰に云われずとも理解できたからだ。




 暗黒寺警部はまたかと内心で溜息を尽きながら道を進んでいた。

 ノンキャリアにして初めて二十代中盤で警部補、二年後には警部に昇進していた。仕事ぶりに関しては普通だったと云わざるを得ない。無能と云うわけでもなく普通。有能と無能の中間点。

 “働き者の無能”と云うわけでもなく、“働かなさすぎな有能”と云うわけでもなく、“働きたがりの普通”だと云えた。

 何処まで云っても普通で、取り立てて功績を打ち立てているわけでもなく、とんとん拍子に昇進していた。

 よくあるネット小説のような普通を逸脱した働きぶりを無自覚にしているわけでもなく、彼の働きぶりは本当に普通だった。十人中十人の働きをしているに過ぎず、また彼は警察大学校に通ったわけでもないノンキャリアで――そんな彼が何故キャリア組のように昇進出来るのかと、現場の一部警官から送られる視線の正体に閉口せざるを得ない。

 やがてそれも捜査第一課が担当するはずの殺人のみを専門に扱う殺人課の創設と共に嘲弄へと変わっていったのだが、それはいま語るべきことではない。

 ではなぜ彼がそんな針の(むしろ)のごとき状態に甘んじていられるかと云えば、一つだけ彼には人生を掛けた目標があった。其れさえできれば満足に死ねると云えるくらいの、彼の価値観の根底に結びつくほどに強固な一つだけ、至高の目標が。


 数年前から先代に代わって県全体を掌握するこの県全体のフィクサー、日本裏稼業の深層で活動を続ける大元は暗殺組織の何でも屋。

 表向きは資産家で、裏向きは殺し屋。表向きは普通の女子高生で、裏向きは県全体のフィクサー。

 御鏡家の寵児、御鏡弥生と彼女の縛られている立場(御鏡家)からの解放、即ち彼女を逮捕すること。

 犯罪を立証して裁判にかけ、そして死刑台に送ること。それが彼女の従兄である暗黒寺叡景が人生の目標として掲げる一大事業――御鏡帝国の牙城を崩すという人生最大の目標であり、故に立場を用意されそれに甘んじる様な屈辱的な侮辱行為すら利用し、それに付随するやっかみやら嫉妬やらもそれを受け入れる覚悟をした時点で受け止めている。


 それが、彼が愛する御鏡弥生と云う少女を救える、唯一の手段だからだ。


 しかしそれは今、関係ない。今やるべきは事件の捜査であることを再確認すると、彼は予め鑑識から入手した写真をお供に現場を見分し始めたところに、影が差した。


「やぁ暗黒寺警部、またあのオンボロベンツでご登場ですか? 金持ちは良いですなぁ。ただ遥々駆けつけてくださった手前恐縮ですが今回もただの物盗り(・・・)、それも金目の物がないからと実入りの無い強盗未遂及び殺人のようですので、残念ながら殺人課の出番はなさそうですな」


 下卑た笑みを鉄仮面に隠しきれていない男――蓮見警部は暗に窓際部署は帰れと口にしていた。

 彼にとってはいつものことであるし、何なら引き下がるわけにもいかない。どの道これは強盗殺人。殺人課が出張らなければならないことであるのと同時に、蓮見警部は一つ重要なことを見落としていた。


 例えば、銃弾の射線に対し何故か内側に割られた窓ガラス。

 例えば、バールか何かで破壊された柱時計とその指し示している時間。

 例えば、通っている家政婦曰く数点盗まれた形跡のある焼き物の類。


 意図的な工作であると云わざるを得ず、彼が陣頭指揮を執る捜査第一課の面々を不憫に思ったのは、少なからず持ち合わせる警察官への仲間意識だったのかも知れなかった。


「――ワシが乗っとるのはポルシェじゃけぇ間違えるなや。それと見落としちょる。おどれは何個も見落としちょる。一つに、藤堂久右衛門っちゅう老人はその界隈では名の通った偏屈爺だったそうじゃ。一つ何百万円で売れる様な茶器をじぶたれもんじゃから売らんの一点張り。倉庫とここにかなりの数の茶器があったそうじゃが、通っていた家政婦曰く数点盗まれとるらしい」

「それがどうした。高々茶器の二つや三つ」

「……他にも、銃弾の射線は窓ガラスの方に向けて貫かれとるのに窓ガラスは内側に向けて割れとる。つまり後から犯人が割ったっちゅうことよ。周囲に異変を知らしめるためになぁ。柱時計に関しては、死亡時刻擬装のつもりやったのかもしらんが、まぁ特に意味も無いやろ。信用には値せん」


 回りくどい。

 顔を赤らめて蓮見警部が暗黒寺警部を怒鳴るのをまたかと云った目で捜査第一課の面々が見つめている。こうなったとき、大概蓮見警部は口喧嘩に負けるのである。

 パワハラとモラハラを耐えてその地位に就いたような人だから、仕事自体は出来ても固まっている。色々な部分が。怒鳴りつけて上から抑え込めばどうにかなると思っている典型で――ゆえに部下からも見放されていた。

 その階級に付いた時点で波風の立つような人生を放棄した。安定的に収入が得られるならばそれで良い。

 そんな魂胆だから明らかな計画犯罪であってもただの強盗致死として片付けようとしている。其れならばまだ、暗黒寺の云うことに耳を傾けたほうがましではあった。いけ好かない奴ではあるが。


「犯人は二人おる。片方が殺しと犯罪計画を立案し、片方が武器を手渡しアリバイ作りを手伝った。犯人は骨董や焼き物に目が利く。そうでなければここにある茶器や部屋ん中の骨董品なんぞ精々ぼろい壺や茶碗にしか見えんし、目利きが出来ん奴やったら部屋ん中のパチモン盗んだじゃろうが、狙いすましたかのように藤堂久右衛門本人の焼いた茶器を盗み出しとる。目利きが出来るんよ」

「そ、それは今私が言おうとしていたことだ! 私が言うよりも先に云うな!」

「そうまで云いよんなら、容疑者ももう分かっとんやろなぁ? しゃんしゃん話して貰いましょうかの」

「それよりも先にお前はその似非関西弁をどうにかせや!」

「移っとるで?」


 いい気味だという部下からの薄ら笑いに、蓮見は血走った目を向けることで返事とした。

 全く持って暗黒寺警部本人にも何故この二人が容疑者なのか分からないことであるが、予め用意された大本を読むように自信満々にそう断言してやる。

 頭の良い相棒が居るという優越感に一瞬浸り、これでもかと云うほどに間をためて証拠物件の場所を聞き出す。

 鑑識が現場保全と証拠物件は押収済みであるが、昨日の朝刊はまだ残っていてくれた。

 革靴を脱いで囲炉裏に上がって、そのわきに鎮座する崩された新聞の山から昨日の朝刊を抜き出してその一面を広げる。


「ワシが睨むに、容疑者はこの二人じゃ」


 さてこの出来の良い相棒(幽霊)の推理を盤石な物にするにはどうすればいいだろうか――。

 刑事になってから数年、こういった凶悪事件の推理に知恵を貸して貰っている現状に忸怩たる感情はあるが、何度だって知恵を借りよう。例えそれが己が人生最大の目標である少女の頭脳であろうとも。


 現場見分の意味はあった。非科学的なことに頼り過ぎている気もしないでもないしオカルトの力で捻じ曲げるなどまさしく御鏡弥生とやっていることは同じだが。

 しかしこれで、数か月ぶりに御鏡弥生に会う用事が出来たと、捻くれた男はルンルン気分でポルシェ991型911カレラのクラッチとブレーキを踏みこみ、エンジンをかけた。


 彼が御鏡弥生を逮捕する日はいつ訪れるのか、それは誰にも分からない。





~KoeTやむ落ち 1~


 殺意の化身が女の姿を取ったかのような、そんな見える者には見え、見えない者には見えない存在詰まる所幽霊足る存在である彼女、大原紗耶香は部屋の中をうろついていた。馬鹿同士が口論している所なんぞ見飽きていたし、本物の殺人現場を好きに物色できる機会も早々ない。

 霊媒師も自分を見つけるたびに祓おうとするが、自分が祓われてしまっては肝心なところで頭の足りない暗黒寺叡景がどうやって事件を解決すると云うのか。やりたいことも終えて後は消えるだけだった彼女にとって暗黒寺叡景は憑りつき甲斐のある対象だった。だから手伝ってやりたい。彼の人生の目標とやらを。

 ただそれを認めるのは非常に癪だから助言だけしかしてやらない。今彼が自信満々に宣っているガラス片の落下位置云々も先ほど彼の愛車の中で解説した内容そのままだ。

 別段それが嫌なわけではない。あのいけ好かない仕事が出来ないタイプの中年を仕事がそこそこできるけど肝心なところで詰めの甘いのが逆裁染みたやり取りで云い負かしている所を見るのは非常に楽しい物があるし、彼と一緒にいれば幽霊としての第二の人生がそこそこ充実して楽しいのだから文句などあるはずもない。


 家主ならぬ憑き主が素直じゃないからかそれに感化されているのかもしれないと思うと少し不満があったが、そんなことよりも現場は面白い。

 物には物に込められた想いと云った物が詰まるものだ。そして人と云うのは千差万別の色を持つ。識域とかそう云う物でもなく、感情にその人間独自の波のような色があらわれるのだ。それは宛ら樹齢百年を超える杉の木の年輪と海岸沿いの松の木が持つ年輪が違うのと同じように。

 部屋の中には藤堂久右衛門氏が趣味で集めていたのだろうか、少数ながら骨董品が混ざっている。それも骨董屋で安く売られているような、値付けも出来ないレベルの安物で憑りついている色も違う。

 そうやって人の、生きている人間の持つ質量のある思いに感化されて、物やその人間が思い描く像が形を持つことがある。例えば、今こうして述懐する大原紗耶香本人のように。

 取り分け強く、怨念なんか比にならないほど強力な想念を受けたそれらは100年愛用した道具と同じだと云っても過言ではない。人間では感知できないような存在であっても、彼女ならば事情聴取できる。同じ人間の識域の外の存在だから。


『貴方が藤堂久右衛門さん?』

『――なんだ今日はまた騒がしい。警官どもめ、ワシの許可なく家に上がり込みおって。まぁ許可を得ようにも死人に口なしか』

『…………何があったのか、私に教えて貰えないかしら? 私の彼氏、ああ見えても意外と敏腕なのよ』

『……怨霊に目を付けられるとは、あ奴もなんと最早運の悪い』


 聞けば犯人は正確に藤堂久右衛門氏の茶器を狙ったのだという。安物には目もくれず。それもそのはず、犯人は仙峰堂久彦と寒水洋二の二人なのだから、正確に藤堂久右衛門老人の焼き上げた茶器を狙って奪えた。正確には微妙に違うが、大筋はそれであっている。

 タイミングが良いのか悪いのか、仕事のできない中年男が回りくどいとっとと解決篇に移れと喚いているからそろそろ彼にネタ晴らしをしてやろう。


『藤堂久右衛門さん、ご協力ありがとうございました。早く成仏して頂戴ね?』

『ワシは生粋のクリスチャンだ。最後の審判を受けるつもりはあるが、成仏するつもりはこれっぽっちも無いぞ』


 幽霊と云うのは嘘が付けないのだろう。己が事ながら感情がむき出しになっているのではないかと疑わざるを得ない。

 それは兎も角、まず勿体付けた言い方をさせよう。推理小説のお約束っぽく。


『犯人は二人いるわよ。片方が殺しと殺人計画を立案して、片方が武器を調達してアリバイを作った。犯人は骨董や焼き物の目利きが出来る人で、その証拠に部屋の中にあるただ古いだけのお茶碗とかを盗まずに久右衛門さんの焼いた茶器を盗み出したのよ』

「犯人は二人おる。片方が殺しと犯罪計画を立案し、片方が武器を手渡しアリバイ作りを手伝った。犯人は骨董や焼き物に目が利く。そうでなければここにある茶器や部屋ん中の骨董品なんぞ精々ぼろい壺や茶碗にしか見えんし、目利きが出来ん奴やったら部屋ん中のパチモン盗んだじゃろうが、狙いすましたかのように藤堂久右衛門本人の焼いた茶器を盗み出しとる。目利きが出来るんよ(ナイスじゃ)」


『私が睨むに容疑者はこの二人よ。囲炉裏の横にある新聞の山の上から三段目の一面に移っている二人』

「ワシが睨むに、容疑者はこの二人じゃ」


~~~~~~~~


(いや~毎度すまんのぉ。流石にあの大人数の前で幽霊と話す度胸なんぞなかったもんでのぉ!)

『仕方ない人ね。でもあのお爺さん見かけよりも大分話しやすかったわよ』

(そりゃあええ。今度酒盛りでもしようや。きっと楽しなるでぇ)

『貴方が今一番楽しみにしているのは愛しの愛しの御鏡弥生ちゃんに合法的に会いに行けることでしょ?』

(せや! あいつを逮捕して死刑台にしょっ引いてエエのは世界をひっくり返して探したところでワシしかおらへんのや!)

『はいはい、ツンデレ乙』


 ポルシェ991型911カレラは彼らを載せて御鏡邸へ向かう。


~やむ落ち理由~

 こんなクソしょうも無い落ち本編には載せられない。

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