第6章:神々との対峙ー001ー
刃の切先が、泥で汚れた美女へ迫っていく。
思わず手を翳して顔を背けた流花だった。
絶対絶命の寸前で、上半身だけの真琴が身体を投げ出す。次に来た刃には、身体の形を為していない楓が受け止める。流花を守りたいとする強い執念を伝えていた。
しかし今度こそ万事休すだ。ゾンビも機械人形も残す部位は首となるまで潰された。
「……お願い、流花は助けて。止められなかったあたしたちが悪いの」
「頼む、あるよ。いくらでも謝るから、流花の命だけは助けて欲しいね」
もはや意識も一欠片といった楓と真琴の懇願に、流花は目を潤ませる。だが肝心の相手には届かない。
「ダメだ。オマエたちの憎しみは、いくらでも受け止めよう。けれども黛莉を狙うのだけは許せん。そうだ、そうなのだ。我れにとって、これだけは許すわけにはいかないのだ」
本気の回答に、楓と真琴は絶望しかない。
真紅の円眞は短剣を持つ腕を突き出す。刃の先を、流花へ定める。音もなく伸びれば、切先は目的へ一直線だ。
流花は覚悟を決めて目を閉じた。
瞼を落とした瞬間、流花は身体を持っていかれる感覚がした。目を開けば、白銀の髪が揺れている。
「どういうつもりだ、マテオ」
真紅の円眞の問い質しに、流花を抱きかかえたマテオは説得口調だ。
「待ってくれよ、紅い黎銕円眞。アタマにきていることは、充分にわかるけどさ。というか、ボクこそ流花にアタマにきているのはわかるだろ」
「ならば、どうして助ける。我れは魔女を許す気はない」
「ボクだって、許すつもりないけどさ。でもここで殺したら、後々の問題になるは間違いない。なんてたって、この性格ブスは鬼の次女で、冴闇の名を継ぎ、逢魔街の神々と共に過ごしてきた経歴まで持っている」
だから? と一言で切り捨てる真紅の円眞に、マテオの背中は冷たくなる。ちらり、流花を見てはため息を吐く。見捨てて安全を計るなど出来るはずもない。
「紅い黎銕円眞が噂される通りの人物か、材料を集めてきて欲しいと指示を受けてきたんだ。もしかして我々はとんでもない勘違いをしてきたのかもしれないと、サミュエル兄さんは考え始めている」
「勘違いではない。我れこそ大量虐殺を行なった者だ。今さら消した命が一つ加わったところで問題はない」
ヤバいぞ、とマテオの目は真剣味を帯びた。瞬速移動の能力は空間や時間を飛ばすわけではない。まさしく目にも止まらぬ早さで移動するだけだ。距離も限られている。バケモノじみた真紅の円眞から逃げ切れるなどと思う能天気さはない。
「さっさと流花を捨てなよ、マテオが危ない目へ合う前にさ」
片手で腰を抱いている流花の言い草が、歳を重ねた白銀の少年には気に障る。
「できるなら、そうしたいよ。あーあ、でもせめて命をかけるなら、こんな性格のひでぇー女じゃないほうが良かったなぁ」
なっ、と流花はこんな場面でも怒りで絶句する。もし動きが見えなかったら、確実に文句を言っていただろう。
あっ、と何かに気づいたかのように声を挙げたマテオは顔を輝かす。安堵の要素を多分に浮かべている。ある人物を認めたからであった。
おーい、と場にそぐわぬのんびりした声だ。軽やかにビルの残骸を踏み越えてくる。気を失ったままの黛莉を抱く真紅の円眞の目前へ、大きなジャンプして着地した。
これまで殺気立っていたのが嘘のように真紅の円眞は気安い態度へ変わった。
「ああ、親友か。よくここが判ったな」
それは俺のセリフなんだけどな、と苦笑する緩いスパイラルパーマをかけたイケメンだ。真紅の円眞の腕にある黛莉に、軽い安堵を見せる夬斗であった。
「さっき帰ってきた中に、黛莉がいなくて。特に八重さんが血相を変えてな、行き先に心当たりはないかって」
「親友は、一度ここに来たことがあったな」
「黛莉が神隠しなんて真似をされるとしたら、記憶の改竄まで出来る相手かな、と。場所はなんとなく憶えていたから向かってみれば、案の定なんか凄いことになっているじゃないか」
夬斗は、ちらり目を向けた。白銀の髪をした少年と、汚れたからより美しさが際立つ少女を認めた。
「魔女とはよく言ったもんだな。心構えなしにまともに見たら、卒倒するほどの美女じゃないか」
「その魔女が、黛莉を拐い危害を加えようとした」
真紅の円眞が簡潔な説明から、夬斗は察した。初めてその姿を認めた際に通じる場面であると読み取った。
「わかった。じゃあ意識のない黛莉は、妹の身を重んじる兄に任せて、思い切り怒りをぶつけてきてくれ……黎銕円眞」
夬斗が名前を呼んだ特別性を、真紅の円眞は理解した。ふっと笑みを浮かべて、黛莉を渡しつつ言う。
「親友。我れのことは苗字など付けず、呼び捨てでいいぞ」
「それはお互いさまだろ。そっちこそ呼び捨てていいんだ」
黛莉を受け取った夬斗の返しに、う〜んと唸る真紅の円眞だ。
「言われてみると、なかなか口に出し難いものだな。相手に要求するのは簡単だが。ようやく今になって、我れは時間の必要性を悟ったぞ」
ははは、と夬斗は笑いで応えた。
マテオは、ここぞとばかりに訴える。
「友達も来たことだし、紅い黎銕円眞。ここは見逃してくれないかなー」
返答したのは訊かれた当人ではなく、夬斗だった。黛莉の首筋に残る指の跡を見つめては、いつもの気さくさを失わずだ。
「申し訳ないが、俺と紅いほうの円眞が面と向かうは、まだ二回目なんだ。友達とするには、まだ浅すぎるかもしれない。けれど今、けっこう気が合いそうな気がしているよ。俺も妹へ手をかけたヤツは生かしておく気になれない」
夬斗は黛莉を抱きかかえ直して、真紅の円眞へ向く。
「まぁ、そういうわけだから。本来なら兄が努めを果たすべきなんだろうが、ここはより確実に葬れるほうへ任せたいと思うがいいか、親友」
ああ、任せておけ、と真紅の円眞は胸を叩く仕草を見せてきた。
おぅ、任せた、と夬斗は楽しそうな表情だ。
「なに仲良くやってんの、ふざけないでよ!」
髪を振り乱さんばかりに流花が叫ぶ。「お、おい、やめろよ」とマテオの制止を振り切って喰ってかかっていく。
「そいつが何をしたか、わかってるの。たくさん、そうたくさん殺した。おかげで、どれだけの人が泣いたか、どれだけ泣かせたか。それなのに女の子といい思い出? 友達ができそう? 人並みな経験なんかしてヘラヘラしているなんて、冗談じゃないよ」
へらへらか、なるほど、と妙に納得顔の真紅の円眞である。
較べて夬斗の目は険しくなる。こちらは感情を湧き上がらせているようだ。ただ反駁するにも大人な態度を崩さなかった。
「大事な人が殺されて報復したい気持ちは解るさ。復讐のため周囲の人間を狙うこともあるだろうな。だが俺としては、当人以外を狙うなんて、あまり感心しないぜ。そんな真似をしていたら、キリがない」
「あんたには……あんたなんかに流花たちの苦しみは解らないよ」
「ああ、解らないね。なにせ俺たちが預かり知らない時点のことを持ち出されてもな。だから目の前しか見えない俺としては、身内へ手を出すヤツを許す気になれない。妹が殺されそうになった俺の気持ちを理解できるなんて、あんたなんかに言われたくない」
くっ、と流花は唸るだけだ。それでも何か言おうとした際には、マテオが止めた。勘弁してくれよ、とは心底から泣きが入った口調である。
後は頼むわ、と夬斗が黛莉を抱きかかえたまま後ずさっていく。いざとなったら身を匿えそうな塀の影へ向かっている。
「さすが、我れの親友。解ってるな」
満足そうにうなずいた真紅の円眞が、マテオと流花へ目を向けた瞬間だ。
マテオと流花の姿が消えた。