第5章:罪の夜と約束ー005ー
黛莉の額へ手をかざしている流花が、ふと気づいたように顔を上げた。
「どうしたの、楓ちゃん。まこちゃんも」
控える位置で立っていた二人は、顔を見合わせた。言葉のない会話を交わした後に、楓がおずおずと切り出す。
「流花、まだ、やる気?」
「そりゃそうだよー、あいつの弱点になりそうなこと、まだ聞き出せてないじゃん」
楓は困ったとばかりの顔を作る。流花は自身が抱える能力と卓絶した美貌で、かなり世間擦れした部分を形成してしまっている。普通に世間を眺めてきたならば、見抜けているはずだ。
楓と真琴は、もうとっくに解っている。流花が『あいつ』と呼ぶ紅い目をした黎銕円眞の弱点を。ただ今それを気づかせたら暴走しそうだ。事を起こすには時期尚早だ。
最強の誉れ高い『風の神』は、まだ来ていない。
楓は別の側面から思い止まらせることにした。
「でもいつまでも、この女を拘束しておくのはまずいんじゃない。黎銕円眞もそうだけど、マテオなんか怒り狂って私たちを探しているわよ」
「いーよー、あんなヤツ。流花のこと、性格ブスだなんてさ。失礼にも程があるよ」
流花の憤慨に、楓と真琴が顔を見合わせては噴き出す。ゾンビと機械人形が揃って笑い声を立ててくる。
なーにーよー、と流花が唇を尖らせれば、笑うまま二人は返してくる。
「るかー、そりゃないわ。どう考えても私らが悪いもん」
「そうそう、助けてもらった挙句にハメた私ら、酷いあるね。マテオが性格悪い言うは当然ね」
二人に反論できない流花は頬を膨らませば、楓は愉快そうに告げた。
「でもだから流花といると楽しいわ。ホント、飽きないよ」
だね、と真琴も同意してくる。
頬を膨らませたままの流花だが、決して気分悪い顔をしていない。むしろ逆と言っていい表情をしている。
そうそう、と楓が思い出したような顔つきをした。
「確かマテオに会った最初の頃、嘘がない男の子だって、流花、ほめてなかったっけ?」
「嘘なさすぎだよー、思ったことをすぐ口にしてさ。あんなデリカシーないなんて思わなかったし」
これには成るほどと、楓だけでなく真琴も首を縦に落としている。
「それにマテオ、なんか紅い目をかばってるような感じがしなかった? あんな態度を取られるとちょっと信用したくない」
それまではちょっと信用していたわけね、と言う台詞が出かかった楓だが、マテオが無神経といった話しをしたばかりだ。ここは黙っておくことにした。
さぁ続き続き、と流花が張り切っている。
身体が心配な楓としては、やはり放ってはおけない。
「流花、本当に薬の処方を守っている? 瑚華が渡したものに間違いないのよね」
流花は再び手のひらを、横たわる黛莉の額にかざした。
「義兄さんは、きっと一人でやるって言う。紅い目との戦いに誰も巻き込まずに決着をつけようとするよ。あいつを倒せるなら道連れだって構わないとするよ」
回答をもらえなかったとするには、流花の迫力が凄すぎた。長年に渡り共にあった楓と真琴は、言い出したら退かない頑固さを知っている。
そして例え姉の旦那でも愛おしい想いを寄せていることも。
「義兄さんが、紅い目のあいつと戦う前に、なんとしても勝機に繋がりそうなことを見つけなきゃ。お姉ちゃんにはもう二度と悲しんで欲しくないし。またみんなでお姉ちゃんの料理を食べるんだ」
楓は目を伏せた。
流花の願いは時間を巻き戻さない限り叶うことはない。仮に機会を得られたとしても、欠けた形だ。失われた人たちは、二度と帰って来ない。
楓は以後口出しなどせず、流花には気の済むまで思う存分やらせることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
黛莉が瞼を上げれば、明るくなった空が飛び込んできた。
「おぅ、黛莉。目が醒めたか」
すぐ真上から聞こえてきた。どうやら黛莉はいつの間にか円眞の膝で眠っていたらしい。
ごめんね、と黛莉が身体を起こせば、円眞は感極まったように握り締めた右手を胸に当てる。
「謝罪には及ばないぞ、黛莉の寝顔を見て過ごせるなど、我れにとって至福以外のなにものでもなかったからな」
そう言っては、はっはっはっと高笑いしている。
何を言っているか今ひとつなのは相変わらずだが、気を遣ってくれていると思う黛莉だ。
「ありがとうね、円眞くん」
取り戻した笑顔を向けたにも関わらず、なぜか円眞の顔が引き締まる。緊張を漂わせてくれば、「どうしたの?」と黛莉は尋ねずにいられない。
円眞は紅い目を黛莉からまだ燻る焚き火の跡へ移した。
「我れは救うという役目を負って生み出された。完全なる破滅を防ぐためにはやらなければならなかったのは理解している。だが、だからといってあの時の判断は、あれで良かったのか? あれほどのことをしなければならなかったのか?」
「……円眞くん」
「それに人間を知れば知るほど、そこまでして救う価値があるとは思えん連中が多いことが解ってきてな。役目を刷り込まれただけの我れが、果たすためだけに生き長らえていることが虚しくなってな。だから彼奴のどうでもいいという気持ちに任せて、ここまで来た」
初めて見る真剣な円眞に、黛莉は言葉が出ない。
ふっと円眞の口許が緩むのを認めれば、安堵を覚える黛莉だ。微笑を浮かべた顔を振り向けてくれば嬉しくなるくらいだった。
「感謝するのは、我れのほうだ。なぜ、やらねばならぬのか。気持ちが出来たぞ、黛莉のおかげでな」
「えっ、あたしのおかげ?」
「ああ、そうだ。もし全人類が救われたとしたら、黛莉がかわいいからだ」
黛莉の心に響いた、かわいいの表現だ。やだー円眞くん、と照れ隠しで手が出た。
うぐっ、と円眞がうめく。パンチが見事に鳩尾へ入れば、さすがに腹を押さえてうずくまった。
「ご、ごめん、円眞くん。大丈夫?」
「ま、黛莉。いくら殴って構わんが、グーはよせ、グーは」
「いつもパパがげんこだから、やっちゃったー」
えへへ、と笑う黛莉だ。すっかりいつも通りの姿といった感じである。
きたなぁ〜、と円眞はダメージが収まらないお腹をさすっている。
「でも男の子に、かわいいなんて言われたら恥ずかしいよ」
黛莉のちょっとした抗議に、円眞は平然と答えた。
「かわいいくらい言うのは当たり前ではないか。なぜなら我れは、黛莉を愛しているのだからな」
きょとん、としたのも一瞬だった。ええっー! と黛莉は頬を押さえて叫ぶ。えっえっえ……と真っ赤になってあたふたせずにいられない。
円眞といえば顎を握り拳に載せている。なぜか考え込んでいる。沈思の哲学者よろしく重々しく告げてきた。
「しかし今の黛莉を愛しているとするは、少し問題にせねばならん。もしかして我れが幼児趣向性を持っていたゆえだとしたら、黛莉に失礼も甚だしい限りだからな」
黛莉はこの意味を理解に至るは後年になってからだ。この時点では「なに言ってるか、わかんない」と、ときめく気持ちに水を差された感じがした。
まぁ、つまりだ、と円眞は前置きしてからだ。
「我れはこれからも黛莉へ会いにいきたい、と思っているわけだ。もっとも黛莉がイヤじゃなければの話しだが」
「イヤなわけない、嬉しいよ、円眞くん。でも、本当に会えるの?」
「そこは任せておけ。我れが、黛莉のもとへ必ず行く。どこへ居ようとも会いに行くから、心配しなくていいぞ」
「うん、わかった。心配しないで待ってる」
「だから黛莉。相手をぶっ殺してでも、生きてくれ。黛莉がいなくなったら人類に未来はないのだからな。もう二度と、自分を殺してもいいなんて考えてくれるなよ」